第百二十八話 受け継がれし鍵
毒殺令嬢のコミックス1・2巻、びっくりするほど豪華ですね!
でもすぐ読み終わってしまう! 続きはまだですか!!(原作者)
神殿内に他に誰かいないか、慎重に中に足を踏み入れる。
私が近づくと、祭壇にいたトリスタンはゆっくりと振り返った。
「目が覚めたか」
淡々とした声だが、敵意は感じられない。
私を害そうとする気はないようだ。まあ、その気があれば私が気を失っている間に出来ただろう。
「トリスタン様。教えてください。なぜ、私をここに連れてきたのですか?」
トリスタンは答えない。
ただ、黙って私を見下ろしている。感情の読めない水色の瞳で。
「あなたは、味方ではないのですか?」
私は一歩彼に近づく。
敵か味方かわからないまま。小さくはない恐怖心を無理やり抑えつけながら。
「王妃の手先、なのですか」
私の何もかもを見透かそうとするような瞳を、ぐっと目元に力をこめて見つめ返す。
しばらくトリスタンは黙っていたけれど、徐に私に向かって右手を差し出した。
「鍵を出せ」
短く命令され、私は一瞬何を言われたのかわからなかった。
「……は? か、鍵?」
なぜ今、この場面で鍵?
私の言葉が聞こえていなかったのだろうか。
混乱する私に、トリスタンは重ねて言った。
「鍵だ。歴代王妃が受け継いでいると聞いている。今はお前が持っているはずだ」
「鍵なんて……」
持っていない、と言いかけてはたと気づく。
歴代王妃が受け継いでいる。そう言われているものに、私はひとつだけ心当たりがあった。
思わず自分の胸元に手をやる。
ノアから贈られた指輪が、ドレスの上から指に触れる。
ノアの瞳のような宝石が飾られた指輪は、チェーンをつけてペンダントにし、王都を出てから肌身離さず持ち歩いていた。
「もしかして、王妃の指輪のこと?」
「形は知らん。見せてみろ」
ずい、と更に手を差し出され、一歩後ずさりする。
この指輪は国宝級の、イグバーンにとって歴史的にも政治的にも重要なものだ。そして婚約者から受け取った大切な指輪であり、ノアの母の形見でもある。
簡単に他人に手渡せるものではない。
「なぜあなたに見せなければならないのですか。これを奪えと王妃に言われたのですか」
「今の王妃に用はない。あれは正統な王妃ではないからな」
私の言葉に、トリスタンはわずかに不愉快そうに眉を寄せて言った。
「どういう意味です……?」
「そのままの意味だ。王妃の指輪を受け継ぐものこそがこの国の正統な王妃。正直王妃が誰であろうと我々に興味はないが、正統なる王妃には役目がある」
それはつまり、王妃の指輪を受け継ぐことのなかったエレノアは、正統な王妃ではないということだろうか。
てっきり、国王が亡くなった前王妃を愛していたから、指輪をエレノアではなくノアに預けたのだと思っていた。
だが、エレノアが王妃の指輪を受け継げなかった理由が他にあるのだろうか。
「正統なる王妃の役目とは、何なのですか」
私の問いかけに、トリスタンは迷うことなくこう答えた。
「火竜の守護者」
「は……」
祭壇に祀られたデミウル像と、その下で羽を広げる火竜の像。
聖なる像を背に、トリスタンは静かに、だがはっきりと私に言った。
「正確には、火竜の眠りを守ること。それが王妃の役目だ」
火竜の眠りを守ることが、王妃の役目?
この状況で、そんな神話の世界のような話をされるとは思わなかった。もしかして、何かを抽象した表現だったのだろうか。
わからない。わからないが、トリスタンは至極真面目な顔のまま、再び私に手を伸ばした。
「鍵を」
「……必ず返すと、約束してくれますか」
「元より奪うつもりなどない」
迷いはあった。だが、それ以上に知りたかった。
私がこの指輪を手にした意味を。自分に何が出来るのかを。
私が指輪を取り出しトリスタンに渡すと、彼は火竜の像に向き直った。
「お前をここに連れてきたのは、この神殿が入り口だからだ」
「入り口、ですか。でも、それならなぜ私が古都に行くのを止めなかったのです?」
「問題がないからだ。古都に行くことでお前の安全が守られるなら。王都がどうなろうと興味はない。重要なことは、お前と指輪を守ること。王都が戦場となり、王が変わろうとも、お前と指輪が無事であれば」
トリスタンは今にも炎を吐き出しそうな口をした、火竜の像に触れる。
デミウルの足元に伏せながら翼を広げる火竜の像。デミウル像よりも一回りほど大きいだけだが、これが実寸大ということはないだろう。
本物の火竜は、一体どれほど大きいのだろうか。
「だが、状況が変わった。正しくは、現状を理解した、か。この国の異常が、何によってもたらされているかがわかった。あのまま古都に向かっていたら、手遅れになるかもしれない。だから戻ってきた」
火竜の像をあちこち触っていたトリスタンは、口の中に手を入れてすぐにその動きを止めた。
「……あった。これだな」
火竜の口の中で、何かが嵌ったような音がする。
トリスタンは私を見ると、くいっと顔を火竜に向けた。
「竜の口の中に手を入れてみろ」
「えっ。……か、噛まれたりしませんか?」
火竜の牙があまりに鋭く尖っていたので、つい聞いてしまう。
案の定、あきれたように睨まれてしまった。
「ふざけているのか?」
「いいえ。ごめんなさい。……あ。指輪が」
言われた通りに火竜の口の中に手をやると、奥の辺りで指先に触れたのは、金属の輪だった。
「鍵穴に指輪をはめた。そこにお前の魔力を流してみろ」
驚いた。本当に王妃の指輪が鍵だったのか。
そして今度は魔力を流せという指示。
私は指輪に触れながら戸惑いいっぱいでトリスタンを見上げる。
「魔力、ですか? でも私、魔力はあっても魔法の適性がなくて」
「関係ない。必要なのは魔力だ」
「そ、そうは言われても、どのようにして魔力を流せば……」
いつもシロは呼べば出てきたし、頼めば魔法を使ってくれた。
特に私が魔力をこめていたわけではない。
私が困り切っていると、トリスタンがすぐ後ろに立った。
そして私の手の甲を撫でるように、自分の手を重ねてくる。
「こうだ」
彼の銀の髪がさらりと降りてくると、森の、植物の匂いがした。
少しドキリとした瞬間、トリスタンに触れられた部分が急に熱を帯び始めた。
(あ、これ。この感覚知ってる。毒スキルが発動する時に似てるんだ)
なんとなく感覚を掴んだ私は、見よう見まねで指輪に魔力を流してみた。
すぐに体の中から力を吸い取られるような感じがした直後、像が小刻みに振動を始めた。
驚いて、つい指輪ごと手を引き抜いてしまう。
「さ、祭壇が動いてる⁉」
揺れているのは像だけではなく、祭壇全体だった。
いや、神殿自体が揺れているのかもしれない。ただ、これまで何度かあった地震のような、下から突き上げるような揺れとは別だった。
「下がっていろ」
トリスタンに促され数歩下がると、ゆっくりと像の飾られた大きな台座が、奥へと移動し始めた。
「これは……!」
「この神殿は、湖の底への入り口だ」
トリスタンの言った通り、台座が移動を終えると、そこにはぽっかりと地下へと続く入り口が開かれた。
暗闇の中に、階段が続いているのが見える。
「行くぞ」
トリスタンが先に階段に足をかける。
私はやっぱり下りるのか、と思いながらも確認せずにはいられなかった。
「一体どこへ向かうのですか?」
私を振り返り、トリスタンは真面目な顔でこう言い切った。
「我らが神の御許へだ」
恐らくあと10話くらいで完結です。
次の章開始まで完結表示、ではなく真の完結です。ほんとに。




