第百二十三話 泉の底の悪意
大変お待たせしました!
私生活がゴタつくとまるで更新できなくなる豆腐メンタルで申しわけない。
明朝、私は外から聞こえてきた声で目が覚めた。
ベッドから身体を起こし、隣の空のベッドを見てから窓辺に向かう。
外を見ると、宿屋の庭に人が集まっていた。その中にシリルやトリスタンもいたので、急いで着替えて部屋を出る。
「ヴィンセント卿?」
「はい。おはようございます、オリヴィア様」
部屋の前には帯剣したままのヴィンセントが立っていて驚いた。
私の護衛騎士なので、おかしなことは何もないのだけれど……。
「もしかして、一晩中ここに?」
「もちろんです。よく眠れましたか?」
「疲れていたので、その分は。……ヴィンセント卿は?」
何となく答えはわかっていたが、一応聞いてみる。
「仮眠はとりました」
「でも、一晩中ここにいたって……」
「はい。立ちながら」
人間とは立ちながら眠れる生き物だっただろうか。
つまり、ヴィンセントはほとんど眠っていないということだ。
概ね予想通りの答えにどうしたものかと思っていると、ヴィンセントが何か勘ちがいをしたのかハッとしたような顔をした。
「大丈夫です。浅い眠りなので、異変があればすぐに気付きます」
「いえ、そういう心配をしているわけではないです」
トリスタンに護衛を頼んで、ヴィンセントに少し眠ってもらおうと考えながら宿の外に出る。
人が集まっていたのは井戸の前だった。話し合う村人たちの様子を眺めていたシリルに、私は声をかけた。
「シリル様」
「やあ。おはよう、ふたりとも」
「おはようございます。何かあったのですか?」
シリルは頷き、井戸に視線をやった。
「どうやらね、この村の井戸の水が使えないみたいで」
「井戸の水が?」
「村の人たちの話によると、村の傍にある泉が最近濁り始めたらしくて、その影響じゃないかって」
今朝から宿屋の井戸だけではなく、村全体の井戸の水が変色し、異臭を放っているそうだ。
少し歩くが近くの川まで水を汲みに行くしかないかと、今村人たちが話し合っている。
「トリスタンと話して、出発前にその泉の様子を見に行ってみようかなと」
「私もその泉に一緒に行って構いませんか?」
何となく気になりそう尋ねれば、シリルはにこやかに、どこか嬉しそうにうなずいた。
「もちろん構わないよ~。じゃあ泉の様子を見たらそのまま出発しようか」
上機嫌なシリルの後ろ。トリスタンが井戸に近づき、汲み上げられた水をじっと眺めていた。
いつもより厳しそうな横顔に見える。
「戻って支度をしよう。水の調達はどこかの川でやるしかないね」
「はい……」
私たちが宿の中に入る時まで、トリスタンは桶の水を見下ろしたままだった。
***
私たちが村を出立し森に入ると、例の泉はすぐに見つかった。
普段から村人も訪れているのだろう。小さな泉の周りは綺麗に整えられ、古いデミウル像が飾られていた。
「ここがその泉?」
「ひどい匂いですね……」
泉の周りは綺麗でも、水は赤黒く濁り、鉄が錆びたような匂いが立ち込めている。
とても近づく気にはなれなかった。シロを呼び出していたら、鼻を押さえて転がり回っただろう。
「オリヴィアは初めて見る? 実は国中でこういう被害が相次いでいるって、各地の神殿から報告が上がってるんだ」
「国中で……? だから大神官が巡礼に出られたのですか?」
魔族の毒による、行方不明者や死者が多く出た事件。
あれもあちこちの貴族領で発生していたと聞いたけれど、平行して水の変質騒ぎが起きていたのだろうか。
「そう。きっと火竜がお怒りなんだ」
どこか確信しているようなシリルの言い方が気になった。
「なぜ、そう思われるのですか?」
「最近世界が揺れる現象が続いているでしょ? 神殿に残された記録によると、大地が激しく揺れる時、怒れる竜が舞い降りて、すべてを焼き払う、とあるんだよ」
シリルは空を見上げて、憂いの表情を浮かべた。
それが本当なら、火竜は一体何に怒っているのだろう。
すべてを焼き払うというのは、イグバーンという国を焼き消すという意味だろうか。
(守護竜なのに、そんなことある?)
ここに来て何だか色々なことを知り過ぎて、何を信じていいのかわからなくなってきた。
無性にノアに会いたくなった。ノアがいれば、彼だけは信じられるから。
歴史の中で葬り去られた王家の所業を、ノアは知っているのだろうか。
国中で起きているという異変も、把握しているのだろうか。
王太子である彼はきっと、私の知らないことをたくさん背負っている。
私も知らなければ、と一歩泉へと近づいた時、頭の中で響いた電子音。同時に目の前に現れたのは真っ赤なウィンドウだった。
【毒の泉:ドミネラの角(毒Lv.3)】
まさかのウィンドウに、私は一瞬固まった。
(泉が毒に冒されている? なぜ?)
ドミネラの角などという名の毒は聞いたことがない。私が読んできた書物にはなかった未知の毒だ。
シリルは国中で似たような現象が起きていると言っていた。まさか全て毒が原因なのだろうか。
ゴクリと喉が鳴る。私は不自然にならないよう、何となく思いついたという風に尋ねた。
「あの……地震はともかく、泉の穢れは人為的である可能性はないのでしょうか?」
「人為的? ……それは考えたことがなかったなぁ」
シリルは泉をじっと見つめた後、とりあえず祈祷してみようと、胸元から創造神の姿が彫られたロザリオを取り出した。
ロザリオを握りしめると目を瞑り、ゆっくりと祝詞を上げ始めると、シリルの体が淡く輝き始めた。
それに呼応するように泉も輝き始め、祝詞が進むと光は強くなり、やがてシリルと泉の輝きが収束すると、赤黒く異臭を放っていた毒の泉はすっかり変貌していた。
「綺麗……こんなに透きとおった泉だったんですね」
底まではっきりと見えるほど青く澄んだ泉からは、鼻を突く臭いは完全に消えていて、シリルの祈祷によってしっかり浄化がされたのがよくわかる。
ウィンドウ表示も毒の泉から小さな泉に変わっていた。
「トリスタン」
「ああ」
シリルに名を呼ばれたトリスタンは、わかっているとばかりに頷くと、靴を脱ぎ泉に足をつけた。
そのまま水をかき分け泉の中心へと進んでいく。
「……あったぞ」
泉の真ん中で立ち止まると、トリスタンは腕を沈め何かを拾い上げた。
彼の手に握られていたのは、曲がった太い岩のようなもの。
「それは……」
トリスタンが拾ったものを手に戻ってくる。
泉から上がった途端、赤いウィンドウが表示される。あれが毒の原因だったドミネラの角で間違いない。
トリスタンが私たちに拾ったそれを差し出す。間近で見て、私は確信し思わず叫んでいた。
「魔族の角!」
「魔族? 魔獣じゃなくて?」
驚いたようなシリルの問いに、私ははっきりと頷く。
「魔族の角です。その角とよく似た角があった魔族を知っています。同じ魔族に殺され、角を奪われていましたが……」
「魔族が同士討ちして、角を奪ったの? へぇ……」
シリルも私と同じことを考えただろうか。
国中で起きている異変が、魔族の手によるものだと。
ノアに知らせるべきだ。だが、今そんな報せを送った所で、彼に何が出来るだろう。負担を増やすだけではないか。
どうするべきか悩んだ時、村の方角から馬に乗って駆けてくる男がいた。
「大神官様!」
旅人の格好をした若い男の登場に、シリルがパッと笑顔を見せる。
「ああ、無事追い付いたんだね! 他のみんなは?」
そこでようやく、男がシリルの護衛についていた神殿騎士だと気がついた。
「私だけです。なんとかご報告に上がらねばと、皆の協力で私だけが……」
疲労の色を濃く浮かべた神殿騎士に、シリルがすぐに回復魔法をかけ始める。
「何があったの?」
「国内各地で戦火が上がり、イグバーンは内戦状態に入ったようです」
内戦。その言葉に足がふらついた私を、控えていたヴィンセントが後ろから支えてくれた。
とうとう、王宮内だけの抗争ではなくなってしまった。
父は、屋敷のアンたちは大丈夫だろうか。学園の友人たちはどうしただろう。
ギルバートは、セレナは。ノアは無事なのだろうか。
「ハイドン公爵軍が王都近郊に到着し、包囲するように陣を敷きました。王都もいつ戦場と化してもおかしくありません」
緊張を孕んだ神殿騎士の報告を聞きながら、私の目には火の海となる王都が広がって見えた。
異世界恋愛……恋愛……?




