第百二十話 悪役令嬢の慟哭
次の日、朝になり移動を始めた私たち。
追手が現れることもなく順調に森の中を進んでいたが、途中不自然に馬車が停まったのでシリルが小窓から外を覗いた。
「シリル様。何か見えますか?」
「わからない。倒木でもあったのかな?」
ほどなくして馬車の戸が開かれ、ヴィンセントが顔を出す。
「ヴィンセント卿。何かあったのですか?」
「この先に誰かいます」
「それは……追っ手ですか?」
「わかりませんが、馬は二頭、人は男女ひとりずつのようです」
私たちが確認の為に馬車を降りると、確かに道の先に、木にもたれるようにして蹲る若い女性と、心配そうに寄り添う男性がいた。すぐ傍には木に繋がれた栗毛の馬が二頭。
「あれは……」
「何かあったのでしょうか」
確認してみよう、と全員でふたりの元に向かう。
シリルな慈愛のこもった微笑みを浮かべながら「こんにちは」と声をかけた。
「何かお困りですか?」
私たちを見て、男性のほうがほっとしたような顔で頭を下げた。
「身重の妻の体調が悪くなってしまって、休んでいる所です」
言われて女性を見ると、確かにお腹が大きく膨らんでいた。
この世界に生まれて初めて妊婦を間近で見た。人は母親のお腹で大きくなり、生まれてくる。当たり前のことだが、やはりゲームの世界とは違うのだとより感じた。
モブはこの世界にはいない。皆同じ、母親から生まれてくる、生きているひとりの人なのだ。
「それは大変ですね。良ければ、奥さまの様子をうかがっても? 簡単なものですが、回復魔法が使えるので」
自らそう声をかけたセレナは堂々としていた。治癒院でたくさんの患者に回復魔法をかけてきた経験が、彼女を強くしたのかもしれない。
セレナの言葉に、男性はパッと顔を明るくさせた。
「本当ですか! それはありがたい! おい、お前。こちらの方が回復魔法をかけてくださるそうだ」
女性がお腹をさすりながら、弱々しく私たちを見上げる。
「まあ、本当に……? それは、ありがとうございます」
「いえいえ。気休め程度にしかならないかもしれませんが」
「とんでもない。次の町まで距離がありますし、妻も初産で、どうしたらいいのかと困っていたんです。本当にありがとうございます」
男性はセレナの手を握り、何度も何度も頭を下げる。
この世界で治療を受けるのは簡単なことではない。電話一本で病院に連絡できるわけでも、どの町や村にも医者がいるわけでもない。
前世では簡単に治せていた怪我や病気が、こちらでは死に繋がることもある。
とりわけ平民は、貴族よりも危険に近い。出産も命がけなのだろう。
「森の中で不安でしたよね……。奥さま、症状は? 痛みや吐き気はありますか?」
セレナが女性に寄りそうのと同時に、シリルが離れていく。
最初に声をかけたきり、シリルは黙ってセレナを見守っていた。
「シリル様はいいんですか?」
私も下がり、シリルに声をかけると、彼は軽く肩をすくめた。
「今の私はただの商会の跡取り息子だからね」
「その正体は、稀代の大神官様、ですよね」
「でも、妊婦さんには、セレナのような女性がついたほうがいいでしょ」
意外とまともなことを言われ、私は感心しながらうなずく。
空気を読まないところはあるけれど、本物の神官様なのだな、と。
「確かにそうですね。私は回復魔法は使えませんけど、何か手伝えないか聞いてみます」
扱えるのは毒だけど、私も一応女性だし、と気合を入れる。
セレナたちの所に戻り、声をかけた。
「エレナさん。お手伝いします」
エレナは偽名だ。聖女や神子の名前は既に知れ渡っているので、念の為に変装する時名前も考えておいたのだ。
「オリ――ヴィヴィアンさん。ありがとうございます」
ハッと口を一度手で覆ってから言い直すセレナの可愛らしいこと。
気づいてえらい、と内心で彼女の頭を撫でながら、座りこんだままの女性を見る。
「どうしましょう? 横になれるよう敷物を持ってきましょうか? それともどこかさすりますか?」
「すみません……。では、腰の辺りをさすっていただけると……」
「謝らないでください。では、失礼しますね」
断りを入れて女性の背中に触れようとして、首の裏に落ち葉がついているのを見つけた。取ってあげようと、女性の首筋に触れた瞬間、頭の中で電子音が鳴り響いた。
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【ドーラ・ナッシュ】
性別:女 年齢:26
状態:正常 職業:密偵・王妃の手先
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「え―――」
現れたウィンドウに、思わず後ずさりした時、獣の遠吠えが辺りに響き渡った。
いや、獣の遠吠えとは明らかに違う、狂ったような叫びだった。
「何⁉」
周囲を見回すと、木の影から次々と異形の獣たちが現れた。
牙や角が大きく発達し、濁ったよだれを垂らし、赤い目をギラギラさせて私たちを狙っている。
「魔獣だ。こんな時に……」
シリルやヴィンセントたちが周囲を警戒しながらこちらに寄ってくる。
セレナは青い顔をしながらも、女性の手をしっかりと握った。
「大変。馬車の中に逃げなくちゃ。旦那さんも――」
何の警戒もなく、男性と一緒に身重の女性に肩を貸そうとするセレナ。
「あっ! ダメ、セレナ様!」
セレナを偽者の夫婦だろうふたりから引き離そうとしたが、それよりも前に女性が勢いよく立ち上がり、セレナの首にナイフを当てた。
「え――⁉」
驚き固まるセレナ。女の足の間から、ぼとぼとと重しの入った包みが落ちる。あれを服の下に詰めて、妊婦に見せかけていたのだ。
人の好さそうな旦那さんのふりをしていた男も、表情を消してマントの下から剣を取り出した。
「な、な、何で? え? どういうこと?」
「セレナ様、王妃の手先です!」
セレナは目を見開き、次の瞬間暴れ始めた。
自分が捕まったらギルバートに迷惑がかかることがわかっているからだ。
しかし男の方がセレナに布を押し当てると、彼女は一瞬で気をうしなったようにガクリと崩れ落ちた。
電子音がまた頭の中で鳴り響き、男の布に意識消失と麻痺の毒が沁みこんでいたのがわかった。
「セレナ様!」
私が助けようとすると、男が手を伸ばしてきた。
「お前も来い!」
けれど捕まる直前に、ふたりの騎士が目の前に飛びこんできた。
「オリヴィア様!」
「ヴィンセント卿! トリスタン様!」
助かったけど、シリルは⁉ と振り返ると、シリルは光魔法の防御壁を展開していた。
さすが大神官。まだレベルの低いセレナより、高度な魔法を扱えるらしい。
「ちっ。仕方ない、行くぞ」
男は一瞬で判断し、ナイフを収めると同時にセレナを担ぎ上げた。
女が暗器を複数同時に飛ばし攻撃してくる。それをヴィンセントたちがはじき返している間に、王妃の手先たちは手際よく馬に跨っていた。
馬が駆けだすと、代わりのように木の上から新たな魔獣が飛び降りて私たちの行く手を阻んだ。
「待ちなさい! セレナ様を返して! シロ!」
シロを呼び出しセレナを追いかけようとして、ヴィンセントに抱きしめられるように止められる。
「いけません、オリヴィア様!」
「でも、セレナ様がっ」
光魔法で敵の攻撃をはじきながら、シリルが傍まで来る。
初めて見る厳しい顔で私を見据えてきた。
「ダメだよオリヴィア。君まで捕まったらどうするの」
「私は、でも、セレナ様は」
トリスタンが魔獣を切り伏せながら、苛立ったように声をかけてくる。
「おい。聖女を取り返すより先に、こっちをどうにかしなければならないんじゃないのか」
「その通りだね」
魔獣の数が異常に多い。用意されていた罠なのだろう。
ヴィンセントも剣と魔法で次々と魔獣を倒すが、次々と新たな魔獣が現れ、すぐに動ける状況ではなくなってしまった。
もう馬は私たちの視界から消え、森の奥へと行ってしまった。
「セレナ様……セレナ様―――!!」
魔獣の断末魔と共に、私の叫びが深い森に虚しく響き渡るのだった。
次回予告『嫁と実母の板挟みになるギルバート』(仮)




