第百十八話 揺れる聖女の乙女心
民衆と衛兵たちとの衝突による混乱に乗じ、なんとか王都を脱出した私たちは、街道を休まず走り抜け森に入った。
一度馬を休憩させる為に馬車が停まる。大神官が外へ出たので、車内でセレナとふたりきりになった。
私たちは王都を出てからも手を握り合い、離さなかった。今も繋いだままいたセレナの手は震えている。
「殿下たちは、大丈夫でしょうか……」
「ギルバート殿下は王妃様の実の子ですし、命の心配はないでしょう。大丈夫です」
答えながら、しかしこれではセレナは安心できないだろうこともわかっていた。
(ノアと対立してしまった場合、どうなるのかはわからないものね)
ノアからギルバートを傷つけることはないとしても、ギルバートが王妃側につき、ノアに剣を向けた場合の安全の保障はない。それはノアにも言えることだけれど。
そうならないことを願うしかなかった。あのふたりは仲が良いという関係ではないけれど、お互いがお互いを尊重し合ってきたふたりきりの兄弟なのだ。
ノアもギルバートも、相手を傷つけることは望んでいないはず。そうなった時、それぞれ安全だけでなく、心も心配だ。
「あの……オリヴィア様にこんなことを聞くのは、いけないと思っていたのですが……」
言いにくそうなセレナの様子に、私は首を傾げる。
「何ですか? 遠慮せず、何でも話してください。私たち、お友だちでしょう?」
私の言葉に、セレナはなぜか泣きそうな顔をした。
もしかして私は何か間違っただろうか。お友だち、ではなかったとか。だとしたら、割りとショックなのだが。
「ご、ごめんなさい。友だちはちょっと図々しかった――」
「オリヴィア様は!」
「はい⁉」
「オリヴィア様は……ギルバート様のことを、どう思っていらっしゃいますか?」
何やら思いつめた顔のセレナに詰め寄られ、私は戸惑う。
「ギルバート殿下、ですか……?」
「ギルバート様のこと、お嫌いですか?」
嫌いかという問いに答えるとするなら――正直微妙だ。
巻き戻り前のギルバートは毒盛ってやりたいくらい嫌いだが、今のギルバートにはそんなドス黒い感情は持ち合わせていない。
攻略対象として俺様キャラは好みではない。好みではないけれど、不器用で兄に対しコンプレックスを抱いていて、囚われた私を救おうとしてくれたり、王妃からセレナを守ろうとする、優しい心を持っているギルバートのことは、人として好ましく思ってはいる。
けれどそんな複雑な感情を上手く口にできる気がしないので困った。
「え、ええと。セレナ様?」
「それとも、好ましく思っていらっしゃいますか?」
「いえ、あの……」
「もちろん、オリヴィア様が王太子殿下のことを深く愛していらっしゃるのはわかっています! 王太子殿下は素敵な男性ですし、オリヴィア様のことをとても大切にされてますし。でも、ギルバート様だってオリヴィア様のこと……」
段々と声が弱々しくなっていくセレナを見て、彼女が何を言わんとしていたのか、さすがに私にもわかった。
乙女ゲームの主人公は、いま恋に悩む乙女の顔をしていた。
「……セレナ様。ギルバート殿下にとって、私はただの兄の婚約者です」
「そんなはずありません! ギルバート様はオリヴィア様のことを、特別に思っていらっしゃいます……」
「ギルバート殿下が特別に思っていらっしゃるのは、私ではありません」
しっかりとセレナの手を握り、正面から彼女の目を見つめた。
涙を湛えた大きな瞳が揺れる。不安でセレナの心が弱っている。私と違って、セレナには知らされていないことが多いせいもあるだろう。
王妃がノアの命を脅かし続けていることや、聖女セレナを利用しようとしていたこと、大勢の命を駒のように扱い、捨ててきたことも。
知る必要はあったのかもしれない。けれど、ギルバートはセレナには知ってほしくなかったのだろう。
「ギルバート殿下がセレナ様を王宮から遠ざけようと尽力されていたのは、あなたが大切だったからです。ギルバート殿下はセレナ様を守りたかったのです。だからあなたは今ここにいるのでしょう?」
とうとう、セレナの瞳から涙がこぼれ出す。
「でも、私……何のお役にも立てなくて。守ってもらってばかりで。全然お返しが出来なくて……」
「役に立つとか、立たないとか、そういったことは、愛し愛される理由にはならない気がします」
私もそれで悩んだ時があったけれど、大切なのはそこではないと今はわかっている。
「それよりも、次にギルバート殿下にお会いした時は、もっと彼を頼ったらいかがでしょう」
「頼るって、でもこれ以上何かをしてもらうわけには……」
「ギルバート殿下が自ら好きでやってきたことでしょう? そうではなくて、セレナ様から殿下を頼り、お願いするのです。助けてほしい、あれがしたいこれがしたい、もっと一緒にいたい、とか。そう言ってもらえたほうが、ギルバート殿下はきっと嬉しいと思います」
私がはっきりと答えると、なぜかまた、セレナはしおしおと萎れた花のように俯いてしまった。
「オリヴィア様は、ギルバート殿下のことがよくわかるんですね……」
なるほど、そうくるか。
相当心が弱っているな、と私は内心ため息をつく。でもこれではギルバートが可哀想だ。
「すみません、私ったら……。言ってることがめちゃくちゃですね」
「セレナ様。ギルバート殿下を理解しているとかではなく、ただ、私ならそのほうが嬉しいと思っただけです」
少し語気を強めた私に、セレナは目を瞬かせる。
「オリヴィア様なら……?」
「そうです! 私なら、ノア様に役に立てないと距離を取られるより、頼られたり、お願いをされる方がずっと嬉しいです!」
自分で言っていて耳が痛いやら恥ずかしいやらで、叫び出したい衝動に駆られる。
(まぁ、ノア様には割といつもお願いされてるんだけど! 主にイチャイチャする種類のやつで!)
やけくそ気味になった私に、セレナはしばらくぽかんとしていたけれど、やがて小さく笑って、涙を拭った。
「そうですね……次にギルバート様にお会いしたら、やってみます」
なんとかセレナの心を落ち着かせることができたようでほっとした。
彼女には笑顔でいてもらわなければ。聖女の笑顔は世界を救う。冗談ではなく、セレナの笑顔にはそういう力があるのだ。
しばらくするとシリルが馬車に戻ってきて、トリスタンが今この先の道に敵が潜伏していないか先行し調べていると言う。戻り次第出発するらしい。
「古都までかなりの強行移動になるけど、無理はしないで不調があったらすぐに言ってね。ご令嬢にはきつい道程だろうからねぇ」
「お急ぎなのに、申し訳ありません……」
「お気遣いいただき感謝します。ですが――大神官様。なぜ私たちまで一緒に連れて来てくださったのですか? 明らかに足手まといですのに」
私の問いに、シリルはキョトンとした顔をした。
「おかしなことを聞くね。大神官の私が神子と聖女を守ることに、何の疑問があるの?」
ケラケラと笑い、シリルは「それに王族の頼みはさすがに断れないしね」とつけ加えた。
確かにもっともな答えなのだが、裏があるのではと思ってしまうのは、やはりあの何を考えているのかわからないショタ神とシリルが瓜二つなせいだろうか。
「でも、王家と教会は不可侵の関係で仲が悪いって、ギルバート様から聞きましたけど……」
セレナの言葉にシリルは苦笑し「残念ながらそれは正しいね」と言った。
「でも、君たちは神子と聖女。神に愛される方々をお守りするのは、私たち神官の使命さ」
それからシリルは、いかに大神殿の神官たちが、神子と聖女に会えることを待ち望んでいるかを熱く語った。
巡礼で王都に寄るとシリルが決めた時、ついて行きたいとほとんどの神官が手を挙げたとか。巡礼同行の権利を駆けて、熾烈な争いが繰り広げられたとか。
古都では私たちの絵姿が大人気だと聞いた時はさすがに引いた。
(最早アイドル扱い……)
古都に着いたら、正規ヒロインのセレナを全面に押し出して、私はなるべく気配を消そうと心に決めたのだった。
悪役令嬢はアイドルにジョブチェンジした!




