第百十七話 邪悪の理由
神官服と灰の山を目にしたアーヴァイン侯爵の顔が、みるみる険しくなっていく。
「これは……神官まで」
神殿内で、高位神官が魔族に殺された。
この事実は脅威だ。魔除けと加護が強い神殿に侵入でき、神殿内でも変わらず力を振るうことができる魔族がいる。しかも魔族にとって天敵と言える神力の強い高位神官を砂にした相手。
「一体どれほど高位の魔族でしょうか」
「さあね。少なくとも、加護や高位神官レベルの神力をものともしない相手ということだ」
ノアの頭に、王都を騒がせた事件の際に現れた、大公と呼ばれていた魔族が浮かぶ。
あれが神話に登場する本物の大公ならば、神官を手にかけるなど容易いことだろう。魔王の次に強い存在なのだから。
それから時間をかけて神殿内を隅々まで探したが、宝珠は見つからなかった。
神殿長の部屋、地下室、祭壇の辺りは重点的に探したがムダだった。王宮にある隠し部屋や通路も神殿にはないようで、徒労に終わってしまった。
「ここにもないのか……」
祭壇の奥に飾られた、創造神と火竜の像を見上げる。
信仰心は人並み以上にあるほうだ。何せ神子を婚約者に持つのだから。
だが、今はその信仰心が揺らぎかけている。なぜ神はこんなにも、オリヴィアや自分に試練を与えるのか。
「父上、一体あなたはどこに宝珠を隠したのです……!」
思わず叫んだ時、火竜の像の口の中に、何かが見えた気がした。
目をこらし、手を伸ばしかけた時、突然すぐ後ろに複数の気配が現れた。
「まあ、王太子も知らされていなかったの」
かけられた声に振り返りながら、同時に剣を抜き払う。
しかし相手は一瞬のうちに祭壇の向こうに移動していた。
真っ赤な豪奢なドレスの女に、仮面をつけた背の高い貴族風の男が寄り添っている。
「せっかく待ってやったのに、無駄だったみたいね」
顔を隠していた扇を下ろすと、現れたのは異母弟ギルバートと同じ新緑の瞳と、毒のある微笑み。
「お前は……エレノア!」
行方がわからなかったノアの宿敵、王妃エレノアがそこにいた。
隣にいるのは魔族だ。頭の上にそそり立つ角が、差しこむ月の光で禍々しく光る。
「まあ。義理の母を呼び捨てるなんて、礼儀がなっていないわね」
「戯言を! 王冠と王笏を返せ! あれは父上のものだ!」
ペガサスを召喚し、剣を構えるノア。
アーヴァイン侯爵や他の騎士も、ノアを守るようにして魔族を囲んだ。
「そうねぇ。王とあなたが死んだら墓に手向けてあげるわ。そんなものが作られればの話だけれど」
「やはりお前が父を……!」
ノアが剣を振り下ろすと、青白い電撃が走りエレノアを襲った。
だが魔族の男が軽く手をかざしただけで、電撃は進路を真上に逸らされる。そのまま天井が破壊され、瓦礫が振ってきた。
「あなたの父親は、中々しぶとい男だわ。結局象徴も三つ揃わなかったし、思った通りにはいかないものね」
「貴様……っ」
「でも、王も象徴も、それほど重要じゃなくなったわ。すでに次の段階に入っているのだから」
意味深に呟くと、エレノアは魔族にしなだれかかる。
魔族はエレノアの腰に手を回すと、ふわりと宙に浮かんだ。
「王太子。お前はいつまでも宝物探しを続けていればいいわ」
「何を……」
「その間に、彼がこの国を壊してくれる」
エレノアはおもむろに魔族の仮面を外した。
現れたのは、あの事件の夜、突如として現れた大公と呼ばれる魔族だった。
「お前は……大公というのは本当か!」
大公は煩わしげな目をノアに向けると、指を鳴らした。
すると穴の開いた天井から次々と、人型の魔族や魔獣たちが振ってきた。
大公を囲むどころではなくなり、新たな魔族と魔獣と、騎士たちが交戦を始める。
「エレノア! 王妃が魔族と契約するなどあってはならないこと! 気が触れたか!」
「気が触れた?」
ノアの非難の叫びに王妃は一瞬目を丸くすると、たまらないとばかりに笑い声を上げた。
「あははははは! ええ、そうね! お前の父親に嫁いだ時にはすでに、私の気は触れていたのよ!」
笑いが止まらない王妃を、ノアは怒りに震えながら睨みつける。
これほど人を恨み、憎んだことはない。目の前にいる女は、ノアにとって何度殺したとしても恨みを消すことの出来ない相手だ。
「お前の狙いは何なのだ! 魔族を使い、僕を殺し、ギルバートを王にすることか! それを成したとて何になる⁉ お前は一体何がしたい!」
王宮を、国を混乱に陥れ、この先何が待っているかわからないほど愚かな女ではないはずだ。
用意周到で、狡猾。そんなエレノアの真意が読めない。
エレノアは笑いを収めると、扇で顔を隠して言った。
「その答えは、墓の下で知るといいわ」
黒い影がエレノアと大公を一気に包み込んでいく。
反射的に電撃を走らせたノアだったが、黒い影に弾かれた。
「待て、エレノア!」
「可哀想な王太子に、親切な私が教えてあげる。ハイドン軍はもうすぐそこまで来ているわ。……ギルバートを先頭にね」
エレノアの言葉に、ノアは信じられない気持ちで頭を振った。
「息子を戦いの道具にしたのか! あいつはこんなことは望んでいなかったはずだ!」
「そうね。本当にバカな子。だから自ら望めるようにしてあげたのよ」
憐れむような声だった。嫌な予感がノアの中で膨らむ。
「あいつに何をした」
「……王太子。お前は何を守り、何を切り捨てるのかしらね」
「待て、エレノア!」
影が完全にふたりを包み隠す。
そのままふたりは、夜の闇に溶けるようにして消えてしまった。
「エレノアー!!」
襲い掛かってくる魔族を剣で倒しながらノアは叫んだ。
怒りが溢れて止まらない。なぜあんな邪悪な者が存在するのか。なぜあれが王妃なのか。
なぜ、なぜ、なぜ。
残った魔族と魔獣をすべて倒し、ノアは怒りに任せ床に剣を突き刺した。
どす黒い感情に飲まれかけていたノアの肩を、アーヴァイン侯爵が強く掴み揺さぶってくる。
「殿下。戻りましょう」
ノアが昏い目を向けると、理知的な瞳が叱るように見据えてきた。
「向こうに第二王子殿下がいるとなると、こちら側にも戦う正当な理由が必要です」
そうだ、ギルバート。
邪悪な母親に巻きこまれてしまった憐れな異母弟が、戦場にいる。
「僕たちが、その理由となるか。……行くぞ」
「どこまでもお供いたします」
宝珠は見つからなかった。
やるべきことは、絞られた。
これで業火担のターンエンド。シリアスお疲れさまでした。作者も疲れました。




