第百十三話 それぞれの選択
今年最後の更新です!
用意された馬車にシリルとセレナが先に乗り込む。
ヴィンセントとトリスタンは馬車ではなくそれぞれ馬に乗った。他の神殿騎士は、大神官がまだ王都にいると見せかける為に残り、後から追いかけてくることになっているそうだ。
私が馬車に乗る前に、父が私だけに聞こえるように囁いた。
「オリヴィア。何かあれば離宮へ行け」
「離宮……?」
離宮というのは、小神殿の傍に立つ離宮のことだろうか。
先日その小神殿で、シリルが祈祷をしたはずだ。歴代王妃に愛された離宮だが、エレノアには離宮は与えられていないらしいことは耳にしていた。
しかし、なぜ今離宮なのだろう。これから私は王都を出ようとしているのに。
だがそれを聞こうとすると、父は私の肩を掴み、真剣な顔で続けた。
「何があっても指輪を手放すな」
それだけ言うと、父はもう戻らねばと自身も馬に跨った。
父の外套が夜の闇の中ひるがえる。
「お父様!」
「無事でいてくれ、私の宝よ」
馬上で父が優しく微笑む。氷の侯爵と呼ばれる父が、私だけに見せる表情だ。
「お父様も、どうかご無事で」
祈ることしか出来ない私に、父はひとつうなずくと、部下たちを引き連れ王宮へと馬を走らせていってしまった。
父の無事を神に祈りたくても、祈る相手があのショタ神だとは。
(お父様に何かあったら呪ってやるんだから……)
父の姿が見えなくなり、私はため息をついてヴィンセントを仰ぎ見た。
この国に大変革が起きようとしているのに、ヴィンセントはいつも通りの無表情だ。焦りも不安も何も読み取れない顔で、ただ私を見ている。
その落ち着いた様子が今はありがたかった。
「ヴィンセント卿。出来ればあなたも王宮に行き、ノア様をお守りしていただけませんか?」
私の頼みに、ヴィンセントは即答した。
「それは出来ません」
「お願いです、ヴィンセント卿……」
「申し訳ありません」
取りつく島もないヴィンセントの拒否に、私は肩を落とす。
「どうして……」
ヴィンセントは私の専属護衛である前に、王宮に所属する騎士だ。
連続不審死事件の後、ノアに騎士の位をはく奪されかけたヴィンセントだけれど。
だったら、王族であるノアの危機に駆け付けるべきなのではないのか。
そんな私の考えを読んだかのように、ヴィンセントは淡々と答える。
「俺の主はオリヴィア様です。王太子殿下ではなく、あなたに仕えることを騎士として誓いました」
確かに、私は聖女を差し置いてヴィンセントから騎士の誓いを受けてしまった。
これはその罰なのだろうか。私が誓いを受けなければ、ヴィンセントは王宮騎士としてノアの傍にいたかもしれないのに。
「私に仕えると言うのなら、私の頼みを聞いてくれてもいいじゃありませんか」
「あなたをお守りすることが、俺の役目です」
ヴィンセントは頑なだった。
私が何を言っても意思を曲げるつもりはないことは伝わった。
黙って私たちのやり取りを見ていたトリスタンが「迷っている時間はないぞ」と忠告してくる。
「……わかりました。参りましょう」
ヴィンセントの説得は諦め、このまま王都を出ることにした。
ぐずぐずしていたら、セレナやシリルを政変に巻きこんでしまうかもしれない。
見送りに表に出ていた侯爵家の使用人たちを振り返る。すぐに歩み出てきたのは私の専属メイドのアンだった。
「オリヴィア様、これを。お荷物は最小限にということだったので、少ないですが」
差し出された鞄を受け取り、私は改めてアンのそばかす顔を見た。
私が前世の記憶と意志を得てから、初めて会ったのがアンだ。あの日のことは、今でも昨日のことのように思い出せる。
「ありがとう、アン。……アン、本当にあなたも一緒に来ないの?」
「はい。もう決めました! フレッドさんたちと屋敷に残り、ここを守ります!」
「でも、ここが戦場になるかもしれないのよ?」
三年間離宮にいた時も、アンは片時も離れず傍にいてくれた。
いつだって私の身の回りの世話をしてくれたのはアンだ。アンは私にとってメイドであり、姉のような……というのは違うかもしれないけれど、友、いや、戦友のようなものだった。
「きっと旦那様が何とかしてくださいます! だから事態が収まったら、絶対無事でお戻りくださいね! アンはもうお嬢様なしでは生きられないんですから! 金銭的な意味で!」
こんな時でもブレないアンに、私は思わず笑ってしまった。
私の心配を吹き飛ばしてしまうような元気の良さに、感謝する。
「まったく……アンのおかげで気が抜けちゃったじゃない」
「お役に立てて光栄です!」
「褒めてないから。……いいえ、やっぱり褒めた。アンがアンらしくいてくれるから、私は何度もあなたに救われたわ」
アンの肩をつかみ、彼女の頬に顔を寄せる。
「お嬢様……?」
戸惑うアンの耳元で、私は囁いた。
「王都にいられなくなったら、うちの領地に逃げなさい」
「え……」
「一緒に過ごした離島に一番近い町を覚えてるわね? そこにある商会の支店に、あなたの名前でお金を預けてる。アンの家族が一緒でも充分暮らしていけるだけの金額はあるわ」
伝え終わり離れると、アンは信じられないといった顔で私を見つめた。
「そ、そんな。お嬢さま、どうして……」
「あなたはこの世界で一番最初に出来た大切な味方だもの」
「お嬢様……っ」
感極まった、といった顔でアンは一気に涙を流し始めた。
これは大金が保証されたことを喜ぶ涙だろうか。それとも私の心配りに感動した涙だろうか。出来れば後者であってほしい。
「いいわね、アン。絶対にムリはしちゃダメよ!」
「お嬢様こそですよ! いつも危ない目に遭ってるんですから!」
反論できずに「うぐぅ」と変な声が出た私に、アンは泣きながら笑った。
「行ってらっしゃいお嬢様! どうかご無事で!」
アンたちに見送られ私が馬車に乗りこむと、時間が惜しいとばかりに馬車は走り始めた。
簡素な馬車には窓はなく、遠くなっていく侯爵邸を見ることは出来なかった。
いつも使う馬車よりも揺れが激しい中、つい深いため息をついてしまう。
「オリヴィア様、大丈夫ですか……?」
隣に座るセレナが心配そうに声をかけてくる。
「セレナ様こそ」
何日も寝ていないようなひどい顔をしている。
セレナは困ったような顔をしながらも、笑顔を見せた。
「こんな風に言うのも何ですが、オリヴィア様が一緒で良かったです」
本当に、こんな時でもセレナは主人公だ。人を明るく優しい気持ちにしてくれる。
セレナが素敵な女性で良かったと、心から思う。
「それは私もです……。セレナ様、手を握っても?」
「も、もちろんです!」
私とセレナが手を握り合うと、向かいに座った大神官もなぜか手を差し出してきた。
「私の手も握る? 落ち着けるよう祈りを捧げるよ」
本気で言っているのだろうか。
セレナも隣で固まっている。どうしたものかと思いながら、取り合えず差し出された手はスルーした。
「シリル様は、随分落ち着いていらっしゃいますね」
お忍びで王都に入り、こんな大変な事態に遭遇してしまったのだ。不安はないのだろうか。
しかしシリルは私の言葉にバカなことをとばかりに笑った。
「私は大神官だよ? 創造神様のご加護を信じているのさ」
(それは一番信用しちゃいけないやつ……)
神子らしからぬツッコミを脳内で入れながら、私はただ、私の大切な人たちの無事を祈るのだった。
何ヶ月も更新出来ずにいたのに、変わらず読んでくださった皆さま、今年も本当にありがとうございました!
来年は毒殺令嬢を完結させ、また別の作品も公開できるようがんばりますので、どうぞよろしくお願いたします!




