第十一話 波乱の予感
「無事目を覚ましてくれて良かったよ。一時はどうなるかと心配した」
窓辺のテーブルに着くなり、美しき王太子殿下はそう言って微笑んだ。
「ご心配をおかけいたしました。王宮医をお呼びくださった殿下のおかげです」
「当然のことをしたまでさ。まさか自分で毒入りの紅茶を飲むとはね。二度とあんな危険な真似はしないように」
真剣な目で言われ、私は黙って頭を下げた。
私が王太子の毒入り紅茶を飲み倒れてから、五日が経過していた。その間ずっと、恐れ多くもこの王太子宮で治療を受けていたらしい。
目的だった殿下の毒殺阻止は達成したのは良かったが、まさか五日も帰宅できないとは。帰ったときの、継母と義妹の反応が目に浮かぶ。
ぐちぐち言われるのだろうな、と内心うんざりしていると、視線を感じたので顔を上げる。
星空を閉じこめた青い瞳が、じっと私を見つめていた。
観察するような、何かを見透かそうとするような、あまり心地の良い視線ではない。
「君が快復したら聞きたいことがあったんだ」
「……はい。何なりと」
「どうやって、僕の紅茶に毒が盛られていると知ったんだ?」
王太子の様子がガラリと変わり、細身の体から息苦しいほどの圧が放たれるのを感じた。
さすが次期国王。生まれながらの為政者のオーラが身に着いている。
(まあ、当然疑問に思うよね)
突然初対面の令嬢が、紅茶の毒を見抜いたのだ。それがおかしいと気づかないような人間が次期国王だと、こちらが不安になる。
私が部屋にいる侍女やメイドをちらりと見ると、それに気づいた王太子が「皆、下がれ」と指示を出した。
「殿下。ですが……」
ふくよかな年配の侍女が難色を示したが、王太子は譲らない。
ほどなくして年配の侍女が他の者たちに目配せをし退出していった。
「人払いは済んだ。これで話してくれるね?」
「はい。そのことを話す前に、まずは私の境遇から話をしなければなりません。少し、長くなりますが……」
「構わない。君の体調が悪くないのなら話してくれ」
「では……」
私は実の母が亡くなったあと、継母と義妹が侯爵家に入ったことから話をした。
継母や義妹に虐げられてきたこと、実の父である侯爵は距離があり、継母たちとの関係に気づいていないこと。そして先日、継母に毒を盛られていることに気づいたことを。
ここまではすべて本当のことだ。
「自分で毒に気づいたということか? 毒に気づいたきっかけは?」
「それは……匂いです」
意識を取り戻してから、王太子に説明するために考えた毒を見抜く方法。
それが『匂い』だった。
私にだけ毒を表示するテキストウィンドウが見える、などと正直に話そうものなら、頭がおかしいと思われてしまう。いくら本当に毒を見抜くことができると証明できても、見えないものを信用できる人間はなかなかいない。
そうなると、見えないもので判断できるとしたほうが都合がいいと考えたのだ。
「毒の匂いがわかるというのか」
「はい。長い間毒を盛られていたからでしょうか。混入された毒の微かな匂いを嗅ぎ取ることができるようになったようで……」
「匂い。匂いか……」
王太子は細い顎に手を当て考える素振りを見せた。
だがすぐにハッとしたように、テーブルの上のベルを鳴らす。
「すまない。茶の用意もさせてなかったね」
「いえ。お気になさらず」
というか、紅茶を飲めるのか王太子。先日毒を盛られたばかりだというのに。
王になる人には、これくらいの度量がなければいけないのかもしれない。などと考えていると、先ほど退出していった侍女がワゴンを押して戻ってきた。
侍女が紅茶を淹れたカップを王太子の目の前に置いた瞬間、あの電子音が。
【紅茶(毒入り):爛紅石(毒Lv.1)】
(毒レベル1かあ)
既に毒レベル1では動揺しなくなっている自分がいた。
スキルの毒耐性レベルより低い毒なら大丈夫だとわかったからだ。それに創造神曰く、毒のレベルが上で苦しむことはあっても死ぬことはないらしいので、そこまで恐れるものでもない。……いや、やはり死にたくないので恐いものは恐いが。
それにしても、たった五日でまた毒とは。王太子も私と同じくらい、日々毒の危機に見舞われているようだ。
ちらりと紅茶を淹れたふくよかな侍女をうかがう。
侍女の中では年配で、他の侍女たちを統率しているように見えた。毒を混入させたのは彼女ではなく、別の侍女かメイドだろうか。
ふくよかな侍女が私の前にもカップを置いたが、私の紅茶からは赤いテキストウィンドウは現れない。
なんとなくほっとした次の瞬間、再び電子音が響いた。
【ガラス瓶(毒入り):爛紅石(毒Lv.1)】
侍女のドレスから、真っ赤なテキストウィンドウが。
(犯人確定しちゃったか~~~)
目をつむって天を仰ぎたい気分になったが我慢した。
侍女を統率しているということは、つまり王太子の信頼厚い立場の人間。そんな人が彼を裏切っているのか。
王太子が知ったら、きっと傷つくだろう。先日の毒殺未遂のときも、紅茶を淹れたのは五年勤めるメイドだと言っていた。立て続けに身近な人間に裏切られ、人間不信になったりはしないだろうか。
若く美しい王太子の心情を考えると胸が痛かったが、見過ごせるわけもない。
王太子がカップのハンドルに指をかけると同時に「殿下」と呼び止めた。
「何かな?」
「飲んではいけません」
私の言葉に、王太子の眉がぴくりと動く。
青い瞳が細められ、部屋の温度が下がるのを感じた。
「これにも、毒が入っていると?」
「……はい。そこの侍女が毒を所持しております」
王太子と侍女が、ハッとした顔で私を見た。
少しの沈黙のあと、なぜか王太子が「なるほど」と微笑んだ。
「オリヴィア嬢。君の言葉を信じよう。確かに君は毒を嗅ぎ取ることができるようだ」
「え? それはどういう……」
「マーシャ」
「はい、殿下」
マーシャと呼ばれたふくよかな侍女が、ドレスの隠しポケットから細く小さなガラス瓶を取り出した。
中には鮮やかな紅色の液体が入っている。テキストウィンドウもそのガラス瓶から出ていた。間違いない。あれが毒だ。
「すまないが、君を試させてもらった。君が毒を盛った敵と通じていた可能性もあったからね。気を悪くしたかな?」
「……よかった」
「え?」
「殿下が裏切られたわけではなかったのなら、よかったです。安心しました」
つまり自作自演だったのだ。
この美しい王太子が傷つくことがないとわかり、心からほっとして笑う。
王太子は侍女と目を合わせると、肩から力を抜くようにして笑った。それは年相応の、自然な笑顔に見えた。
「オリヴィア嬢。いや、オリヴィア。改めて礼を言わせてくれ。僕を毒から守ってくれて、ありがとう。毒で狙われている者同士、これからぜひ仲良くしてほしい」
そう言うと、王太子はグローブを外し、こちらに手を差し出した。
「もったいなきお言葉です。王太子殿下」
頭を下げ、恭しくその手を取る。
「僕のことは、気軽にノアと呼んでくれ」
(そんな気安く呼べるわけないでしょうに)
内心そうツッコミを入れたとき、今日何度目かの電子音が頭に響いた。
同時に目の前に、ステータス画面が現れる。
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【ノア・アーサー・イグバーン】
性別:男 年齢:13
状態:慢性中毒 職業:イグバーン王国王太子
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なぜ、突然王太子のステータスが現れたのか。
いや、それよりも重要なのは彼の状態だ。
(慢性中毒って……すでに毒盛られてるやないかい!!)
首都育ちだったはずの前世の私だが、方言で盛大にツッコミを入れたそのとき、国王陛下の侍従の来訪が告げられた。
すぐに部屋に通された侍従は慇懃に挨拶をし、私たちに頭を下げたままこう言った。
「国王夫妻がアーヴァイン侯爵家ご令嬢、オリヴィア様との引見をご希望です」
国王の侍従によりもたらされたのは、波乱の予感しかしない報せだった。




