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第一話 そういうことじゃない

 冷たい床に倒れてから、どれくらいの時間が経っただろう。

 最初は喉のしびれから始まった。しばらくすると目眩がして、強烈な吐き気に襲われた。手足が痙攣し倒れ、いまはもう指一本動かせない。

 床にこぼれたスープを食べた鼠が、泡を吹いてひっくり返るのを見て悟った。


(私は毒を盛られたのね)


 それはつまり、もう用済みになったということだ。


 私の名はオリヴィア・ベル・アーヴァイン。

 国王の信頼厚いアーヴァイン侯爵の娘で、王太子の婚約者という、表向きは高貴な立場だった。つい十日ほど前までは。

 だがいまは国の宝である聖女を毒殺しようとした罪で牢獄塔に入れられた罪人。当然婚約も破棄され、私には何も残っていない。


 何度も嘔吐し、喉がさけ、口から血があふれ出た。

 長時間苦しむ毒を盛られたらしい。私をいいように扱ったうえにこの仕打ち。人々は私を悪魔だと言ったが、あの人たちこそ本物の悪魔だと思う。


(どうして私がこんな目に遭わなければならないの?)


 この世のありとあらゆるすべての苦痛に襲われるのを感じながら、私は薄く笑った。

 何の意味もない人生だった。

 利用されるがまま苦しみ続け、幸せなことなど何ひとつない塵のような人生だった。命果てるときに、会いたいひとひとりの顔すら浮かばない。


 父は私の存在を最後の最後まで無視していた。

 婚約者は私を捨てたうえ、罪人だと糾弾した。

 友もいない、騎士もいない、侍女すらいない、孤独で憐れな女。

 こんな私が死んだとしても、誰も気に留める人はいないだろう。なんて虚しい。


 幸せな光を放つ、金色の髪が脳裏でひるがえった。


 私もあの子のように、幸せな人生を歩んでみたかった。

 毒で苦しみもがきながら死ぬような人生ではなく、多くの人に愛され、大切にされ、何の不安もなく明日を楽しみにするような。そんな恵まれた人生を……。

 なんて、私のような愚かな罪人が願ったところで叶うはずもない。


(神よ——あなたを深く恨んでやるわ)


 孤独の中、最後まで苦痛ばかりを味わいながら、私は十六年の生涯を終えた。


 ◆


 ふと気づいたときには、温かな場所にいた。

 朽ちた教会の祭壇のようなそこには、天井から優しい光が降り注いでいる。周囲は岩の壁で覆われており、苔や蔦などの緑で静かに侵食されていた。


 私の目の前には見覚えのない少年が立っていた。

 きれいな子だ。髪も肌も雪のように白い。身に着けている神官のような服も白く、全身が発光するように輝いている。その姿はまるで——。


「そう、僕はデミウル。君たち人間が言うところの、神だ」


 少年の声は、言葉は、聖歌のように清らかで荘厳な響きがあった。無意識に跪き、祈りを捧げたくなるほどに。


 デミウル——それは、この世界の創造神の御名だ。

 天地を作り、精霊を生んだ、この世の生命すべての父。

 死に際に私が呪った唯一神——。

 そこまで考え、ハッとした。


(私……生きてる?)


 なぜ。あの牢獄塔で、毒を盛られ死んだはずなのに。形容しがたいほどの苦しみを、私は鮮明に覚えている。


「そうだよ。君は死んだ」


 思わず顔を上げると、少年——デミウルは慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。


「……やはり、私は死んだのですね。では、ここは天の国でしょうか」

「いや。君は天には昇らないよ?」


 デミウルの返答に、私は失望を隠せず肩を落とした。


「そう、ですよね……。当然です。私のような罪人が、天になど行けるわけがありません」

「待って待って。君は天には行かないけど、地獄にも行かないよ。君はとても苦しんだんだろう? 僕を恨む声が届いたくらいだから、相当だったんだろうねぇ」


 かわいそうに、とデミウルはちっともそうは思っていないような笑顔で言う。

 神にとってはただの人間ひとりの生き死になど些細なことなのだろう。


「だいたい、君が何をしたっていうんだろうね。確かに君は聖女のお茶に毒を入れたさ。でもそれは継母に命令されたからで、君の意思ではなかっただろ?」

「どうしてそれを……」

「それなのに苦しんで死んだうえ、誰にも悲しんでもらえないなんてあんまりじゃないか。いくら悪役令嬢だからって、こんなにも不幸を背負わせる必要ある?」


 悪役令嬢とは、もしかしなくても私のことだろうか。

 確かに聖女や彼女を守る人たちから見れば、間違いなく私は悪役だったとは思うけれど。


「誤解しないでほしいんだけど、別に僕が君を苦しめたわけじゃないんだよ。君の魂はね、別の世界から呼び寄せたんだ。そのせいか魂がこの世界に馴染まず、必要以上に苦しむことになったみたいなんだよね」


 まいったまいった、と創造神は軽い調子で頭をかいた。

 それは……結局のところ、呼び寄せた神のせいなのではないだろうか。

 私はそう思ったが、デミウルはその考えにはまるで至らない様子で続ける。


「僕のせいじゃないのに恨まれるのも気分が悪いし、やっぱり可哀想だし、君の魂を救うことにしたんだ」

「魂を、救う……?」

「僕は慈悲深い創造神だからね。君に幸せになる機会を与えようと思う」


 君の望みは何? と、デミウルがあまりに無邪気に問いかけてくるので、不敬とは思いながらも私は呆れた。


(なんというかこう、もう少し申し訳なさそうにしてくれてもいいのでは?)


 罪悪感の欠片もない笑顔に、この少年が確かに神なのだと感じた。

 人ではない、もっと別の次元に生きる存在だからこそ、自分を恨み死んだ者を前にしてもこのような態度でいられるのだろう。


 恨みと怒りの塊をぐっと飲みこみ、長く息を吐き出した。

 デミウルに何を言ったところでムダなことは、なんとなく想像がつく。

 それならば割り切るしかない。望みを叶えてくれるというのなら、それで帳消しにしよう。


「では……私は二度と、毒で苦しんで死にたくはありません」

「うんうん。毒殺は苦しいよねぇ。いいよ。それから?」

「それから……」


 自分を罵倒する義母妹の顔や、聖女の肩を抱き軽蔑の眼差しを寄越す婚約者の顔が浮かんだ。その他大勢の「偽物」と私を嘲笑する声も響いてくる。

 なぜ、あんな仕打ちを受けなければならなかったのだろう。私はただ——。


「ただ……生きたいです。平穏でいいのです。慎ましくてもいいのです。私は死にたくなかった! 可能なら、誰かにいいように使われるのではなく、愛されて生きてみたかった……!」

「うん。いいよー」


 あっさりと、それはもう実にあっさりとデミウルはうなずいた。

 両手をパッと広げ、にこにこと微笑む創造神に、私は自分でお願いしたにも関わらず「え。い、いいんですか?」と戸惑ってしまう。


「もちろんいいよ、それくらい。君はとても謙虚だね。素晴らしい心根の持ち主だ!」

「はあ……いえ、そんな。私など——」

「そんな君には、唯一無二の知識と力を与えよう。じゃあそういうことで!」


 そういうことで? どういうことで?

 尋ねる前に、突然舞台の幕が下りるように私の意識は暗転した。

 最後に見たデミウルは、とても憎たらしい……もとい、清々しい顔で手をふっていた。


 ◆


 目覚めたとき、私はベッドの上にいた。

 あの牢獄塔のかび臭いベッドではない。慣れ親しんだ柔らかさのこれは、正真正銘私のベッドだ。

 まさか、ここは侯爵邸なのだろうか。


「生きて、る……?」


 天井に向かって手を伸ばすと、その手がいつもより小さく見えハッとした。

 跳ね起きてベッドを降り、姿見へと駆け寄る。大きな姿見に映ったのは、なぜか数年分若返ったような自分の姿だった。


「ど、どうして? 私の体、一体どうなって——」


 頬に手を当て呟いた瞬間、ピコンと頭に電子音が響いた。

(……電子音って、何だったっけ?)

 思い出そうとする前に、それは目の前に現れた。


 ————————————————


【オリヴィア・ベル・アーヴァイン】


 性別:女  年齢:13

 状態:衰弱 職業:侯爵令嬢・毒喰い


 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥


《創造神の加護(憐み)》 new!


 毒スキル new!

 ・毒耐性Lv.1 new!


 ———————————————— 


 半透明の四角い窓のようなこれは——。


「ゲームのステータス画面⁉」


 そう叫ぶと同時に、私はすべてを思い出した。

 自分の前世が、日本で大手化粧品ブランドの美容部員だったことも、この世界が前世でプレイした乙女ゲームの世界に酷似していることも。

 そして自分が、ゲームの中では主人公の聖女のライバル役、悪役令嬢オリヴィアであることも。


 もう何から驚いていいかわからないが、とりあえずこれだけは先に言わせてほしい。


「たしかに私は、毒で苦しんで死にたくないとは言ったけど、正しくは毒とは無縁の新しい人生を望んでいたわけで……」



 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 毒スキル new!

 ・毒耐性Lv.1 new!

 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥



 つまり、そういうことじゃない——!!

 

 


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