~ Happy birthday ~
ギザギ十九紀14年8月4日19時。
『緋翼』対策本会議の四回目が開かれる。
会場は王都オースムのアリアド邸で、参加者は主催者アリアド・ネア・ドネと十天騎士のみである。事の重大さを考えると迂闊に外部へ情報は流せなかった。そもそも情報源が創造主を名乗るおかしな『おっさん』である。確証もなく国王に伝えでもしたら、頭を疑われて高い塔に幽閉されるだけだ。
「今日はより重大な情報があってみんなを呼んだの。特別室を用意してあるからついて来て」
ロビーで待っていた10名の騎士に、アリアドは重々しく告げた。騎士たちの顔も自然と硬くなる。
「ここよ。レナから入って」
照明のない大部屋に、レナは車椅子を回して進んだ。部屋に入ってすぐ、周囲が光った。
「敵襲か!?」
アリアド以外の全員が突然のまぶしさに目をかばう。「違うわ。安心して」とアリアドが答えたので、身構えるのをやめた。
目が慣れて、部屋を確認する。
「これ……」
先頭のレナだけではなく、残りの十天騎士も言葉を失った。
大部屋には料理が並び、壁には飾り付けがされ、正面の壁には横断幕がかけられていた。それには――
『誕生日おめでとう 礼奈』と日本語で書かれていた。
「れいな? れな? 礼奈ってレナ?」
バルサミコスが車椅子の少女を見ると、彼女は肩を震わせていた。
「これ、これぇ……」
少女は知性を失ったように繰り返した。
「今日、誕生日なんだってね。そういうの、ずっと気にしないできちゃった。ごめんね、レナ」
アリアドはしゃがんで少女と同じ目線になった。少女の目が潤んでいるのを真正面で見る。
「アリアドさまぁ……」
「16歳の誕生日おめでとう、レナ」
レナは気持ちが溢れ、車椅子から飛び出してアリアドに抱きついた。
「ありがとう、ございます……」
お礼を言いながら、彼女は泣き出した。
「そうだったんだ? おめでとう、レナ!」
バルサミコスがもらい泣きしながら祝いを述べ、数人が続いた。
アットホームが苦手な一部の者は対処に困っていた。
「まぁ、ガキは誕生祝いくらいしねーとな」
「サプライズは苦手だ。計算どおりやるから美しいものを」
巨漢のロックと参謀ノリアキの感想だ。
「ていうかさぁ、アリアドも水臭いよ。こういうのって、みんなで準備するもんじゃない?」
エクレアが文句を言う。
「そういうものなの? そうと知ってたらテテラにぜんぶ投げなかったのに」
テテラはドネ家の家政婦で、アリアドとは姉妹のように育ってきた古い友人でもある。
「テテラ一人で!?」
「わたしのテテラが一日でやってくれました」
「そんなノートの書き写しみたいに言われても」
バルサミコスたちは肩をすくめた。
「まったく、せっかくの記念日に手ぶらで来てしまったではないか」
カインが憤慨した。知っていれば菓子の一つも持ってきたものを。
「それは大丈夫。レナ、日本では誕生日にどうするんだっけ?」
アリアドはしがみつく小さな女の子を優しく離し、問いかけた。
「……ケーキに年齢と同じ数のロウソクを立てて、火を吹き消します」
鼻をすすりながら少女は答えた。
「らしいわね」
アリアドは彼女を抱きかかえ、部屋の中心のテーブルに連れていった。
その上に、クリームに包まれたイチゴのホールケーキがあった。チョコレートのプレートには『Happy birthday』の文字が書かれていた。ロウソクも16本立ててある。
「これもテテラさんが……?」
脇に控えるドネ家の家政婦に目を向ける。
「いや、これ、違うだろ? この世界の物じゃない」
アキラがケーキを凝視しながら言った。質感、材料、匂い、すべてがこの世界のケーキと異なっている。
「あなたの誕生日を教えてくれた人が用意してくれたのよ」
「え……?」
「疑似体ならみるく・あれるぎー?はないから安心して食べて欲しいって。他にもたくさんのお菓子が入った箱まで用意してあったわ」
「もしかして……」
「そう。あの変な人からのプレゼントよ。本人はもう、忘れてるでしょうけどね」
「……っ」
レナはまたアリアドに抱きついて泣いた。
「彼が残した手紙にはこうあったわ。『たまには子供に戻って楽しむこと』と」
「……うんっ」
泣きやんだレナが最初にしたのは、『みんなが幸せでありますように』と笑顔で祈り、ロウソクの火を吹き消すことだった。
「なぁ、結局、その男ってなんだったんだ?」
アキラがアリアドに訊いた。久々に日本の駄菓子が食べられて嬉しい。
「普通の異世界人よ」
「でも、オレたちについて詳しくて、未来予知までしたんだろ? 普通とは思えない」
「彼の過去の経験をもとに小説は書かれた。これは真実ね。そして過去というのが、現在のマルマで経験する出来事だったの」
「そいつにとっては2周目ってことか?」
「結果的にそうなるわね」
「いやいや、おかしいだろ? 今、経験することをどうやって過去に書くんだよ? あいつが戻ったのは、召喚してすぐの時間なんだろ? 本体に刻まれているとかいう、召喚時点の時間」
「そうよ。ちなみにあなたたちの体もそうやって保存されているわ。召喚時点にすぐ帰してあげられるわよ?」
アリアドがすまして言うと、アキラたち十天騎士は複雑な表情を浮かべた。それぞれに帰りたくない理由があった。
「それはともかく、わたしもわからない。時間的にも記憶的にもこちらでの経験がないとすれば、彼はどうやって小説を書いたのだ?」
カインも首をひねる。だいたいのことは1を聴けば5を理解する彼女だが、今回はまるでわからない。
「記憶の消失はあまり当てにはならないみたいよ。彼が話してくれたけど、召喚時点に戻った異世界人の中には、それまでのマルマでの生活を覚えている人がけっこういたらしいわ」
「そうなの? それなら納得もするけど、都合がよすぎるねぇ」
バルサミコスは肩をすくめた。
「いや、そうだとしても、彼はすでにこの世界での出来事をまとめた小説を書き上げているのだろ? これから書くんじゃない。すでに終わっているんだ」
カインが指摘する。
一同がまた混乱するなか、アリアドだけが笑っていた。
「アリア、答えを知ってるなら教えてよ!」
バルサミコスが突っかかる。
「だから言ってるじゃない。彼は普通の異世界人だって」
「だーかーらーっ」
バルサミコスは半ば本気で怒った。
その脇で、ノリアキが「あ」と閃いた。
「そうか、そういうことか……」
「なに、なんなの!?」
バルサミコスの的がノリアキに変わる。
「ミコ、あなたは『いんふぃにてぃ・はーつ』とかいうゲームを知ってる?」
「もちろん! 3まではやったよ!」
バルサミコスはアリアドにご機嫌に答えた。そのゲームは好きだった。
「でも彼はそれを知らないのよ。たぶん、誰かに聞いた話ていどにしか」
「そんな馬鹿な。あの有名ゲームをやってないなんてアリエナイよ」
バルサミコスは笑って言うが、レナなど一部の十天騎士もせいぜい名前しか知らない。
「事実よ。彼はね、このマルマ世界で初めてその名前を聞いたのよ。そして、自分の世界には存在しないから、そのままフィクションとして小説に名前を出した」
アリアドが微笑みながら語ると、数人が気付いた。
「そうか、そういうことか」
カインがようやく納得した。
「あの人は、異世界人だったんですね……」
レナも理解し、大きく息を吐いた。
「え、え、どゆこと?」
バルサミコスやエクレアがカインたちを見回す。
「彼はわたしたちとは違う次元の異世界人だ。おそらくわたしたちとほとんど変わらない世界のな。並行世界といったほうがわかりやすいか?」
「あー、そういうことぉ!」
カインの説明に、全員が理解を示した。
「送還時に彼の体を調べたら異世界座標を指す時空軸がみんなとは10臆分ノ1ずれていたの。その差が、ゲームという形でも現れたのよ」
「でも、だからって経験する前に書いた小説はどうなるの?」
「彼は別次元のわたしに召喚され、ここではないマルマに降り立ったのよ。時空軸のずれだから、当然、時間軸もずれていた。わたしはあなたたちとは違う世界の未来の彼を召喚していたの。ついでに言うと彼が以前召喚されたマルマも、本来の彼の次元とはまた違うのはわかるわね?」
「はーっ」
バルサミコスはため息しか出ない。
「もしそうならそいつは二度もマルマに来て、二度も帰ったわけか。よっぽど日本が好きらしい」
アキラが笑う。彼は日本よりもマルマのほうが性に合って好きだった。
「一度目はおそらく死んで帰ったのでしょうね。死んだ場合、強制的に肉体時間に戻されるから。トラウマを残さない配慮でそうなってるの」
「それでもマルマの記憶は残っていたのか」
「さっきも言ったとおり、記憶の消失は当てにならないってことね。彼もその一人だったわけよ。無自覚だったようだけど」
アリアドは喉の奥で笑った。創造主ぶった異世界人の姿を思い出して。
「……さて、種明かしも終わったことだし、今日はレナの誕生会にかこつけて飲むわよ!」
アリアドが宣言する。
「それを言うかね、この人は」
バルサミコスをはじめ、十天騎士やテテラが呆れる。だが、そのアイデアは決して悪いものではなかった。
「「ハッピー・バースデー、レナ!」」
同時刻、ナンタン町中区の片隅にあるコープマン食堂。
ショウたちは仕事のあとの夕食を楽しんでいた。ショウとシーナ、ハルカは薬草採取作業に汗を流し、アカリとアキトシはパン屋で励み、リーバは縫製工場で新たな服のデザインを手がけた。マルは訓練所にいるため、この場にはいない。
「どしたの、ハルカ?」
シーナが箸の進みが悪い彼女に訊いた。いつものハルカなら、とっくに一人前は済ませている。みんなの目も彼女に集まった。
「ん……。なんか、物足りない……」
ハルカは料理を眺めたまま答えた。
「たまには違うメニューを頼んでみるとか」
シーナがスプーンを立てて提案する。
「ううん、料理じゃなくて……」
「また、きのうの誰か足りない気がするって話?」
アカリはフォークをとめずに言った。
「うん。やっぱり、なんか……」
「足りないといえばマルが足りないけど」
ショウはシーナのほうに目を向けた。二人の親密度は最近、急激に上がっていた。
「でも、ハルカがマルを足りないと思うわけないしねぇ」
「うん……」
さりげなくハルカはマルを論外にする。気付いたショウたちは苦笑いを浮かべた。
「気のせいよ、気のせい。あたしたち全員があんたのまわりにいた人を覚えてるけど、その誰でもないんだから」
アカリが一刀両断する。
「そう、だよね」
ハルカはこれ以上の会話に意味が見いだせず、打ち切ることにした。
彼女が元気なフリで食事を再開すると、みんなも安心して雑談を続けた。
「やっぱり、ダメなんだね」
彼女は誰にも聞こえない声でつぶやいた。
「みんな、あの人を忘れてる。あの人は最終目標をやり遂げたからいなくなった……」
ハルカは覚えていた。クモンという変な人を。自分を助けるため、ショウを救うため、みんなを守るため、がんばっていた人を。
昨日、クモンが日本へ帰ってすぐ、アリアドは関係者に記憶操作の魔術を施した。その中で、魔女は情けをかけてハルカから記憶を奪わなかった――わけではない。彼女は自分の力で跳ねのけた。それが可能であったのは十天騎士の疑似体という超人の体を持つゆえか、それとも彼女の気持ちの問題なのか、それはわからない。けれど彼女は薄れようとする彼の記憶を感じとり、その意味を瞬時に理解した。あの人は自分の存在を消して、マルマから去ろうとしていると。だから彼女は敢然と立ち向かった。
「ふざけないでっ。わたしは絶対に忘れないから! 恩返しするんだから! 日本に帰るつもりなら今度はわたしが日本に行く! どんな姿をしていようが絶対に見つけて、絶対に感謝を伝えに行くんだから!」
そのときから、ハルカには生きる目標が生まれた。
「……あのおじさんなら、格好つけて言うかも。『それじゃ、今日はハルカの新しい誕生日だね』とか」
その想像にハルカは笑い、泣いた。
『ハッピー・バースデー、ハルカ』
声がした気がして、ハルカはバッと顔を上げた。
しかし、そこにあの人はいない。
わかっている。
だから彼女は、泣くのをやめた。
〈了〉