8 夏のはじまり、僕の終わり
ゴブリン掃討作戦は終わった。
夜襲を受けた翌日の7月29日、目的地にたどり着いた討伐隊は、すでにもぬけの殻となったゴブリンの村を目撃する。その理由を創造主たる僕は知っている。ゴブリンたちは王クラシアスの撤退命令に従い、さらに山奥へと退却していた。ゴブリン王は異世界人を脅威と感じており、無駄な戦闘を避けたのだった。
その過大評価に僕らは命拾いした。その日の夜にはナンタンの町に凱旋し、おいしい夕食と温かいベッドに幸せを感じた。
ギザギ十九紀14年7月30日。僕は訓練所を辞め、ナンタン中区に戻っていた。昼を過ぎるまで宿の一人部屋でゴロゴロとして過ごし、コープマン食堂で胃袋を満たしている最中だ。
ショウたち掃討作戦に参加したメンバーは、疲れを癒すために今日は仕事を休みにしている。スケジュールどおりなら、ショウとシーナは今ごろ異世界人管理局でレックスとニンニンに鎧などの修理を頼んでいるだろう。アカリだけはジッとしていられない性格なので、休みと決めたのにパン屋で働いている。ハルカは――わからない。彼女がルカならば訓練所に戻っているが、ハルカはまだ訓練所への入所待ち状態だ。ショウたちといるのか、一人でブラついているのか、疲れてまだ寝ているか。
「そんな心配も明日までだな」
感慨深くつぶやいた。長く短い一ヶ月が終わろうとしている。夢としては長いが、人生から考えれば儚い時間だ。
などと、格好つけて浸っていると「なにがです?」と横槍が入った。
「うおっ、ハルカっ」
僕は驚いて後ろに飛び、背もたれに思いきり背中を打ち付けた。
「また暗躍しようとしてるんですか?」
ハルカは敬語を使いつつも、その眼は軽蔑するかのように冷たい。ハルカとはおとといの『おじさん』発言以来、二人だけで話すのははじめてだった。
「またって……」
つい苦笑いがもれる。彼女は呆れたのか、ため息をついて僕の前に座った。
「だってそうじゃないですか。結局、なんでハリー・ガネシムを暗さ――」
「シーッ 場所を考えてっ」
「……あの人を懲らしめようとしたのか教えてくれなかったです」
「その言葉どおり、懲らしめるためだよ。それに、あそこで第三者が介入しなかったらショウくんはどうなってたと思う?」
「……最終的には重い罰を受けたと思います」
「うん。だから助けたかった」
「なんでそう、先回りできるんです?」
ハルカの疑問は本質に向かっていた。ハルカ自身の未来といい、なぜ知っているのか?
「予知能力があるからだよ」
「嘘ですね」
「うん。それはともかく、知っている以上はどうにかしたかった」
「答えになっていません、おじさん」
「ぐっ……!」
正面切って言われると心に刺さる。
なぜかハルカがため息を吐く。
「……その反応、本当におじさんなんですね。またわたしを突き放す嘘だと思ってました」
「残念ながらね。でもね、おじさんだからこうして君と話せるんだよ。もし同じ年頃だったら、こんな可愛い子を前にしたら緊張しまくってうまく言葉が出ないよ」
「……っ」
ハルカは顔を赤くし、とっさにうつむいた。その素直な反応は嬉しく思う。
「僕は君を妹……いや、娘? 違うな。そうだ、姪っ子みたいに感じている。だからいろいろな表情を見せてくれるようになって安心してる」
「むっ……」
ハルカは一変、頬を膨らます。僕は本心を言っただけなのだが、彼女はからかわれていると感じたようだ。これ以上、機嫌を損なう前に話を戻すとしよう。
「さて、聞かれてしまったからには、君にも手を貸してもらおうかな」
「なにをするんですか?」
「実は明日、ショウくんは死ぬ」
「え!?」
ハルカは大声を上げた。周囲の目が一斉に彼女に向くが、気付いていない。
「まぁ、正確には死にかけて行方不明になるんだけどね」
「それでも驚きですよ!」
彼女が身を乗り出してくる。近いので押し返して座らせた。
「そんな未来を見たい?」
「いえ」
「だからそれを阻止する」
「ホントウ、なんですか?」
「本当。僕の最終目的はそれなんだ。でもそうすると以後は僕も知らない未来が待ってる。だから僕もみんなと同じ、手探りで生きていくしかなくなる」
「ぜひやりましょう!」
ハルカはやる気になって拳を握る。ショウを助けるのはもちろん、僕の進退を含めてのやる気のようだ。今まで隠し事をしていたのがよほど気に入らなかったのだろう。
僕はショウくんの行方不明回避の方法として、最初は彼の代わりに僕が谷底へ消えるつもりだった。そのままフェードアウトして夢世界を終わりする。それが最善だと信じていた。彼を間一髪から救うための【身体強化】魔術だったし、他人と必要以上に馴染まないように心がけてきた。
けれど、ハルカは僕に強い仲間意識を持っているようで、ここで僕が死のうものなら落ち込むかもしれない。なのでやり方を変えることにした。夢の住人相手になにを言っているのかと思われるかもしれないが、夢だからこそ後味悪いのは嫌だ。
「ショウくんは明日、再開される薬草採取作業に行く。だけど、ゴブリン討伐隊の薬を作るために近場は刈りつくしていて、山奥まで探索に出るんだ。そこで土砂崩れに巻き込まれて行方不明になる」
ハルカは体を震わせる。言葉ではなく、態度で恐怖を表現していた。
「彼らが山奥へ行くのは止めないけど、早い段階で引き返してもらう」
「どうやってです?」
「その前に敬語はやめてくれるかな。またケンカしてると思われる」
『おじさん』発言のあと、ハルカが僕と話すときだけ敬語だったのがみんなに誤解された。なにせハルカは不機嫌で目すら向けなかったからだ。ショウたちはいろいろ察したようだが、もちろん正解者はいない。
「二人のときはこれでいいです」
ハルカは膨れながら答えた。彼女なりの最大限の譲歩らしい。僕はあきらめた。
「……山奥ヘはコーヘイくん、ショウくん、シーナの三人だけが行く。それを僕らが山に住む魔物のフリをして脅かす」
「変装でもしてですか?」
「うん。それらしいお面でもこのあと探しに行くつもりだった。あとは外套に泥や葉っぱでもつけてそれっぽく」
「すぐにバレそう……」
「近づく必要はないよ。遠くから魔法や矢を撃ちこんで驚かせればいい。【身体強化】もあるし、彼らよりは動けるから人数もゴマかせる。それにハルカも手伝ってくれるしね」
僕が笑って言うと、「やります」と彼女も嬉しそうにうなずいた。
「魔物に襲われたとなれば彼らも退散する理由ができる。もともとコーヘイくんは望んでいなかったし、彼のトラウマも生まれないし、いい手だと思う」
「わかりました。それでいきましょう」
「ありがとう、ハルカ」
お礼を言うと、彼女は笑顔で「はいっ」と応えてくれた。
翌日、ショウたち三人は新たな薬草群生地を求めて山奥へ向かった。
彼らを30分ほど歩かせてから、先回りした僕とハルカが矢を放つ。
「伏せて!」
コーヘイがすぐに指示を出し、ショウとシーナは従った。
僕らは近くの木を槍で叩き、大きな音を出しながら二手に分かれる。敵性生物の威嚇行動と彼らにも伝わるだろう。
ショウたちからも矢が飛んでくる。僕らは絶えず移動しているので掠りもしない。それよりも、魔物の仮装をしている僕らを見てくれていればいいが。正体不明の敵を恐れてもらわないと困る。
ショウたちはまた草むらに潜んだ。どうやらちゃんとバケモノに襲われていると実感しているようだ。対策を話し合っているのだろう。でもその暇は与えない。追い打ちをかける。
「【火炎弾】」
つぶやいて、彼らの頭上に魔法を放つ。枝葉が撃ち抜かれ、下に落ちていった。彼らが震えあがって草むらが大きく揺れた。
続けて二発、三発。
着弾はさせないが、大きく外しもしない。その横でハルカが楽しそうに木を叩いていた。
これで決着だ。
草の揺れが少しずつ下がっていく。
目測し、矢を彼らの手前に射つ。
距離がどんどん広がっていった。
小さな背中が三つ、森の奥に消えるのが見えた。
「ハルカ、ご苦労様。任務完了だよ」
「これで歴史が変わったんですね」
「まだ夕立には早いし、町からもそう遠くない。無事にナンタンに帰ってくれるだろう」
「それじゃ、こちらも帰りましょう」
ハルカが手を伸ばしてくる。
「……おじさんと手をつなぎたいの?」
「むっ……」
彼女は不機嫌になり、先に歩いていった。
「町についたら食事をおごるよ。なんでも好きなだけ食べていいから」
「遠慮しませんからっ」
ハルカは振り向きもせずに答えた。
その夜は、ショウとシーナが山で遭遇した魔物の話を聞かされた。彼らの中で恐怖による幻影は拡大され、僕らは身の丈3メートルの毛むくじゃらの怪物にされていた。口から炎を吐いたとシーナが言ったとき、ハルカと僕は危うく食べ物を噴出すところだった。
その未知の魔物騒動で、山林作業の警護は異世界人管理局専属召喚労働者五人体制となった。翌8月2日はコーヘイたち3名に加えてハルカも警護班で参加している。もう一人は少なくとも僕ではない。
ハルカたちが山へ行っているあいだ、僕は管理局の4階にいた。このフロアにあるのは局長室だけで、僕が会っているのもその部屋の主だ。
「アリアド様にお会いしたい?」
局長レナの反問に、僕は「はい」と答えた。
「どのようなご用件でしょう?」
レナは僕への敵意を隠さない。それも当然だろう。彼女は魔女アリアド・ネア・ドネを崇拝している。病気で死ぬ間際を救ってくれた大恩人だからだ。その人と得体の知れない僕を会わせるとなれば慎重にもなるだろう。
「日本に帰るために」
その答えは想像していなかったらしく、レナは言葉に詰まっていた。どうせ訊かれるだろうから、こっちから理由を話すことにした。
「目的は達しました。ショウは無事に生き残り、ハルカたちも心を壊さずにすんだ。あとは自然の流れに任せるだけです。そこに僕は邪魔にしかならない」
「そうですか。おそらく嘘はないのでしょう。ですが、アリアド様がお会いになるかどうかわかりませんよ?」
「会いますよ。あの人にとっても僕は目の上のコブみたいなものです。厄介払いができるなら上々じゃないですか」
「そうですね」
レナはあっさり認めた。なんか悔しい。
「あと、それとは別に、もう一つお願いがあります」
「なんでしょう?」
「ハルカの友達になってやってください」
「……は?」
レナは先ほどよりも驚いた表情になった。
「彼女の疑似体はあなたと同じ物です。いずれ、内在する力を使うときが来るかもしれません。望むと望まざるに関わらず。そのとき、あなたが友達なら良いアドバイスができると思ってます。少なくともまったく見知らぬ者同士よりは彼女も安心するはずです」
「それは、そうですが……」
「あなた自身も、そう遠くない時期に新型の疑似体に移りますよね? そうでなくては『緋翼』は斃せない。そうなれば車椅子生活も終わりです」
「……」
レナは複雑そうだった。自分の足で歩きたいと思いつつも、車椅子という存在のおかげで戦わなくてすんでいるという逃げ道が許されていた。その条件が解消されたとき、彼女はまた望まない戦いに巻き込まれる。
「――などと考えているかも知れませんが、杞憂ですよ。アリアドは強制しません。望まない戦いを強いたりしない。わかってるはずです」
「……!」
「もしそうならハルカはこの町にいませんよ。『緋翼』は仕方ないにしても、それ以降は自由に生きろと言うでしょう。アリアドは、そういう魔女です」
「……ずいぶんと、お詳しいんですね」
レナは目に浮かんだ涙を拭いながら言った。
「僕ですから」
「そうでしたね。……わかりました。ハルカさんの件はお引き受けします。でも、彼女はわたしと友達になるのを望むでしょうか?」
「彼女にとってつながりは何であれ大切です。それがあなたなら喜びます」
「褒め殺しですか?」
「いえ、客観的事実です。ハルカとあなたの共通点が、実は疑似体以外にも一つだけあるんですよ。小さいものですけどね」
「そうなんですか?」
レナはまた驚いた。
「二人とも、同い年です」
「……!」
「長柄遥と有継礼奈は日本で同じ年に生まれました。些細な偶然ですが、とても共感しやすい共通項です」
「……本当に些細ですね。でも……」
レナはまんざらでもなさそうな笑みを浮かべていた。
「あなたにも同い年の友達がいたほうがいいと思ってます。まわりはみんな大人でしたから。十天騎士の中で一番年齢が近い『八番騎士』でも九つも上です。友達と呼ぶには離れすぎてます」
「はい……」
彼女は事実にうなずいた。うなずいただけだった。でも、その小さな動作の奥にたくさんの気持ちが詰まっている。
「友達になるタイミングはお任せします」
「わかりました。では、アリアド様に連絡を取ってみます」
レナは懐から通信水晶球を取り出し、魔力を込めた。
長くない会話が終わり、彼女は僕を見る。
「今日の17時にこちらの召喚聖堂でお待ちするそうです」
「わかりました。ありがとうございました」
僕は一礼してソファーを立った。
「あの……」扉のノブに手をかけた僕にレナが呼びかけた。
「いろいろと失礼なことを言いました。申し訳ありません」
「いえ、正しい判断ですよ。あなたは立派です。立派過ぎですよ。それでは」
僕は部屋を出た。
そのままナンタンの町をぶらつく。数時間後にはここにはいない。最後の小旅行だ。
ギザギ十九紀14年8月2日16時45分、異世界人管理局にも寄らず、まっすぐに聖堂へ入った。ハルカたちに別れを告げる必要もない。ショウたち薬草採取作業組はとっくにナンタンへ戻り、管理局の裏庭で自主鍛錬をしているころだろう。
17時20分、ずいぶんとゆっくりアリアド様がお出ましになった。
「残業ってイヤな響きよね」
開口一番グチからはじまる。
「たまには仕事しろ」
「してるじゃないっ。毎日まいにち召喚ショーカン!」
「成果がないな」
「ないわよ!」
なんでキレてるんだよ。
「じゃ、これ以上手間はとらせないから、ちゃっちゃと送還してくれ」
「本当に帰るわけ?」
「今さらなにを。『緋翼』のことが心配なのか?」
「いえ、アレはどうにかなりそうだからいいわ。あなた自身に問いかけてるのよ。本当にいいの?」
「いいも何も、目的は達した。それでも夢から覚めないってことは、段取りとして送還儀式がいるってことだ。これでやっと現実に帰れるんだ」
「まだ夢だとか言ってんの?」
「夢だからな。リアル過ぎて気持ち悪いけど」
アリアドは僕の回答に呆れたようなジェスチャーをした。
「そこまで言い張るならいいけど。……で、どうする? 記憶は残して今の時間に戻る? それともぜんぶ忘れて召喚時間に戻る?」
「召喚時間に帰してくれ。夢の記憶なんて……そうだ、それを頼もうと思ってたんだ。アリアド、僕が帰ったら、ハルカたちの記憶から僕を消しておいてくれ」
「必要なの?」
「絶対に。僕を覚えていていいことなんて一つもない。急にいなくなったなんて、すぐに納得できないだろ? 事故死したことにするとしても、報告するほうもされるほうも気分がよくない」
「それもそうね」
「ついでにあと一つ。僕を送り返したら、その24時間後に僕の部屋から持っていってもらいたい物がある。それについてはこの手紙に書いてあるから、僕が帰ったら読んでおいてくれ」
「なに、そのメンドイ仕事?」
アリアドは心底めんどうそうな顔で封筒を受け取った。
「とっさの思いつきなんだけど、思いついた以上は心残りなんだ。夢とはいえ、最後までちゃんと仕上げないとな」
「知らないわよ。世界の命運に関わることでもないなら、そんな時間を割きたくないわ」
「世界には関わらないかもしれないが、一人の女の子は救われるかも」
僕がニヤニヤするとアリアドは真っ赤になった。この魔女は人情話に弱い。
「ズルイ言い方っ。わかったわよ、きっかり24時間後に準備してなかったら知らないわよ?」
「ありがとう、アリアド。自分の作った創作物に礼を言うのも変だけど、感謝してるよ。なかなかに面白かった」
「いつか絶対、その言葉を後悔させてあげるわ」
「それは楽しみだ。それじゃ、やってくれ」
「さようなら、変人さん。マルマを救ってくれてありがとう」
「僕の力じゃないよ。おそらく、みんながいたからだ。あなたはそれを感謝すべきだ。そして、そうなったのはあなたの力があってこそだ。あなたは自分を褒めていい」
「ありがとう」
アリアドは微笑み、呪文を唱えた。
そして僕は一辺の紙片を手に日本へと帰った。
日本のどこかで。
僕は肩をビクつかせて目覚めた。パソコンの電源は入りっぱなしだ。どうも寝落ちしたらしい。
「なんか夢を見てた気がするけど……」
思い出せない。明晰夢と感じたような気がしたが、それすらも夢であったのか。……どうでもいいか。
顔を洗いにいこうと立ち上がり、手に何かを握っているの気付いた。紙片だった。何か書かれている。
「……なんでこんな物を? でも僕の字だな。夜中に何か思いついて、走り書きした?」
ワープロが立ち上がっているのにわざわざ手書きする意味があるだろうか? しかも卓上のメモ用紙とは違う、荒く質のよくない紙だ。インクもボールペンやマジックとは違う。製図インクのようなものだった。
「何か意味がある? あるんだろうな。なんか、そうしたいって思う」
僕は出かける準備をはじめた。
外は暑かった。