6 少女の夢
ギザギ十九紀14年7月12日、またもや運命がはじまる。そもそも夢なのだから、ぜんぶが劇的な運命みたいなものだ。物語として順当とも言える。
ともかく、ショウの冒険仲間が全員そろう日をようやく迎えた。その最大イベントが野外での薬草採取作業だった。
きのうのゴブリン事件のおかげで、野外作業全般に警戒注意報が出され、危険を感じて仕事を辞退する者が続出した。薬草採取も例外ではなく、二人分の穴埋め募集が入った。
「クモンくん、薬草採取きたけど行く?」
ショウが訊いてきた。シーナという知り合いがいるから気を利かせてくれたのだろう。でもここはショウとマルが行かないとダメなんだ。
「いや、さすがにちょっと怖いから山と反対側に行くよ」
そう言って別の野外作業の河川調査作業に手を上げた。候補がいないので即決で決まる。
「薬草採取作業の希望者はおりませんか?」
僕に依頼書を渡すと、パーザ・ルーチンが残りの募集をかけた。
「はい、薬草採取希望、ショウです!」
「同じく、マル、行きやす!」
「他にいますか? ……いないようなので、ショウさん、マルさん、お願いします」
「了解っす!」
マルが元気に返事をした。
それぞれに依頼書を持って外に出る。ショウとマルには薬草採取作業リーダーのコーヘイがすでに付いている。
「山に行くのに自前の荷物まで持ち歩きだから大変だね」
僕が笑って言うと、ショウも「ホントだよ」と今さらのようにゲンナリした。
「さらに採取用の装備とかもあるんだろうね。ぜんぶで何キロになるんだろ。振り回したら立派な凶器だ」
「原始的な質量兵器だね」
ショウたちとはそんな会話をして別れた。
そばに残ったのはハルカだった。
「とりあえず朝ご飯いこうか? 今日も野菜問屋に入れてよかったね」
「うん。このまま定番化しちゃいそう」
ハルカは笑顔だったが、なんとなく暗い。
「ハルカさんも今日明日にはレベルあがるんじゃないかな? アキトシくんもきのう上がってたし、そろそろだと思うよ」
「あ、そうかも。そうしたら優先で入れなくなっちゃう……」
「定番で入れてくれるように頼んでみたら?」
「う、うん……」
ハルカはうつむいた。何か思うところがあるようだ。
僕はいつものように立ち入らない。気付かないふりをして歩き続ける。
朝食は静かだった。
河川調査作業は、ナンタンの東門を出てすぐの大きな川が現場だった。助手として僕と定番で入っているもう一人の召喚労働者、それに調査官の三名で行われた。
主な仕事は生態調査と汚染検査だ。この川の水は水源にもなるし、畑にも使われている。町を支える大切な場所だった。それだけにこういう地道な調査が必要だった。
魚はあまりいなかった。上流や下流には多いが平野部には居つかない。捕れないこともないが、商売になるほどの数が集まらないので生魚は貴重だった。もっとも、マルマでは生で食べる風習もないのだが。
野菜や動物もそうだが、魚も蟹も日本で見かけるものとあまり相違はない。いわゆるご都合主義なわけだが、亜種を出したところで小説で伝わる自信がないのでいいのだ。『それっぽい』というだけで脳内イメージができるほうが娯楽としては正解だと思う。
午前中は川上に向かい作業を進め、昼食をはさんで下流に向かう。この季節はいいが、冬は冷たくて大変だろう。防水ブーツで水は防げるだろうが、寒さは緩和できない。
そんな作業が15時まで続き、また川をさかのぼって帰路についた。
異世界人管理局に入ると召喚労働者たちの興奮した声が溢れていた。どうやら彼らは無事、生還したようだ。
人々の塊の中心にマルがいた。ショウやシーナの姿は見えない。熱狂を嫌がって逃げたのだろう。
彼ら薬草採取組はゴブリン3匹(マルマでの正式な単位は『人』)を斃し凱旋した。討伐者はショウとサトとレイジだ。その三人が揃ってこの場におらず、騒動を起こした張本人が自慢げに話しているのだから面白い。
報酬を受け取りながら、マルの話に耳を傾ける。おおよそ、僕の想定どおりに進んだようだ。
さて、ハルカが帰るまで裏庭で運動をしておこう。今日はずいぶん歩いたから、筋トレ中心でいくかな。
「……あれ?」
片隅でひっそりやろうとしたら、先客がいた。二人は僕の声にビクっとした。
「なんだ、クモンくんか」
ショウは胸を撫で下ろした。シーナも安心した顔になる。
「なにしてんの、こんなところで? ……あ、お邪魔だったか。ごめん、続けて。でも会って早々とは、最近の若いモンは」
きびすを返そうとして、「わー!」と二人は小声で叫ぶという大道芸を披露した。
「そんなんじゃなくてっ。見つかると話を聞かせろって絡まれるんだよ」
「ああ、ゴブリン斃したんだって? すごいよね」
予定調和なので僕はあっさりとしたものだった。
それはそれでシーナは面白くなさそうだ。
「あのね、そんな単純な話じゃないんだよ? ホントにもう、すごかったんだから!」
「だから『すごい』って――」
「だからそうじゃなくてっ」
うん、わかってる。わかっててからかっているんだ。
「すごいよ。だって、ちゃんと生きて帰って来た」
「……!」
二人は僕の言葉に声を失った。実感しているのかもしれない。
「たぶんそれが一番すごいことだよ。よかったね、今、楽しそうに話ができて」
「……うん、ありがとう」
ショウもシーナもなぜか感動しているようだった。
さて、ここでも落ち着いてトレーニングできそうにないし、外を走りつつ、いい場所を探すとするか。
「あ、そういえば、もう一つありがとう」
立ち去ろうとした僕にショウが思い出したように言った。
「『質量兵器』。朝のあの会話がなきゃ、気付かなかったかもしれない」
「あんなのが役に立ったの?」
「すごくね。荷物の詰まったカバンを振り回してゴブリンを斃したんだ」
「そりゃ……すごいねぇ」
僕の呆れっぷりに、二人は笑った。
「こんなところにいたんですか? 探しましたよ」
管理局員のパーザが眉間にシワを寄せてやってきた。
「報告書を書いていただくと言いましたよね? なぜこんなところにいるんですか?」
「いや、はじめはホールで待ってたんだけど、マルが余計なことを言って、どんどん人が集まってきたから……」
ショウが弁解する。
「会議室を空けましたから、そちらに来てください。それなら邪魔は入らないでしょう」
「はい……」
ショウとシーナはしょんぼりしながらパーザのあとについていった。
……さて、筋トレしよ。
ショウたちが報告書を上げるのを待って、僕らはコープマン食堂へ行った。最初は僕とハルカ、ショウとシーナ、マルの五人だったが、しばらくしてアカリとアキトシがパン屋の仕事を終えてやって来た。
初対面のアカリはシーナが気に入らなかったようだ。ショウのとなりではしゃいでいるのが不愉快そうだ。男に媚びを売っているように見えるからだ。それに、やっとできた自分の領域に土足で踏み入られたと感じている。
だからアカリは一度席を立った。自分の感情に整理がつかず、苛立ちが募る。僕はそれも知っていたが、解決するのは他の人の役目だ。
マルがトイレに行くついでに、食堂の外でたそがれているアカリを見つけた。そこで二人は言い争いになり、彼女は自分の不可解な感情の理由を知る。そしてすっきりとして戻って来た。
「決めたわ。あんたらとパーティーを組む。いつかこのメンツで冒険でも旅でもしましょう。アキトシはパン屋を続けるだろうから、そっちでがんばるのよ」
突然のアカリの宣言に、みんなが呆然とする。
「なんでそんな話に……?」
「ここに集まったのも何かの縁でしょ。それならそれで受け入れちゃったほうが気持ちが楽だから。ハルカもいいわね?」
「え、えと……」
「なんかウジウジ悩んでるみたいだけど、どうこうできないなら忘れちゃいなさい。できることを考えればいいの。……シーナっつったっけ? あんたもいい?」
ハルカの返事を待たずに新加入者に視線を――というよりガンを飛ばす。
「ショウがいっしょならいいけど。特定のメンバーと組んでるわけじゃないから」
そう言いつつも、シーナは仕切られてるのに不満そうだった。初期の二人はこんなかんじだ。たがいにあまり好意的ではない。
「あとは……あのサルは最初から除外だからどうでもいいわね」
「おい、テメェ!」
ちょうどトイレから戻ったマルがさっそくアカリに食ってかかる。
あとはお約束の言い争いが続くだけだ。僕は蚊帳の外に立ってゆっくりと食事を楽しむ。
「ショウくん」アキトシが斜向かいの彼に、ひそやかに声をかけた。
「いろいろがんばってね」
「……ありがとう」
疲れたように礼を言うショウに、僕は気付かれないように笑った。
翌13日。試練の第二幕だ。もっとも、ショウたちだけではなく、僕にとってもだ。もしかすると今日が最大の試練のときかもしれない。失敗すれば未来が見えなくなる。
ショウとマルとシーナは薬草採取作業に行った。そこでまたゴブリンに出くわし、全滅の危機に陥る。だが間一髪、高レベル召喚労働者のブルーとピィが彼らを救うはずだ。
そこまでは問題なく推移するだろう。
一方の僕は今日も河川調査に従事した。今回は川ではなく、溜池だったが。
ハルカはきのうレベルが上がったので、今日は講習日となった。これで現在、異世界人管理局にレベル1の召喚労働者はいなくなった。アリアドが次の召喚に成功するまでは。
僕が管理局に帰ると、またもや賑やかだった。裏庭で青い髪の戦士ブルーが、低レベル者相手に稽古をつけている。傍らでは魔術師のピィがせがまれて魔法を披露していた。
僕は報酬を受け取る間、何度も自問する。この方法でいいのだろうか、と。他にもっと楽な方法はないのだろうかと。
実はあるのだ。僕がやりたいことを成就させる楽で確実な方法が。でもそれはちょっとズルい気がした。僕は僕のまま、やり遂げるべきだと勝手に思っている。それはとてもアホなことだ。優先順位を間違えているのだから。
でも、挑戦もしないのでは、僕は誰にも何も言えなくなる。
震える手で精算水晶球に触れ、報酬を貰う。受付のパーザ・ルーチンが怪訝そうに僕を見ていたが、かまってはいられない。
確認が済み、窓口を離れる。深呼吸した。
裏庭に出ると喧騒が大きくなる。何連勝しているのか、ブルーのまわりには軽度の怪我人が溢れていた。しかしその顔はなぜか晴れやかで、次の挑戦者の応援をしている。娯楽の少ないこの世界では、こんなのでも祭りになってしまうのだろう。
挑戦列を整理する人までいる。僕は彼の持つ手作り感満載の旗の後ろに並んだ。
「ルールは簡単。相手に一撃与えるか、武器を落としたら勝ち。武器はあそこにある物から選択自由だからね。もちろん素手もアリ!」
「もうそんなルールまでできてるんだ」
苦笑せざるを得ない。
僕が列に並んだのを見て、ハルカが近寄って来た。
「クモンくんもやるの?」
彼女は驚いてる。僕のキャラではないと思っていることだろう。
「せっかくだし。お祭りみたいなものだから」
「……気を付けてね」
「ありがとう」
列が動いた。ハルカはそれ以上動かず、僕を見送った。
試合は一人30秒もかからない。圧倒的すぎて、50人以上を倒してもブルーは息切れすらしていない。
観客の中には、レックスやムーカポゥといった管理局内では高レベルで強いとされる人もいたが、ブルーに挑戦はしなかった。はっきりと実力の差がわかるからだろう。
「きゃっ」
女の子の声が聞こえた。シーナだった。どうやらノリで参加して、あっさりと負けたらしい。続いてショウも蹴り飛ばされていた。
手合わせはどんどんと消化され、五分もせずに自分の番になった。革の兜と鎧をつけ、長さ60センチほどの木刀と小型盾を取る。
「お願いします!」
「おう」
ブルーは木刀を肩に当てたまま笑っている。
どのみち最初から勝てる見込みはない。思いきりぶつかっていった。ブルーの右手だけに注目し、盾をいつでも出せるようにする。
しかし彼の右腕は最後まで動かなかった。けれどなぜか僕は転んでいた。
「おまえ、見すぎ。オレの手足は合計4本あるんだからな」
と、木刀でコツンとされた。どうやら文字どおり足を掬われたらしい。
あまりの無様さにまわりから失笑さえも起きた。
僕は立ち上がって「ありがとうございました」とフィールドを離れ、また列の後ろについた。
「おい、またやるのか?」
案内役が笑いながら訊いてくる。
「やる。さすがにちょっと悔しい」
「気持ちはわかる。ま、怪我しないうちにやめとけよ」
「ありがと」
僕は憮然として礼を言った。
数分後、再び対峙。
「お、悔しかったか? いいぜ、こい」
ブルーは僕をバカにはしなかった。気概のある人間が好きだからだ。
けれど、根性論では勝てない。前より6秒だけ長生きした。
そしてまた並ぶ。
案内係は呆れきっていた。あからさまに侮蔑の言葉を吐く。
「勝てないからやめとけって。つか、相手にもなってねーだろ? 観てても面白くもないし、やめろって」
そりゃ、面白くはないだろう。子供が大人に転ばされるのを見せられるようなものだ。でも、他人の感想など知ったことではない。
列もだんだん短くなっていく。自信があった者も一度やれば敵わないのがわかる。それでもイケると思って二度までは挑戦する人は多い。だが、三度目となると周囲も呆れてくる。それでもブルーは笑って相手をしていた。四度目ともなると誰もやらない。悔しいよりも恥ずかしいと感じるからだ。周囲の空気も冷笑に変わる。
だから4回も挑戦したのは僕だけだ。
「おいおい、ホントにやるのか?」
ブルーも呆れている。その気持ちはよくわかる。
僕にだって羞恥心はある。言葉にも出せない。うなずくしかなかった。
「……本気でやんぞ?」
舌打ちされた。弱者が無謀に挑もうとする。これが真剣勝負ならたがいに引けないところだが、彼にしても周囲にしても練習もしくはお遊びなのだ。だから彼は苛立つ。うっとうしいと怒鳴りたい心境かもしれない。
僕はもう一度うなずいた。
「しかたねぇな」
ブルーは担いだ剣をかまえた。空気が変わるという表現がよくわかる。周囲も感じとり、場が鎮まった。
そして僕は腹に一撃、突きを喰らって吹き飛ばされた。さっきまで僕がいた地点に彼がいた。それほど速い踏み込みだった。
僕はもんどりうち、胃液を吐いた。ハルカが駆け寄ってきて、僕を介抱する。ショウやシーナも近づき、僕を心配してくれた。
「気持ちだけじゃ勝てねぇぞ。強くなりたきゃ努力しろ」
弱者をいたぶった不快感を打ち消すように彼は吐き出した。周囲は完璧にヒいていた。もし僕がこんな真似をしなければ、先輩と後輩の気持ちのいい懇親会で終わったことだろう。みんなにも悪いことをした。でも――
「もっかい……お願いします……」
僕にはもう、今しかチャンスがない。
「いや、さすがに無理だって」
ショウが僕を諫める。シーナも熱心うなずき、同調している。
「やるわけねーだろ。そんなのはもう根性とか勇気じゃねぇ。ゲームやマンガじゃねーんだよ。凡人がいきなり覚醒して強くなるなんてねーんだ。地道に力をつけるんだな」
「勝ちたいんじゃない。見せたいんだ」
僕は木刀を杖に立ち上がった。また胃液が逆流してきた。
「誰に、何をだよ?」
「……」
僕は答えなかった。
「くだらねぇ。おまえの青春物語に付き合ってられるか」
ブルーは木刀を投げ捨てた。
「敵わなくとも挑まないとならないときはあるだろう。今日、ショウたちがゴブリンと戦ったようにな。でもおまえはどう考えても今じゃねーだろ? それでもやるのは馬鹿か方法を間違えてんだ。そんでオレが見るところ、おまえはただのバカヤロウだ」
「……」
言い返せない。それはそうだ。そんなわかっている。楽な方法をとればよかっただけなんだ。でもそれは――
……やっぱり、僕は間違ったのだろう……
「言い過ぎ」
僕の近くでボソッとつぶやかれた。
「あ?」
そんなつぶやきも、静寂の中ではブルーにも届いていた。
「言い過ぎ。いつもそう。力ある人は、何も知らないで、上から目線で、人を、傷つける……!」
立ち上がり、ブルーを睨んだのはハルカだった。
空気が変わる瞬間がまた訪れた。
「わかろうと、しない。自分が、中心、だから。人を、下に、見るから。傷つけても、いいと、思ってる!」
ハルカの周囲から熱が溢れていた。これってもしかして――
ブルーも周囲も何かを感じ取ったのか、本能的に後ずさった。
「わたしの、大切な、仲間を、馬鹿に、するな!」
比喩ではなく空気が震えた。
「おまえ、みたいのが、いるから、わたしは、わたしたちは――!」
「ストップ!」
僕はハルカに背中から抱きつき、必死に押さえた。
「ハルカ、もういいよ! 僕が悪かったんだからっ。落ち着いて、な?」
「……クモンくん……?」
「そう。もういいんだって。ありがとう。ハルカ、ありがとう」
ハルカは呼吸を落ち着かせてきた。と、同時に自分の状況を知り、今度は顔だけを真っ赤にした。
「何をしているんです!」
いいタイミングでパーザ・ルーチンが現れた。不穏な空気を感じてやって来たようだ。
「いつまで遊んでいるのですか。もう解散です。……ブルーさん、ピィさん、研修室に来なさい。それと、クモンさんは四階へ行ってください」
ブルーとピィは顔をしかめ、僕もわけがわからず同じ顔になった。
「なんで四階なんです?」
「わたしにはわかりません。とにかく行ってください」
僕はハルカを解放して階段に向かった。胸焼けはまだ治まらない。
僕の背後でハルカがシーナたちに囲まれていた。「すごい啖呵だったよ!」と無邪気な声がした。あの様子なら『普段はおとなしいが怒ると怖い』くらいでごまかせそうだ。
異世界人管理局・四階。そこには局長室しかない。
ただ一枚の扉をノックする。
「どうぞ」という返事を受け、僕は中へ入った。
車椅子に乗った少女がいた。ユーグ・レナ。異世界人管理局・局長でアリアドに召喚された最初の10人『召喚十天騎士』の一人。ハルカと同じ超・疑似体の所持者。
「あいさつは必要ありませんね? クモンさん」
「はい。こちらの話も聴いていますよね、レナさん」
レナは「はい」と答え、席を勧めてきた。素直にソファーに座った。
「ああいう騒ぎは困ります。彼女は自分が何者なのか知らないのですから」
「僕もあれは予想していなかったです」
「あなたは彼女の過去を知っているはずです。その彼女が、大切な人を貶められたらどうなるか、わからなかったのですか?」
「大切にされているとわかっていませんでした。僕は第三者に徹していたつもりですから」
「ああ……」
レナはなぜか納得した。それから少し考えて言葉を続けた。
「……アリアド様はあなたが未来を知っていると仰いました。この世界に脅威が訪れるとも」
「はい、数ヶ月後に『緋翼』が来ます」
「さっきのあなたの行動は、それを阻止するためですか?」
「いえ、まったく関係ありません。『緋翼』はあなたがたにお任せです。退治方法も教えてあります」
「聴いています。では、なぜあんな戯れを?」
戯れ……。まぁ、そう見られても仕方ないか。
「本来、『緋翼』を斃すのは、ハルカをはじめとしたショウという少年と仲間たちです。ですが、僕が早めにハルカの召喚を頼んだことで、彼らの中で歴史が変わっているんです。僕はそれを元に戻し、彼らが仲間になれるようにしてあげたい。それだけです」
「もう仲間になっているのでは?」
「そうですが、このあと、一つの山が待っているんです。それを乗り越えるために、僕はハルカがやるはずだったことをしないとならない。そのために必要でした。回りくどいけれど、ルールに則るならそれしかなかったんです。別の方法はルールを無視するから」
「ルールの無視とは?」
僕はレナをジッと見た。それで彼女も気付いたようだ。
「……わたしのコネを使うということですか……」
僕はうなずいた。これほど手っ取り早く確実な方法はない。一方のルールに則るやり方は、僕が明日発足する異世界人管理局専属召喚労働者になること。そのためにはレベル3以上か、実戦経験があるか、管理局に素養アリと認められるかだ。今の僕にはどれも当てはまらない。だから今日中に管理局に認められなければならなかった。ブルーに勝つことで。
「無茶をしますね」レナは困ったように微笑んだ。
「あなたの希望はなんです?」
「魔法を覚えたいんです。たった一つ、今後2回に渡って必要になる魔法を」
「今のあなたがいきなり魔法を使ったりしたら、みんな驚くどころではないですよ?」
「だからセルベントになるしかない」
「セルベント……?」
局長は首をかしげた。
「まだ決まってないんですね。たぶん、これから会議があると思います。ゴブリン絡みで」
「ええ、これから行います。それに今おっしゃった、セルベントというものが議題にあがるのですね?」
「はい。セルベントというのは、僕ら異世界人を強化するために訓練所の無償化などを盛り込んだ制度です」
レナは眉根を寄せた。『強化』という単語が気に入らなかったようだ。
「……それは本当に必要なのですか?」
「当座は。セルベント制度がなかったら、今月中に百人は死にます」
ゴブリンに対する山狩りは避けられない。そこに異世界人が投入されるのも。となれば、戦う能力のない者が大量に導入される。結果は火を見るよりも明らかだ。
「そんなにですか!?」
「この制度はその場しのぎともいえますが、ないよりはマシです。もっとも、あなたが直接事件を解決してしまえば、そんな制度はいりませんが」
「わたしは……」
レナは辛そうな顔をした。
「わかってます。あなたは管理局の運営に口を出したくないんですよね? 過去の粛清から」
「そこまで知っているんですね」
「ええ、その怪我の原因も」
「怖い人……」
レナは体を包むように自分を抱きしめた。それは薄気味悪いだろう。他人の過去まで知っているのだから。
「あなたの目的はなんです?」
「ハルカをショウくんたちの仲間に迎え入れ、彼女が彼女らしく生きられるようにしてあげたい。それ以上は望みません」
僕はレナの目を真正面から見つめて答えた。
「……わかりました。あなたがセルベントになれるよう、取り計らっておきます」
「ありがとうございます」
僕は深く頭を下げた。
「他にわたしたちのほうで準備しておくべきことはありますか?」
「いえ。『緋翼』対策だけしていただければ大丈夫です。あとは僕がまとめます」
「わかりました。よろしくお願いいたします」
僕は局長室を出た。
階下に降りるとハルカたちが待っていた。アカリやアキトシ、リーバもいた。
「なにがあったの?」
シーナが興味津々で訊いてくる。
「局長じきじきのお叱りを受けた。協調性を持って集団行動しなさいって」
「学校か!」
シーナはいいツッコミをした。
「ま、あれは馬鹿だろ? なにムキになってたんだか」
マルが鼻クソをほじりながら言う。僕はただ乾いた笑みを浮かべた。
「あ、おまえ!」
続いて階段から降りてきたのはブルーとピィだった。
「おまえのせいでとんだとばっちりだぜ。なんでオレが怒られるんだよっ」
「すみません、ご迷惑をおかけしました」
「……なんだ、スッキリした顔しやがって。さっきまでの切羽詰まっぱのが消えてんぞ?」
「おかげさまで、目が覚めました」
「なんかよくわかんねーが、小物がウダウダ悩んだりすんなよ? 本当に困ってんなら仲間でも先輩でも相談しろ。パーザさんでもいいぞ。あれで面倒見はいいからな」
「はい、そうします」
僕が晴れやかに言うと、ブルーにも笑みが浮かんだ。
「じゃ、またな、ヒヨッコ」
そういって帰っていく。
和やかな気分でいると、いきなり脛に痛みが走った。
「世話になったな、ヒヨッコ!」
下を見ると白いローブの少女が僕を睨んでいた。ピィだった。おそらく一番のとばっちりを受けたのは彼女であろう。その怒りを脛にぶつけてきたのだ。
「ピィさんもすみませんでした!」
頭を下げる。
「フン。バイバイ」
彼女はローブの袖を鳥の羽のようにパタつかせて去っていった。
「あー、腹減った。メシいこうぜー?」
マルがさっさと動き出した。みんなも思い出したように歩き出す。
僕は最後を歩いていった。
「本当に、大丈夫?」
ハルカが歩調を落として近づいて来た。
「うん、大丈夫。ハルカさんにも迷惑かけたね、ごめん」
「……」
ハルカはなぜか頬を膨らませていた。
「……えと、なに……?」
恐るおそる訊いてみる。
「いいですっ。なんでもありませんっ」
ハルカは先に行ってしまった。よくわからないが、怒るほど心配してくれたのだろう。それに、超・疑似体の覚醒をうながしそうにはなってしまったが、感情が表に出るようになったのは良いことかもしれない。彼女が望んだ未来が見えてきたのだから。
『大きな町で、広い世界で、大好きな人と、気のいい仲間と、笑いながら、はしゃぎながら、ともに歩く』
それはきっと遠くない。




