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2 すでに知らない歴史のはじまり

 ギザギ十九紀14年7月4日12時。正午の鐘が鳴った。

 僕はナンタンの召喚聖堂の扉に寄り掛かり、人を待っていた。アリアドが有能なら、すぐにでもルカがやってくる。銀髪の背の高い少年。未知への好奇心が旺盛で、このマルマ世界のすべてを楽しみにしている。

 彼は本来、一週間後にやってくるはずだった。その前倒しを頼んだ以上、責任を持って本来の仲間となるショウに合わせなければならない。彼はショウが大好きだったのだから。こちらの都合で彼本来のみちを壊すのは申し訳がない。

 僕自身の去就はどうしたものか。あまり干渉するのはよくないだろうが、すでに未来が変わりつつある。ショウはおそらく『緋翼ひよく』とは関わらないだろう。となれば、どうなるだろうか。強制送還もない? マルやアカリはマルマ世界に留まり続ける? それはいいことなのだろうか。すべては結果論からの比較だ。だとしても、彼らは彼らなりの進み方を選んだのではないだろうか。

「わからん……」

 頭を抱えたとき、背後の扉が開いた。前かがみでいたために後ろには倒れずに済んだ。

 僕はすぐに立ち上がり、振り返った。ルカに対してあいさつをする――つもりだった。

 「はじめまして」で言葉が止まってしまった。

 かわって彼女(・・)が視線を逸らせてモゴモゴと口を開いた。

「あ、あの、はじめ……まして……」

 黒髪の女の子がそこにいた。長柄遥ながらはるか。ルカという召喚労働者サモン・ワーカーの本来の姿だ。ただ、僕の知っている彼女と大きく違う点が一つ。左頬にあるはずの刃物傷がなかった。

 僕はそれを見て了解した。彼女がルカではない理由がわかった。彼女が男としてマルマにやってきたのは、力のなさに嘆いたからだ。それを痛感した事件がこの時点では起きていない。顔に刃物を突き立てられ、命の危険を感じる絶望を味わっていない。記憶を消してもらうほどのトラウマを植え付けられていない。彼女は、彼女でいられるラインを越えてはいなかったのだ。

 彼女はルカではなく遥だ。その結論に、僕は呆然とした。アリアドにきちんと説明しなかったのが仇となった。なぜなら、今の彼女はルカの人格を経験したハルカですらない。一見してわかる。ルカの能天気さとショウとの出会いで確立したハルカとも別人だ。いや、これが素なのだろうが、これはまったくもって想定外だった。

 ハルカは無言を貫く僕をチラチラと見ている。自分からどう声をかけていいものか悩んでいる風でもある。それはそうだろう。異世界にやってきて、待ち伏せしていた見知らぬ男がずっと黙っているのだから。僕だって怖くなる。

「ごめん。アリアドからもう一人来ると聞いて待ってたんだ。男だって言われてて、違ったからちょっと驚いてた。僕はクモン。君と同じように今日、マルマに来たばかりの日本人」

 ようやく話した正体不明の男に、彼女は少し安心したようだ。同郷の初心者という共通点は不安を和らげる。僕も経験でよくわかっていた。

「わ、わたしはハルカ、です……。よろしくお願いします」

 ハルカは必要以上に力を入れて頭を下げた。これは記憶を継続しているからだろう。シーナのように異世界転移を契機に意識改革をするのではなく、まず身の安全を確保するための所作。僕は彼女のためを思って早めの召喚を頼んだが、結果的には失敗だったのではないか。……いや、すべてに絶望するような経験をするよりはマシだと思いたい。それにここには彼女を癒す人たちがいる。そのつなぎを僕がすればいいんだ。

「えーと、それじゃ異世界人管理局に行こうか。そこでまず、この世界についての研修が受けられるから」

「は、はいっ」

 彼女は僕に付いて歩いてくる。やはり想像と違う彼女は少々やりにくい。初期のアイリとほぼ同じではないだろうか? とすると、ショウにハルカを紹介するのは誰にとってもキツイのではないか。

「あの……」

「ん?」

「管理局って、ここですよね……?」

 ハルカが自分の斜め後ろを指さした。考えごとをしていて通り過ぎていたらしい。召喚された場所から管理局までは30メートルもなかったのを忘れていた。

「あ、ごめん。ぼうっとしてた」

 きびすを返して両開きの扉を開く。昼を過ぎたばかりなので召喚労働者ワーカーたちはいなかった。広いエントランスホールはがらんとして、三つある受付窓口も、開いているのはベル・カーマンのいる一箇所のみだった。

 迷わず窓口に近づき、今日来たばかりと告げた。ベル・カーマンは人懐っこい笑顔を浮かべて僕らを歓迎し、二階の研修室へ案内してくれた。

「どうぞ。こちらで20分ほどのビデオを観ていてください。そのあと、係の者が詳しい説明をします。それが終わったらまた窓口へ来てください」

 僕とハルカは「はい」と応えて席についた。

 一時間後、僕らは就労レベル1に認定された。ショウが受けた研修より長かったのは、担当官がまともな人だったからだ。少なくとも油の切れたロボットのような人ではなかった。必要最低限の情報はきちんと教えてもらえたので、僕はともかくハルカは助かっただろう。なにせ魔術式水洗トイレの使い方まで説明してくれたのだから。

 階下に降りてベル・カーマンの窓口に行く。待っていたとばかりに僕らに1枚ずつ紙を差し出した。

「今、外部そとのお仕事はないので、研修だと思ってこちらのお仕事をしてみませんか?」

 仕事を用意しておいてくれたようだ。マルマに来たばかりの異世界人にはお金がないのを知っているので、当座として準備してくれたのだろう。チュートリアルみたいなものだ。

 断る理由がないので、僕もハルカも承諾した。

 内容はごく簡単で、管理局3階にある資料室での作業だった。

「新しい資料が8箱分、届いています。その搬入と整理をお願いします。詳しくは司書のショトーさんに聞いてください。資料室で待っていますので」

 作業依頼書を受け取る。報酬は二時間作業で8銀貨シグル、日本円換算で4000円。たしか二時間作業の平均は5銀貨だから、ずいぶんと高めだ。管理局の仕事だからか、初心者サービスか。

 早速三階に上がり、資料室へ。日本語表記があるのは非常に助かる。

 資料室はけっこう狭かった。実は僕は入ったことがない。小説の設定用に細部を作ったこともない。ルカ(・・)がよく籠っていたが、こんな場所とは思いもしなかった。

 司書のショトーさんにあいさつし、作業説明を受ける。僕が1階に届いている資料の入った木箱を運び、ハルカは棚ごとに分類する。箱を上げきったら僕も整理作業に合流する。とてもわかりやすい。

 そして僕は一人で大汗をかくのだった。

「木箱、重っ! 紙束だから当たり前だけど、すっげぇ重い!」

 学生のころ、小遣い稼ぎにやった日雇いのアルバイトを思い出す。昔の決算書類の焼却だとかで、ダンボール100箱をトラックに載せる仕事があった。あのときは階段ではなくエレベーター、通路も台車が使えたから楽だった。

「……このボヤき、どっかの誰かみたいだ」

 苦笑いが出る。彼の言葉どおり、ボヤいていても仕事は終わらない。ゆっくりでもやっていくしかないのだ。

 僕と違い、ハルカは黙々と働いていた。環境的にそうするしかないのもあるだろうが、自分のためにお金を稼ぐという意識ではなさそうだった。やらなければ叱られると思っているのかもしれない。それはまぁ、仕事なのだからそうなのだが。

「アイリとはまた違うか」

 明日やって来るピンク髪の少女は、少なくとも自分の意志でマルマに来る。対して今のハルカは、あの男からは逃げられそうだからという理由でここにいるだけ――と思う。そもそも、異世界とはなんだと思っているに違いない。彼女はゲームにも漫画にも縁がない生活を強いられていた。映画だってまったくわからなかった。ブルース・ウィリスを知らないなんて信じられない。

 せめて彼女がルカであったら、こんな仕事でも楽しんだかもしれない。そう思うと、悪いことをした気分になる。どうにか彼女にとって楽しい世界にしてやりたい。そのためにも、()の力は必要だった。

 仕事は順調に進み、15時を少し回ったあたりで終わった。終了のサインをもらい、僕たちは受付に戻った。この時間になると仕事上がりの召喚労働者おなかまが十数人いた。

 受付窓口はすべて開いていて、終了報告はパーザ・ルーチンが担当となった。

 設定どおりの事務的な態度で応対される。税抜き792銅貨アクルを貰い、ステータス・サークルで確認。間違いはない。

 ハルカの報酬受け取りを待っている間、ふと思いだした。

「そういえば、この時間……」

 ハッとして、こちらに来るハルカに声をかけた。

「ちょっと付き合って」

 僕は彼女が答える前に歩き出す。ハルカは困惑しながらもついてきた。

 受付カウンターを離れ、奥の通路を進む。研修担当官が教えてくれた診療室を流し見して、裏庭を窓越しに眺め、さらに先。レベル2以下が寝泊りできる広い休憩所があって、その脇。

 話し声が聞こえる。どうやら間違ってはいなかったようだ。

「こんちはー」

 と、三人の男女に割り込む。金髪の青年と、薄紫の短髪女性、それに高校生くらいのこれといった特徴のない少年。僕は彼らを知っている。カッセ、リラ、ショウ。後にこの世界を救う――予定だった――主要人物たちだ。

「ん? その服はまた新人か?」

 カッセはこちらの状況を一目で理解した。

 初めに与えられる服は量産品だ。ショウも同じ物を着ている。予定どおりなら、彼は今、次の仕事へ行く前の準備時間だった。リュックを探して『ガラクタ置き場』を漁っている。

「今日の昼に来ました。クモンです。彼女はハルカさんです」

 僕が紹介すると、彼女は慌ててお辞儀した。

「オレはカッセ。こっちがリラ。そんでこいつは昨日来た――」

「ショウです。よろしく」

 ショウは新人仲間が嬉しいのか、声も表情も明るい。

「おまえたちも何か持っていくか? ここにある物なら二つ、持っていっていいぞ」

 カッセが僕らに道を譲る。

 知っているが、「いいんですか?」と訊きながら前に進み出る。

「ゆっくり探してみるといいよ。掘り出し物があるかもだから」

 リラが手を振って部屋を出て行った。そのあとをカッセも追う。

 ショウが宝の山から離れて二人の背中にお礼を言う。僕も倣い、ハルカも小声で続いた。

「とりあえず、カバンが欲しいんだ」

 ガラクタ山を削りつつ、ショウが話しかけてきた。うん、知ってる。

「荷物は自己管理みたいだから必須だよね」

 僕が同意すると、ショウは「うん」と嬉しそうだった。

「ハルカさん、ちょっと待っててね。君の分も探すから」

「は、はいっ。ありがとうございます……」

 声がだんだん小さくなる。

「昼に来たばっかりってことは、まだ仕事はしてない? 何かもらえた?」

「さっき一つ終わったところ。ここの資料室の整理作業。新人用チュートリアルかな」

「え、なにそれ? オレ、そんなのなかったよ!?」

 それはそうだろう。適当に言っただけなんだから。

「じゃ、たまたま仕事が入ったのかな。とりあえずそれだけやって今日はおしまい。なんとか今日は越えられそうだけど、明日も仕事ないとキツイ」

「そうだよね。オレもこのあと短いのがあるんだけど、それだけじゃぜんぜん足りない」

 ショウはため息をつきながら、カバンの類を引っこ抜いていく。

「これから? 大変だね」

「やらないわけにもいかないしね。自分で稼がないと」

 「そうだね」と軽く応じる。あまりツッコむとボロが出そうになるから気を付けている。

 5分ほどの探索で十数個見つかった。同じ型がいくつかあるが、これは管理局で売っている物だ。ほつれや破れがみられるが、カバンとしてはまだまだ使えそうだ。さすがに本当のゴミをここに置いていく人はいないようだ。

「ハルカさん、どれがいい?」

 レディー・ファーストということで、優先権を与えてみる。当然のように戸惑っていた。

「わたしは手伝ってもいないので、あとで……」

 そう言うと思った。なので目をつけていた一番マシなリュックを彼女に渡す。

「ショウくん、彼女にあげていいかな?」

 事後承諾だが、彼はそんなの気にしないのはわかっている。むしろ僕が言わなければ、彼のほうから言い出しただろう。

「もちろんいいよ」

「じゃ、次はショウくんが選んでよ。僕は荷物が入れば何でもいいし」

 僕が笑って言うと、「じゃ、遠慮なく」と彼は楽しそうに物色をはじめた。

「あの、ありがとうございます……」

 ハルカはリュックを抱きしめて礼を言った。

「こんなのはお互い様だから。あと一個持っていけるから、好きなの選んだら?」

「……なにがいるでしょう?」

「面と向かって質問されると、なんだろ? ショウくんは何を持っていく?」

 リュックの選別が終わった彼に訊ねる。彼はすでに一本のナイフを手にしていた。

「とりあえずこれかな。なんにでも応用が効きそうだし」

「……もうサバイバルに行くの?」

「う……。まだ早いよね……」

 ショウはわずかに赤面した。

「でも、お守りがわりにはいいかもね。銃刀法違反とかはなさそうだし」

 からかって言うと、ショウは「そうだね」と苦笑した。

「僕は……このロープ束をもらっていこうかな」

「キミこそどこへ行くんだ」

 ショウがすかさずツッコんできた。

「さっき言った資料室の整理が、まず木箱の階段上げからはじまったんだよ。そのとき、ロープがあれば背負うのに使えたなって。細いけど頑丈そうだし、こういうのが欲しかった」

「あ、わかる! オレもさっきの仕事が植木の配達だったんだけど、ロープがあれば背負えたかも。なるほどね……」

 ショウは感心しきりだった。

「半分持っていく? このままだと長すぎるし」

「え、でも、それで一つだろ? オレがもらったら3つになっちゃう」

「物は考えよう。僕がロープ、キミがナイフ。ナイフを利用してロープを分けるんだから、半分ずつ利用したってことで足して1つだよ」

「なんだよそれ」

 ショウは笑い、「じゃ、それで」とナイフを出してくる。

 ロープを分けて、半分をショウに渡した。

 そんなやりとりをハルカが微かに笑って観ていた。

「……ハルカさんもいる?」

 話を振ると、「いい、いいっ」と慌てて手を振る。ま、普通はいらないよな。

 そのハルカは、壁にかかっていた青色の薄く細い布――リボンを取った。彼女の髪は長すぎるわけでもないが、短いわけでもない。それこそさっきの作業中に邪魔になったのかもしれない。髪の根元に巻きつけ、結ぶ。基本、可愛いので何をしてもカワイイ。

「うん、似合うね」

 ショウが言った。僕は言わない。照れるハルカとショウを見て、尊さを感じるだけである。そもそも僕は二人を合わせるためにここにいるのだから。

「ところで、仕事の時間は大丈夫?」

 話を変えてみる。ショウは思い出したように窓から時計塔を見た。

「そろそろ向かったほうがいいな。途中で何か食べておきたいし」

「途中までいっしょに行くよ。僕も初めてだから、町の様子を見てみたい」

「うん、行こう」

 ショウの同意を受け、僕はガラクタ部屋を出る。ショウも続こうとしたが、三人目が迷っている様子に気付いた。

「行こう。ジッとしてても始まらない」

 彼の呼びかけに、ハルカは「うん」と応え、表情を緩めた。

 さすが期待通りだ。内心でほくそ笑み、先に立って歩きはじめた。

 町は木とレンガと土でできた建物が不ぞろいに並んでいる。区画整理が成されているはずだが、完全とは言えないようだ。一歩入ると突き当りが壁など当たり前のようにある。

 管理局からそう遠くないところに市場が出ていた。屋台から肉の焼ける匂いが漂ってきていて、我慢できずに三人で突撃した。ハルカですら――もしくはハルカだからこそ、食べているときは幸せそうな顔になる。

 ショウの仕事に合わせて歩いているので、あまりのんびり見学している時間はなかった。ただ、目的地まで付き合うつもりもないので、市場を抜けたあたりでショウとは別れた。

 帰り道はゆっくりだ。焦る理由が一つもない。空もまだ明るいし、店じまいも始まってはいるが賑わいはある。今後を見据え、市場調査しておくのも悪くはない。

 ハルカも興味深そうにいろいろと視線を飛ばしている。だが、一人で軒先まで行こうとはせず、僕の後ろに張り付いたままだ。

「なんか買う?」

 訊いてみる。彼女は驚いて首を振った。

「そうだよな。何がなんだかわからないのに、散財する余裕はないね。まず必要最小限の生活道具を揃えて、それからだ」

 彼女も熱心にうなずいた。

「でもまずは夕飯だな。さっきの串焼きだけじゃ足りないし、何か食べよう」

「うん」

 それには大賛成らしい。うなずきに力がこもっている。

 ハルカの疑似体ぎじたいは、要求どおりなら『十天騎士』が使う特別品のはずだった。それは一般の疑似体より数十倍も能力が高い。半面、エネルギー消費が激しいので、回復するための食事量も増える。おそらくすでにお腹が減っているはずだ。

「そういえばアリアドが言ってたけど、この疑似体からだって物によってハズレがあって、ハズレだとかなりカロリーを使うらしいよ。僕は日本にいたときと空腹感は変わらないけど、ハルカさんはどう?」

 そんな偽情報を伝えたのは、ハルカが女の子だからだ。そういう言い訳を用意してあげないと、我慢してしまう気がした。

「わたしの、ハズレみたい……」

「けっこうお腹すいてる?」

「うん……」

「それは大変だ。倒れる前に食事といこう」

 管理局のある方向へ足を進める。記憶どおりにそこは存在した。『コープマン食堂』とカクカ東部共通語で書かれている――らしい。僕も読めないが、食堂を表すフォークと皿の看板でどうにかわかる。

 夕方の5時を過ぎている。夕食どきなので店は混んでいた。客のほとんどが異世界人だ。異世界人管理局から近く、量があり、安い。懐事情が厳しい召喚労働者にはいろいろと優しい食堂だった。

 客の人数に比例して店員も忙しいようで、「適当に相席でお願い」された。二人が座れそうな手近な席に着く。同じテーブルには同年代の召喚労働者が胃袋を満たす作業に集中していた。

 メニューは見開き2ページと折り込み2枚のシートで全6ページ。親切に日本語での説明もついている。モーニング、ランチ、ディナー、単品メニュー、ドリンク、デザートで1ページずつだ。時間帯によってメニューを差し替えるとか手間のかかることはやっていないらしい。ちなみにデザートはランチ以降の時間帯にしか注文できない。アイリはそれでガックリすることになる。

 迷うほど種類もないのでディナーのAセットに決める。どうせ毎日来ることになる。上から流してローテーションだ。値段は75銅貨アクル、日本円でだいたい350円。たしかに安い。

 ハルカは迷っているようだ。おそらくどれを頼むかではなく、大量に頼むのを恥ずかしがっているのか、予算の問題だろう。

「お腹空いてるならちゃんと食べたほうがいいよ。来たばかりで倒れでもしたらシャレにならない」

「……うん」

 メニューで顔を隠し、彼女はか細く答えた。

 店員を呼び、注文する。僕は決めていたAセット、ハルカもAセットで追加にパンとサラダ、蒸しケーキを頼んだ。設定上知っているが、それでも抑えているほうだ。ただ、予算も加味すれば妥協点だろうか。

 品が来るまでは待つしかない。といって、暇つぶしもない。会話を楽しもうにも得意分野でもないし、ましてや日本での生活を訊くわけにもいかない。困った。

「……今日は、ありがとう」

 ハルカが下を向いたまま切り出した。まさかのお礼に、僕はとっさに反応できなかった。

 彼女はそのまま続けた。

「わたし一人だけだったら、たぶん、ダメだったと思う。わたし、人が苦手だから……」

 それはそうだろう。その理由はよく知っている。

「僕だって一人だったら途方にくれてたよ。一人じゃなかったから虚勢を張っていられたんだ。それに、みんな親切だったしね」

「うん。アリアドさんも、管理局の人も、ショウさんや先輩たちも、いい人ばっかりだった」

 ハルカは指を組んで祈るようにつぶやく。嬉しそうな顔が垣間見えた。

「まぁ、全員が全員、そういう人たちだけじゃないだろうけど、ここでならきっといい仲間に出会えるよ。たぶん」

 その筆頭にはすでに会っているし。

「そうだといいな……」

 期待に膨らむいい笑顔だった。

 さらに期待に膨らむ物が運ばれてくる。テーブルに料理と、注文に合わせた木札が置かれる。この木札を精算カウンターに持っていき、代金を払う。

 「いただきます」を唱和して、食事を開始。……うん、設定どおりの塩味。スープもパンもハムも、みんな塩味。今後の発展を狙って味の単一化を決めたのだが、その報いが自分に降りかかろうとは思いもしなかった。さっさと就労レベルを上げて、外区にあるホウサクさんの店に行かねば。

「……塩辛くない?」

「ちょっと。でも、食べられるだけで」

 彼女の手は休まらなかった。一口ひとくちを噛みしめるように食べる。ヘタすると泣き出しそうな表情で。

 そのペースに合わせるように、僕もゆっくりと食べることにした。

 とはいっても、分量からして僕のほうが先に終わる。ハルカを焦らせるつもりはないので、追加でお茶を頼んだ。

 同席していた召喚労働者が木札を持って席を立った。僕の注文を取った店員が、そのまま食器の回収をしていく。テーブルを拭き終わる前に、待っていたのか次の客が席に着いた。

「いやー、やっとレベル2だよ」

 となりに座った元気そうな女の子の声だ。失礼なので顔を見たりはしない。

「だね。これで野外作業もできるね。わたしは田舎でも畑仕事手伝ってたから、やろうと思ってるんだけど。いっしょにやる?」

 彼女の前に座ったもう一人の女の子が言った。会話からして同期の仲間らしい。

「畑かぁ。もう少し遠くへ行ってみたいな」

「遠くって、山? 危ないんじゃないの?」

「多分。こーゆー世界だしね。でも、だからこそ楽しそうじゃない?」

「現実はゲームとは違うよ」

 相方は少女の夢を粉砕する。だが、正しい。そんな軽い気持ちで山へ入り、死にかけた無謀な人間を知っている。

「むぅ、そうだけど……」

 夢見がちな少女は引き下がりそうにない。

「まぁ、無理に止めはしないけどね。気を付けなよ、シーナ」

 「ブフッ」むせた。

「わっ」

 目の前のハルカが驚いている。むせた僕に布巾を渡して「大丈夫?」と訊いてくる。

 手で合図して、無事を告げる。となりのシーナと友人もこっちを見ていた。友人のほうは「汚いなぁ……」と顔をしかめている。シーナは苦笑いしていた。

 落ち着け、と自分に言い聞かせ、どうにか呼吸を楽にする。

 ちょうどよくお茶が届いたので一口すすった。ここで下手にシーナと交流を持つと、あとあと面倒そうだ。これ以上目立たず、何事もなく立ち去らねば。

「あれ、キミたち、こっちに来たばっかり?」

 思いがけず、シーナのほうから声をかけられた。聞こえないふりをしてもよかったが、ハルカが応じてしまう。

「は、はい。今日、来たばかりです」

「やっぱり。初期装備だからそうだと思った」

 初期装備。ゲーム脳だ。それはともかく、ここで無視を決め込んでは人格が疑われる。

「どうも初めまして。僕はクモンで、彼女はハルカです。よろしくお願いします」

「いいよ、かしこまらなくて。わたしたちも来て一週間だから。わたしがシーナで、こっちがミズカ。よろしくー」

 シーナは屈託ない笑顔を浮かべた。この世界を楽しんでいるようだ。

 さて、どうしたものか。あいさつ程度で終わればいいが、なにせ相手は初期のシーナだ。簡単に退くとは思えない。

 その予想は当たり、シーナは僕ら初心者二人組にレクチャーをはじめる。相方のミズカは彼女のおしゃべりを耳に入れながらも、食事のほうに比重をかけていた。「そうだね」とか「うんうん」など、適当な合いの手・相槌ばかりだ。

 けれど助かったとも言える。僕の中にはマルマの情報がすべてある。ハルカに徐々に教えていこうと思っていたが、同じ日に来た僕が詳しくてもおかしな話だ。だからシーナにはがんばって先輩風を吹かしてもらいたい。

 僕もミズカのように適当な相槌を返す。内心で考えているのは、この出会いはもう崩せないものになったということ。それを踏まえた策が必要になる。

 僕の目的は、ハルカを本来の仲間たちと冒険に送り出すことになった。彼女が望んだ楽しい世界探索の旅を成就させることだ。

 本当なら、ハルカはルカとして一週間後に来るはずだった。それを考えなしの僕のミスで呼び寄せてしまった。彼女は日本から離れたとはいえ記憶が残っているぶん、今も不安の中にいることだろう。ルカだったら、こんな出会いも能天気に受け入れたはずだ。そして転機を迎え、困難に打ち勝ち、自分がなりたい自分になれたはずだった。その本来のルートに戻さなければならない。

 ……本当にそうだろうか?

 チラリと見たハルカは、シーナの話を楽しそうに聴いている。はっきりと笑顔も見える。これは間違いなのだろうか?

 そんなはずはない。僕は知りすぎている故にこだわっていたのかもしれない。考えてみれば、このまま推移すればショウたちは『緋翼ひよく』には絡まない。存在も知らないままだろう。すでに最大イベントのフラグをへし折っている。なら、最後の形だけ整えば、経過はどうでもいいのではないか? 出会う順番が変わったくらいなら修正は効くだろう。きっかけにこだわる理由はないはずだ。

「おーい」

 ハッとして声のほうを見る。シーナのアップがあった。

「うおっ」

「うおって……。やっぱり初日だから疲れちゃった? ぼうっとしてたよ」

「あ、うん、そうかも……」

 ごまかしてみる。芝居が下手過ぎて怪しまれたが、それ以上のツッコミはなかった。

「それじゃ、お開きにしよっか。お風呂行くなら案内するよ? さっきも言ったけど、サウナだけどね」

 そんな話もしてたのか。

「いえ、僕はいいです。まだ贅沢できないので。ハルカさんだけ連れていってあげてください」

 僕が話を振ると彼女は困惑していた。

「大丈夫だよ。この人たちはいい人だから。管理局で着替えとか洗面道具が安く売ってたはずだから、買っていくといいよ。予算が厳しいかもしれないけど、明日からがんばろう」

「……うん」

 ハルカに少し考えてからうなずいた。

「キミもなかなかいい人みたいだねぇ」

 シーナがニヤニヤしている。この子はいずれおまえのライバルになるんだからな、と言ってやりたい。

 機嫌がいいのか、シーナは僕らの分の食事代まで出してくれた。先輩風を吹かせたいのだろうが、大助かりなので心から感謝する。

 管理局までいっしょに戻り、ハルカはこまごまとした物を買って風呂に行った。僕も洗面道具と初心者用作業セットを買っておく。裏庭で歯磨きをし、休憩所へ。まだ19時を回ったくらいだが、高床は半分以上埋まっていた。

 ようやく一人きりになれた。今後を少し考えておこう。まず記憶どおりなら明日はアイリが来る。ショウにはそちらを優先してもらい、僕はしばらくハルカを見ているべきだろう。アイリには日本に帰ってもらわなければならない。そうしないと……あれ? 別にどっちでもよくないか? ショウの遭難も『緋翼』も未然に防いでしまえば、彼女の日本での役割はなくなる。

 いやいや、彼女の立場で考えろ。どっちがより、彼女のためになるのかを。マルマで冒険ライフを送るのは楽しいだろう。でもそれは、彼女の成長を遅らせるだけではないか? 彼女はこの世界で学んで、日本でやり直す選択をする。それが彼女本来の道であって、『緋翼』など問題にならないほど大切なはずだ。

 さらに彼女の心理を分析すれば、おそらく僕らが早々に彼女と絡んでも、きっと日本に帰るだろう。アカリやショウがいても彼女は帰ったのだから。

 なら、こちらも無理に抑えなくてもいいのかもしれない。シーナとの出会いと同様、すべては流れるままに任せてしまうか。

 横になって考える。丸まっていると不思議と頭の回転が早くなる気がする。

 ……ヤバイ。眠くなってきた……。

 考えて、働いて、気を遣って、なんだかとても疲れた。アイリのことは明日でもいいんじゃないか。考えたって予定どおりにはいかない。それにこれが夢なら、ここで終わりだろう。そう、ピンク髪の女の子のことは明日で――

 ピンク髪の女の子。

 そのワードにひっかりを感じたが、僕の思考は体同様それ以上動かなかった。

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