1 作者、マルマに立つ
書き上がった小説のアップロードが終わった。これでようやく一息だ。夜も遅い。とりあえず寝るとしよう。
パソコンの電源を落とし、万年床に倒れる。眠気はすぐに来た。まるで深淵の底へと墜ちるように意識が遠ざかっていった。
……ん。どうやら夢を見ているようだ。明晰夢というやつだろうか。自分が夢の中にいるというのがはっきりとわかる。なぜなら、目の前にアリアドがいるからだ。
「わたしの呼びかけによく応えてくださいました。わたしはアリアド・ネア・ドネです」
名乗る前から白いローブの美女を知っていた。彼女は僕の創作人物だから。さっきアップロードした小説『召喚労働者はじめました』に出てくる魔女だ。マルマという異世界に勇者候補を召喚する仕事をしている。
ため息が出た。いくら現在に疲れ、異世界に行きたいと現実逃避しながら小説を書いたからと言って、その夢を見るだろうか? よっぽど疲れていたに違いない。
「あの……、なにか?」
ニッコリとしながらも、不満げなオーラを発するアリアド。召喚時だけ猫被りなのは作者ゆえに知っている。マルマに連れ込むための芝居だ。
「ああ、いい、わかってるから。これが夢なのもわかってる。異世界転移なんてないから」
「ありますよ。だからこうしてお迎えに上がったのです。あなたはマルマで勇者になるのです」
「候補だろ? 雨宮武志郎とは違う」
「え!?」
アリアドは芝居ではなく驚いていた。それはそうだろう。普通の日本人が彼を知るはずがない。
「雨宮武志郎。マルマに召喚された初めての異世界人で、ゴブリン王クラシアスの軍勢を破った本物の英雄。比べて僕はただの凡人。武術経験もないしね」
「あなた、いったい……」
夢でもこの反応は面白い。
「作者……いや、あなた目線で言えば創造主か。信じられなきゃ、記憶を探るといいよ」
「……」
アリアドは無言で僕を見ていた。予想外が多すぎてフリーズしているようだ。それでも意を決したのか、こちらに手をかざした。記憶を探るようだ。
「……これは」
アリアドの顔がさらに曇る。
「わかった?」
「直近の記憶によると、あなたはわたしたちマルマ世界での出来事を書物にまとめていました。漢字が多くて内容までは詳しくわかりませんでしたが。たしかに、あなたはわたしやマルマを知っているようです」
「知ってるどころじゃない。いわゆる神様だからな」
「そんな馬鹿な。だって、普通に召喚に応じてるじゃないですかっ」
アリアドに余裕はなくなっていた。というか、素に戻りつつあった。
「寝落ちしたからじゃないか? ていうか、これ夢だし」
「夢じゃありませんて! 夢と言い張るなら起きてみたらどうです?」
「いや、なんかもったいないし。自分の小説のキャラクターと話すなんて他人には言えないけど、面白いのは確かだ」
そう、僕は楽しんでいた。それこそ夢のようである。
「わたしが攻撃して痛みがあっても夢と言い張りそうですね」
「それはリアルだな」
僕の即答にアリアドはため息をついた。
「なんか面倒そうなので、お帰りいただけますか?」
「それはないだろ? せっかくだからマルマ世界に行かせてくれよ。飽きたら適当に目を覚ますから」
「不確定要素が多すぎます。もしあなたが本当に創造主なら、世界が壊れてしまいます」
「……それってもしかして最強じゃない?」
「もしかしなくても最強です。真実なら、ですが」
ゾクゾクっと来た。自分が作った世界なら、法則その他、なんでも思いどおりになる。例えば、魔法だって使える!
「【飛行】」
呪文を唱えてみる。……飛べなかった。
「【爆炎球!】」
出なかった。
「……どうやら思い過ごしのようですね」
アリアドが哀れみの目を向けていた。
「いや、これは違う! そうだ、疑似体じゃないからだ! だから魔法が使えないんだ!」
マルマ世界は僕たちの世界とは違う。マルマに適合した体でないと病気などであっさり死ぬ恐れがあった。それを回避するためにアリアドは疑似体を作り、そこに意識だけを移して活動できるようにした。魔法が使えるのも疑似体内に魔力があるからだ。
「だとすれば世界の法則には逆らえないってことよ? 創造主なら法則すら捻じ曲げられて当然のはず」
アリアドの目には余裕が浮かんでいた。
「けど、たしかにマルマ世界はオレの創った――」
言いかけて、やめた。何を夢に真剣になっているのだろう。これはそういう設定の夢なんだ。
「まぁ、あなたが普通とは違うのはわかったけど、身体能力的には一般人と変わらないみたいね」
アリアドは安心したようだ。少なくともマルマ世界の脅威とは思わなくなったようだ。
「そうみたいだな。けど、それはそれで楽しそうだ」
「マルマに行きたいの?」
「せっかくだし。さっきも言ったけど、飽きたら適当に目を覚ます」
「夢じゃないっていうのは信じないのね」
「信じるわけがない。これが他の異世界であれば信じるかもしれないけど、マルマだぞ? 自分で書いた異世界だ。そんな都合のいい世界があるか?」
「あなたがこれから体験する出来事を、過去のあなたが書いたのかも知れないわよ? わたしの召喚術は時間さえも超越しているのだから」
「……!」
その可能性は否定できない。たしかに魔女アリアドの異世界召喚術は、空間だけでなく時間さえも操っている。面倒だから濁していた設定だが、突き詰めれば意味があったのかもしれない。
「だからあなたはこれから何が起きるか知っている。何があったかもマルマの歴史を調べて知っている。そういうことじゃないかしら」
「過去はそうだな。それこそ神話の時代から知ってる。でも、未来は……」
僕の知っている未来のマルマは、せいぜい数年先だった。その数年後に僕は過去の日本へ帰り、記憶を元に小説を書いた……。なかなか面白い仮説だ。でもそれなら僕は物語の『誰』を担っていたのだろう? ショウの仲間の誰かだろうか? それとも皆の記憶にはいない誰か? 脚色して存在を抹消しただけ? いずれも否定はできないが、アリアドの説を肯定する材料にはならない。
「未来はどこまで知っているの?」
アリアドが訊ねてきた。ギザギ国を表と裏、どちらからも支えている魔女が、それを気にかけないわけがない。
しかし、それを伝えるのは歴史を変えるということ。話すことで一時的に事態は好転するだろう。だが、その先は変動してわからない。夢ならいいが、もし現実であるなら迂闊に口にはできない。
「……今日のギザギの日付は?」
「十九紀14年7月4日」
アリアドは細かく答えた。
小説『召喚労働者はじめました』の主人公、ショウこと日比野小吉が召喚された次の日か。もう一人の影の主役、アイリこと川見幸は明日、召喚される。
「ということは、まだ何も始まっていないのか……」
考える。この先の大災害にどう対処すべきか。伝えたらどうなるのだろうか。
唸る僕をアリアドが不安げに見ていた。
「……もしかして、けっこうヤバイことが起きる?」
「うん」
反射的にうなずいていた。思案が深すぎて、横やりに考えが及ばなかったからだ。気が付いてハッとする。
「あ、いや、最終的には解決するんだけど、次善策をとれば被害は抑えられるような気がする。でもそうすると、個人の歴史が変わるし、たぶん世界的にも大きく変わる」
そう。近い未来、『緋翼』という世界最大の災厄がやってくる。それは大陸中の国を滅ぼし、ギザギ国も呑み込もうとする。それを出現と同時に斃せたとしたら、世界中の多くの人命が失われずにすむ。例えショウたちの道が多少変化するとしても、人道を考えれば多くを救うべきだ。だが、ショウたちはともかく、助かった世界中の人間たちが、『緋翼』のいなくなった世界で何事もなく平和の維持に努めるだろうか。カクカ大陸西部と中央部は慢性的な戦争状態だ。もし『緋翼』が現れなければ、きっと人同士の戦争は続く。『緋翼』の一撃は、他国侵略を是とする者たちに向けた楔だ。人間を世界の害虫としたのもうなずける。少なくとも、僕が考える『緋翼』はそういう存在だった。
「そんな規模の事件が起きるの? ……もしかして、『緋翼』とか?」
「え!?」
「え、マジで?」
アリアドとしては当てずっぽうの引っ掛けのつもりだったのだろう。世界規模の災厄といえば『緋翼』、みたいなノリだったのかもしれない。けど、それにまんまと乗ってしまった。
肯定するしかなかった。
「……そう、11月には出てくるよ。人間を殲滅するために」
「マジで……?」
アリアドも相当信じたくなさそうだった。気持ちはわかる。
「まぁ、最終的には斃すんだけどね」
「マジで!?」
「さっきからそれしか言ってないぞ」
「いや、だって、あれ、斃せるの……?」
「うん」
「マジでぇ……」
アリアドは複雑な表情をしていた。
「もういいって。ただ、ここで問題があるわけ。討伐方法を教えるのはいい。でもその結果、僕の知ってる歴史は終わる。それがいいのかどうか、その先でもっと悲惨な運命に変わるかもしれない」
「未来なんてちょっとしたことで変わるものよ。あなたが今、ここにいる時点で変わってしまったと考えられない?」
「そうなんだよな。僕が例え討伐方法を教えなかったとしても、あなたは『緋翼』が来るのを知ってしまった。対応策を考える時間が与えられただけで歴史は変わっただろうね。でも、だからこそ討伐はできない。本来の流れを無視した以上、あの奇跡的な帰結にはつながらない」
「でも、斃せるという確信は得られたわ。なら、方法をいろいろと探るだけよ」
「それじゃ、どうにか『緋翼』を早期に斃せたとしよう。その先は? 僕の気にしているのはそれなんだ。本来死ぬはずだった人たちが、生き残ってどうなるかが問題なんだ」
「よからぬことをするって? そんなの考えてたら何もできないでしょう。一つ言えるのは、死んだら未来の選択がないってことだけ」
「たしかにね。死んでからじゃ考えることもできない。……ショウたちは英雄になり損ねるけど、大した問題でもないか……」
「ショウってきのう召喚した子と同じ名前ね」
「その彼が『緋翼』を斃す鍵になる」
「え!? だってあの子、凡人よ!?」
「だからこそできたんだよ。言ったろ、奇跡的な帰結だって」
「はぁ……」
アリアドが呆気にとられていた。
「それは置いといていい。ここで『緋翼』を斃す別の解答を教えるんだから。相応の準備がいるけど、4ヶ月もあれば充分、間に合う」
今回は出現と同時に斃すとあって、小説のラストのような展開にはならない。しかし、答えは出ているのだから、手順を弄るだけで済む。
「……なるほど、『緋翼』が異世界人に手を出さない性質を利用するのね。その【時空間転移術】で『緋翼』の核をあなたの世界に送って、それから『異界神の槍』で攻撃する。魔力のない世界だから再生能力もフル活用できず、いずれ消滅すると」
「そう。このとき、徹底的にやらないと復活するから。完全に魔力粒子が消えるまでやること。とどめは十天騎士に直にやらせたほうがいい」
「わかった。その時空間転移術って、異世界召喚術の応用でいいのよね?」
「応用というか、元というか。詳しく知りたければ、オリジナルのある遺跡の場所を教えるよ。バルサミコスが一月後には見つけるんだけどね」
「ミコちゃんが?」
「ミコちゃんが。それとその術を応用した『時空間通信魔具』と【物質加速】術の開発、僕らの世界で動ける新型疑似体の製作も忘れないように。十天用にカスタマイズもしたほうがいいだろうね」
「そのJ2Mって『転送魔術陣』と似たような物でしょ? 魔術陣に置かれた物を別の場所に飛ばすだけなんだから」
「魔術陣は発動までの時間がかかるし、あらかじめ設定した場所に送るしかできない。J2Mはいわばトンネルだから、発動させておけば時間のロスはないし、リアルタイムで場所を指定もできる。全然違うよ」
「ふむ……」
アリアドは感心していた。よくも考えたものである。
「この成果は、さっきも言ったショウという少年と、明日召喚するアイリ、それと次の日曜にあなたが助けるハルカの三人が鍵になったんだ。成果を奪ってしまったけど、彼らの貢献を忘れないで欲しい。たぶんまた、どこかで活躍するはずだから」
「わかったわ。……でも、ハルカを『助ける』ってなに?」
「彼女は虐待を受けてるんだよ」
「ああ……」
アリアドは顔をしかめた。
「次の日曜がピークだったみたいで、必死に助けを求めたんだ」
「なら、とっとと呼ぶ? どうせもう歴史は壊れたし、早めに召喚しても問題なさそうだけど」
「できるなら。日本の住所は――」
場所を教えると、「あとですぐに呼ぶわ」と魔女は言った。
「ちなみに、ハルカには『11番騎士』の疑似体を渡してるからね。そうでなければ『緋翼』を別世界に送る発想も生まれなかったし、J2Mも作られなかった」
「そうなの? ええ、わかったわ」
まぁ、もうその発想もJ2M作成過程もいらないのだけど。
「こんなところか。あとは大小事件は起きるけど、どうにかなると思う。ハルカが早く来るなら、僕がうまく調整してショウと合わせるようにしておくよ。なるべく出会いは潰したくない」
「頼むわ……て、やっぱりマルマに行くつもりなの?」
「当たり前だろ。歴史が変わるマルマを見たいじゃないか。それに、相談役として僕を残しておいたほうがいいんじゃないか? 少なくとも、『緋翼』が消えるまでは」
「たしかにね……」
アリアドは半分納得といった感じだ。
「普通の召喚労働者として生活するさ。いちおう言っておくけど、僕はまだ、これを夢ではないかと疑ってる。でも言動は『夢だから』と適当にはしない。『現在の体験を過去に書いた』説も否定できないし」
「そう考えてくれるなら安心だわ。夢だから何でもアリとか言って暴れられたらたまったものじゃない」
アリアドは肩をすくめた。
「あ、でも、特別に魔法を2、3くれるなら貰っておくよ」
「あげないっ」
「情報に対する正当な報酬だろ」
「『緋翼』が本当に現れたら考えてもいいわ」
「その言葉、忘れるなよ?」
「はいはい。それじゃ、肉体変換はじめるわ。どうせ知ってるから、説明は省くわよ」
「もう整形できるのか」
それではと、微妙に体を変形させていく。
「思ったより普通ね。見栄を張って美形にするかと思ったわ。若作りが過ぎるけど」
「なるべく目立たないほうがいいだろ?」
「そうね。名前は?」
「クモンで」
「……登録終わり。じゃ、ナンタンへ送るわ」
「あと一つ。異世界人管理局局長のレナに僕のことは話しておいて。場合によっては協力してもらうから。あなたとの窓口にもなるし」
「そんな日が来ないことを祈るわ」
アリアドとの距離が離れていく。僕はマルマに降り立つのだろう。
「そうそう、アリアド、あなたの結婚相手は――」
「え、ちょ、待って! 聞こえなかったからもっかい!」
それはそうだろう。最後まで言わなかったのだから。ただのイヤがらせである。
僕はニヤリとして落ちていった。
そして、ギザギ国最南端の町ナンタンに僕は立った。