表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

ソロモンの財宝の秘密







                  バアル教


 バアル神とヤハウエ神との違いは、一言で言えば、一神教と多神教の違いであり、人間の知力を凌駕した、絶対神と人間に身近な神との違いであろう。

 古代エジプトには様々な神がいる。日本で言う八百万の神々である。

牛の頭をしたバアル=オシリスはエジプトでは一番人気のある神様であった。

 オシリスは本来は古代エジプトの死者の神であった、エジプトの死者の書では、オシリスは冥界の王として犬神たちと共に死者の魂を秤にかけて量る、死者を裁く神として示されている。

 オシリスは本来は人間に色々な制度をもたらした良き神であり、また自然神として季節ごとに復活する永遠の生命を表明している。

 従って永遠の生命を信じていた古代エジプト人は、死者はすべてオシリスに化すと考えていた。

 長い間、奴隷階級としてエジプトに住みついていたユダヤ人がエジプトの風俗、習慣、宗教に染まるのは当然の理であった。何代にもわたってその地に住みついていれば現地人化していく。

 モーゼの時代、奴隷としての待遇が余りにも過酷であったために、エジプトを脱出する事になる。

 ユダヤと言えば、ヤハウエ神への一神教に凝り固まっていると捉えられがちだが、モーゼの時代にヤハウエ信仰が始まったと言われる。旧約聖書はモーゼの時代に大成されていく。その時、ユダヤ人は特定の宗教を持っていたのではない。

 モーゼに率いられたユダヤ人たちは、早くも食料危機に直面する。彼らはエジプトを出て、乳と蜜の流れる国へ導くと約束されて、モーゼに従ったのである。ヤハウエ神への忠誠故ではないのだ。

 ユダヤ人の動揺を鎮める為に、モーゼは実に多くの規約を作らねばならなかった。食料を確保するために、行く先々の国に攻め入り、侵略せねばならなかったのだ。

 この事については磯辺作次郎は以下のように述べている。

 モーゼは同朋の苦しみを見るに見かねて出エジプトを果たしたものの、重大な試練にさらされる事になる。

 乳と蜜の流れる約束のカナンの地に向かうために、エジプトを出たものの、果てしない荒野をさまよい歩かねばならない。

 ユダヤの民は飢えや渇きに耐え切れずに、モーゼに不満を漏らすようになる。モーゼはこのような群衆を率いる為に、厳しい締め付けを行わねばならなかった。

 厳しい刑罰を伴う規則である。旧約聖書を見ると、実に様々な禁止条項が出てくる。

人を撃って死なせた者は、必ず殺されなければならない。自分の父または母を撃つ者は必ず殺されなければならない。もし人が杖をもって、自分の男奴隷または女奴隷を撃ち、その手の下に死ぬならば、必ず罰せられなければならない。

 出エジプト記第20章から23章まで、実に細かな規定が延々と描かれている。規定はそれ以後にも沢山出てくる。

 モーゼが定めた規定は、当初は十戒のような簡単なものであったろう。時を経るに従い、大まかな規定だけでは不十分になっていく。時代が下るにつれて規定が細分化していくのは、現代でも同じである。

 興味があるのはヤハウエ神の性格である。

 同書出エジプト記によると

――私以外何物も神としてはならない。私はねたむ神である。私以外の者を神とするならば罰を下すであろう――その他に偶像崇拝を禁止している。

 ヤハウエ神は実に厳しい神である。

 これはエジプトの神々の裏返しとみてよい。エジプトの神々は人間的で、生活に密着している。特にバアル神は豊饒の神であり、世俗的な欲望を叶えてくれえる神である。エジプトの神々は鳥や犬、牛、ライオンといった様々の像を持った偶像崇拝である。

 ヤハウエ神はエジプトの神々を否定している。

 これには2つの理由が考えられる。

長い年月の間に沁みついたエジプトの風俗、習慣を否定する事。第2には、十戒や様々な規制はヤハウエ神が定めたとして、乱れがちになるユダヤ民族の結束を固める目的がある。

 ヤハウエ神の性格は約40年間にわたるユダヤ民族の放浪の旅という過酷な環境から必然的に生まれたとみてよい。

 ヤハウエ神こそ、モーゼの創造であった。

 その証拠として、出エジプトを果たしたユダヤの民がシナイ山の麓に到着する。

モーゼは神に会うためにシナイ山に登る。

 出エジプト記第32章

 民はモーゼが山を下る事の遅いのをみて、アロンのもとに集まって彼に言った。「さあ、わたしたちに先立って行く神を、わたしたちのために造ってください。わたしたちをエジプトの国から導きのぼった人、あのモーゼはどうなったかわからないからです」

 アロンは彼らに言った。「あなたがたの妻、むすこ、娘らの金の耳輪をはずしてわたしに持って来なさい」そこで民は皆その金の耳輪をはずしてアロンのもとに持ってきた。アロンがこれを彼らの手から受取り、工具で型を造り、鋳て小牛としたので、彼らは言った。

「イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である」アロンはこれを見てその前に祭壇を築いた。そしてアロンは布告して言った。

「明日は主の祭りである」

 そこで人々はあくる朝早くに起きて燔祭をささげ、酬恩祭を供えた。民は座して飲み食いし、立って戯れた。

 同出エジプト記第32章25

 シナイ山から下ったモーゼは、ユダヤの民が小牛を神として祭り、うかれ舞っているのをみてアロンをなじる。

――モーゼは民がほしいままにふるまったのを見た。アロンは彼らがほしいままにふるまうに任せ、敵の中に物笑いとなったからである。・・・――

 アロンはユダヤの群衆に強要されたと、モーゼに言い訳するが、これは旧約聖書の作者の演出と見るべきだ。

 アロンはもともとバアル神の信徒である。ユダヤの民も新しい神ヤハウエを信仰するよりも身に付いたバアル神を祭るのが自然の行為と見るべきなのだ。

 これ以後、実に多くの預言者が現れる。

 モーゼの死後ヨシュアが現れる。モーゼの制定した規則=ヤハウエ神との契約が、しばらくの間守られるが、時が過ぎるに従い、破られる事になる。

 ユダの部族の内、カルミの子アカンが神への奉納物をかすめとる事件がおこる。事件の発覚後アカンとその家族はことごとく石で打たれ焼き殺される。

 ヨシュアの後、安住の地を得たユダヤの民はヤハウエ神との契約を忘れる事になる。――師記第3章7

 イスラエルの人々は主の前に悪を行い、自分達の神、主を忘れてバアルおよびアシュラに仕えた。

そこで主は激しく怒り、彼らをメソポタミアの王のシャン・リシャタイムの手に売り渡した。

 イスラエルの人々が主に呼ばわった時、1人の救助者を起して彼らを救われた。すなわちカレブの弟、ケナズの子オテ二エルである。

 オテ二エルの死後、ユダヤの民は再び主の前に悪事を働いた。ユダヤの民は18年間モアブ王エグロンに支配される。エホデの出現によってエグロンの支配から脱する。

 エホデの死後、イスラエルの人々はまた主の前に悪を行う。次に出たのは女預言者デポラ。

 ギデオン、シケム、トラ・・・、ユダヤの民がヤハウエ神との契約を忘れる度に、次々と多くの預言者が現れてくる。

 彼ら預言者はイスラエルの人々が、ヤハウエ神から離れてバアル神に走るのを嘆く。

 出エジプト以来、モーゼの後を継いだヨシュアの時代に、ユダヤ民族は安住の地に落ち着く。平和な時代が続き、安逸な日々に慣れてくる。厳格なヤハウエ神よりも寛容で、現実の利益をもたらすバアル信仰に傾くのは自然の理といえる。

 周囲の敵に対する警戒心も薄れた頃、敵国に侵入され支配される。苦渋の日々が続く。預言者が現れ、唯一絶対神ヤハウエ神への信仰を説く。敵国の支配から脱する。

 また安逸な時代が訪れ、バアル神への信仰を求める。大筋においては、このパターンの繰り返しであった。ユダヤの歴史上、著名な預言者が数多く現れるものの、このパターンから外れる事はない。

 クライマックスは、ダビデとソロモンの時代である。一介の牧者だったダビデが、巨人ゴリアテを倒す場面は有名である。

 旧約聖書によると、ダビデの時代、ユダヤを治めていたのはサウル王である。彼は始めはヤハウエ神を信仰していたが、バアル信仰に変わったためにペリシテ人に殺されたとある。

 サウル王に代わってユダヤの王となったダビデはヤハウエ神に忠実な僕だった。

 その子ソロモンは父の意志を継いで、壮大な宮殿や豪華な神殿を建設していく。ユダヤ歴史上、黄金時代を築く。その子レハベアムは器量と言い、才能と言い、父ソロモンよりもはるかに劣っていた。

 彼は父の重臣たちの意見を無視し、彼を取り巻く若い臣下の意見ばかりを取り上げていた。

 税を軽くしてほしいと頼む者の税を一層重くする。為に、ユダヤの民の多くはレハベアム王から去っていった。やがてレハベアムは主の掟を捨てる。ユダヤの民もそれに倣って、バアル信仰に戻る。

 レハベアムが王になって5年後、エジプトの王シシャㇰがエルサレムに攻め登る。主の宮の宝や王の家の宝をことごとく奪い去っていく。

 それでもエルサレムは滅びずに安泰を保つ。レハベアムの子のアビアが王の位に就き、ユダヤの国は衰退の一途をたどる。しばらくの間、ユダヤ王国は命運を保ったものの、ついにはバビロンの王ネブカデネザルによって滅ばされる・・・。


 坂本はここで言葉を切る。文章を棒読みしているだけで、旧約聖書を読めば判る事だから、熱も入らない。

坂本は冷えたお茶を飲む。

「コーヒーを入れますね」磯部珠江が台所に立つ。

 時間を見ると、もう4時に近い。

「今の話を聞いてますと、結局、ヤハウエ神とバアル真との戦いという気がしますなあ」

 吉岡刑事の発言は少々的外れと思ったが坂本は頷く。

ユダヤの支配層は主にヤハウエ信仰、民衆はバアル信仰と見てよい。

 ソロモン大王死後、敵国から侵略を受けても、彼が残した財力のお陰で、その後の数年、エルサレムは命脈を保つ。しかし支配層の権威は失墜しており、ヤハウエ信仰もおろそかになりがちになる。

 真に、ユダヤ民衆の一部がヤハウエ信仰に立ちかえるのは、バビロンの捕囚以後である。エルサレムの町や宮殿は徹底的に破壊される。長きに渡った捕囚生活から解放され、荒れ野となったエルサレムに還った時、ユダヤ民族の一部は、ヤハウエ信仰を固く誓うのである。


 「もっと具体的に言いますとね・・・」坂本は珠江の入れたコーヒーを飲みながら答える。

ユダヤ民族は12の支族に分けられる。その内の2つの支族のみがイスラエル民族として歴史にあらわれ、ヤハウエ神を信仰する事になる。

 残る10の支族は他の民族と融合しつつ、歴史上から姿を消すことになる。

「ここで1つ、ご注意申し上げたい・・・」

 坂本はメモ用紙に目を通しながら言う。

 世界各地にユダヤ人が散らばっているが、彼ら全てが、旧約聖書に出てくるユダヤ人ではないという事だ。

「まあ、面白いわね。どういう事?」

 磯部珠江は大きな眼を輝かせる。応接室は程よい温度に調節されているが、4人の熱気でムンムンしている。珠江の白い頬が紅潮している。


                   ユダヤの民


 一般にユダヤ人と言えば、著名な人物を上げると、カール・マルクス、アルベルト・アインシュタイン、ジームクント・フロイト、アンネ・フランク、ヘンリー・キッシンジャー、ジョージ・ソロス・・・。

 以上あげた人物たちはユダヤ人として知られている。残念ながら、彼らは皆白人で、人種的に、コーカソイドと呼ばれている。

 本当のユダヤ人は白人ではない。人種的に、セム系と呼ばれる人々なのである。

 旧約聖書に登場するユダヤ人に白人は1人もいない。モーゼ、ダビデ、ソロモン、イエスキリストさえも、非白人である。肌の浅黒いのが特徴である。

 イエスや聖母マリアは瞳が青く、金髪で肌が白い典型的な白人として描かれるが、デタラメである。

 一般にユダヤ社会では、白人系のユダヤ人をアシュケナジー系、非白人系のユダヤ人をスファラディー系と呼ぶ。

 何故白人系のユダヤ人が存在するのか、その謎に挑戦したのが、アシュケナジー系のユダヤ人のアーサーケストラ―である。

 彼は8世紀以前の古代において、ごくわずかな混血者をはぶいて、白人系のユダヤ人がほとんどいないことに気付く。それが何故か、8~9世紀を境に、突然、白人系のユダヤ人が大量に登場する。

 この謎について、ケストラーはこう答える。

 紀元7世紀、コーカサスからカピス海北岸に、ハザール(カザール)汗国はんこくという国があった。住人はトルコ系白人コーカソイドであった。

 ハザール汗国は南方で「ビザンティン帝国」と「ウマイア朝(後のファーティマ朝)に接していた。

 ビザンティン帝国はキリスト教(ギリシャ正教)を、ウマイア朝はイスラム教を国教としていた。その為に、両国は政治的にも宗教的にも対立していた。

 ハザール汗国は土俗的民間信仰のみで、これと言った宗教がなかった。そんななか、ハザール汗国は両国の宗教的な干渉を受ける様になる。どちらの宗教に改宗しても、戦火に巻き込まれるのは必死。困ったハザール汗国は世紀の決断に踏み切る。

 何と皆「ユダヤ教」に改宗したのだ。

 キリスト教もイスラム教もユダヤ教を母体としている。ユダヤ教に改宗すれば、宗教的な対立が避けられると計算したのだ。

 しかし、やがてビザンティン帝国と北方のモンゴル帝国の攻撃を受ける。11世紀頃ハザール汗国は滅亡し、大量の難民が発生する。彼らの多くは西へ移動。東欧に住みつくことになる。彼らこそが、アシュケナジー系ユダヤ人となる。祖国を持たない彼らがユダヤ人として生きる事になった。

 従って、旧約聖書のユダヤ人とは全く関係のない人々なのだ。


 「面白い話ですなあ」吉岡刑事が感心したように、コーヒーをすする。


「先に述べたように、ソロモンの3代目、レハベアムの時代にソロモン王国は衰微します」

 坂本はコーヒーを飲みながらゆっくりと話す。

 ネブカドネザルによって滅ぼされる前に、ユダヤの国は2つに分裂する。

 紀元前931年、イスラエル王国は、北朝イスラエル王国と南朝ユダヤ王国に分かれる。

北朝イスラエル王国はルベン族、シメオン族、イッサカル族、ぜブルン族、エブライム族、マナセ族、ダン族、ナフヌリ族、ガゾ族、アシュル族の10支族から成る。

 南朝ユダヤ王国はユダ族、ベニヤン族から構成される。土地を持たない祭祀人のレビ族は両国に帰順する。

 問題は分裂後の北朝イスラエル王国の神殿はゲルジ山にあった。祀られていたのはヤハウエ神ではない。ユダヤ民族が出エジプト時代から持っていたバアル神である。

紀元前722年、アッシリア帝国によって北朝イスラエル王国は滅する。

 その後、南朝ユダヤ王国はバビロニア王国に滅ぼされる事になる。

 紀元前6世紀、メソポタミア地方にアケメネス朝ペルシャが誕生。やがてバビロニア王国を滅ぼす。

ペルシャ人はユダヤ人には友好的で、ユダヤ人が故郷に還る事を許す。

 彼らは故郷パレスチナに帰り、エルサレムにソロモン第2神殿を再建する。国を滅ぼされたのはヤハウエ信仰を捨てたからだと信じた彼らは以前にも増して強固な信仰を守り、独特の宗教体系を形成する。

 一般にユダヤ教と言われる宗教はこの頃に成立する。

 アケメネス朝ペルシャがアレキサンダー大王によって滅ばされる。以後、南朝ユダヤ王国は部族国家的色彩を強めていく。

 エジプトやシリアの支配下に入り、紀元前2世紀、度重なる圧政のためユダヤ人は反乱を開始。独立を勝ち取り、ここに紀元前1世紀まで続くハスモン朝ユダヤ国家が樹立する。


 「一応、以上がキリスト誕生前後までのユダヤの歴史です」坂本は腕時計を見る。4時を少し回っている。

「皆さん、時間の方は?」今日はこれでやめようかと坂本が声をかける。

「私は暇だからいいわよ」磯部珠江が側に控える岸田に同意を求める。

 岸田は真っ黒な顔にぼさぼさの髪のまま、珠江をみて頷く。

「洋さん、今日は私が手料理を用意するわね」

 岸田は武骨な顔をほころばす。笑うと童顔になる。

「吉岡さん、お時間は?」珠江はこの家の主らしく尋ねる。

「夕食、おごっていただけるんですか」

吉岡刑事はふさふさの髪に手をやりながら、子供のようにはしゃぐ。男は美人の前では弱い生き物のようだ。

「太一郎さん、私、台所で聴いているから、講義を始めて頂戴な」磯部珠江は和服の上から割烹着を羽織る。

「すき焼きですからね」材料はすでに整っているらしい。冷蔵庫から、肉やネギ、卵などを取り出している。


                 失われた10支族


 坂本は奥の珠江にも聴こえるようにと、少し声を大きくする。

「話は少し戻ります。バビロニアに捕囚されていた南朝ユダヤ王国がパレスチナに戻ってきた時の様子を話します」

 南朝ユダ王国の人々がパレスチナに戻ってくる。先に解放されている北朝イスラエル王国の人々がいると思ってパレスチナに戻ってみたものの、彼らの姿は無かった。 

 正確には、しばらくの間、イスラエル10支族がメソポタミア地方にいたが、いつの間にか消えていたのである。

 当時すでにアッシリア帝国は滅亡し、捕囚されていたイスラエル10支族は開放されていた。当然聖地ゲルジム山のあるパレスチナに帰ってくる。南朝ユダ王国の人々はそう考えていた。一部は帰ってきたが、全部族からみれば、ほんの少数だった。

 単純計算しても、イスラエル2支族に比べれば、10支族は5倍の人数に登る。大規模の人間が、僅かの間に消えてしまったのだ。どこへ行ったのか、記録らしい記憶は残っておらず、その為に、イスラエル10支族の蒸発は世界史上最大の謎とまで言われている。

 紀元1世紀の歴史学者、フラビウヌ・ヨセフスの古代ユダヤ誌によると、

――10支族は今でもユーフラテスの地方におり、膨大な数の民衆となっている――

 これがイスラエル10支族の最後の記録である。

 ヨセフスの記録を信じるなら、彼らはアッシリアに捕囚されたまま、その土地に住みついていたらしい。だが、その後の歴史にはイスラエル10支族の記録はない。紀元前後まではいたらしいが、全部ではない。

 イスラエル10支族は移動する。西に行けば、南朝ユダ王国の人々の眼に止まる。ギリシャやエジプトの記録に残ってもいいのに、それがない。

 南は海、舟に乗って何処かへ行ったとしても、その記録もない。もともと彼らは遊牧民だ。航海は得意ではない。しかも何万、あるいは何十万という集団だ。多くの人間が一度に船に乗って移動する事は不可能だ。という事は北か東へ移動した事になる。

 メソポタミア地方から北か東と言えばシルクロードがある。インド、中国方面に向かったと見るのが妥当であろう。あるいはインドー中国ー蒙古ー朝鮮半島ー日本のルートである。

 ここで1つ注意をしておきたい事は、ヤハウエ神への信仰に凝り固まったのは、南朝ユダ王国の人々という点だ。

 失われた10支族には、体質的にはヤハウエ神は向かなかったと見るのが妥当だ。

 モーゼのはるか昔、エジプトに居た頃からバアル神への崇拝は彼らの生活に沁みついている。ヤハウエ信仰を受け入れたものの、日常生活はバアル信仰に根ざしているといっても過言ではない。

 現実にヤハウエ信仰はユダヤ人以外には拡がってはいない。キリスト教は旧約聖書を取り入れているが、ヤハウエ信仰ではない。

 バアル信仰こそがユダヤ人の真の宗教だった。


 坂本は一息入れる。テーブルの上に電気コンロが置かれる。霜ふり肉を山のように盛った皿がデンと置かれる。白滝が運ばれる。ネギを刻む包丁の音が心地良い。


インドを端に発するスサノオ伝説は、現実に、インドに牛を聖なる生物としての宗教観を発達させる。ただしユダヤ人がインド地方に滞在した期間はそう長くはなかったと思われる。スサノオ伝説は、1つの伝説として伝わるのみで、ヒンズー教の数ある神々の中に、スサノオの影響は皆無だからだ。


 「ねえ、太一郎さん、先ほど、インド、蒙古って言ってたけど、シルクロードを通るなら直接中国へ行った方が早いんじゃない?」

 珠江は茶碗や皿を坂本たちの前に並べながら尋ねる。

「それはね、スサノオやその子供達に蒙古名がついている事が知られているんです」

「えっ!本当?」今度が吉川刑事が口を出す。

「この事は次回に話そうと思いましたが、ついでですから、名前だけ言っておきましょう」

 スサノオの命はフツシ、その父をフツ。

スサノオの子供の内、ニギハヤヒの命をフル、若い時の名前を大歳オオトシと言う。彼はスサノオの5番目の子供である。

 ちなみに6番目の倉稲魂尊はウガ(宇迦)という蒙古名を持っている。日本全国に稲荷大明神として祀られている宇迦御魂だ。

 スサノオの子供ではないが出雲の大国主はミㇰㇰル(美具久留)という蒙古名を持っている。大阪の美具久留神社があり、そこに大国主が、美具久留御魂という名前で祀られている。

 スサノオ一家は朝鮮(韓)民族のいた南部朝鮮経由ではなく、北満、北鮮から隠岐島、出雲のルートで入ってきている。


 「さっ!乾杯しましょう。話はもういいでしょう」

割烹着を脱いだ磯部珠江が、コップにビールを注いでいる。

「じゃ、後は、一杯やりながら」坂本は講義を打ち切る。

「わし、飲むと飲酒運転になるがな」

 吉岡刑事は戸惑いの表情を見せている。案外仕事に忠実らしい。

「公務員は辛いんですわ」

 吉岡刑事は言いながらも、珠江の差し出すビールをコップに注いでもらう。

「まあ、いいじゃないですか。よろしかったら泊まっていらっしゃいな。太一郎さんも泊っていきますのよ」

 珠江は1人はしゃいでいる。陽気な性格で、大勢の人を自宅に招いては、お茶やお花、宴会などを楽しんでいる。

 磯部作次郎は生前、珠江が何人、自宅に招待しようとも、何をしようとも一切口を挟んでいない。彼女の好きなようにふるまわせていた。。

「それじゃお言葉に甘えて」

 吉岡刑事は、乾杯の後、ちょっと失礼と言って、携帯電話で自宅に連絡を入れる。

「今日は帰れないから・・・」それだけ言うと、電話を切る。

「ずいぶん簡単ですね」と坂本。

「毎度の事ですから」吉岡刑事はは酒が好きらしい。飲んでは食べ、食べては飲んでいる。

 岸田は珠江の注ぐビールをグイグイ飲んでいる。会話の仲間には入らない。


 吉岡刑事はコップを3杯ほど開けて、満足そうな顔で、

「スサノオ伝説がインドにあるって話ですが・・・」

「ええ、そうですが・・・」

 坂本はビールをちびりちびりやっている。

「インドのスサノオと、日本のスサノオとは同一人物なんでしょうかな」

「それは、違うでしょう」

 坂本は肉よりも豆腐の方が好きだ。ふうふうやりながら答える。


 失われたユダヤの10支族がインドにやって来る。

 インドは今も昔も厳しい環境にある。何十万という人間が永住するには相応しくない地域なのだ。数年から数十年足らずでシルクロードを通って、蒙古方面に旅立つことになる。もっとも彼らがインドに与えた影響は大きい。

 民族の大移動だ。ある地域からある地域へ移動するのに、何十年、あるいは百年単位の時間が必要だろう。当然、スサノオは1人の人間ではない。

 牛頭天王と異名を持つスサノオは、バアル神とユダヤの民を結ぶ神官のような存在であったらしい。

 モーゼのような、政治的な指導者でもあったし、民族を率いる支配者でもあった。

ある地域に辿り着くと、そこに何年、あるいは何十年と居座ることになる。その地域の風俗、環境にも影響される。代も代わる。先祖の面影は伝説、あるいは神話の彼方へと薄れていく。

 蒙古、中国、朝鮮半島へと、何百年もの歳月をかけて移動するうちに、バアル神は牛頭天王へと変化する。

 民族の支配者、スサノオは実力のある者が成る。見知らぬ土地を移動するという厳しい環境の中、実力のある者がスサノオとして名を成していく。

 スサノオの父フツがスサノオという言い伝えはない。スサノオが死ぬと、次のスサノオが部族の中から選ばれる。

 日本に到着して、スサノオは最後のスサノオで終わる。後を継いだニギハヤヒは父スサノオより偉大であったが、ついにはスサノオにはならなかった。

 出雲の地から九州、本州と日本を支配したユダヤ10支族にとって、スサノオの存在は必要ではなかった。この日本の地こそ、バアル神=牛頭天王から与えられた安住の地であったからだ。

 この島国の周囲にはもはや脅威となる敵はいない。スサノオ亡き後、ニギハヤヒは父スサノオの威を借りる必要もなくなった。1人のニギハヤヒとして、日本の支配者にのし上がるだけの実力を備えていた。


 「太一郎さん、面白いお話、ご苦労様でした」珠江が坂本をねぎらう。

「でもね」と1つだけ不満を漏らす。

「何でしょうか」坂本は珠江のご機嫌をとり結ぶように言う。

「磯部家の財宝は、今日のところは判らずじまいね」

「そうでもないですよ」坂本は珠江を安心させる。

「えっ、本当!」

「ええ、幾つかヒントになる事かあるんですよ」

 坂本は酔った顔で答える。

 バアル教は牛頭天王伝説として日本の風習に取り入れられている。特に伊勢地方に多いと聞く。

 次に日本中の神社の内8割以上がスサノオ系の神を祀っている。今も昔も、神社は変化を好まない。昔のままの姿を保とうとしている。その根源をさかのぼると、出エジプトのバアル教に辿り着く。

 伊勢の地のどこかにソロモンの財宝を埋めたとするなら、大昔の先祖の行動様式に従おうとすると考えても不思議ではない。

「で、その行動様式とは?」と吉岡刑事。

「それはこれからの課題ですね」

 坂本をはぶく3人は顔を見合わせる。

珠江と岸田は財宝探し、吉岡刑事は犯人捜し、目的が違うものの、伊勢の地のどこかに磯部家の財宝があると判別すれば、犯人は必ず現れる。それを期待するしかないのだ。

「次回は日本におけるスサノオとその子供達の活躍をお話します」

 坂本はビールをぐっとひっかけて、喉を潤す。


                  向井純


 平成9年の3月も終わる。

 1週間に一回開く予定の古代史研究会も延々となっている。4月からの消費税アップのための、駆け込み需要のお陰で、坂本住宅も寸暇を惜しむほどに忙しい。

 磯部邸でじっくりと古代史の下調べをする程の余裕がなくなっている。珠江にはその所を了解してもらっている。

 4月に入り、駆け込み需要で潤った坂本住宅も、バッタリとお客の反応が途絶える。

 駆け込み需要の反動だから、当分の間は仕方あるまいと腹をくくってはいた。それが月を追うごとに景気の悪化に拍車がかかってくる。証券会社や銀行などの大企業の倒産へとつながっていく。

 1年後に坂本住宅の命運を左右しかねない程の深刻な不況のただ中に陥るとは、その頃の坂本太一郎は、予想だにしていなかった。

 駆け込み需要も過ぎて、坂本は一息ついていた時だった。次の休日には古代史研究会を開く旨を珠江たちに伝えたところだった。今回はスサノオの日本における活躍ぶりを調べる事になると、頭の中で構想をめぐらした。

 坂本住宅は女子事務員と、従兄弟の現場監督と、営業担当の30歳の男子で構成されている。

現在1万平方メートルの面積の宅地造成を役所に申請している。8月頃にはその認可も降りてくる見通し。土地代と工事費を含めて約4億円。坂本住宅の命運を賭けた大工事となる。

 場所は、ユニー常滑店から南へ5百メートル程行った丘陵地帯。山を削り落とすために、土砂の運搬代が6割を占める。工事をやらせてほしいと、すでに大手ゼネコンが3社入り込んでいる。

 その宅地造成地は常滑市社辺こそべという地名だ。言い伝えによると、社辺の社とは、去年坂本住宅が宅地造成を行った常滑市古社にある、フルのお社の事だという。その宅地造成の北西の場所に、2百坪程の公園がある。その角に小さな祠がある。昔この一帯が古のお社の境内地だったと聞いている。

 社辺と常石神社の間に20メートル幅の国道が走っている。国道が出来る前は社辺と常石神社は1つの山で結ばれていた。

 昨年は古のお社の境内地を宅地造成をして、今度はまた、古のお社と関係の深い社辺の宅地造成を行おうとしている。坂本は、古のお社とは縁があるのかもと考えたりする。


 4月上旬の爽やかな日本晴れの日、朝9時頃、1人の男が坂本住宅を訪れる。

背が高く、髪を七・三に分け眼鏡をかけている。ダブルのスーツに身を固め、青系統のネクタイを締めている。

 男は事務所に入ってくるなり、「坂本さん、お久しゅうございます」親し気に挨拶する。取りようによってはなれなれしい。

 坂本住宅は3階建ての鉄筋で、2階3階部分は貸している。1階の事務所だけで30坪ある。奥に4人分の事務机を並べて、応接室とはカウンターで仕切っている。人数の割には広いので事務所の中はガランとした雰囲気だ。

 男は名刺を差し出す。

――アサヒスタンダード株式会社名古屋支店、課長代理、向井純――

向井? どこかで聞いたような・・・。坂本は男の顔をしげしげと見つめる。立ち話では失礼と思い、

「まあ、どうぞ、お座りください」応接用のソファーに座るようにすすめる。

 アサヒスタンダードは全国に支店を持つ住宅機器メーカーである。今、景気が思わしくないためか、大手メーカー直々の売り込みが毎日のように行われている。坂本住宅のような小さな建売屋にも、この手のセールスマンが頻繁にやってくる。一昔前は考えられなかった事だ。

 昔はメーカーの代理店が商品の売り込みにやってくる。流し台やフロ桶、洗面化粧台などは現場に持って来るだけだった。それらの添え付けは左官さんや設備屋さんがやったいた。

 今――メーカーは代理店を排除して、直に売り込みにやってくる。現場に商品を置いていくだけではない。メーカーの職人がやってきて、据え付けまでやっていく。

 メーカーだけではない。大工さんたちもやってきては、仕事をくれないかと頭を下げる。

 なかには縁故を頼ってくる業者もいる。1年前、中学の同級生だと名乗って、横柄な態度で事務所に入ってくる者もいた。当の本人としては、親しい仲という気持ちで来ているのであろうが、坂本はビジネスと個人的な付き合いは別と割切っている。ていよくあしらってお引き取り願っている。


 向井という名前に、どこかで聞いたような、そんな記憶があったが、相手のなれなれしい態度に、少し反発する。男はネクタイの曲がりを気にして、ネクタイを締め直す。坂本の表情を読み取ったようだ。

 一歩身を退くようにして、姿勢を正す。

「観音教会って、御存じありません?。もう20年ぐらい昔になりますが・・・」

 向井は金縁の眼鏡の奥から坂本を伺う。

「それに、超宗教心理研究所・・・」

「あっ!」坂本喉の奥で小さな叫びをあげる。

「あなた、あの時の向井さん・・・」

「すみません、突然お邪魔しまして、あまりにも懐かしいものでしたから、つい、なれなれしく・・・」

 向井の面長の顔が破顔する。

 久し振りにしても、向井には昔の面影はない。

 当時大学生だった向井は、責任感が強く、律儀な性格だった。”超能力”を得ようと、滝行にも断食にも精を出していた。探求心も人一倍強く、宗教や神秘思想の造詣も深かった。坂本が、一般の本屋さんでは購入できない神秘思想の本を手に入れる事が出来たのも向井のお陰だと言っても過言ではない。

 あの頃の彼は眼鏡をかけていなかった。寡黙だったし、坂本の方が質問しない限り、向井の方から発言する事はなかった。表情にも、思いつめたような、どことなく暗いものがあった。

 見方によっては、近寄りがたい存在でもあった。坂本とは妙にウマが合った。彼が大学を卒業し、東京に帰る日まで、付き合いは続いた。話の内容は専ら宗教や神秘思想、彼の得意とする”超能力”の事ばかりだった。


 「あなたが、あの時の向井さん・・・」坂本は改めて、向井を凝視する。

「昔の面影がなくて、全然判りませんでしたわ」

 坂本は心の内を正直に吐露する。

 向井は輝くような表情で、

「坂本さんは昔とはちっとも変りませんね。始めてみた時、ああ、坂本さんだって、懐かしい思いがこみ上げてきました」またなれなれしい口調に変わる。

 事務の女の子がお茶を運んでくる。

「向井さん、時間の方は?」他に用事はないのかと、坂本は時計を見ながら尋ねる。向井は別にと言って、時間はたっぷりあると答える。

「コーヒーでも付き合いませんか」坂本は言いながら、「ちょっと、喫茶店に行ってくるから、用があったら、携帯入れてね」事務員に言って、向井を連れ立って外に出る。


 坂本住宅の東側に8メートルの県道がある。それを百メートル程南に行くと、道路幅16メートルの県道に突き当たる。その右手角に印刷屋がある。

 県道を右に曲がる。5百メートル行くと、右手に大きな駐車場を控えたパチンコ店がある。平日でも多くの車が駐車してある。そこから道は下り坂となる。3百メートル程行くと、道幅4車線の国道に出る。その左角の喫茶店に入る。

 コーヒーを飲みながら、坂本は向井の現在に至るまでの経過を尋ねる。

 坂本と別れた時、向井は22か23だった筈だ。現在41歳という。名古屋の会社の社宅に妻と2人も子供の4人暮らしという。

「東京の自宅では装飾の仕事をしていたとか」

 坂本の問いに向井は笑いながら頭をかく。装飾と言ってしまえば聞こえは良いが、一言でいえばクロス屋だ。壁紙を貼る仕事をしている。

「まだ学生の頃・・・」向井は言う。

 家の仕事がクロス屋というのが嫌で仕方がなかった。家の中にいても接着材の臭いがきつくて、辛くて仕方がなかった。だから親に無理を言って、名古屋の大学に入れてもらった。

 大学を卒業後、いったん東京へ帰る。両親はこの仕事は自分だけでお仕舞いにする。お前は好きな道を進めと言われた。

 向井は両親に感謝して、ツテを求めて、アサヒスタンダードに入った。38歳になるまで本社勤めであった。

 昨年から、会社でもリストラや事業の縮小が行われている。3年前から全国の支店、営業所に転属され、家族を連れて、ジプシーのような生活をしていると笑う。

 今年に2月に名古屋支店に配属される。主に南部の知多半島の工務店や建設会社への売り込みにあたっている。常滑沖に飛行場が出来るので、需要増加を見込んで、30人の営業社員が一丸となって取り組んでいる。

 当分の間はここにいるようにと言われている。

「よろしくお付き合いのほどを・・・」

 向井は巧みにビジネスの話に持っていく。

「名古屋に来る前はどこに?」坂本は何気なく聞いてみる。

「松阪です。伊勢から四日市市までを営業範囲としていますから」

 坂本はビジネスの話に切り替えようとする向井の出鼻を制する。

「ところで、あちらの方は?」

「あちら?」

「ほら、超宗教心理研究所・・・」

「妻を貰ってから、ずるずると、開店休業のような有様で、、、」

 本だけは昔と変わらず読んでいるという。

「じゃ、今は無宗教」

 坂本に無宗教という言い方がおかしかったのか、向井は隣席の客が振り向くほどの声で笑う。坂本の自分の言い方がおかしいと気付いて、つられて笑いだす。

「松阪支店は、一番長くいました。約1年でしょうか」

 その間に、信者数30名にも満たないが、古神道を教義とする、アラタマ教団に入っているという。

「アラタマ・・・」荒御魂というのが正式のようです。略してアラタマ」

「荒御魂というのは?」

 向井は静かな口調で語る。その時の坂本を見つめる表情は20年前の向井を髣髴させる。

 神道の神々には荒魂と和魂にぎたまの2つの側面を持つとされている。

 荒魂は神の持つ荒ぶる側面、怒りの面。

 神のたたりは、血生臭い争いを起こしたり、大地異変を起こしたりして、人間に畏怖の念を生じせしめる。

神の荒魂を鎮める為に古来より、供儀を行い、供物を神に捧げたりしている。

 一方、和魂は神々の愛情に満つ面を言う。

 人々は神々の和魂に仕え、幸福を祈願する。

 和魂は幸魂と奇魂つくしたまの2つに分類される。運によって幸を与えるのが幸魂。神々の奇跡を直接に受けるのが奇魂。この奇魂が超能力になる。

「ただ、ですね}向井は真摯な表情で言葉を一段低くする。

 アラタマ教団では、荒魂はスサノオと見ている。教祖の荒石あらいそ道斉は、スサノオの生まれ変わりと教えている。教祖自身がそのように吹き込んでいるのだ。

 彼は戦後の大本教に関係している。戦前、大本教は官憲によって徹底的に破壊し尽くされている。

 当時若年だった彼は、大本を離れた一派と行動を共にして、禊や滝行に精を出してきたという。信者らしい信者も持たず、教団も作らず、ひたすら修行に邁進。

 時代が昭和から平成になったころに、アラタマ教団を設立。彼を慕って集まる信者を中心に禊や滝行を行っている。

 向井がこの教団に入ったきっかけは、アサヒスタンダード松阪支店の、新入社員の1人が信者だった事だ。彼は伊勢から出向してくるが、1週間に一回、それも早朝に、多気郡明和町にある本部道場で禊をするという。明るくて、ハキハキとした好青年で、一杯やる機会があり、宗教的な修行に興味のある向井は入信して一ヵ月に1回は禊を行っている。

「で、その教団の布教活動などは・・・」

 明和町と聞いて、坂本は殺された磯部幸一の住所が同じ地区だったのを思い出す。

「教祖は信者を増やせと煽っているんですがね」

 向井は人ごとのように言う。彼は禊に興味があって入信しただけで、それ以上の事は、教団から一線を引いている。

「何せ、観音教会で懲りてますから」

 彼はカラカラと笑う。そこには、若い頃のひたむきな向井の表情はない。甘いも辛いもかみ分けた中年の、醒めた表情が剥き出しになっている。


                   アラタマ教団


 向井の話を聞き終わると、今度は坂本の番になる。超宗教心理研究所を離れてからの経緯を話す。ただし、磯部作次郎と磯部幸一殺害や紫水晶については伏せる。

「坂本さん、どうです。禊、やってみませんか」

 向井は坂本に誘いをかける。健康のためには良いし、体力精力ともに漲ってくると強調する。

教祖の荒石はとっくに還暦を過ぎているのに、頑強な体力と精神力を誇示している。

 禊の後、彼の講話がある。スサノオの生まれ変わりと自負するだけあって、話の内容は古代の日本史に関するものが多い。もっとも正規の歴史というよりも、宗教的な観点から見た歴史観と言った方が適切だ。

 向井の勧めで、坂本は行ってみようかという気持ちになる。禊はともかくとして、今、珠江たちと進めている古代史の研究に役立つかも知れないと考えたのだ。


 2日後の日曜日、坂本は早朝4時半に起床する。朝食も摂らずに、薄暗い中、家を飛び出す。肌寒さも、車に乗ってしまえば関係なくなる。

 名古屋のアサヒスタンダードの社宅に向かう。向井を乗せて一路、明和町へ車を走らす。早朝なので、道路は空いている。

 禊は6時半からだという。10分ぐらい前に到着したい。向井は名古屋から明和町まで2時間少々で行けるという。坂本はまさかと思ったが、道路はほとんど車が走っていないのを知り、松坂市内もバイパスを走っている事で15分ぐらいで通過してしまう。

 伊勢街道のバイパスを走る。松阪から明和町への旧街道を走らずにすむ。平均時速50キロ。向井の言う通り、明和町へは2時間で到着する。日中では3時間はかかる。

「どうですか、よく眠れましたか」

 道中、向井が面長の顔に笑みを浮かべる。

 坂本は日が昇る前に起きた事はまずない。生活が夜型なので、就寝はいつも12時近く。起床も8時ぐらい。朝食は、隣の借家のおばさんが作ってくれる。借家賃を値引きして、その分、朝食と夕食をお願いしている。

「いやあ、今朝、頭から水を浴びると思うとね、興奮して寝付かれなくてねえ」

 ウトウトしている内に、目覚まし時計に起こされる。眠いがじっと我慢である。

 アラタマ教団の事をあれこれと尋ねながら、程なく目的地に到着。

 後で地図で調べて判った事だが、アラタマ教団は明和町の南の外れにある。磯部幸一の住所も明和町北野、明和町の北の外れにある。

 そういえばと、坂本は地図に目を凝らす。磯部土建の現場監督岸田洋も明和町の出だが、偶然の一致なのだろうか、実に明和町に縁があるのに驚く。

 1つ訝しく思ったのは明和町にある斎宮の跡が明和町の東の外れににある事だ。

 内宮と深い関係があるなら、内宮の近くにあってもよさそうなのだがと考えてしまう。ここから内宮まで、今ならバイパスを通っていけば車で30分位だが、古代なら4時間か5時間ぐらい、あるいはもっとかかった筈なのだ。

 坂本のクラウンは、久居市の嬉野町小津から伊勢市へのバイパスに乗る。国道23号線である。笹笛川を通り越してすぐに信号にぶつかる。その角地に畳6枚分はあろうかと思う程の大きな看板がある。伊勢カントリークラブとあり、矢印が右側の方向に向かっている。

「この看板が目印でしてね」向井の言葉に坂本は右折する。8メートル幅の県道を3キロ程行くと、近鉄、名古屋本線の踏切に突き当たる。それを超えてなおも行くと、鳥羽,松阪線、通称伊勢街道に出る。先ほど小津から枝分かれした道路だと向井は説明する。その道をつき切る。伊勢カントリークラブの矢印の方向へクラウンを走らす。

 伊勢カントリークラブの手前の道を右折する。道路は畦道にアスファルト舗装しただけの幅3メートルにも満たない。前方から対向車が来ないのを確かめて進入する。

 その道の周囲の右側は田、左側は林になっている。細い道をつき切ると、幅5メートルの道路に出る。左側を見ると、伊勢カントリークラブの入り口と、明和温泉の大きなビルが建っている。

 クラウンは右折して百メートル程進む。

 区画整理の団地の中に入る。1区画の土地の面積は百坪はあろうか。比較的大きな団地にもかかわらず,住宅はまばらにあるだけ。団地の奥に入る。

 3百坪の敷地に、40坪程の建物が建っている。駐車場に車を乗り入れる。建物は平屋の切妻の、どこにでもある民家だ。

 アラタマ教団の建物としては貧弱、というのが坂本の第一印象である。玄関は引き戸で、門の角に、アラタマ教団の看板があるのみ。これがなければ一般の民家と変わりがない。

「初めての方はびっくりされるんです」車を降りながら向井は笑う。

「日本でも有数のミニ教団ですから」

 有数という言い方に、坂本も思わず笑ってしまう。宗教の質は、信者の数の量や建物の大きさには比例しない。

 宗教は、組織が大きくなればなるほど、その質は低下していく、というのが坂本や向井の持論なのだ。ましてや立派な建物を自慢する宗教団体など、坂本には興味がない。

 向井は威勢よく玄関の引き戸を開ける。坂本にどうぞ中へと促す。家の中は普通の住宅だ。

玄関を入ったホールの右が応接兼台所、左が和室で8帖が田の字型になっている。奥の和室の床の間に、神棚がある。幅2間、奥行き3尺に、桧の匂いもかぐわしい大社造りの社殿のミニチュアが祀ってある。それを見て初めて宗教的な雰囲気が感じられる。

 部屋にはすでに10人程の信者が集まっている。年配者が2人、残りは学生や若い学生やサラリーマン風の男性、坂本たちが部屋に入ると、すぐにも玄関の引き戸が開く。

「失礼します」若い女の声である。2人の女が入ってくる。向井や他の信者とは顔なじみなのだろう。お互いにこやかに挨拶を交わしている。

 6時半、教祖の荒石道斉らしき男が、白衣の装束で入ってくる。頭が禿げ上がり、大きな眼が威圧するように、信者達を眺めまわす。圧倒するような体格である。

「これで全員ね」女のような柔らかい口調で言うと、目元が和む。

「先生」向井は教祖に坂本を紹介する。

「あなたが坂本さん?、向井さんから聞いています」

 教祖は正座をしながら深々と頭を下げる。坂本もぎこちなく頭を下げる。

 坂本を入れて14名、内女性2名。

「それでは始めますか」教祖は神棚の方へ向き直る。信者たちはその後ろに並ぶ。

 神棚に深々と2回頭を下げる。柏手を4回打つ。また2拝する。

「向井さん、坂本さんに教えてやってね」教祖の荒石は、裏庭の禊斉場へ信者を促す。坂本も連れられて、裏庭の方へ行く。男女別々の更衣室がある。銭湯にある様な棚が並んでいる。そこに衣服を脱いで収める。

「これを使って下さい」言われて手にしたのが白褌と鉢巻である。

 大柄な向井は筋肉隆々として歳よりも若く見える。坂本はお腹が出っ張り、運動不足で筋肉がたるんでいる。

「坂本さん、少しは運動しないと」向井が笑う。

 2人の年配の男も引き締まった体をしている。栄養多過で肥満気味なのは坂本だけだ。

「眼鏡は邪魔になりますので」向井が注意する。坂本はど近眼で、眼鏡を外すと、景色がぼんやりとする。それでも言われるままに眼鏡を外す。

 更衣室を出て、裏庭に降りる。20坪の敷地の真ん中に、畳3枚分ほどの長方形の囲いがある。ちょっとした池という感じで、囲いは石で出来ている。中に満々と水がはってある。床の底から水が湧き出ている。溢れた水が囲いからあふれ出ようとしている。地面はコンクリートである。裸足で触れると、ひんやりとした感触が伝わってくる。周囲は高さ2メートルの板で囲ってある。外から見られないようにしてある。

 春とは言え、早朝である。裸で立っているだけでも寒くなってくる。囲いの中の水が溢れ出て、コンクリートの床にあふれ出す。足に濡れる。その冷たさに思わず鳥肌が立つ。

「坂本さん、こうしてください」

 向井は両の手の掌を合わせ、両手の親指を交差させる。その姿勢で腕を激しく上下させる。坂本も真似する。やってみると、身体の芯から暖かくなる。

 そのうちに、女が2人入ってくる。白の半襦袢で丈は膝頭まである。後ろに束ねた髪に、白い鉢巻がきりりとしている。清楚な感じだが、どことなく艶めかしい。

「やあ、待たせましたなあ」褌姿の教祖がコンクリートの土間に降りてくる。

「では始めましょうか」


 総勢16名が、プールのような石の囲いの周囲に集まる。合わせた両手を上下に振る。教祖が朗々たる声で祓詞を唱える。

――掛けまくも畏く、伊邪那岐大神、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に・・・――

 全員が和する。坂本は判らないままに、皆の後に続く。足を開いて踏ん張り、両手を激しく上下させながら、寒いので精一杯の声を張り上げる。

 祓詞が終わると、水に対して1拝1拍手する。次に4拍手して、生魂、足魂、玉留魂と大声で唱えて、また4拍手。

 次に鳥船行事に入る。左足を斜左前に踏み出し、両手を軽く握り、エイ、エイと船を漕ぐ動作に入る。

今度は右足を斜右前に踏み出す。両手を軽く握りエイホ、エイホの掛け声を繰り返す。次に左足を斜めに踏み出して、両手をエッサ、エッサの掛け声で櫓を漕ぐ真似をする。最後に教祖の声と共に、「アラミタマ」を連唱する。

 囲いの上にある手桶を取って水をくむ。左右左と手を清める。続いて2回口を灌ぐ。

 続いて、足首、膝、、股の順に左右左と各3杯づつ、手桶の水をかける。

 次に、床に腰を降ろす。左方に5杯、右肩に10杯。左肩に5杯の水をかける。

ここまでくると寒いとか冷たいとか言う感覚がなくなってくる。どうとでもなれ、やけっぱちな気持ちで水をぶっかけていく。

「最後頭!」教祖の声が飛ぶ。

 後頭部めがけて、手桶の水10杯を、叩きつけるように被る。次に顔を洗い、下を3回洗って清める。腰を上げて、手を左右左と清める。

 それで終わりかと思うと、神文を和する。

――顕幽表裏 三霊魂神 神人万有・・・――

同時に両手を差し上げ、深呼吸する。頭上で組み左右に振りながら下げていく。 

 続いて、四拍手して、生魂、足魂、玉留魂と唱えながら1拝して終わる。


 この間、約30分、難事業をやり終えた後の爽快感が全身に漲っている。寒さは感じられない。

「どうでしたか?」向井が尋ねる。

「いやあ、初めはどうなる事か緊張したが、爽快な気分ですなあ」

 更衣室に入り、タオルで体を拭きながら、正直な感想を漏らす。

「これで終わりではありませんので」向井は笑いながら、白装束と白袴を坂本に手渡す。

「私のを見ながら、ご自分で付けてください」言われて、着用して、様になる。

 14名一同が神棚の前に着座する。5分位して、教祖がこれも同じ同じ格好で、皆の前に着座する。

 坂本が閉口したのはこの後の事だった。”みそぎ”など序の口でしかない事を思い知らされる。

 神拝詞を手渡される。

 神棚に向かって4拝4拍手、禊の時に唱えた祓詞を合唱、次に大祓詞、日拝の祝詞、神拝詞と続く。10分くらいで終わるのかと思っていたら、20分、30分と続く。少々太り気味の坂本は10分の正座も苦しい。足が痛くなり、早くも痺れに襲われる。足をもじもじさせる。正座を崩して時間を稼ぐ。

「次に神道教鑑の項を」教祖はチラリと後ろを見て言う。

 30分が過ぎ40分になる。余りの苦しさに、坂本の額から脂汗が滲み出る。それでもまだ終わらない。1時間後ようやく祝詞が終わる。

 4拝3拍手して、教祖は後ろに向き直る。

「足の痛い人は正座を崩しても構いません」

 坂本はすぐにも足を投げ出す。周りを見ると、皆正座になれているのか、足を崩す者は少ない。3~4人が膝を崩すのみ。坂本がびっくりしたのは教祖だ。

 彼は巨体の持ち主。どう見ても坂本より太っている。その彼が、ちょっと失礼と言って、立ち上がる。一旦奥の部屋に消える。すぐにも「どうもどうも」言いながら元の位置に正座する。

 1時間の正座である。普通の人なら、足が痺れて立ち上がれない。この人の足、どうなっているの?

坂本は眼を剥いて教祖を見詰めるのみ。

 説法が始まる。約1時間、さすがに正座がきついのか男はほぼ全員、胡坐を組む。2人の女は膝を崩して片方の手で畳をついて、身体を支える。

 荒石教祖は正座のまま、優しい口調で喋り続ける。話の内容は人生訓話のようなものばかりで、坂本にとって刺激になるものは何も無い。スサノオの生まれ変わりと言うからには、それらしき話でも出るのかと期待していた。

 人生訓話は30分で終わる。次に信者の質問に答える。若い信者の関心は滝行や禊などの修行で、これと似た事を家庭で行うにはどうしたらよいのかとの質問も飛び出す。信者の質問も終わったころ、坂本は思い切って手を上げた。

「教祖さんは、スサノオの生まれ変わりとか」

 皆の眼が坂本に注がれる。荒石教祖の海坊主の頭が坂本に向く。どんぐり眼で見下す。

「そんな事、誰が言ったんですか」教祖はよく通る声で言う。

坂本が口を開こうとした時、

「私、そういう風に聞いていますが・・・」向井が口を切る。

「私達もそう聞いていますよ」若い女性2人も異口同音に答える。

「ねえ、皆さん、そうでしょう」周りに賛同を求める。皆の顔に肯定の色が浮かぶ。

 教師は戸惑った表情になる。

「わし、そんな事言った覚えはないがな」

「じゃ、誰が・・・」という事になる。

「それはそれとしてですね」坂本は少し騒がしくなった室内の空気を制する。

「スサノオ、ニギハヤヒについて、ご存知の事、説教をお願いしたいが・・・」

 荒石教祖は驚きの声をあげる。


 一般に、スサノオについては、アマテラスの弟として知られている。乱暴者としてのイメージが強く、馴染みの薄い英雄となっている。

「詳しくは、後日、話をする機会もあるでしょう」教祖は周囲を見回す。

 スサノオはアマテラスの弟では断じてない。むしろアマテラスはスサノオの現地妻であると強調する。

 スサノオ、ニギハヤヒこそ、古代日本の最大の英雄であり、偉大な神でもある。

その証拠として、日本全国に無数にある神社の内、8割近くがスサノオやニギハヤヒを祀っている。アマテラスに限っては1割にも満たない。

 今でこそ、伊勢内宮のアマテラス大神は女性となっているが、本来は男性で、その姿はニギハヤヒである。今でも内宮ではアマテラス大神に衣服を奉斎する神事として、男物の衣装であると言われている。

 坂本はいちいち頷いて拝聴するが、別に驚きはしない。磯部作次郎の資料から、その事は判明しているからだ。


 11時にアラタマ教団を出る。向井は禊の感想を尋ねる。坂本は思っていたより楽だと答える。問題はその後の1時間余の正座である。ほとんど正座した事のない坂本には地獄の苦しみだった。

「またの機会はどうですか」向井は面長の顔をほころばせる。

「そうねえ・・・」坂本は良いとも悪いとも答えなかった。


                 磯部邸


 平成9年5月上旬、磯部邸にて、これからがスサノオの日本での活躍を披露する事になる。出席者は磯部珠江、岸田洋、吉岡刑事、坂本太一郎、

 午前10時、1同が揃う。

 磯部邸の南側に幅6メートルの道が東西に走っている。丁度磯部邸の所で南に曲がっている。その東の角地は桜の樹が鈴なりに並んでいる。花も散って少し寂しい景色だが、その東側の小高い丘にかけて、瑞々しい青が拡がっている。

 今日は和室から庭や外の景色を眺めながらの講釈になる。

「まず緑茶を召し上がれ」磯部珠江が抹茶と和菓子を運んでくる。数種類の抹茶茶碗が並ぶ。これが陶芸作家の誰々、これが誰と見せる。

「これいかほどするんですかな」吉岡刑事が夏物のスーツに、青のネクタイを締めている。若々しい顔に似ず質問が現実的である。

「これが10万円、これが15万円・・・」珠江の言葉に、ほうと溜息をもらす。

「じゃ、これは」取り上げたのが、白の釉薬のかかった底の平べたい茶碗である。

「刑事さんならおいくらで買います?」

 珠江はいたずらぽっく言う。白い顔が童顔のように輝いている。大きな眼が細くなる。彼女は青のダブルカバーの半袖姿にTシャツのいでたちである。

 吉岡刑事は周りの名のある陶芸作家の物と見比べる。

「まあ、10万円ってとこでしょうかな」

「あら、嬉しいわ、それ私がロクロでひいた物なんですのよ」

「やっ、奥さんの作ですか、こりゃまいった。しかしうまいもんですなあ」しきりに褒める。

 微笑ましい2人の光景を眺めながら、坂本は何気なく口を切る。

「私、先日、明和町に行きましてね」

 アラタマ教団の事を話す。禊の事、祝詞、1時間の正座で地獄のような苦しみを味わった事、和やかな雰囲気を盛り上げるつもりの発言だった。

吉岡刑事は、ほうそれはそれはと、坂本の口調に合わせる。

「アラタマ教団ですか」ほとんど口をきかない岸田が訝しそうに声を出す。

「ご存知で・・・」坂本の問いに、

「いえ、明和町と聞いたもんで・・・」岸田はそれきり口を閉ざす。


                 スサノオ


 坂本の講義が始まる。

 朝鮮半島から出雲の地にやってきたスサノオ一行は数万という数にのぼる。当時の渡航技術からして、数百人が精一杯だった筈で、何十回と渡航が繰り返されたと見るのが妥当だ。

 最初に上陸した一行は、後続の為に、目印を残す。それが後の神社になる。

 後年スサノオとなるフツシは西暦122年頃に出雲の国沼田郷で生まれる。現在の島根県平田市平田町である。平田町には宇美神社がある。スサノオが生まれた所で、子供を産むというので宇美というが、一節には海を見下ろす場所、言い換えれば、朝鮮半島から出雲にやってくる仲間の目印になるための神社であるともいう。

 宇美神社にはスサノオの父のフツ(布都御魂)が祀られている。現代はそれに熊野三神が合祀されているが、これは後小松天皇の応永年間に合祀したと記録されている。それ以前はフツだけが祀られていた。

 布都御魂は日本最古の神宮、奈良天理市の石上いそのかみ神宮に祀られている。ここは第10代の崇神天皇が、時の宰相伊香色雄尊に命じて創建している。物部氏の宗廟で、当時日本で唯一の神宮である。ちなみに伊勢神宮は後に出来ている。

 ここには、

 布都御魂

 布都斯御魂(饒速日)

 宇摩志麻治尊(饒速日の長男)

の4代が祀られている。ここの神庫にはヤマタノオロチを斬った剣が国宝として収められている。


 朝鮮半島からからスサノオ一族が陸続してやってきたとしても、出雲では新参者であり、勢力としては微力だった。フツシ(後のスサノオ)が20歳位の時、島根県大原郡木沢町に住んでいた、当時出雲第一の豪族ヤマタノオロチとの事件が起こる。これは本名かどうか異論があるところだが、昔、出雲地方から、熊鰐とか荒海とかの人名が見つかっている。相手を威嚇するような名前からして、ヤマタノオロチも案外本名と思われる。

 ヤマタノオㇿチは、その東の大東町清田せいたに鉄の鉱山を持った大豪族だった。この清田には、鉱山に必ず祀る”金山彦”を祀った西利太神社がある。ここから斐伊川に注ぐ支流を、鉄のサビで赤かったと伝えられている。今でも赤川という。


 美女に目のないヤマタノオロチは評判の美女を集めていた。その中に稲田姫がいた。彼女の出生地は斐伊川の上流の仁多郡横田町。ここには稲田姫を祀った稲田神社がある。稲田姫産湯地と称する池も現存する。

 ここに、後年スサノオと稲田姫との間に生まれた第2子の五十猛尊が住んでいる。

 稲田姫がヤマタノオロチの本拠地木次に連れていかれたと聞いたスサノオは、夜襲をかけて、稲田姫を奪い返しす。この時に使用した刀が、十束の剣である。

 後年ヤマタノオロチを斃した木次にスサノオ、稲田姫を祀った斐伊神社が出来る。延喜の時、ここは国幣小社となる。日本の幕開けの場所として有名だった証左である。

 稲田姫を奪ったスサノオは父のいる沼田には行かなかった。ヤマタノオロチ一族の追い打ちを逃れるために、現在の八重垣神社に匿っている。

 2人が居を構えた場所が、現在の大原町須賀にある。

”須賀神社”である。

 須佐之男尊

 奇稲田姫

 清之湯山主三名狭漏彦八島之尊(素佐之男の長男)

 (合祀)武御名方尊(大国主と須世理姫の3男)

の4人祀られている。

 スサノオがここに一家を構えたのは、清田(西利太)の製鉄場に近い事、平野ではないから、攻撃を受けても防ぐことが出来る事、後ろに八雲山(三室山又は須我山)を控えている。背後をつかれる心配が少ない。

以上の条件があったと思われる。

 後年第5子の大歳(大和に居を構えた後は饒速日と名乗る)が、大和に乗り込んで、日本の最初の国王になった時、現在の大神神社のある三輪の地に住み、後ろの山を三室山と名付けている。故郷の山と同じ名前を付けた事は明らかである。


 スサノオは出雲制圧の後、出雲、隠岐を百八十八ヵ村に分けて、それぞれを部下に支配させる。

 稲田姫との間には8人の子をもうけている。その子たちが皆優れて、子孫が増えたというので、島根県鹿定郡津和野町にある、弥栄神社に祀られている。8という数字はもともと、多くという意味がある。八阪(坂)という名の神社が、現在至る所に祀られている。

 スサノオ35歳の頃に出雲や山陰地方では統領と仰がれた先祖の神”牛頭天王”スサノオの名に恥ずかしくない風貌をそなえていく。

 丁度その頃、西暦154年頃に九州では日霊女(天照大神)が生まれている。

 スサノオ40歳の頃、舟で北陸の越前、加賀、能登の辺りまで遠征、西は山口県まで足をのばしている。

 懸案の九州遠征は西暦173年頃、スサノオが50歳を過ぎた頃と考えられる。

それ以前にも、越前や、豊前の小倉地方には何度か遠征はしている。本格的に九州占領に乗り出したのは、第5子の大歳が20歳を過ぎた頃と考えられている。


 中国の梁書に「霊帝之光和(178-183)の時、倭国乱る」とある。

 当時の日本は、山陰の中海、宍道湖があるために、大陸の昌頓単干が作った大蒙古帝国から北満、北鮮、隠岐島、出雲というルートで、西欧まで通じる文化、経済の窓口が出来ていた。

 また、日向の国(後の日向、大隅、薩摩)は鹿児島湾、山川湾があるために、大陸の文化、経済が揚子江下流から通じていて、日向はその窓口になっている。

 丁度、出雲が現在の東京や横浜であるなら、日向は京都、大阪、神戸のような立地条件となっていた。

東京を支配して、京浜や、京阪神を抑えれば、日本の経済文化の基盤が抑えられるように、日向を支配すれば、大体において西日本を支配できるからである。

 ただし、文化、経済と鼎立して、食料が大きな比重を占める。日本一の大盆地大和に対しては、スサノオも重大な関心を抱いていた。

 出雲地方は寒冷地で、時には冷害で食糧が欠乏する事もあるが、九州、特に日向地方は温暖でよく米がとれた。また豊の国(豊前、豊後)は盆地が多く、当時の穀物地帯であった事、宮崎、佐土原、西都の地帯も穀倉地帯であった。

 以上のような条件が重なり、スサノオが九州制圧に乗り出したと考える。


 侵攻作戦の時、騎馬隊を率いたのは大歳であったと思われる。現在でも、豊前、豊後地方には、須佐之男の八坂神社に混じって、大歳神社がかなり多く点在している。

 後世、天智天皇が大津での遷都の時、比叡の麓に守護神として祀った日吉神社もこの大歳である。瓊瓊杵尊の5男が山城の国造となった時、山城鎮護の為に祀った賀茂別雷神社も大歳で、後世武将の本山とされた熊野本宮大社も大歳を神として祀っている。

 九州遠征が、大歳ニギハヤヒを武将としての名を高めた事は、想像に難くない。

 当時、日向の国だった現在の鹿児島県までの九州全土を制圧したのは、西暦177年頃で、スサノオが55歳、大歳が26歳の頃と思われる。

 魏志倭人伝に「其の国(九州地方)もと男子を以って王と為す)と記されている。その男子とはこの須佐之男とその後を継いだ養子の大国主を指す。この事は九州地方全域の町や村に須佐之男、大歳、大国主が多く祀られている事が証明している。

 また、須佐之男の次男、五十猛尊が、朝鮮から食べられる木の実をもって帰っている。それを妹の大屋津姫、狐津姫の2人が、筑紫の国からはじめて、全国に配って歩いたという記録がある。

 長崎県島原市 猛島神社(島原総社)

 佐賀県杵島群有明村 稲佐神社

 福岡県筑紫郡紫野町 筑紫神社

 鹿児島県国分市 朝国宇豆峯神社

 以上の社に各々祀られている。

「少し、休憩にしません?」

 磯部珠江の声に、坂本は我に還る。ほとんど棒読みに近い資料から、眼を上げる。

珠江は奥の台所に消える。坂本は一息ついて、肩の力を抜く。安楽座椅子にもたれかかる。

「疲れましたな」

 吉岡刑事は笑う。彼はいつの間にか、金縁の眼鏡に代えている。度の強い眼鏡である事には変わりはないが、何となくキザになった感じだ。

「いえいえ」坂本は首を振る。

「お疲れのところ、すみませんが、1つ質問してよろしいでしょうか」吉岡刑事は眼鏡をたくし上げる。ふさふさの髪に手をやる。

「古事記でしたかなあ。私らが教えられたスサノオとは、ずいぶん違うのに驚きました」

 吉岡刑事は感想を述べながら、スサノオと稲田姫との関係を質問する。

「私にもその辺の事はよく判りませんが・・・」と前置きして、磯部作次郎の説を述べる。

 フツシ=スサノオは出雲で生まれ育っている。稲田姫とは相思相愛の中だったと思われる。その相手がヤマタノオロチに連れていかれた。今でいう妾にされる。スサノオは居ても立ってもいられず、20歳そこそこの若者にありがちな短慮な気持ちもあった。おそらくは夜襲にかけたと思われる。

 スサノオの体にはインド、蒙古、朝鮮半島を経て、出雲にやってきた先祖の血が流れている。夜襲などはお手の物ではなかったのではないか。

 とにかく、この事でフツシの名は部族の中で高くなる。出雲の陸続とやってきた部族は、出雲最大の勢力、ヤマタノオロチの脅威をはぶけた。その功労者のフツシをスサノオとして、集結する事になる。

「面白い話ね・・・」コーヒーを運んできた珠江は、清清しい表情で言う。


 坂本は出雲におけるスサノオの活躍はこの際重要ではないと見ているので、簡単に済ませている。

「しかし、何ですなあ、話を聞いていると、新鮮というか、驚きですあ」

 吉岡刑事は、コーヒーに角砂糖を1つ落とす。スプーンで掻き回して、音を立てて飲む。

「驚くのはまだこれからですよ」

 坂本はいたずら小僧のように笑う。

「ほう・・・」

「伊勢の内宮の神様、天照大神、日霊女、実はスサノオの現地妻となるんです」

「まあ・・・」今度は珠江が頓狂な声を出す。そんなこと信じられ得ないと言った顔だ。

「信じる信じないは皆さんのご自由です。私は磯部の文献に基ずいて述べているだけでして」

 坂本はコーヒーを飲み終わると語り出す。


                 日霊女


 当時日霊女(天照大神)の住んでいた宮崎県まで侵攻したのは、須佐之男が55歳前後。日霊女が23歳頃と推察される。

 聡明な日霊女は、須佐之男と戦うよりも和を結ぶ方が得策と判断した。彼の率いる騎馬部隊の圧倒的な強さを見通す力を持っていた。

 須佐之男と出会う前に、日霊女は2人の男子に恵まれていた。。九州統治中、彼女は須佐之男の現地妻となる。彼との間に3人の女子を産んでいる。


 もともと出雲と日向とは気候的に差がありすぎる。出雲地方は民家のほとんどが、北西に高い生垣を設けて風よけにしている。そのほとんどは松である。松江という地名からして、この地方の土質には松が一番適している。

 この生垣風景は山陰地方でも特殊で、それだけ冬季には、日本海から吹き付ける寒風が強い事を物語っている。

 九州地方の日向(現在の宮崎県、鹿児島県の両県)が一番温暖地帯である。特に宮崎の方は暖流の関係で冬でも氷が張ることはほとんどない。

 須佐之男が九州の統治場所としての都を定めたのが、今の宮崎県西都市である。世にいう邪馬台国である。

 地理的に見て鹿児島の方は文化の窓口であっても、あまりにも不便であるし、平地も少ない。特に薩摩と今の熊本の火の国の間の山脈には、陸路がなかったと思われる。

 宮崎の方は国分平野から都城の方では道路はなく、霧島町、高原町、野尻町を通って国富町の方への道路が通じていた。

 以上のような地理的条件を考え、また気候も黒潮の関係で宮崎側の方が温暖であり、当時最も重要な食料、米の産額も、宮崎側の方が他と比較して2倍から3倍くらいは獲れたと推測する。

 そうなると日向国でも宮崎側に都を置くのが自然の成り行きとなる。

 それでは、宮崎側のどこに都を置くことになるか、地理的条件が考慮される。宮崎や佐土原、あるいは高鍋、川南、国富などは平地すぎて、敵に対する防御という点では無防備すぎる。

 最適地は今の西都市、その理由として、

 第一に、背後に山を控えている。

 第二に、ここを流れて海に入る一ツ瀬川がある。途中に船の上がりにくい瀬が一か所ある。当時は現在の我々が考えている以上に船の技術は発達している。あまりにも船便の良い場所は攻撃された時に防備できない危険がある。

 第三に、宮崎平野の北で、豊の国、ひいては出雲へ通じる北の陸路に近い。

 この西都の地の、日向政庁は九州全土の都である。

ここに、

 須佐之男時代    約10年

 大国主時代     約30年

 日霊女女王時代   約30年

 豊受姫時代     約50年

以上4代、約120年にわたって、九州全域の都として栄えている。

 現在、西都原を中心にして、付近の部落を合わせて、実に千数百個の古墳が密集している。当時の邪馬台国、西都の隆盛が偲ばれる。

 後に、日向の国庁を置いたのもここである。全国に国分寺を建立した時も、日向の国分寺は西都に建てている。出雲の国分寺が、出雲国庁跡近くに建立された事から見ても、須佐之男がここに都をおいたのは確実と考えられる。

 須佐之男が西都に都をおいた時から、日霊女はここに同居して、一生を終えている。須佐之男との関係は7年から8年くらい続いたと見える。2人の間には、多紀理姫(二穂津姫)、多岐津姫、狭依姫(市杵島)の3女が生まれている。


                  ニギハヤヒ


 九州を制圧した須佐之男は次男(第2子)の五十猛尊を朝鮮に派遣して、大陸進出の調査をさせている。

彼の頭の中には、先祖の故郷である大陸への進出があったものと思われる。

 当時の状況としては陸路は獣道のような人1人がどうにか通れる程の道しかなかった。

 出雲には相当の文化が入っていたのに、山陽地方にはそれがほとんど浸透していなかった。兵庫、岡山の瀬戸内海沿岸は、後年、大歳の饒速日が大和を統治するようになってから、大和の方から文化が流入するようになる。

 広島県、山口県は山地が多いので船は素通りして、かなり後まで文化が遅れて入っている。出雲から大和へは、下関経由で船便だったのは当然である。

 各地の風土記に道路の事が記されているが、その風土記自体が、その頃から5百年も後の後の、西暦7百年から8百年代に書かれたものである。

 当時は大和を制する者が日本を制すると考えられていた。日本一の大盆地、つまり日本一米のとれる大和平野の事は須佐之男も知っていた。こちらの方は第5子の大歳に任せている。

 須佐之男自身は五十猛尊と共に朝鮮半島を経て中国大陸への遠征を考えていた。先祖の故郷の地をこの目で確かめてみたいという郷愁の念もあったものと思われる。

 その夢も叶わず、須佐之男は64歳か65歳くらいで死んでいる。

 須佐之男は九州平定後間もなく、その占領政策の一端を大国主に手伝わせている。それと前後して、西暦182年頃、大歳30歳ぐらいの時に、大和制圧に乗り出す。

 大歳を饒速日と改名させ、大和へ送るについて、大和の王位継承の印として、十種の神宝を持たせている。

これは”天璽瑞神宝あまつしるしみずのかんだから”または”十種神宝とくさのかんだから”と呼ばれている。

 後に、神武天皇が九州から大和に養子に来た時、饒速日の死後、相続人である末娘イスケヨリ姫の代行政治をしていた長男の宇摩志麻治から後継の印として、この神宝を受けている。

 その後、皇位継承の印として、10代の崇神天皇までこれを受け継ぐことになる。当然の事ながら後の3種の神器は存在していない。

 十種の神宝とは

 1、沖津鑑、2、辺都鏡、3、八握剣、4、生玉、5、定玉、6、死反まかるがえしのたま、7、道反玉ちがえしのたま8、蛇比礼、9、蜂比礼、10、品物比礼、

 これらは現在国宝として、奈良県天理市の石上神宮に納められている。

 饒速日を大和に送り出してから、3年か4年で、須佐之男は出雲で亡くなる。


                 民族移動


 坂本はここで一応の区切りとする。

「紫水晶の事は出てこないのね」磯部珠江は白い歯並びを見せる。

「それに、ソロモンの財宝も出てきませんが・・・」

 今まで口をきいた事のない岸田が重たそうに口を開ける。

 「そうせっつかないで・・・」坂本は出されたお茶をすすって息を整える。

「ソロモンの財宝は一時期出雲に運ばれたとみていいでしょう」

坂本はその財宝は民族の移動と共に各地を転々としたとみている。

 須佐之男が生まれたのが、西暦122年頃。

 この頃中国大陸では、前漢を倒して、新の国を樹立した王莽を、後漢の光武帝が倒している。時に西暦25年の事である。光武帝の後、明帝、章帝と続く。3代合わせて約50年、後漢の最盛期を迎える。

 対外的にも積極政策を取っている。竇憲とうけんは北匈奴を打ち破る。西域都護班超はんちょうは、パミール以東の50余国を服属させる。西暦97年には甘英を西方の大秦国ローマに遣わす。

 須佐之男が誕生する百年ぐらい前から、後漢の勢力がその周辺に及んでいる。

 蒙古に住みついた須佐之男の先祖達は漢民族の勢いを恐れて、朝鮮半島を経て日本へと移住してくる。日本への移住は西暦以前から行われている。

 1つは、沖縄諸島から九州へ、2つは、朝鮮半島を経て出雲や九州方面へ、3つは、シベリヤ方面からの北海道方面と大別される。

 日本は古代から大陸からの移住者によって文化や文明が形成されてきた。いわば大陸からの吹きだまりの場所に当たっている。

 日本人は単一民族などと呼ぶ学者がいるが、元々は混血によって国という基盤が成り立ってい行く。

 スサノオの一族が、出エジプトを基に、インド、蒙古、朝鮮半島、日本と流れ着くにはそれなりの理由がある。彼らはもともと自分達の土地を持っていない。その上に、ソロモンの財宝を携えての民族の移動を行っている。

 ソロモンの財宝はただの金銀のお宝ではない。かって自分達の一族が繁栄を誇った証であり、誇りでもある。しかし、他の民族から見れは、喉から手が出る、ただのお宝でしかない。

 スサノオの一族が日本へやってきたのは、安住の地を求める為、ソロモンの財宝を安全に保管できる場所を見つける為でもある。


 大陸から日本に移住してきたのはスサノオの一族が初めてではない。ヤマタノオロチも、昔を辿れば、朝鮮半島に住んでいた、製鉄技術に優れたオロオロチョンである。九州日向の日霊女ひみこも沖縄諸島を陸づたいに住みついた外来民族でる。


 「面白いですねえ」吉岡刑事が感想を漏らす。吉岡が面白いと言うのは、学校で習った日本の歴史にはこの様な話は無い。

 坂本の説明が正しいかどうかは別として、吉岡が学校で習った歴史観とは違った考え方が現れている。

 坂本も自分が喋っている内容が歴史的事実だとは思っていない。磯部作次郎が全国の神社等を調べ歩いて得た1つの見方としての歴史的事実だと思っている。


 「坂本さん、お疲れでしょう、休憩しましょうか」

 磯部珠江はいそいそと台所に消える。時計を見ると、すでに4時を回っている。

「今日のところは、これでお開きとしましょうか」坂本は資料をたたむ。

「焦っても仕方がないですわなあ」

 吉岡刑事は珠江が運んできたお茶を飲む。

「所で、刑事さん、伊勢の方の事件はその後、進展がありましたかな」

 坂本は気になっている。この事件は磯部殺しと関連があるとみている。

「それが、目撃者がありながら、闇の中ですわ」

 吉岡刑事が声を落とす。坂本は殺人犯が捕まることを願ているが、それ以上に紫水晶の行方が気がかりなのだ。


                   寺島広三


 平成9年5月中旬。

 4月からの消費税アップの影響で、建売の反応は極度に悪くなる。坂本住宅は1ヵ月に一回は新聞への折り込み広告を入れている。一回の広告で、消費税アップ以前は、4軒から5軒ぐらいのお客の問い合わせがあった。5月の初めに入れた折込広告の費用は約50万円。反応はゼロ。

 予想していた事なので、大して驚きもしないが、これが長い不況の始まりになろうとは、その時は思いもよらなかった。

 会社で昼食を摂り、休憩している間、向井純が訪問してくる。彼は1人の同伴者を連れていた。向井は背が高くがっしりとした体格である。同伴者は小柄で、向井の後ろに隠れるようにして入ってくる。

 応接室でテレビを観ていた坂本に、事務員が向井の来訪を告げる。坂本は応接室に通す様に言う。

「景気はどうでしょうか」

 向井は薄い唇を開く。

「紹介します。寺島広三さん。私の会社で、工事担当責任者をやっています。今日は是非ともご挨拶したくて、一緒に参りました」

 寺島広三は小柄な体を深々と折って頭を下げる。髪の毛が薄い。直立不動のままで、名刺を差し出す。顔は浅黒い。実直な表情をしている。

 坂本は小柄であるが、彼は坂本よりも小さい。髪の毛が坂本よりも薄い。坂本は何故か安心する。

「まあ、お座りください」

 2人がソファに腰を降ろす。事務員がお茶を運んでくる。坂本は名刺を取り出す。寺島は恭しく押し頂く。

彼は45歳。アサヒスタンダードの工事責任者の肩書を持つ。

 向井と付き合う様になって、坂本住宅はアサヒスタンダードから、流し台やフロ、洗面器等の家庭用器具を納入している。今まで仕入れていた評者よりも安い。

 寺島はそれら器具を工事中の建物に取り付ける工事責任者である。

「実はですね、坂本さん、寺島さんを連れてきたのも、1つお願いがあるからなんです」

 坂本は向井を見る。2人とも社名の入った水色の作業服をきている。ネクタイをきっちり締めて、礼儀正しく腰かけている。

 坂本は向井を見る。

 寺島は伊勢市のアサヒスタンダード伊勢支店から、名古屋支店に転属されて、2ヵ月目になる。寺島は向井が多気郡明和町にあるアラタマ教団に所属している事を知っている。

 寺島が話をしようとした時、坂本は「外に出ましょうか」彼の口を封じる。

 坂本は会社の中では仕事以外の事は一切口に出さない。社員の趣味なども尋ねた事もない。皆その事を知っているので、口にも出さない。

「いや、これは失礼しました」向井が大きな体を小さくして詫びる。

 坂本は事務員に喫茶店にいるからと話して会社を出る。携帯電話持参なので、用があれば連絡がつく。


 ユニー常滑店前の喫茶店に入る。

「先ほどは失礼しました」寺島は恐縮している。

「どうぞ、先ほどの続きを」坂本はコーヒーを一口飲む。

 寺島は伊勢市小俣町湯田で生まれ育っている。多気郡明和町と伊勢内宮の丁度中間に位置する。

 彼の家は建具屋で、彼も25歳ぐらいまでは家の仕事を手伝っている。縁あってアサヒスタンダードに入ったのが26歳。

 アサヒスタンダードは元来は住宅用の窓サッシを製造販売していた。それが、フロや、流し台、トイレなどにも手を伸ばして、今や、住宅総合メーカーとして、全国に支店舗をめぐらすまでに至っている。

 寺島が取付工事の責任者に配属されたのは5年前、それまでは、全国の工務店や左官、設備店に商品を卸していた。

 バブル経済崩壊後、製品の相次ぐ値引き合戦に、製造単価の切り下げと共に、販売価格の値下げに対抗するために、直接大工、工務店に卸す販売方法に切り替える。しかも取り付け工事はサービスという触れ込みで、販路を開拓している。

 アサヒスタンダード伊勢支店の取付工事責任者に配属され、今、彼は名古屋支店に移っている。

 寺島は小さい時から、宗教関係に興味を抱いている。

 内宮、外宮を抱える伊勢市という特殊事情から、寺島は神宮への参拝は日課のように行っている。

 長じては、滝行や断食などに興味を持つ。

 寺島は熱っぽく語る。

20歳になった時、”超能力”に関心を持ち始める。同時に神宮への参拝に興味を失っていく。というより、拝殿の前で三拝したり、神宮の行儀に参加する事にどんな意義があるのか、疑問を抱くようになる。

 知り合いの神宮の神官は言う。豊受大神や天照大神に心を合わせる。神様に無心の奉仕をする。その事で、家内安全が約束され、無病息災に過ごせる。その日々の安穏な暮らしこそ、何ものにも代えがたい宝ではないかと説く。

 寺島は神官の説教を信じる気にはなれない。確かに、敬虔な気持ちで神仏を拝して暮らすことは大切な事だ。

 だが、――寺島は現実に目を向ける。

神宮の行事に無料奉仕する者は大勢いる。その者すべてが日々を安穏に暮らしている訳ではない。サラ金に借金して夜逃げする者もいる。家庭が不穏で離婚する者もいる。罪を犯して法に触れる者もいる。数え上げたらキリがない。

 寺島は西洋の神秘思想やインドのヨガ、中国の道教などに目を向ける。そこから出た結論は、神仏に両手を合わせて、敬虔な気持ちで奉仕活動をする事は大切ではあるけれど、それだけでは片手落ちである。

 人間は神から生まれて、この世で気の遠くなるような再生を繰り返して、また神の元へと還っていく。神の御許に還るためには、霊的に神のように進化していなければならない。その為には肉体的、精神的な修行が必要になる。

 外宮の豊受大神も、内宮の天照大神も宇宙を創造した唯一絶対の神ではない。人間よりも進化した霊的存在である。卑近な譬をするなら、普通の人間を小学生1年生とするなら、彼らは中学生程度である。

 もし、外宮、内宮の神様が進化の為の修行を怠っていたとするなら、やがては人間に追いつき、追い越されてしまう。

――眼には見えないが、神様といえども、あの世で進化のための修行に励んでいる――

 超能力は、霊的進化の結果として発現するものであって、それ自体が目的ではない。

 人間誰しも、1つの事に長年打ち込んでいれば、その道のプロになれる。例えて言えば、超能力とはそのようなものだ。


 坂本は浅黒い寺島の顔を見ている。

坂本はそれぐらいの事は本を読んだりして、理解している。内心ウンザリして聞いている。営業上りの彼は、聞き上手は話上手だと心得ている。辛抱強く聞いている。


 ――それから私は修行を重んじる宗教団体を捜すことにしました――

 寺島の薄い唇がヒルのように動く。

驚いた事に、その気になって探してみると、伊勢や熊野を中心として、実に多くの宗教団体が存在する。

 その特徴として、信者数は多くても50人ぐらい。ミニ教団となると、教祖と数人の信者しかしかいない。

向井が所属するアラタマ教団もこの内の1つでしかない。

 これら教団に共通する事は、教祖は霊能者である事、信者は意外に若い人が多い。超能力開発の為の修行を、明確な目標としている。

 教団は大きくなればなるほど、教義が整ってくる。しかもそれがその教団の特徴として、前面に押し出してくる。教団が小さい内は、教義らしい教義はない。あったとしても、信者達に無関心な者が多い。

 霊的開発を主とした教祖の周囲に信者が集まってくる。その修行方法も、昔ながらの滝行や断食、川辺での禊、山伏装束で、六根清浄を唱えながらの山歩きなど。

 信者たちは1つの教団に固執しない。教団から教団へと渡り歩いたり、幾つもの教団を掛け持ちで参加している。

 寺島もそにの1人。自分の性に合った修行方法を会得するために、幾つもの教団を渡り歩いている。

10年程前から、彼は古代インドから秘かに伝えられているヨガと、水晶など宝石を利用したチャクラ開発の秘法を授ける某教団に所属しているという。

 某教団、名前を明かしても良いが、他言は無用と、寺島は坂本と向井を見つめる。

「坂本さん、どうですか。私もその修行方法には関心がありましてね」向井が言う。

「某教団の名前を教えてもらう貰わないは別として、水晶を使うチャクラの開発法、もっと詳しく話してもらえませんか」と坂本。

 向井は坂本が今だに呼吸法を基礎として、自分1人で修行している事を知っている。

1時間の正座が苦手という事で、アラタマ教団への参加を渋っている。仕事上の付き合いで、坂本を寺島の某教団に誘ってみたいと意気込んでいる。

「寺島さん、その辺の事、もっと詳しく話してもらえませんか」

 坂本は水晶と聞いて、興味を抱いている。是非聞きたいと膝を乗り出す。


                  霊体開発


 寺島は我が意を得たりとばかりの顔をする。

「坂本さん、チャクラについてはご存知ですよね」諭す様に言う。

 坂本は頷く。知るも知らぬも、ヨガや神秘思想にふれている者なら知っていて当然なのだ。

 ヨーガの文献によると、人間は肉体の他に微細身、原因身という、より高い次元の身体を持っている。これら2つは肉体の死後も、再び物理的次元の肉体を造り出す原因となり、その存在を支える根拠、エネルギー源であるといわれている。この2つの身体を含めて肉体も、それぞれに次元の異なる存在領域で、異なる次元の生命エネルギー(プラナ)より成り立っている。各身体は、生命力プラナの流れる多数の経路=ナデイの系と、そのナデイ系の中心として7つのセンターを持つ。この7つのセンターが、微細身、原因身などのチャクラである。

 ヨガの修行等で、物理的次元をこえた微細身や原因身の次元で、超意識が活動を始める。プラナ(生命力)が活動を始めると、このプラナのセンターであるチャクラが超感覚的にある特定の色を持った光輪、ぐるぐる回る光輪、光り輝く光輪として見えてくる。これをチャクラの目覚めと呼ぶ。いわば超能力の発現となる。

 7つあるチャクラの位置は以下の通りである。

 ムーラダーチャクラ

 性器の下、肛門の上に位置する。このチャクラが目覚めると永遠の智の顕現をもたらすとされる。あらゆる学問に秀でた師匠になる。あらゆる病気から永遠に解放されその霊は大いなる喜びに満たされ、深い音楽的な言葉によって、性格は純粋となり、神々の内の最高神に奉仕する。

 スワディスタナチャクラ

 性器の根の辺りに位置する。このチャクラが目覚めると、我執その他の激情或いは欲情から解放され、濃い無智の暗さを照らす太陽のようになる。

 マニプラチャクラ

 へその根に位置する。このチャクラが目覚めると世界を壊し、また創造する能力が得られる。

 アナハタチャクラ

 心臓の内に位置する。このチャクラが目覚めると、5感は完全に制御される。自分の望むものは、何でも叶える事が出来る。

 ヴィシュダチャクラ

 喉の奥に位置する。このチャクラが目覚めると、どんなに老いても若々しい肉体に変身する事が出来る。

一切の病気から解放され、悲しみや悩みをこえて、長生きできる。

 アジナチャクラ

 眉間に位置する。このチャクラが目覚めると、幾世代にも渡って積み重ねられてきたカルマ(業)から解放される。過去、現在、未来を知る事が出来る。無限の知恵を体得する事が可能となる。神界より直接命令が下る。これにより、彼は神の意志によって働くことになる。

 サハスララチャクラ

 頭頂、経絡で言う所のツボ、百会に位置する。このチャクラが目覚めると、神となる。この者はもはや転生を繰り返す事もない。真の自由自在の境地に入ることになる。三世(過去、現在、未来)において彼を縛るものは何も無いからである。

 仏教でいう解脱はサハスララチャクラの目覚めなくしては不可能である。空海の説く即身成仏も本来はこれを意味している。


 チャクラを目覚めさせるには、ヨガでは種々の修行法が考えられている。ハタヨーガ、タントラヨーガ、マントラヨーガ、ラジャーヨーガと色々な行法に分かれている。

 中でもクンダリー二ヨーガと言われる特殊な修行法もある。

これは尾骶骨に眠ると言われる大地のエネルギーのクンダリー二を目覚めさせる。目覚めたクンダリー二は、イダー、ビンガラと言われる背骨を、取り巻くようにして存在する経絡を登りつめる。それはどくろを巻いた蛇が、鎌首を持ち上げて上昇する様に似ている。

 一旦上昇したクンダリー二は、各チャクラを目覚めさせながら、サハスララチャクラを通って、天に昇る。

 この時人は神に変身する。

 この行法は極めて危険だと言われ、優れたグル(指導者)の指導の下で行わなければならないとう。過去、多くの修行者がこの行法に挑戦して命を落としていると言われている。


 寺島は薄い髪を撫ぜて、にこりと笑う。実直そうで浅黒い顔をしてるが、柔和な表情だ。

「私の所属している某教団は、チャクラの開発法を教えているんです」

 チャクラの開発法は何もヨガの専売特許ではない。

キリスト教や仏教などにもその方法がある。あらゆる宗教にはそに修行法が伝えられている。

 日本には古神道として伝えられているのは、一般的には滝行、断食、禊などである。断食や滝行などは、マニプラチャクラの開発に著しい効果がある。

 問題なのは、どの方法によるにしろ、修行は厳しく、辛いものと、相場が決まっている。それも1年や②年で開発できるものではない。10年、20年修行しても、開発できるという保障はない。勢い一般の信者には敬遠される。普通には公開されないというのが、いつの時代でも同じである。

 修行を志す者は行法を自分で求めなければならない。

坂本は当初は商売がうまく行く事を期待して宗教の門をくぐっている。その手の本を読み漁るうちに、人間は生まれ変わりしながら進化していくものだと悟る。

 商売繁盛の祈祷も良いが、魂の進化の為に修行をする必要があると痛感するようになる。


 坂本はコーヒーを飲みながら寺島の薄くなった髪の毛を見ている。

 店内は20人程が座れる程の広さしかない。6分通りの人の入りである。カウンター越しでマスターが所在なさそうに頬杖をついている。ウエイトレスが水をついで回る。


                 佐久田龍一


 チャクラの開発法と聞いても、坂本は興味を抱かない。そのような類の話はずいぶん見聞きしている。色々な会合にも出席している。

 その結果得た事は、チャクラの開発は1朝1夕で得る事は不可能である事。たった1つのヨガの特殊な呼吸法を飽くことなく、何年も続けていた方が効果が大きいと判っただけである。

 会合は金儲け主義の為に、眉唾の物がほとんどだった。

 水晶でさえも、ペンダントやネックレスとして売り出しているが、某プロ野球選手がつけているとか、そのような事ばかりが大々的に宣伝される。パワーが漲る。恋人ができる。商売が繁盛する。現世利益ばかりが宣伝文句となる。

 水晶による心身浄化の方法をうたい文句とする事など皆無と言ってよい。

寺島のチャクラ開発もどうせその手のものであろうと、坂本は上の空で聴いている。

「チャクラ開発が1年や2年で出来るとは思っていません」寺島は坂本の腹の底を見透かしたように言う。

「私は10年以上やっていますが、多分一生無理だろうと思っています」

――おや!――坂本は寺島の顔を凝視する。

「坂本さんが長年特殊な呼吸法をやっておられることは、向井さんから聞いております」

 寺島は柔和な表情を崩さない。

「私は某教団と申し上げたが、宗教的な集団ではありません」寺島の言葉が続く。

 教祖という言い方も適切ではない。我々は彼を先生と呼んでいる。

彼――名前は佐久田龍一、52歳。

 彼は小さい頃から疳が強く、夜中に突然起き出して、泣き叫んだりして、両親を困らせていた。幽霊が見えるとか、夢を見ても、起きた後にはっきりと覚えているとかで、周囲からはちょっと頭のおかしい子供と言われていた。信仰心の厚い両親の影響もあり、神社仏閣へのお詣りも興味を持っていた。

 長じて、宗教学を志し、博士号を取る程の秀才だった。論理的な思考方法を好み、30歳になって、ヨガ行の門をくぐる。神秘思想にも傾注する。

「佐久田先生は、小さい頃から縁があって、滝行や禊などをやっておられた」寺島は低いがしっかりとした声で言う。

 佐久田は、滝行や禊は何の為にやるのか、先達に尋ねるのが常だった。

――心身を洗い清めて、神様の前に出ても恥ずかしくない心を持つためだ――

 佐久田は先達の説明では納得できなかった。

――神とは何か、何故神の前に汚い心で出てはいけないのか――先達は閉口して、それ以上答えようとはしない。

 佐久間は宗教関係の書物を読み漁るが、満足な答えは得られない。

ヨガ行を修行して、神秘思想に触れて始めて、疑問が解ける。


 物質界の外側に、アストラル界、メンタル界、コーザル界、ブッディ界などが存在している。当然人間の眼には見えない世界である。

 普通に神と言っているのは、メンタル界の住人で、特に神霊界と言うのは、メンタル界を超えたコーザル界の住人である。

 人間はこれらの世界を通じて、唯一絶対神の元に還っていく存在である。修行はその為にある。訳も判らず、やみくもに滝行や禊をするよりも、修行的意味を認識して、自分の霊的立場を確認する必要がある。そうして初めて、修行は効果的に行う事が出来る。

 「佐久田先生はその事に気付かれた。ヨガ行を中心として、効果的に修行を行う方法を考案されたんです」

「ほう・・・」坂本は膝を乗り出す。

 ヨガにはチャクラ開発の為の行法が具体的に提示されている。そうは言うものの、その方法で開発を試みたところで、20年、30年、あるいは一生かかるかも知れない。

 坂本も充分に弁えている。

 寺島は一息つく。

ウエイトレスが水のお代わりをする。それをぐっと飲み干す。

「坂本さん、水晶はご存知ですわな」

 知るも知らぬもない。水晶の効能書きぐらいは百も承知している。坂本は大きく頷く。

「水晶の波動がヴィシュダチャクラの波動と同じだって事、知ってますか」寺島は覆いかぶせる。

「えっ!」さすがの坂本もそこまで考えてはいない。

「本当ですか」思わず口に出る。

 坂本は眼鏡を外すと、分厚いレンズをテッシュペーパーで拭く。ど近眼のために、坂本の眼には寺島や大柄な向井の顔がぼんやり浮かんで見える。ここだけが、まるで別世界のような錯覚に陥る。レンズを拭き終わって、眼鏡をかける。それを待っていたように寺島が口を開く。そこにはしてやったりと言わんばかりの得意げな顔がある。

 ローズクォーツ・・・アナハタチャクラの波動と一致。ラビスラズりー・・・ムーラーダーチャクラ、スワデススターチャクラ、マニュファクチャ等の波動と関係し、これら3つのチャクラの活性化を促進する。いわば、この3つのチャクラの目覚めを早める。

 ダイヤモンド――完成された宝石で、サハスラーラチャクラの目覚めを早める。

「最後にですね、アメジストがアジナチャクラの覚醒に大きな役割を果たしているんですよ」

 坂本の鼓動は激しくなる。

・・・この男、磯部家の秘宝の紫水晶を知っているんじゃないか・・・

 坂本の疑念もすぐに晴れる。

 寺島は坂本の表情が硬くなったことに気付かない。

「インドでは、眉間に紫の点をつけますね」

あの紫こそ、本来はアメジストの印だと、得意に喋りまくる。

「アジナチャクラのアジナって、意味、ご存知ですね」

 坂本は黙って聞いている。

 アジナとは本来、サンスクリット語で”命令”をあらわしている。アジナチャクラが覚醒すると、その者は高位の神霊から命令を受ける。物質的な人間でありながら、人類の霊的進化の為に奉仕する事になる。

 家族や身内を捨てて、キリストや釈迦のように、わが身の全てを投げ出すことになる。

――そういえば――坂本の鼓動は激しくなる。

 ただの人間にすぎなかったモーゼも、ヤハウエと称する神から、イスラエルの民をエジプトの地から連れ出すよう命令を受けている。磯部家の紫水晶によって、モーゼはアジナチャクラを覚醒させたのだ。

 坂本は寺島の口元を見ている。ひょっとしたら、寺島の所属する某教団、佐久田龍一は、紫水晶の秘法を見出しているのかも知れないと思った。


 「寺島さん!」坂本は喋ることに熱中している寺島に声をかける。

「はっ?」水を差された寺島は浮かぬ顔で坂本を見る。

「何故そんな話を私に聞かせるのかね」

 坂本は一旦乗り出した膝を引く。冷静さを装って質問する。寺島の手の内で易々と動かされているような反発を感じたのだ。

 寺島は向井と顔を合わせる。2人は意外そうな表情をしている。

向井が口を切る。

「坂本さん、長年ヨガの呼吸法をやってらっしゃるんでしょう?」

坂本は頷く。

「1人でやってらして、限界を感じた事はありませんか」

再度坂本は頷く。

水晶を身の周りに置くようになったのも、修行の限界を打ち破るためだ。

 今――磯部家の紫水晶を手に入れたいと、渇望しているのも、マンネリ化しそうな修行を一気に打破しようと考えたからだ。

「私共ね、坂本さんに、この宗教に入ってもらおうと思って、話をしているんですが」

 向井の表情には、そんな事判っているじゃないか、と言っている。

坂本もそのくらいの事は判っているが、寺島のもって回ってような言い方に、素直になれないのだった。

 坂本は営業上りだから、駆け引きはする。だが不相応な値引きには応じない事にしている。そのような客は大抵それだけでは済まないのだ。思い切り値切らせておいて、価格以上の工事を期待する。期待に副えればよいが、九分九厘無理と見ている。

 事実そのような客は、10人中9人までが、工事の出来具合に不満を漏らす。さななる値引きへと発展していく。

 坂本は値引き交渉には一定の線を引いている。その線を超えるような交渉には応じない。その代り、こちらの要望に応えてくれる客には精一杯のサービスをする。

 サッシや建材などの売り込みも日常茶飯事である。

 平成9年4月以降、消費税アップによって、眼に見えて需要が減退している。メーカーの売り込みも激しくなっている。

 メーカーの営業マンは坂本の顔色を伺いながら、値交渉に入る。坂本は一本気な性格である。ズバリ、こちらの要求額を提示する。

 営業マンも色々いる。会社の上司に電話を入れて相談する者、その価格では無理だと、はっきり言う者。のらりくらりと、坂本の要求を先延ばしにする者。

 坂本が一番好感が持てるのは、会社の上司と相談するにしろ、しないにしろ、

「その価格でやらせてもらえるならば、当方の条件も飲んでくれませんか」自分の希望を、交換条件として、明確に答える営業マンである。

 思わせぶりな駆け引きは、坂本が一番嫌いである。


                みちのく教団


 向井は過去の付き合いから坂本の一本気な性格を知っている。それに彼は営業畑を歩いている。人の気を見るに機敏さを備えている。

「坂本さんの誤解を与えるような言い方をして申し訳ない」

 向井はぺこりと頭を下げる。大男の向井が頭を下げると目立つ。カウンター内のマスターやウエイトレスは向井を見ている。

 寺島も向井の意を察したのだろう。

「もったいぶった言い方をして申し訳ありません」

 髪の薄くなった頭を坂本に向ける。

「実はこれには訳がありまして・・・」話し始める。

 某教団と言っても、宗教法人ではない。

教祖の佐久間を中心にして、彼の人徳に惹かれて、信者が集まった教団にすぎない。

 佐久間は自称”みちのく教団”と称している。みちのく、別に奥州、仙台や青森に縁がある訳ではない。

みちの奥、修行の奥にあるものを追求するとして、このように、自分の教団を名付けている。

 寺島は思い出したように、くすりと笑う。

「教団の名前って、本来ならば、もっと教義に相応しいものにするでしょう」

 みちのくとはどうみても人を食っている。

 教祖としての佐久田龍一は教団の名称には大して興味を持っていない。彼はもともと、教団として組織化する事も関心を払わない。

 彼は科学的な立場でチャクラの開発法を考案している。彼は資産家で食うに困らない身分だ。チャクラの開発法を世に広めて、金を得ようという発想はない。

 彼の評判を聞いて、教えを乞う者が集まってくる。伊勢や熊野はミニ教団が群生している。幾つもの教団を渡り歩く者も少なくない。5つや6つを掛け持ちで入信している者も大勢いる。むしろ、1つの教団に固執して骨を埋める者を捜す方が難しい。

 向井の所属するアラタマ教団もそういった者の集まりである。彼らの中に数人はみちのく教団に出入りしている。無数に存在する教団の情報が飛び交う事になる。

 前にも話したが、彼らは精神的支柱としての教義にはほとんど興味を持たない。超能力開発のためには、仕事をほっぽり出して、北海道でも九州にでも飛んでいきかねない。

 一時期、チャクラマシンなる装置が、同好者向けの雑誌に紹介された。1台百万円はする。

 原理はいたって簡単、7つのチャクラにはそれぞれ固有の振動数を持っている。その器具の上にあおむけになる。尾てい骨、へそ、心臓、喉、額、頭頂に、身体では感じる事の出来ない程の微力な音波を発する。それぞれが各チャクラの振動数に合わせてある。

 詐欺まがいの器具だが、何々工学博士の考案という、うたい文句に数百台売れたという。中にはサラ金に借金してまでして購入した者もいる。

 結果、チャクラが開発できたという情報は入ってこない。

 佐久田龍一が手を焼いたのは、チャクラ開発の文句に誘われて、猫も杓子も、みちのく教団に押しかけてくることだ。彼らの内、百人中90人がチャクラ開発と現世利益を結び付けて、チャクラ開発さえ出来れば、たちまちの内に大金持ちになるとか、有名人になると考えてしまう事だ。

 何の苦労もなしに、金さへ出せば、たちまちチャクラ開発が出来ると信じ込んでやってくる。当然の事ながら、その期待はすぐにも裏切られる。

 期待が大きいだけに、裏切られた者は、自分の無知や無能を棚に上げて、教団や教祖を非難する。

 彼らには教団の教義など、目くそ鼻くそぐらいにしか考えていない。神仏に対する畏敬に念もない。飢えた野良犬が食べ物を求めて、うろつきまわるように、また別の教団へと去っていく。

 佐久田龍一は無理に信者を増やそうと思っていない。入信の条件として、信者の推薦を必要とした。その上に、神仏に対する敬虔を有する事を絶対条件にしている。

 チャクラ開発の目的が霊的向上である事を認識して、現世利益に利用しない。入信希望者にはいくつかの条件を課している。

 みちのく教団は1か月に1回、滝行を行う。佐久田は若い頃、一時期大本教に傾注している。出口王仁三郎に心酔、彼の著作を読み漁っている。

 うしとらの金神=スサノオの命こそが、日本最古の神と信じている。

 みちのく教団の主祭神はスサノオである。教義や祝詞は大本教から拝借していると言われている。

佐久田は50名いる信者に、みちのく教団の名前は出すなと言いつけている。これはと思う者以外に、教団の名前は明かさない事、入信希望者は、教祖が直接面接を行う。その上で入信させるかどうかを、教祖が決定する。

「そんな訳でしてね、色々と事情がありまして」

 寺島の後を継いで向井が口を挟む。

こういう自分も入信希望者として、寺島に推薦してもらうつもりでいる。坂本さんも、長い間ヨガの呼吸法をやっている。是非入信しないかと勧める。

 坂本は心の内で願ってもない事だと考えている。紫水晶の秘密が判るかもしれない。たとえ判らなかったとしても、ヒントぐらいは得られるかも知れないと期待しているのだ。

「坂本さんに入信をお勧めするのに、もう1つ、理由がありましてね」

 寺島は向井と眼を合わせる。

「今後ともわが社をとのお取引をお願したい、そんな下心もありまして、、、」

 2人はどうぞよろしくと頭を下げる。

 坂本は2人の勧めを応諾する。

 平成9年6月の第2日曜日に入信希望者の、教祖直々の面談がある。その日は時間を空けていて欲しいとの寺島の言葉に、坂本は手帳に伊勢行きの予定を書き込む。


                   磯部邸


 平成9年5月下旬、磯部邸にて、午前9時。

 4月からの消費税アップで、お客の反応がバッタリと止まる。坂本は今年一杯が山だろうと高をくくっていた。仕事も暇となる。

 磯部土建も市役所からの仕事が少なくなり、どんな小さな仕事でも受注するよう心掛けている。

 今日は朝から、みっちりと時間を取って、スサノオの死後、彼らの子供達、特に、ニギハヤヒが日本で最初の大王になるまでを発表したいと考えている。ただ、ニギハヤヒ以後、優れた人材に恵まれず、アマテラス系の神武天皇やその子孫に、取って代わられる。だからこそ、磯部家の家宝の紫水晶は伊勢に運ばれる。天武天皇以後、家宝は秘かに常滑に移されている。

 その辺までを何とかこぎつけたいと考えて、坂本は9時までに磯部邸に集まってもらうよう、磯部珠江、岸田、吉岡刑事に連絡した。

 ところが、坂本の意に反して、吉岡刑事は捜査中の事件に刈り出されて欠席。岸田は多気郡明和町の実家に帰っている。のっぴきならぬ用事が出来たとの事。

 結局は、坂本太一郎と磯部珠江の2人のみ、当初、坂本は2人が揃ってからにしようと、延期をほのめかした。磯部珠江は、欠席した者にはテープで吹き込んで、後で聞かせればよいと提案する。

「太一郎さん、会社が休みなら、私と朝食を一緒に」と言う。坂本は珠江の言葉に甘えて、朝食を頂く。

「磯部幸一さんを殺した犯人はまだ、捕まらないのかしら」

 珠江は大きな瞳に不安の色をにじませる。今日の珠江は割烹着姿に、髪の毛を後ろに束ねただけの質素な格好である。

 吉岡刑事からは磯辺幸一殺人事件は、迷宮入りになる可能性が強いと言われている。目撃者がありながら、迷宮入りとなると、三重県警も面目丸つぶれである。何としてでも事件の手がかりをと意気込んでいるとか。

 坂本はその事も大事だが、紫水晶の手がかりが消えたことに不安を抱いている。

「いずれ捕まりますよ」坂本は珠江を安心させようと、気安い事を言った。

「そうかしら、そうなればいいけど」

 珠江は浮かぬ顔である。朝食も終わり頃になると、元の明るい表情に戻る。坂本はその彼女の顔を見て安堵する。憂鬱な顔で、坂本の話を聞かれても、、坂本も気のりしない。

「今日は日よりもいいから、庭でお茶でも飲みながら、どうかしら」珠江の勧めに坂本は賛同する。

 磯部邸は庭だけでも2百坪はある。南側の道路との境に垣根がある。5月下旬とは言え、昼頃になると、蒸し暑くなる。朝の9時はまだ爽やかで、お茶でも飲みながら話をするのも気持ちが良い。

 庭には陶器製の椅子やテーブルが置いてある。

 珠江は割烹着を脱ぐ。ベージュのカーディガンが彼女の肌の白さを強調している。後ろに束ねた髪を解く。肩までたれた髪が艶めかしい。


 坂本は陶器の椅子に腰を降ろして、原稿を用意する。

珠江はコーヒーを運んでくる。庭は飛び石を配置して、芝生の緑も鮮やかだ。

 坂本はふと、近い将来、珠江と一緒になり、この屋敷に住む自分の姿を想像する。

 珠江は坂本と対座するように、コーヒーをテーブルに置くと、陶器の椅子に腰を降ろす。坂本はそんな彼女の姿をうっとりと眺めている。

「さっ、冷めないうちに召し上がれ」

 珠江の声に操り人形のように、コーヒーカップを手に取る。

坂本の眼は珠江に釘付けとなる。珠江は今年36歳になっている。歳を感じさせない程若々しい。長い髪が若々しさを強調している。薄い眉の下の大きな眼、筋の通った形の良い鼻、朱に染めた唇、豊かに息づく頬、どれをとっても若々しく活気づいている。

「あら、私の顔に何かついているかしら」

 珠江は坂本がじっと見ているのを感じている。

「いえ、珠江さんが美しいもんだから」

「まあ、太一郎さんに褒めていただいて、嬉しいわ」

珠江は子供のようにはしゃいでみせる。


                  スサノオ


 大陸侵攻の夢は実現できなかったが、それまで何百と分かれていた点としての部落を、面としての国にまとめたのがスサノオである。日本建国の役割を果たした功績は長く人々の心の中に残ることになった。

 全国に無数にある神社の主祭神がスサノオである事がこの事を証明している。スサノオが一歩も足を踏み入れた事のない中部、近畿、関東地方でさえ、スサノオが祀られている。

日本で最初に大王となった第5子、ニギハヤヒの功績によるものであろうが、人々の心には、スサノオの人徳を偲ぶ気持ちが強かった。

 スサノオ=牛頭天王、単に天王と言えばスサノオの事を表す。全国各地にある天王祭の主神はスサノオである。 

 スサノオが亡くなったのは、松江駅より南13キロの八束郡八雲村熊野の地、即ち住居のあった八雲山(三室山)の反対側の麓、竜宇おお川のほとりである。

 その前の熊野山に、磐座の形で葬られている。この磐座は、大和の大神神社の本殿となっている三輪山(第5子饒速日の陵)と共に、日本でも珍しい形式である。

 おくりなを、神祖熊野大神奇御食野(主)かむろぎくまのおおかみくしけぬの

この御食野主とは国民の生活の拠り所という意味。

 ここに祀ってある熊野神社(旧国幣大社)には、素佐之男が発明したと伝わっている、木をすり合わせて火を出す発火器”火燧臼火燧杵ひきりうすじきりねを収めてある鑽火殿さんかでんがある。

 出雲大社は、ずっと後に出来たものだが、お祭りの時の調理をする火や、宮司、神官の潔斎に使う火の元は、この熊野神社の鑽火殿から、火を起して出雲大社に持っていく例になった。

 後に、和歌山県に、出雲に因んで、熊野速玉はやたま大神として祀られた。この地方を”熊野”と呼ぶようになったのはそれからである。別名を武速素佐之男尊といい、全国各地の熊野神社(熊野速玉社より分祀したもの)には、たいてい”速玉之男尊”の名で祀られている。

 速玉は素佐之男の別名で、”奇(櫛玉)”は饒速日の別名である。

 またスサノオは、武勇絶倫の神として、各地に”八千矛やちほこ大神としても祀られている。旧官弊大社奈良の大和おおやまと神社や、慶長年間諏訪高島城の守護神として祀った八剣やつるぎ神社にも、この名で祀られている。

 八坂神社(出雲では弥栄神社)は祇園社ともいう。その他”牛頭天王”、”天王さん”等は皆素佐之男を祀ったもので、”進雄”(すさのお)尊”と当て字したものもある。

 東日本には、埼玉県大宮市の旧官弊大社”氷川神社”(出雲では簸川神社)をはじめ”氷川神社”の名で素佐之男を祀った神社が多い。

 素佐之男、稲田姫の2人から生まれた8人の子、孫など、その一族を祀った神社は、古事記、日本書紀に出る以前に全国に存在した神社全体の7割を占めている。


 坂本はここで言葉を切る。

「スサノオからその子ニギハヤヒの代に移る前に、一応全国各地に祀られているスサノオ系の神社がいかに多いかを述べました」

 坂本は真面目な顔で説明する。磯部珠江はおかしそうにくすりと笑う。

「おかしいですか」坂本は訝しそうに聞く。

「ごめんなさいね。太一郎さんがあまりにも真面目な顔でお話なさるものだから」

 垣根の東側の山の孟宗竹が色鮮やかに生きずいている。明るい日差しが庭一杯に差し込んでいる。

 珠江のベージュのカーディガンも日に照らされて、色鮮やかである。1人坂本だけが、黒のスポーツウエアを着こんでいる。少々暗い表情をしている。喋ることに精一杯で、緊張しているのか、顔がこわばっている。

 周囲の明るさから浮き上がった印象に、珠江はおかしそうに笑ったのだ。

「太一郎さん、時間はたっぷりあるんだから、ゆっくりやりましょうね」

 珠江はお茶を入れながら、揶揄するように言う。

 坂本は上気した珠江の顔を見る。今日は特に上機嫌のようだ。言われた通りに、ゆっくりとやろうと考えた。


                  ニギハヤヒ


 スサノオが果たせなかった夢、日本統一を果たしたのが、第5子のニギハヤヒである。彼は大和地方を平定して、日本最初の大王となっている。

 彼の名を”天照国照日子天火明奇甕玉饒速日尊(あまてらすくにてらすひこあまのほあかりくしみかだまにびはやひ)という。

 彼は、日本最初の天皇となる神武天皇の義父である。

彼は父、スサノオに勝るとも劣らない日本国史上、最大の巨人である。

 後年この事実は歪曲され、彼は歴史上から抹殺される。スサノオに至っては、天照大神の弟に格下され、悪者としてのイメージを植え付けられる。

 ニギハヤヒの蒙古名をフルという。

 天照国照日子天火明奇甕玉饒速日尊という最大最高の尊号を贈られたニギハヤヒの足跡を追ってみる。この事でソロモンの財宝、紫水晶のの秘宝の秘密の一端が浮かび上がってくる筈なのだ。

「これからが本番ってとこね」磯部珠江は眼を輝かせて聞き入っている。

「でも、ゆっくりと話を進めますから」坂本太一郎は、度の強い眼鏡をテッシュペーパーで拭きふき答える。

 珠江が思わず笑いだす。その顔は少女のように輝いている。日も高くなり、青い空が美しい。

 

 古代、天皇が参拝された神社は大和の3大神社である。

石上いそのかみ神宮、大神神社、大和おおやまと神社”である。その他に、和歌山県の熊野本宮、京都の守護神、賀茂別雷かもわけいかずち神社、それに天智天皇が大津に遷都の時、守護神として祀られた日吉社(大社)などである。

 現在の伊勢皇大神宮は、日本書紀成立以前には、天皇が参拝された形跡があまりない。

 大和に天皇がいるのに、何故皇大神宮を大和に祀らなかったのかという謎がある。

 往古、伊勢地方はアイヌ民族の居住地だった。鈴鹿山脈から関ケ原、伊吹山の麓から東には、モンゴリアン系の日本人はほとんど皆無に近かった。何故大和に祀らず伊勢なのか、もう1つ、神武天皇も大和には祀ってはいない。

 橿原神宮が出来たのは明治22年。それまで神武天皇を祀った神社らしい神社は、宮崎県の宮崎神宮だけである。


 大和を中心とした皇城の地に六大神社がある。それでは一体誰を祀っているのか。天照大神ではない。

1,大神神社(三輪明神)奈良県桜井市三輪町

  大物主大神

大己貴おおあなむち大神

  少彦名すくなひこな大神

2,石上神宮(奈良県天理市布留町)

  布都御魂ふつのみたま大神

  布都斯御魂ふつしみたま大神

  布留御魂ふるのみたま大神

  五十瓊敷入彦いにしきいりひこ

  宇摩志麻治うましまち

  白河天皇、市川臣命

3,大和神社(天理市新泉町)

  日本大国魂大神

  八千矛やちほこ大神

  御年大神

4,熊野本宮大社(和歌山県本宮町)

  家都御子けちみこ大神

5,賀茂別雷神社(京都市北区上賀茂本山町)

  賀茂別雷神

6,日吉神社(大津市坂本本町)

  大山昨おおやまくい)大神

  大己貴おおあなむち大神


 日本書記や古事記によると、大物主は大国主(大己貴の別名である)、となっているが、これは歴史上の改竄である。

 石上神宮は地名に布留山という。神宮に入り口に”布留の社”と言う石標が建っている。ここを流れる川を布留川という。この事からここの主祭神は”布留の御魂大神”であろうという事は察しがつく。

 大和神社も、おおやまと神社と読ませている。日本大国魂大神が主祭神である。

 その他熊野本宮の家都御子大神、賀茂別雷神、大山昨大神などはその正体が不明である。


 金刀比羅宮ことひら(旧国幣中社)香川県多度郡琴平町

 祭神 大物主神 崇徳天皇

この金刀比羅宮も大神神社と同じ大物主神を祀る。

 栃木市惣社町の大神おおみわ神社には、

 倭大物主櫛甕玉命

 群馬県桐生市の美和神社には、

建速須佐之男尊、大物主奇甕玉尊

 島根県八束郡六通町の来待きまち神社には、

 大物主櫛瓶玉命となっている。

京都府宮津の天橋立の向こうにある、

 この神社(元伊勢一の宮)旧国幣中社

 主祭神、彦天火明命

 相殿(右)天照大神

   (左)豊受大神

 伊勢皇大神宮の内宮の天照大神、外宮の豊受大神よりも上座にある”彦天火明”という神様がいる。

 愛知県一宮市大宮町の真清田ますみだ神社

 祭神 天火明命

 神社の記録によると、

 天火明命は尾張開拓の祖神で、総産土神である。祭神の御子、天香山命、大和国高尾邑むらより当地に来りて建国の基を定め、この地を尾張の国と名付け、御父君天火明命の神霊を祭られた。時に神武天皇33年、とある。

 石上神宮は神武元年、真清田神社も神武時代に創建されている。

国津比古神社 愛媛県北条市八反地

 祭神 天照国照彦火明櫛玉饒速日尊 宇摩志麻治命

井関三神社 兵庫県竜野市楫西町

 祭神 天照国照彦火明櫛玉饒速日命、瀬織津姫命、建(武)御名方命

 記録によると崇神天皇の代に祀るとある。

天照てんしょう神社 福岡県鞍手郡宮田町

 祭神 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊

 垂仁天皇の代に祀る。

伊勢天照御祖みおや神社 久留米市大石町

 祭神 天火明石

 後述する事になるが、伊勢の地名はもともと石だった。それを伊勢に変えた。当然それなりの理由がある。

 伊勢とは石だった証拠は町名の大石町にある。また境内に大きな石がある。

 石――この文字の中に、ソロモンの財宝と、紫水晶の秘密が隠されている。


 ソロモンの財宝という言葉が出ると、磯部珠江は眼を輝かす。坂本の講義はとりとめのないようであるが、聴聞するたびに核心に触れていく。


伊勢天照御祖神社――御祖という以上、この祭神は天皇家の祖先だった筈だ。


 「つまりですね、長々と述べましたが・・・」

坂本はお茶をぐっと飲み干す。

「天照大神とは伊勢の内宮の天照大神ではなく、ニギハヤヒ=フルであったという事です」

櫛甕玉の大物主もニギハヤヒ。

 粒座天照いいほにますあまてる神社  兵庫県竜野市竜野町日山

 祭神 天照国照彦火明神

 鏡作坐天照御魂かがみつくりにますあまてるみたま神社 奈良県磯城郡田原本町八尾

 祭神 天照国照彦火明命

天照大神を主神とする神社は、眼を皿にして調べればまだまだ出てくる可能性がある。

 なお、伊勢皇大神宮、つまり伊勢内宮の天照大神の諡号は、日光神社、鹿児島県曽於郡財部町

 祭神、撞賢木厳御魂天疎向津毘売命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)、賀茂大明神 

 記録に、伊勢内宮と賀茂神社を合祭する。

 伊勢内宮もこれと同じ諡号で祀られている。


 スサノオ、ニギハヤヒは実に多くの神名を持つ神である。一般に神と言えばスサノオ、大神と言えばニギハヤヒを言う。それを列挙するが、これはあくまでも、ソロモンの財宝が伊勢のどこかに秘匿され、紫水晶の秘宝が常滑の磯部家に隠されるまでの経過を述べるのが主目的である。簡単になるのもやむを得ない。

 磯部珠江もそう願いたいという顔をしている。


 まずニギハヤヒの別名について

 カナヤマヒコ神

 南宮神社 岐阜県垂井町

 神武天皇即位元年の創始、古くは仲山金山彦神社と言った。崇神天皇5年、中山の麓の現在地に遷座、以後南宮神社と称する。祭神が金山彦神

 村国真墨田神社 岐阜県各務原市

祭神 天火明命、金山彦命、村国男依命、石凝度売命

 この神社は通称雨宮様、先程の雨宮神社の分社である。

雨宮は、金山彦、村国は村国男依、真墨田は尾張一之宮の真清田社のことで、天火明、つまりニギハヤヒである。

 村国男依は壬申の乱の時、天武天皇の為に近江朝廷と戦い、天武天皇を勝利へと導いた古代美濃の英雄だある。彼はニギハヤヒの末路である。

 各務原市にはもう一社、村国神社がある。祭神は天火明命、石凝姥命、村国男依命

 各務村史によると、各務とは往古は”鏡”であったという。男依が、村国氏の太祖天火明命と、鏡作りの祖神、石凝姥命を祀って創建した社に、その子孫が男依を合祀し村国神社と称したと伝えている。

 岐阜県武儀郡にある雨宮神社

 祭神 金山彦神、天火明命、ここではカナヤマヒコの正体を告げる形でニギハヤヒが列記されている。

 岡山県津山市にある美作国一之宮の中山神社

 主祭神が鏡作神、相殿が石凝姥命、記録に、中山大明神または雨宮と称されたとある。主祭神の鏡作神は金山彦の事だ。結論から言えばカナヤマヒコはニギハヤヒである。


 こんぴらさん

 島根県にはカナヤマヒコを祀る神社が多い。

主祭神19社、配社29社、境内神1119社に上る。

 問題なのは、カナヤマヒコを祀る神社の殆どが社名が”金刀比羅神社”である。

金刀比羅神社の総本宮は四国の金刀比羅宮、祭神は大物主神=ニギハヤヒである。

 金刀比羅社(能義郡広瀬町大歳神社の境内社)

 祭神、大物主神、金山彦尊

 金刀比羅神社(邑智郡大和邑小尾山八幡宮の境内社)

 祭神、大物主神、大年神

 大歳金山彦神社(邑智郡川本町)

 祭神、大歳神、金山彦神

 大年、大歳とはニギハヤヒの別名である。

 四国の金刀比羅宮の神域は、もともとニギハヤヒが住んでいた場所である。

大三島の大山祇おおやまずみ神社が瀬戸内海の西に鎮守だとすれば、琴平の金刀比羅宮は東の鎮守の場所になる。

 ニギハヤヒは、スサノオから大和平野を平定する命を受ける。大和に乗り込む前に、瀬戸内海の内海航路の制海権を手に入れる必要があった。

 その後、ニギハヤヒは大和に乗り込む。大和の国の魂と仰がれた、御祖皇大神こそ、ニギハヤヒなのだ。

 事解男命

熊野本宮大社 和歌山県

 社殿が創建されたのは、神社縁起、帝王編年起などによると10代崇神天皇の時。崇神天皇はニギハヤヒの絶大な信奉者、祀ったのがニギハヤヒの末裔。この事から、事解男命がニギハヤヒである事は論を待たない。

 国常立命

島根県八雲村、志多備神社の記録に、聖神社(速玉男命)大元神社(事解男命)がある。

 大元神社は、たいていの神社の境内に祀られていた、氏神様として人気がある。大元神社の祭神は国常立命である。

 全国の主な熊野神社には、国常立命を祭神として祀っている所が数社ある。かなり早い時期に2人の神名であった”熊野大神櫛気野命”と”国常立命”は速玉男命、事解男命に改められている。

 那智大社

 熊野速玉大社、熊野本宮大社、那智大社を加えて、熊野三山と呼ぶ。那智が最初に祀られた所ではなく、たいてい本宮か新宮を勧請した後に加えられている。こうした事実は、那智大社が新宮、本宮と成立を異にしている事だ。熊野信仰は、本宮新宮にある。つまり那智大社の祭神はニギハヤヒである。


 坂本は一息ついて、磯部珠江を見る。彼女は顔を坂本に向けてはいるものの、その目はあらぬ方を向いている。

「面白くないですか」坂本は尋ねる。珠江は坂本の声に我に還ったような顔になる。

「あら、ごめんなさい、よそ事を考えていたの」

「もうやめましょうか」そういう坂本の心にも、この話に飽きが来ているのだ。

 ソロモンの財宝の在り処を捜すためと、当初は意気込んでいた。ところが坂本の話には、いつまでたっても財宝の財の字さえ出てこない。

 坂本は一本気で真面目な男だ。磯部作次郎が成した方法で、一歩一歩、歩を進めるやり方に固執している。そんなやり方に、珠江たちは欠伸を噛み殺しながら拝聴する様となる。何となくお義理でお付き合いしている感じとなる。さすがに坂本もその気配を察している。

・・・こうなれば自分1人でやろう。財宝の財の字がでたら、その時報告したらよいのではないか・・・

 こんな考えが頭の中に閃く。

「ごめんなさいね。続けて」

 珠江は肩にかかった髪を撫ぜつける。

坂本の話には気長に付き合うしかないと考える。彼女は仕事の上でも坂本の協力を仰がねばならない。

「無理しなくてもよいですよ。それよりか・・・」

 坂本はテーブルに拡げた資料を閉じる。

 「ソロモンの財宝について、何か判った事が出たら知らせるって考えでどうでしょう」

 坂本は珠江を見る。坂本もその方がやりやすい。調べた事を皆の前で発表すること自体、骨が折れる事なのだ。

「太一郎さん、気分悪くした?」

 珠江はすまなさそうな顔をする。坂本は微笑する。

「本当はね、自分1人でやった方が手っ取り早いんですよ」

 坂本の言い訳に珠江の顔も晴れる。

 昼食を磯部邸で摂った後、坂本は珠江をドライブに誘う。知多半島一周である。途中2回ばかり休憩を取る。内海のレストランでコーヒーを飲みながら、伊勢の海を眺める。晴天で、鈴鹿の山々も手に取るように見える。

・・・あのあたりが伊勢か・・・坂本は遠くを見る。珠江の白い横顔が美しい。

”伊勢”往古、伊勢は石と呼ばれていた。石の付く地名に、スサノオやニギハヤヒの影がついて回る。

 珠江にその事を話しかったが、充分に調べ上げてからでよいと、喉まで出かかった言葉を引っ込める。


 その日の夜、坂本太一郎は自宅で資料を整理する。

スサノオとニギハヤヒ、この2人は実に多くの名前を持っている。今朝、磯部邸で中断した講義の再開なのだ。

 坂本が驚いたのは、おおやまずみ、たかおかみ、別雷ワケイカズチなどもニギハヤヒであるという事実だ。

 一方のスサノオにも沢山の別な顔がある。

 大和神社の祭神、八劔神、熊野大社、神祖熊野大神櫛御気野命、大和神社、八千矛大神、日吉大社(山王さん)、大山咋おおやまくい命、


 日本は八百万の神々の国という。

 坂本は磯部作次郎の資料を調べていく内に、八百万の神々も、元をたどっていくと、スサノオやニギハヤヒを代表する少数の神々に帰結する事が判明した。1人の神が名を変えて祀られている。そこに時の権力者の守護神が割り込んでくる。1つの神社に、いく柱もの神々が祀られる理由がここにある。


 スサノオの命令で、瀬戸内海を経て、大和盆地を平定したニギハヤヒ、彼は三輪山の麓に居座り、そこから関東にも兵を贈る。日本最初の大王となった。

 しかし、彼の死後、スサノオの子孫は、アマテラス系の子孫にとって代わられる事になる。

 その原因を作ったのが、彼ら独特の世襲制度にあった。前にも説明したが、スサノオ一族には蒙古名がある。つまり彼らは蒙古からやってきた騎馬民族だった。

 スサノオの父の名をフツ、スサノオをフツシ、ニギハヤヒをフル、大国主尊をミㇰㇰルという。これが彼らの本名なのだ。

 古代蒙古の相続の特徴は末子相続である。この相続制度は日本では応神天皇まで続き、仁徳天皇の時から、長子相続に代わる。

 スサノオには8人の子供がいる。出生順に

 第1子、八島野尊、京都の八坂神社はスサノオを祀る神社であるが、ここでは八島茶見尊として祀られている。彼は他の8人の子供達と比較して、活躍した記録がない。出雲の須賀神社に八島野尊とあるだけだ。推測するに、彼は留守番として出雲を守っていたと考えられる。

 第2子、五十猛尊、スサノオは彼を朝鮮に派遣している。

 第3子、大屋津姫 第4子、狐津姫、この2人は五十猛が朝鮮半島から、食料になる木の実を持ち帰ってきた時、それを持って、日本各地に配ったという記録が残っている。

 第6子、宇迦御魂(倉稲魂)尊、この宇迦ウガという名前は蒙古名である。倉稲魂とあるように、彼は稲作の普及に力を尽くしている。”稲荷大明神”の名で全国に祀られている。

 第7子、磐坂彦、京都八坂神社では大屋彦尊として祀られている。彼は島根県八束郡鹿島南にある恵曇髪えともに、後江角浦の産土神として崇敬を集めているのみで、目立った記録は残していない。

 言い忘れたが、ニギハヤヒは第5子である。

 第8子は須世理姫、末子相続のために、スサノオの正当な相続人はスセリ姫である。彼女は後に大国主を婿養子にむかえている。

 大国主には謎めいた点が多い。まず親がはっきりしない。当時出雲のしかるべき族長の子供だったら、親の名前は記録に残る筈である。多分貧しい家の子かスサノオ家の使用人ではなかったかと推察できる。

 出雲大社の神賀詞の記録からみると、大国主はスサノオが進んで迎えた養子ではないという事だ。義兄たちに散々虐められた伝説が残っているところからみると、出世の位が低かったと見るべきなのだ。結論から言えばスセリ姫の方が好きになって、周囲の反対を押し切って結婚したと考えるのが妥当だろう。

 この結婚は、スセリ姫にも、スサノオ家にしても、不幸を呼ぶ事になった。

 大国主は性格的には軍人や政治家には向かなかった。医学、薬学、獣医学の神として祀られているところからして、学者肌の性格であったと思われる。

 不幸――というのは、スサノオ家の後継者として、広大な国土を受け継ぎ、大国主と呼ばれる立場になった事だ。それだけの器量のない者が、その荷を背負う事がいかに大変であったか。


 次なる不幸。

 スサノオは九州を平定後、アマテラス=大日霊女と暮らして3人の女をもうけている。スサノオの後を継いだ大国主も出雲と日向の間を行ったり来たりしている。

 日向にいる間は若い大日霊女の長女、多紀理姫と一諸に暮らす様になる。タギリ姫はスセリ姫より15歳ばかり歳下であったと思われる。

 大国主は出雲で養子の身分なので、頭の上がらぬスセリ姫と一緒にいるよりも、物が豊富で暖かい日向の若いタギリ姫をの方を好んだ。最後に大国主は日向の都、今の西都市のタギリ姫の許で亡くなった。

 スセリ姫には、山代日子尊、木俣神、武御名方尊の3子がいた。

 相続人の末っ子武御名方は祖父のスサノオに似て、英雄的な性格だった。

不幸と言うのは、夫の大国主が死んだ後、タギリ姫との間に生まれた2男1女の末っ子事代主が、末子相続の習慣で、九州の方を継ぐ(当時5歳か6歳ぐらい)為の代行政治をするために、大日霊女が女王となった。

 そして、4~5年して出雲の相続権を主張して、出雲に乗り込んできた事だ。

 大国主は養子ではあるが、事代主の母のタギリ姫は、スサノオと大日霊女アマテラスの間に生まれた姫であるから、血統としてはスサノオの孫になる。この時10歳ぐらいになっていた事代主が、末子相続の習慣から出雲の相続権を主張してきたのだった。

 この事については、古事記、日本書紀には、形を変えているものの、出雲の国譲りとして出ている。


 一方、ニギハヤヒの子供達について述べる。

 長男、ウマシマチ(宇摩志麻治)、次男、アメノカヤマ(天香山)、ニギハヤヒが大和に来て生まれたのが、末子のミトシ(御歳)。

 ニギハヤヒの妃として有名なのは、ナガスネヒコ(長髄彦)の妹の御炊屋姫と、天道日女である。それぞれ、ウマシマチとアメノカヤマの母として各地に祀られている。

 この2人はニギハヤヒ亡き後、大和の主権者であり、大王に一番近い存在だったために、悲愁の運命を辿ることに事になる。

 2人は末子でニギハヤヒ家の相続人ミトシの後見人として実質的に大和の実権を握っていた。2人の最大の功績は大和と日向(邪馬台国)の合体を取りまとめた事にある。

 大和と日向の合体、ミトシとイワレヒコ(伊波礼彦=神武天皇)の養子縁組を喜ばない人物がいた。ナガスネヒコである。

日本書紀には、ニギハヤヒは、ナガスネヒコの性質がねじけていて、神と人とは全く異なるのだという事を教えても判りそうにもないので殺して、神武天皇に帰順したとある。


                  イワレヒコ


 神武天皇の東遷は、ニギハヤヒの死後の事だ。出雲の国譲りがオオクニヌシの死後と同じである。

 記紀の編集の最高権者は、あくまでも大和も出雲も、それぞれの大王が生きていた事にして、日向が実力で彼らを服従した事にしたかった。


 ニギハヤヒが大和にやってきた時は、ナガスネヒコと同様、若者だった。ニギハヤヒが平和裡に大和入りが出来たのも、当時大和地方の支配者ナガスネヒコの協力があったればこそである。

 ナガスネヒコからすれば、大陸の新しい技術を持ったニギハヤヒを迎え入れる事で、国力の増強を図る事が出来ると計算した。

 2人は手を携えて大和平定に乗り出す。ニギハヤヒが死んだ後、2人の子供が末子のミトシを助けて、国政を助けていた。


 イワレヒコを大和の養子にするよう画策したのは、大日霊女=アマテラス女王である。彼女は老齢に達していたが、多くの子孫に恵まれていた。推定90歳で死亡と伝えられている。

 彼女は出雲を手中に収めた後、野心の眼を大和に向ける。戦いとなれば犠牲をを伴う事は必定である。政略的に大和支配を目論む。

 彼女が目を付けたのは、末子相続のミトシである。自分の孫のイワレヒコを養子として送る事で大和支配の足場を築こうとしたのだ。

 ウマシマチとアメノカヤマは承諾する。その理由として、日向、出雲は大陸の先進文化に浴している。大陸の影響を無視しては、国の統治は成り立たない時代である事を肌身に感じていた。

 イワレヒコを大和に入れる事で、新たな国造りに励むべきだと痛感していた。

 しかし、ナガスネヒコは、ニギハヤヒという偉大な大王の後継者を、よりにもよって、昔スサノオ、ニギハヤヒ父子が征服した日向の国から迎える事に我慢が出来なかった。

 そこを何とか説き伏せたと思っていたウマシマチも、ナガスネヒコが大和入りしようとしたイワレヒコに攻撃を仕掛けたのには驚いた。

 イワレヒコは柏原市を通って大和側を上がって、生駒まで来て、ナガスネヒコに追い返された。仕方なく、伊勢から上陸して、大和丹生川をさかのぼり生駒の方へ抜けようとした。

 齢90近くになって、老いの一徹もあろう、ナガスネヒコはウマシマチの説得には耳を貸さなかった。

ウマシマチは日向一族が出雲を乗っ取った事は知っていた。

 大国主は養子であるから、出雲のスサノオの血統は、武御名方が正しいと主張する母のスセリ姫は、出雲は絶対に渡せないと日向に主張している。場合によっては、九州に侵攻しかねない勢いであった。

 経済的にも、人材的にも豊富だった日向側は、あくまでも末子相続を主張して平和裡に話が進まないなら武力に訴えても相続すると、天児屋根、武甕槌、経津主の3軍を動員して、幼い事代主と母のタギリ姫を擁して出雲に乗り込んできた。

 出雲の相続権争いは、中海と宍道湖をつなぐ、松江大橋川を挟んで行われた。

 武御名方は、日向軍中でも、最強と伝えられた武甕竟槌の軍に敗れた。

 この時、出雲の豪族達が、武御名方を応援したという記録がない。

 1つには、当時の相続権は末子にあったため、たとえ日向で生まれても、大国主の末子である以上、正当な相続権は事代主にあるという意見に、正面切って反対が出来なかった事。

 2つ目には、軍事的に日向の方が勢力が優れていたので戦っても、出雲が勝つ見込みが薄く、積極的に応援する機運がなかった事。

 相続権争いに敗れた武御名方は諏訪まで逃げる。そこから出ないという条件で許されている。この事件は、当然大和のウマシマチやナガスネヒコは知っていた。日向一族は、初めは平和裡に交渉の場に臨むが、相手が聞き入れないと知るや武力で制圧する事も判っていた。

 ナガスネヒコはアイヌ民族の棟梁として大和を支配してきた。そこへニギハヤヒが現れる。彼の人柄と、その器量に惚れて、自分の妹2人をニギハヤヒに嫁がせる。ナガスネヒコの期待に応えて、ニギハヤヒは、国土の開拓と発展に尽くす。民の暮らしは豊かになる。

 ナガスネヒコにしてみれば、末子相続は理解できなかった事と、日向はスサノオによって支配された国という認識がある。そんな一段劣る国から大和の後継者を迎える事など理解に苦しんだ。

 武力で来るなら受けて立とうという気概もあったろう。イワレヒコの大和入りを武力で阻止してしまった。

 一方のウマシマチは先祖の地の出雲が日向の支配に入った事に、指をくわえてみているしかなかった。それ程、日向の軍事力は圧倒していた。

 ウマシマチが、イワレヒコを養子として迎え入れる事を承諾したのも、それが時代の要請であると共に、拒否すれば、最終的に武力によって制圧され、出雲の武御名方のように、大和を追放される事態も起こりうる。それだけは絶対に避けねばならない。

 ウマシマチはナガスネヒコを殺した。

 弟のアメノカヤマに、布都御魂剣を持って、和歌山県の熊野に潜入していたイワレヒコを迎いに行かせた。イワレヒコを無事大和入りさせると、ミトシと結婚させた。

 こうして、日向一族を皇統とする初代天皇が誕生する事になる。


                  チャクラ


 坂本はここまで整理して、一息つく。時間を見ると九時を回っている。

 モーゼの出エジプトから始まって、第一代神武天皇の誕生まで何とかこぎつけた。

 ソロモンの財宝や紫水晶の秘宝について、あまり触れてはこなかったが、今後はこれらと合わせて、磯部作次郎の資料を整理する事になる。

 奈良、天理市にある石上いそのかみ神宮、伊勢の内宮、外宮などが登場する事になる。

 ――これからが面白いところなのに――

 坂本は磯部珠江の大きな瞳を思い浮かべた時、電話が鳴る。

「夜分すみません、向井ですが・・・」

 向井は先日の、みちのく教団の件だと話し出す。

 寺島広三から今朝、電話があり、今週の日曜日に、教祖の佐久田龍一から、待っているから来るようにとの事。

「いかがでしょうか、入る入らないは別として、一度出かけてみませんか。私も佐久田教祖とお会いできるそうですが・・・」

 向井の声ははずんでいる。彼も宗教が好きで色々な教団を渡り歩いている。

 坂本も、みちのく教団の教義よりも、修行方法に興味がある。行く旨了解する。

 みちのく教団は、伊勢の外宮と内宮の丁度真ん中にある。伊勢市前山にある。南側に鼓ヶ岳、前山、鷲嶺が遠望できる。北に伊勢市街が拡がっている。西には国東山脈の、なだらかな山裾が拡がり、玉城町がかすかに見える。

 前山は数十棟の民家があるのみ。町というより部落という風景である。

 みちのく教団は部落の奥まった所の民家の一角にある。宗教法人としての教団ではないためか、冠門のところに、小さな看板で、みちのく教団と書かれてあるのみ。

 教祖の佐久田家は旧家という。佐久田龍一の亡父は、熱心な篤信家で、伊勢に数ある神社の参拝が何よりの楽しみだったという。

 その父の影響もあったのか、佐久田龍一は、神社参拝を欠かした事がない。もっとも彼は、無暗に神仏を有り難がる気持ちを持ってはいない。宗教の修行方法も科学的な眼で分析して、最も効果的な修行方法を考案している。

 一口に修行と言っても、1つの方法が万人に通用するものではない。能力や性格、得手不得手に至るまで千差万別である。

 佐久田龍一がみちのく教団を宣伝した事は一度もない。にもかかわらず、教団は、一ヵ月に一度は教団にやってくる信者と、主に自宅で修行に専念する在家信者を合わせて、2百名に達する。

 みちのく教団は入信の条件として、信者の推薦を第1条件とする。第2に教祖が直に面談して、その意にかなう事。第3に教団の規定に無条件に服従する事。

 以上の条件をパスして入信するが、修行方法については、臓器機能測定器と生体エネルギー測定器で、各自の体力に充満する気の流れ、つまり経絡の強度の具合を調べる。

 胃経,脾、膵臓経、八命経(胃経の支配)、三焦経、膀胱経などは、肉体での働きと、気のエネルギーとの間に密接な関係がある事が判っている。

 例えば、脾(膵臓)経の気のエネルギー不足の人は、精神的に不安定な人となる。

 胃経、八命経にコントロールされる胃や脾経にコントロールされる脾(膵臓)は、マニプラチャクラがコントロールする消化器系である。

 三焦経にコントロールされる副腎、腎経にコントロールされる腎臓や膀胱は、スワデスタナチャクラに影響を与える。ムーラダーラチャクラにコントロールされるのが泌尿生殖器系である。

 マニプラチャクラより上位のアナハタチャクラが目覚めると、エネルギー、生命力(つまり気)を他のチャクラに与える。例えば他人の病気を治したり、望みを叶えようとする積極的、生産的、拡散的能力に目覚める。

 アナハタチャクラが目覚めた人は、心臓と関係のある心経、心包経、隔命経で、エネルギーの過剰と不安定を示す。心電図でも不整脈や狭心症の傾向を示す。

 要点をいえば体内の内臓の働き具合から、どのチャクラがどれだけ目覚めているかを知ることが出来る。

 教祖の佐久田龍一はこの方法を駆使して、信者のチャクラの目覚め具合を測定する。

 チャクラは目覚めると、それに見合う超能力が発現するが、そのチャクラばかりを酷使すると、早死したり、精神的に異常をきたすといわれる。つまりそのチャクラを通じて、その内臓に過分の負担を与えて、体力の消耗を早めるのである。

 例えばアナハタチャクラに目覚めた霊能者は心臓マヒでショック死する事実が報告されている。

 佐久田教祖は信者に目覚めているチャクラを酷使しないように指導する。その上でその他のチャクラの目覚めの為の修行方法を啓示する。


                   みちのく教団


朝10時近くに、坂本と向井純、寺島広三の乗ったクラウンがみちのく教団の冠門をくぐる。庭は広々としている。すでに10台ばかりの車が駐車している。

 庭は飛び石などを配して、手入れが行き届いている。体力を動かす事が最大の修行という事で、毎週信者がやってきては庭の手入れをするという。建物は昭和の初めに建築されたと聞く。コの字型の2階建てで、今様のアルミサッシは使っていない。

 玄関は東側にある。二間の広さのある引き戸は鎧戸のように重々しい。戸を開けて玄関口に入る。左右に下駄箱が並んでいる。靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。上がり框の奥は一間の廊下が左右に走っている。正面は10帖の和室という。柱と言い、廊下と言い、ピカピカに磨き上げられている。室内全体は古色蒼然としているが、チリ1つ無く、清々しい空気がピンと張り詰めている。

 玄関前の廊下を右に行く。ものの4~5メートル歩くと左に曲がる。

「随分大きな家ですな」坂本は感心したように寺島に尋ねる。髪の毛の薄い寺島に親密感を抱いている。

「ええ、上下合わせて2百坪ありますから」

 昔はともかく、今は信者達の宿泊の場になっている。十何室ある部屋は常時信者達の修行の場としても利用されている。

 一間幅の廊下を左に曲がる。30メートルはあろうか。坂本は小学校の時の廊下を思い浮かべる。左側が部屋になっている。右側はガラス窓で仕切られた、裏庭が見える。廊下を突き当たると、左が1階への階段、右が別棟へと続いている。

 トレーニングウエアに身を固めた信者が5人、坂本達を追い越していく。別棟は鉄筋コンクリート造りの総2回の建物。上下合わせて百坪。

 一階は4つの部屋に仕切られている。

 1つは佐久田教祖専用の部屋。1つは書架室。古今東西の宗教、風水関係、経絡に関する書物、神智思想に関する物がズラリと並ぶ。その数一万点。ちょっとした図書館である。

 1つは信者や入信者との相談室。最後の1つは、臓器機能測定器や生体エネルギー測定器、つまりチャクラマシン、それに波動測定器、ラジオ二クス装置と呼ばれるチャクラの測定や肉体の異常な所を測定する。

 2階は百帖敷きの大広間、この部屋で講義をしたり、ヨガ行を行ったりする。西側に祭壇がある。

 正面に”うしとら金神”と大書きした垂れ幕がある。その前に榊が枝を茂らせている。それは素戔嗚男神をあらわす。その前に丸い銅鏡がある。奇稲田姫を表現している。その左右に10センチ程の高さの銅剣が並ぶ。右が饒速日神、左が饒速日の末娘伊須気依姫。

 実に簡素な祭壇だが、教祖の佐久田は、外見よりも中身という。真心をもって祀れば、神に感応するという。

 世間には無数の宗教団体があるが、麗麗しい神社仏閣は、豪華な祭壇を設けて、これを誇りとするところが多い。

 霊体としての神にとって何よりの供養は祀る人の誠心誠意である。お金を沢山寄付すればする程極楽往生すると説く宗教は邪道だ。


 道中、車の中で坂本は、みちのく教団や、教祖佐久田の人柄を聞いている。

 2階の大広間にはすでに50人程の信者が集まっている。白のトレーニングウエア姿の者が圧倒的に多い。若者が半数を占めている。

 5月末日とて、人里離れた場所だけで、清々しい空気に溢れている。建物の周囲に樹木が茂っている。窓からは暖かい日差しが入ってくる。

 坂本は向井純や寺本広三と共に、部屋の中央に陣取る。坂本は周囲を見回す。見たような顔が数名いる。彼らは坂本や向井と顔が合うと、にこやかに挨拶する。

「彼ら、ほらアラタマ教団の信者ですよ」向井は坂本の耳に囁くように話す。

「ここの教祖とね、アラタマ教団の教祖とは顔なじみなんですよ」

 向井は尋ねもしないのに、ベラベラと喋る。お陰で坂本は教団の内実に詳しくなる。

 10時半になる。

 祭壇の右手奥から、中背の筋肉質の男が現れる。血色がよく、髪もふさふさしている。上下そろいの紺のトレーナーを着こみ、祭壇を背にして、どっかりと胡坐をかく。

 同時にざわついていた広間も静かになる。50数名に信者達は、思い思いに正座をしたり、胡坐をかいたりして、佐久田教祖の方を向く。

 顔は面長で唇が薄い。切れ長の眼に、眉が濃い。佐久田教祖は52歳と聞くが、若く見える。彼は一同を見回してから、祭壇の方へ向き直る。正座で座り直す。後ろに控える50名も一斉に正座する。

 佐久田教祖が祭壇に向かって四拝する。一同も教祖に従う。しばらくそのままの姿勢で沈黙が続く。教祖が祭壇を背にすると、一同の姿勢も崩れる。

「今日初めての人で、入信希望者は、一階の私の部屋で待っていてください。」佐久田教祖の女のような澄んだ声が大広間に響く。

「昼食を希望する人は申し出て下さい」

 信者の1人が立ち上がると、挙手を求める。寺島は坂本と向井の分を含めて、3人分を希望する。

「坂本さん、よろしいですわね」挙手してから、寺島は坂本に同意を求める。


 入信希望者は坂本を含めて7名。坂本達は寺島に付き添われて、教祖の書斎に入る。15帖程の広さの書斎には、事務机が1つと棚に数十冊の本が並ぶだけの簡素なものである。部屋の隅には折りたたみ椅子が並んでいる。

 寺島たちが椅子に座り、待機する事約5分、事務机のある隅のドアから佐久田教祖が入ってくる。

 事務机の前に腰を降ろすと、付き添い人達を側に呼ぶ。

「皆さんにこれを配って」

 坂本達に手渡されたのは、入信についての心得と題するパンフレットである。教祖の自筆という事で、大きめの恰幅の良い文字だが、読みづらい。ありていに言えば下手な字だ。

 入信希望者7名の最初の人が呼ばれ、事務机を挟んで教祖と差し向いになる。その間、坂本達はパンフレットを読む事になる。

 内容は、みちのく教団で学んだことは他言するな。入信を勧める場合は、相手をよく見極めてからにせよ。

月会費は1万円。昼食代が5百円、一泊する時は前もって連絡せよ。宿泊費は3千円。脱会は自由だが、1度脱会した者の再入信は認めない。

 その他色々な事が書いてあるが、これといった事は何も無い。

坂本が呼ばれる。

 佐久田教祖はにこやかに頭を下げる。他の宗教団体の教祖のような、近寄りがたい雰囲気は微塵もない。学者風の人が歳をとって、丸みを帯びてきたという感じだ。

 机の上に入信希望者推薦者、寺島広三と書いた1枚の紙が載っている。そこには坂本の人柄や宗教に関する考え方が書いてある。寺島に請われて、坂本が喋ったものだ。

 佐久田教祖はそれを見ながら質問する。

 宗派は何か、何か修行をしているのか、何年ぐらいやっているのか、ヨガや太極拳などをやっているかなど。

 坂本はこういう質問には口が重い。それでも言葉少なげに話す。10年余、ヨガの呼吸法を行っている事。宗派は特にない。神秘思想には興味があり、その類の本は読んでいる事など・・・。

 佐久田教祖は坂本の言う事をいちいちメモしている。家族構成や仕事の事は一切触れない。

「最後に、超能力に関心は?」坂本の顔を覗き込むように言う。

「関心はあるが、長年呼吸法をやっていて、超能力に目覚めるとは思ってはいないし、また期待もしていない」と答える。

 坂本は心の底では一刻も早く超能力に目覚めたいと考えている。その為にここへ来たのだ。

 坂本は本心を隠して話す。

「ここへ来た人はね、超能力獲得が目的なんですね。坂本さん、何の為にここへ来たんですか」

 佐久田教祖の澄んだ切れ長の眼が、坂本を射るように見ている。

「超能力に目覚めれば、それにこした事はない。これからの人生を有意義に過ごしたい。その為の手段として入信を希望している」坂本は澱みなく答える。今まで営業上何百人以上の人と接触している。その場の答え方を身に着けている。言ってから坂本はにこりと笑る。 佐久田教祖は坂本の笑顔につられて、眼を伏せる。

「判りました。あなたがここで何を会得しようと、関知しません。我々は坂本さんに必要な知識や情報を提供しましょう」

 教祖との面談はこれでお仕舞いと思って立ち上がろうとした時、

「ところで、坂本さん、磯部珠江さんはお元気でしょうか」

「えっ!」坂本は思わず声が出る。磯部珠江の事、どうして知っているのか。坂本は立ち上がりかけた腰を降ろす。

「旧姓、乾珠江さん、磯部作次郎さんとの結婚式に、私も父と共に招待されましてね」

 佐久田教祖は相好を崩して、親しみにある顔で語る。

「私の家も伊勢では旧家なんですよ。乾家の事はよく知ってるんです」

 坂本は磯部珠江は元気だと答える。何故か胸が高鳴る。珠江との2人だけの秘密を覗かれているような錯覚に陥いる。

「珠江さんも大変ですね。ご主人に先立たれて・・・」

 佐久田龍一は感慨に耽るような面持ちで窓の外を眺める。

・・・この男、磯部家の秘宝、紫水晶について、何か知っているんじゃないか・・・

 坂本は心に疑心が拡がるが、顔には出さない。がそれも杞憂である事が判る。

 佐久田は窓の外を見ながら呟くように言う。

 磯部作次郎殺害事件が、テレビや新聞で報じられた時は驚いた。

 岸田家から連絡があった時、自分達も弔問をと考えたが、珠江さんの立場も考えて取りやめとした。その代り弔電で済ますことにした。

 岸田の話だと、磯部土建の経営は坂本氏が珠江未亡人を支えて面倒を見ているとのこと。

 奇遇にもこうして、坂本さんとお会いできた。珠江さんをよろしく。

 窓の外を見ていた佐久田は、坂本の方を向き直り、深々と頭を下げる。そこには教祖としての威厳もない。

・・・実に気さくな人だ・・・

 坂本は佐久田に好意を持つ。

「こちらこそ」坂本の深々と頭を下げる。


 坂本は佐久田教祖との面談が終わると、隣室の経絡機能測定室に連れられる。そこは30帖程の広さがある。色々な機械がところ狭しと並んでいる。背広やワイシャツを脱ぎ、下着一枚となる。眉間、心臓、喉、お腹の辺り、両手の指に、銅線の付いたバンソウコのような物を張り付ける。10分ばかり横になる。その間坂本の肉体から発する生体エネルギーを、DCアンプやコンピューターで増幅させて記録を取っていく。

 坂本の体内を流れる気のエネルギーの強弱や、エネルギーの流れに滞りがないかどうか、各チャクラへ気のエネルギーがどれほど流れ込んでいるかを調べる。

 測定しているのは若い女性だ。コンピューターを操作しながら、手を上げてとか、呼吸を止めてとか、坂本に指示する。彼女は皇學館大学の学生という。顔立ちの整った美人である。坂本は磯部珠江の顔を思い浮かべる。

 30分程して、坂本は佐久田の部屋に呼ばれる。

「測定の結果ですが・・・」佐久田は測定のデータ表を見ながら説明する。

「坂本さん、10年来やっておられる呼吸法のお陰というか、マニプラチャクラがよく動いています。ただね」

 佐久田は面長の顔に憂いを含む。

「時々情緒不安定、つまりですね、イラついたり、急に変な事を考え付いたりしませんか?」

 言われて坂本は思い当たる。4月からの消費税のアップによって、坂本住宅も磯部土建も売り上げが落ちている。何とかせねばという焦りもあろうが、現場監督や営業社員に当たり散らしたりすることが多くなった。何故そうなるのか、坂本にも判らない。発作的にイライラが昂じる。

 それに――、1人でぽつ念としている時、珠江の事が脳裏に浮かぶ。快い快感の情景だが、知らず内に、珠江との情事の場面へと展開していく。男だから仕方がないと思うものの、淫らな空想に、はっと我に還る始末。

 佐久田教祖は坂本の顔を見て笑う。軽蔑しているのではない。坂本の呼吸法に間違いがあったにしろ、10年来1つの呼吸法を続けている事に感心しているのだ。

「坂本さん、今やっておられる呼吸法はそのまま続けて、その後に、30分ぐらい小周天をやられたらどうでしょうか」

 言葉はあくまでも丁寧である。自分の意見を押し付けたりしない。見方によればその人の気持ちを尊重している事になる。

後日、寺本広三から聴いたところによると、自分の意見を強要しない代わりに、それ以上の面倒は一切見ないという。言われた通りにやって、それ相応の成果が見えた時、次なる修行のステップを指示する。それが佐久田教祖の教え方という。


 坂本は人の意見を大切にするタイプだ。佐久田教祖の意見を素直に受け入れる。

 小周天とは、正座か胡坐を組んだ座法で、お腹いっぱいに息を吸い込む。息を止めて、右手の親指と人差し指で両鼻翼を塞ぐ。

 そのまま、眼を瞑り、尾骶骨の辺りから、背骨を通って、背中、首、頭のてっぺんへと、気の流れが上昇していく様を想像する。

 頭頂に登った気の流れを、今度は顔から胸、へそ、お腹へと下げていく。また元の尾骶骨まで下がると想像する。

 気の流れが体内を一巡した時に、手で鼻翼を抑えたまま、口からゆっくりと息を吐きだす。この行程を20分ぐらい続ける。

 マニプラチャクラは、へそのすぐ上の所に位置する。

ヨガの本によると、このチャクラが目覚めると、透視、霊聴などの超能力が発揮される。しかし有害な精神的属性=利己主義などが完全にとり省かれないために、この世の我欲を得ようとする。このチャクラは物質を支配する力があるので、完全に目覚めると、この世の富を得る事が出来るとされる。

 マニプラとは2つの意味がある。1つは宝石の町、つまり物質上の富を言う。もう1つは、元の位置という意味を持つ。

 これは言い伝えによると、超古代、ムーやアトランチスといった文明が発達していた頃、クンダリ二ーは、マニプラチャクラまで昇っていた。それが物質的な欲望のために人類が堕落してしまった。クンダリニー=蛇の力は尾骶骨まで下がってしまった、というものだ。

 マニプラチャクラは日本では下丹田として知られている。武道や仙道、滝行を重視する密教系や神道系の修行者の間では、生涯をかけてここを開発する事に重点を置く。

 物欲を獲得する為ではない。人間は何回も何回も再生を繰り返す。その度にカルマ(業)、仏教でいう因縁を積み重ねていく。良いカルマなら良いが、悪業も増え続ける。その結果、因果律の法則で、悪業の結果が今生に発生する。その度に悩み、苦しみが増える。人を怨み、呪う事も出てくる。その結果がまた次の原因を造ることになる。こうして人の苦しみ悩みは再生を続けながら際限もなく拡がっていく。

 カルマの原因はマニプラチャクラの中にしまい込まれるとヨガでは説く。マニプラチャクラを目覚めさせ、クンダリニーをマニプラチャクラまで上昇させ、その蛇の力で業を焼き消す事しか、物質界のカルマから抜け出すことは出来ないとされている。

 マニプラチャクラを目覚めさせると、人のどんな誹謗中傷にも動揺しなくなる。不動明王こそ、マニプラチャクラの化現と言われているのはここにある。

 現世の業から離脱する鍵がマニプラチャクラ=下丹田にある。日本で下丹田が重要視される所以である。

 因みに西洋の魔術は首から下のチャクラをなぶらないものとされている。アジナチャクラ(眉間)の目覚めの開発に重点が置かれる。


 坂本は佐久田教祖に深々と頭を下げる。紫水晶を利用したアジナチャクラの開発法を尋ねようと思ったが、今はまだ答えてくれまいと思って、今日のところはこのまま引き下がる事にした。

 12時半に昼食を摂る。鉄筋造りの東側に昔ながらの別棟が建っている。中は20帖敷の畳の部屋、台所、フロ場、水洗式のトイレが完備してある。建物は古いが、台所は最新の設備が揃っている。

 今日の出席者45名が佐久田教祖を囲んで食事を摂る。ドンブリ茶碗に8分ほど玄米が入っている。おかずは白菜や佃煮、煮魚など、それにみそ汁が1椀。

「玄米は百回噛んで食べてください」側にいる向井純が大きな体を折り曲げるようにして言う。

 坂本は煙草を吸わない。酒もたしなむ程度。口が寂しい時は、甘い菓子をパクつく。美食家という程ではないが、卵や肉が好きだ。運動をしないせいか、体重も65キロを超えている。

「坂本さん、ここの食事はお気に召しませんか」

 折りたたみの長テーブルを2列に並べて、45名が向かい合う様にして食べている。部屋の一番奥に陣取った佐久田教祖の細長の顔が坂本の方を向く。一斉に皆の顔が坂本を見る。

「いえ、こういうの、始めてなもんで」

 坂本はずり落ちそうになる分厚い眼鏡をたくし上げながら、言い訳じみた答えをする。

 百回噛めといわれても、顎が痛くなってくる。普段柔らかいものしか食べていない。磯部珠江も坂本の好き嫌いを心得ている。固いものは出さない。

 やっとの思いで食事を終わる。一同が食べ終わったところで解散となる。それぞれが与えられた役割を果たすために散っていく。ヨガ行をする者、佐久田邸の宏大な敷地の中で、野菜やトマトなどの果実を栽培している。それらの手入れをする者、庭や部屋の掃除をする者、命令されたわけではないのに、信者達は自発的に動き回っている。

「私、これで帰ろうと思いますが・・・」

 坂本は向井と寺島に告げる。2人は一泊するつもりだという。幸い名古屋から来ている信者の車に乗せてもらうつもりだという。

「このまま、まっすぐ、常滑に帰られます?」向井がにこやかに言う。

「いえ、実は明和町に知り合いがいるもんですから、ちょっとそちらに寄ってみようと思っています」

 明和町と言えばアラタマ教団がある。坂本が行ってみたいのは岸田邸である。

 明和町と言っても範囲が広い。岸田の家はアラタマ教団から北に1キロ奥に行った所にある。むしろ松阪に近い。磯部作次郎と珠江の結婚式の時に2人の前途を祝福した岸田翁と岸田の父はすでにこの世にはいない。

 岸田洋の兄が後を継いでいる。岸田は時々明和町の実家に帰っている。その目的は主に、伊勢の外宮近くにある乾家の本宅を管理するためだ。珠江も時々帰っている。

 5月に入って、磯部土建の仕事も暇になった事もあるが、岸田は磯部邸に姿を現さない。珠江の話だと明和町の実家に出かけているとのこと。

 今日も朝出かける時、坂本は珠江に岸田の事を聞いている。明和町にいるという返事だった。

ここしばらく岸田に会っていない。久し振りに岸田洋に会ってみようと計画していた。

「ほう、どなたか親しい人でも・・・」向井はしつこく尋ねる。

「実は・・・」坂本は事実を述べる。


                                 ――その3へ続く――


 お願い

 この小説はフィクションです。ここに登場する個人、団体、組織等は現実の個人団体組織とは一切関係ありません。なおここに登場する地名は現実の地名ですが、その情景は作者の創作であり、現実の地名の情景ではありません。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ