08.マーリンとお局様
「水を生み出す魔法です。水が生まれるための筋ですがぁ……」
即席的な雰囲気で始まった、伝道師マーリンの魔法教室。野次馬に来ていた村人がさらに他の村人を呼び、広場はマーリンが到着した時以上に人が集まっていた。
「あれ? カヤは?」
村の壮年の男性が仲間に声をかける。カヤといえば、先程ネンキンに悪態を突きながら、マーリンらに茶を汲んでくれた女性だ。会話が気になり耳を傾けるマーリン。
「さあな。カミさんに声を掛けた時近くにいたから、話は聞いてるはずなんだがな」
「ああ、来ないみたいだよ。あんな若い娘に何かできるわけないわって、相変わらずの調子だったよ」
別の村人が答える。
「それなら仕方ねえか。無理矢理誘っても面倒なだけだもんな、あのヒネクレは」
「……」
無言でその言葉を間近で聞いていたのはカヤ本人だった。もちろんその表情には怒りが伺える。人々はカヤの存在に気づいて気まずく顔をそらし、離れていった。
「怖っ」
見ていたマーリンは小さいとはいえ、声に出してしまう。しかもそれを聞き漏らさなかったのはカヤだった。マーリンの方をにらみつける。
「マーリン様……見ていますよ?」
タマディアスが囁く。
「だって、明らかに怒ってて、でも黙ってるのなんて、怖いわー」
マーリンは声を潜めているが、どうやらカヤにはお見通しらしく、カヤはマーリンをにらみ続けていた。マーリンは思いついたようにタマディアスの横に周り、くるりと体の向きを変えさせて、タマディアスをカヤの方に向ける。
「えっ」
タマディアスとカヤの目が合ってしまった。
「たまちゃん、とりあえず笑って笑って〜」
マーリンはタマディアスの背後から囁き掛ける。タマディアスは笑った。もちろん引きつった顔になった。
しかしカヤは驚いた顔になってすぐに顔を背けた。見れば心無しか先程の怒りをたたえた顔よりは目尻は下がっている。
「たまちゃん、今だ! 話しかけて!」
言ってマーリンはタマディアスを押し出す。タマディアスはカヤの方に一歩踏み出す形となった。
「さ……先程はお茶をありがとうございました」
マーリンは小声で、笑顔で笑顔で、と囁いている。そのためもあって、タマディアスはなんとか笑顔を維持していた。
なんとカヤは背けていた顔を下から煽るような角度を経て再び顔を向けて、タマディアスを上目遣いで見た。
「どういたしまして」
そして、きらびやかに笑った。
「マーリン様が水を生み出す魔法を伝授くださいますので、ぜひあなたもお聞きください」
「まあ、そうだったの? 私ったら何をするのか知らなくて」
カヤはネンキンについた態度とは、まるで別人のように、更に言うならまるでうぶに恥じらった様子で答えた。
「人に教えるのは好きなんだけどな〜」
第一部と称した魔法伝授会は、ただいま休憩時間だ。休憩室としてあてがわれた役所の一室で、運んでもらえるという食事を待っていた。
魔法の伝授は人それぞれに筋を理解するのに差があった。水を生み出すためには、空気中の水分が目に見える塊として集まる、という筋であるとマーリンは理解しているのだが、空気中に水分があるということが、皆にはいまひとつ理解出来ないらしい。
何人かは習得することができていたので、頭ごなしにマーリンの言が否定されるということはなかったが、進度はあまり良いとは言えなかった。
「で、あれがそうですよ、タマディアス殿。お局様というやつでがんす」
「なんです、マーリン様」
厳つい表情を作っておもむろに言うマーリンに顔をしかめるタマディアス。
「カヤさん。事あるごとにマウンティン。若いイケメンであるたまちゃんにはニッコニコ」
「ああ……」
タマディアスはため息をついた。
「だって、お茶くれた時だって、知ってる? 私のこと品定めするみたいに見たからねぇ」
「別に何かをされたわけではないでしょうに」
呆れて言うタマディアスに、マーリンは大きく目を見開き、タマディアスを指差した。
「あー。あーあーあー。たまちゃんもそういうこと言う人なんだー?」
言ってマーリンは大いに不貞腐れた顔をして食卓に突っ伏した。それを見て苦笑いするタマディアス。
「……まあ、お気持ちはなんとなくわかります」
言われてマーリンは伏せていた顔を横に向ける。
「どっちの?」
タマディアスはそれを聞かれたことが意外だという驚いた顔をした。
「マーリン様のお気持ちです。何かされるのかもしれないという人が近くにいると、不安になります。それが微かであろうと」
マーリンは満足したのか不貞腐れた顔を解いた。
「それにね? すごく勿体ないなーって思うの。周りも、本人も。望むことがきっとあって、上手く行くやり方がるのに、それができないっていうのが」
「それは……筋がわからなくて魔法が上手く使えない事と似ていますね」
このタマディアスの言葉に、マーリンは今度は肯定の意で指をさした。
「そう! そのとーり! それに、上手くやれっていうのは、周りにじゃなくて本人に言えって思う。なんでみんな、本人には言わないんだろう……」
マーリンは不思議がりながら、しかし自分で続けた。
「……まあ、言えないよね。何されるかわかんないとか、面倒な事にしかならないって思っちゃうよねー」
マーリンは自身の経験を思い出していた。
「私、お局様に、入社してすぐに呼び出されたことがあるの」
「……上司……ではないのですよね?」
「うん。ちょっと体育館裏まで来いやー状態」
タマディアスは体育館がなんだかわからないなりに、そこが後ろめたい事をするための場所なのだろうとは理解して、話を聞いた。
「そしたらさ、有田さんは仕事ができなくて困ってるの、だって。あ、有田さんは私より半年前に入社した人で、明るくておっとりしたすごくいい人なの。あ、今思えばそういう、人に好かれる人への嫉妬もあったのかなぁ……」
「はあ。その方は何がしたかったのでしょうか」
「たぶんね、私を、人をコントロールするための手駒にしたかったんだと思う。私ってリーダー候補として入社したから」
冷静に言うマーリン。タマディアスはどこか背筋にぞっとする物を感じていた。
「そのやり口もすごく嫌だったし、仕事が出来ないとか言う発言もおかしいと思って、私、歯向かっちゃったのよね〜。『仕事が出来ないっていうけど、仕事のやり方を伝えることもしなけりゃ、そのためのマニュアルももちろんないわけだし、そりゃ仕事覚える事なんて出来ないですよね?』って。ちなみに、それが出来てないあなたたちも仕事できてませんけどねって言葉は飲み込んだ」
タマディアスはマーリンが軽快に言い放つ所を想像できたので笑った。
「それは……言ってることは正しい。けど……きっと反感を買ったでしょうね。マーリン様が悪いのではなく、その方がそういう性格でしょうから」
これにもマーリンは、びしっと指を指す。
「そのとーり! いや〜、影口叩かれたわ〜」
マーリンは笑った。
「みんな、そういうことされるのがイヤだから、本人には言わないんだよねえ。でも、一番思うのは、本人だって腫れ物みたいに扱われるのイヤなんだろうに、そういう扱いされる態度やめればいいのにってこと」
悲しみを感じる口調には、イヤだという相手にも共感するマーリンの優しく平等な気持ちが感じられた。タマディアスは笑いながら言う。
「ですが、マーリン様はきちんと言うわけですね」
そしてタマディアスは敬意を込めた眼差しでマーリンを見た。マーリンは頷く。
「黙っていられないのサ」
マーリンはこんなことにも決意を固めた表情をした。
そこへ、食事が運ばれてくる。ネンキンとその息子達が盆に載せた色とりどりの包みを食卓に並べていく。
「この村の伝統料理アマニッコと言いまして、アマレ肉を甘辛く煮てお米で包んだものです」
ネンキンほ包の一つを開いて中身を見せながら説明する。おにぎりのようだが、肉汁が米に染み出しており、米には緑の野菜もまぶされている。別の皿には大きな葉の野菜も盛ってある。
「こちらの菜っ葉で包んで食べても美味しいですよ」
マーリンは顔を輝かせたが、ふと気づき真顔に戻った。
「お水があんな状態なのに、わざわざこんなお料理を、すみません」
心配する様子のマーリンにネンキンが微笑む。
「実は早速水の魔法を、カヤが使いこなしておりまして。彼女は料理の腕はなかなかのもので、魔法で生み出した水でこのアマニッコを作ってくれました」
マーリンは驚く。あの頑ななタイプと思っていた人物が、水の魔法の筋を飲み込めたことが意外だと思ったのだ。頭は柔らかいのかもしれない。
「なるほどね〜」
マーリンは一人で得心した。その様子をタマディアスは面白げに見ていた。