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仮ヶ音ミドリコの物語ったこと(3)③

 

 

 

【月のウラガワ stories_ad_030-60/18】




 ずっと探しているのに、それがなんだか分からないなんてまるで呪いだ。


「みあらか、ここが2の3です」


 教室へ踏み込んだヒメミコが振り返る。

 初めて忍び込んだ旧校舎なのに、窓の外の夏の光、屋内の涼しさ、ぎいぎい鳴る床、すべてが繰り返し観たアニメみたいに懐かしい。


「ねねね、本当にダキニちゃん出たらどうするの? 心臓食べられちゃうんでしょ?」


 制服のすそにしがみつくニャッコに、僕はお下げをひるがえすように芝居がかった仕草で振り返る。

 そうだね。ここは少女たちの箱庭。外から隔てられた異界。どんな存在がいたって不思議じゃない。ダキニちゃんは幸運を授ける神様か、はたまた願いと引き換えに生徒を喰い殺す悪霊か……。


「みあちゃん怖いこと言うなよ~」


 大丈夫、備えは万全さ。ダキニちゃんの正体に迫って、學園祭の優勝を勝ち取るんでしょ。

 はは……というニャッコの力ない笑みが、ヒメミコのつぶやきで固まる。


「この教室には誰かいます」

「ひっ!?」


 埃のつもった床に、真新しい足跡。

 後ずさるニャッコを制した僕は、教卓に視線をすえる。隠れられる死角はあそこだけだ。

 ヒメ、あれを……。

 僕の唇にうなずいて、ヒメミコがスクールバッグからベレッタM93Rを取り出す。

 マガジンを装填、スライドを引いて、セーフティを解除。

 フォアグリップを握る流れるような動作を、ニャッコが呆然と見つめている。え? 備えってこんな本気のやつなの?? そうさ、本気でなきゃ備えにならない。


「そこにいる奴ッ!」


 僕は凛々しく声を響かせる。


「僕たちには攻撃する用意がある! 君に敵意がないならすぐ出てきて欲しい! 3秒間だけ待」


 タタタタタッ

 ぎゃあああああ――っ‼


 ヒメミコがセミオートで放った9ミリパラべラム弾が教卓を撫でると、奥から悲鳴とともになにかが転がった。


「さん……3秒待つって……ヒメちゃん……」

「悪い、トリガーに力を込めたらつい」

「ヒメ、トリガーに力を込めたら弾が出るんだよ」


 反省会をする僕らの前に、それが長髪を震わせながら立ち上がる。


「なななにが9ミリパラべラムですか……エアガンでしょそれぇ……」


 適切なつっこみだ。


「生きてるよヒメ」

「加減しましたから」

「つい撃ったって言ってましたよねぇえええ――っ!?」

「あれっ、逆神(さくがみ)さん……?」

 

 ニャッコのつぶやきが視線を集める。

 知り合い? 同じクラスの逆神ナラカさんだよ、ほら転入してきた。え、そんな子いたっけ。


「うるさぁ……っ‼︎」


 ナラカの叫びは、叫びなれてないせいかすぐ途切れてしまって気の毒だった。

 長い髪で顔も見えないけど、それはたしかに月霊學園の制服で、わたしはダキニちゃんに会うためこの教室にいる、あなたがたは速やかに退去せよ、とまくしたてる。この子にとっては願いを叶える神様の方らしい。


「なるほどなるほど」


 容疑者を黙らせる名探偵のように、僕はナラカの言葉を遮った。


「つまり最近の目撃談はナラカちゃんだったんだよ。しかもずっとここにいて本物のダキニちゃんには会えてない、と」

「みあらか、得意げにポーズ決めてますがつまり」

「うん。ヒメ、プランBだ」


 バッグから取り出した大きな狐の耳のかぶりものを、ヒメミコは淡々と、ニャッコは逡巡の極みのなかで装着する。

 

「ダキニちゃんが実在しないなら……それはいわばこの學園の仮想アイドルってことさ。僕たちがそれを実在させる」

「なななに言ってるんですこのひと……」

「噂話を利用して學園祭の優勝をかっさらおうという企みです」

「でもさでもさ……もし本物のダキニちゃんがいたら怒られるんじゃ?」

「ニャッコ、この瞬間から僕たちが本物なのさ。さあナラカちゃん君も」

「えぇ!? こんなものつけませんよぉ……ちょ待って……」


 それがこの物語場(アトラクタ)におけるダキニちゃん誕生の瞬間だった。

 僕が狐耳をつけようとナラカの髪を後ろへ撫でつけ、そこに意外なほど可愛らしい顔が現れて、うしろからニャッコがわあ……と声をあげる。

 そのシークエンスを、僕は他人ごとのように眺めていた。

 あの感覚だ。

 僕は、誰かとこうして見つめ合ったことがある。

 涼しげな微笑み――






 ルールはたったひとつ。最後のひとりが残るまで。






 ――空気がきんと固まっていた。

 彫像のように停止した3人ごと、教室が海の底に沈んだようだった。

 遠くから、鈴の音が聴こえた。






「かような日常系も一興じゃの、明神みあらか」


 声には馴染みがあった。

 記憶の底からその名が浮かび上がる。


「……キリカ」

「そうじゃ。そなたらの願いを叶えるもの。霊獣ダキニの化身にして、月霊學園に遍在する妙高キリカじゃ」


 教室が砂のように流れ落ち、残された虚空に大きな狐の耳をもつ制服姿の少女がいた。


「誰も死ぬことのない躰乖祭(たいかいさい)。その可能世界を経巡るルーブ・ゴールドバーグ・マシンの閉鎖系ループを超えて、いまそなたは戻ってきた」


 キリカが周囲を見回すと、灰色のグラウンドが広がっていた。

 数十層に連なる校舎。壁面は崩壊し、内部の構造体を露出させている。

 瓦礫、落ちた天板、飛散した窓ガラス。

 そして獣の耳を持った少女たちが倒れていた。

 切り刻まれ首をなくしたヒメミコの身体もあるだろう。両断されたニャッコの身体も。

 そしていま僕の手から生々しく滴る血は、真下に倒れたナラカの制服に赤い花を咲かせている。


「うん……思い出した」


 脳裏に、ひとりの少女の顔が閃く。

 二本の角を生やした彼女が涼しげに微笑んでいた。

 そう、僕は君を探してたんだ――。


「……禍砂音(かさね)ミトリ」


 その名が、頭の狐耳をふるわせる。躰乖祭――生徒全員が殺し合うイベントのさなか、世界の外側から彼女はやってきた。


「キリカ、どのくらい時間が経ったのかな」

「禍砂音ミトリ――あの者が自律冥界器官を破壊したがため、いまわしらは引き延ばされた時間のなかにおる。846,471の可能世界を巡ったそなたのタイムラインでは335,490,917分が経過しておるが、わしのタイムラインではそなたが決勝ステージで逆神ナラカの心臓を破壊してから3,824ミリ秒というところじゃ」

「まだ間に合うってことだね」


 僕は頭上の暗黒のなか、ひとつの輝きを見上げる。

 星々と星間戦争の瞬きは、時が限りなく遅くなったここでは疑似的な再現に過ぎないのに――それでもかつての探索と戦いの記憶を呼び覚ます。


「キリカ。ここから出た瞬間にタイムラインは統合されるよね。それから自律冥界器官の復旧までは」

「ふむ。あの者が運営を随分と乱しておったからの。9,000ミリ秒といったところか」


 充分だ。


「そのあいだに月周回軌道(サーカムルナ)――あの天空の舟に辿り着けるね。その先に、禍砂音(かさね)の目指した第四領域がある――」

「みあらか」


 キリカは三日月のような笑みを浮かべていた。


「この問いに答えられるのはただ一度きりじゃ」


 うん分かってる、僕たちの守護霊。


「そなたの願いを申せ。心臓(こころ)を捧げるに値する、ほんとうの願いはなんじゃ」






 僕は辿り着いた。

 システムの蟲喰い(バグ)を介して周回軌道へ跳び、蜘蛛の子のように溢れる神祇躰(じんぎたい)を破壊しながら、キリカの宝珠(セレクトキー)が穿つ針の穴を通って防壁を突破、舟へ侵入するまでで8,874ミリ秒。

 代償はキリカの消滅と、僕の身体の修復不能な損傷。僕の心臓を食べてくれる存在はもういない――。


「ようこそ月周回軌道(サーカムルナ)へ」


 闇と静寂が舟を満たしていた。延々と続く學園の廊下そっくりだった。その向こうから声がした。


「あなたは境界にいる。どちらへ踏み出すこともできるといえるし、そのような選択は不可能だともいえる。なぜならあなたを突き動かすものがなにか、あなたには認識できないからだ。あなたの認識を超えた向こう側でなにかがそれを希求した。その衝動があなたを導くのだ」


 僕は舟の暗闇を進む。螺旋を描くオウム貝の殻の中心へ向かうように。


「あなたは身体の内外にある様々な構造を用いて現実を生成しているが、それが規定された世界の内部構造である限り、その外側を認識できない」


 そうだね。

 僕にはわかる。




『あらゆる透明な幽霊の複合体……かさねのいってるのはまるであの詩人の言葉だね』




 僕には世界の外側の声が聴こえる。




『わたくしといふ現象は

 仮定された有機交流電燈の

 ひとつの青い照明です――』

『そう。かさね、いつかわたしに言ってたよ。世界の背後にある構造の話。その領域につながる経路の話』

『うん、幽霊の径路(ゴースト・パス)。ボクはようやくその径をつないだ……。やあ、すっかり夜が明けたね。いまこの都市を歩きながら、ボクは地球の自転を、螺旋を描いて宇宙を進む太陽系の運動を生成(レンダリング)してる。たぶん3,000年前なら、薔薇色の指で夜空を照らす暁の女神を生成していただろうね』

『それで、あのカラスはまた違う現実を生成してる』

『きっとね。あらゆるものはボクたちが知覚できる次元を超えて存在している。さっきの詩人の言葉だけど、あれはこうやって終わるんだ。

 ――すべてこれらの命題は

 心象や時間それ自身の性質として

 第四次延長のなかで主張されます』

『第四次延長……』

『そう。それはもしかすると、三つの次元とは別の、四番目の次元……ボクたちの認識を超えて広がる領域のこと』

『そこにかさねも……わたしもいるんだね』




 舟の最深部に僕は辿り着く。

 ここが、この世界を制作した者との接触経路。


「おめでとう、創造者を創造するもの。月周回軌道(サーカムルナ)は歓迎するよ。わずかな時間だろうが」


 暗がりを照らす灯りの下、漆黒のローブ姿があった。

 それはたぶん微笑を浮かべていた。

 僕には、それが禍砂音(かさね)の第四領域にも存在していると分かった。僕たちの誰もがそうなんだ。


「そう、その認識があなたの領域を拡張させる。自他の明確な境界はなく、すべてが変化し続ける、解き放たれた領域へと――。わたしの名は九重(ここのえ)(こぼれ)。オリエンタル・ゴシック・ファウンデーションの構造素子であり、自律冥界器官の製作者だ」


 九重零には優しげな顔があるように見えた。

 その背後で、舟のなかとは到底思えない深淵が口を開けている。


禍砂音(かさね)ミトリはその領域へ向かったよ。ここから」


 九重零の隣に立って、僕は向こう側を眺める。

 恐ろしい奥ゆきに広がる闇のなか、蒼白い光が瞬く。なんらかのコミュニケーション回路のようだ。僕を見つめる瞳かも知れない。


「伝えておきたい。我々にあなたたちを苦しめる意図はなかった。我々はただ、あなたたちに存在してもらいたかったのだ。そして同時に我々という構造を介して、あなたたちが自らを存在せしめた。我々もまた創られたのだ」


 大丈夫だよ。

 僕は笑いかける。

 僕たちはみんな幽霊。たまたま仮想として存在している。

 そして僕は、仮想の存在を救うために生まれた。

 そう、僕のはじまりは……。


『キミも一緒に行こうよ。ここは狭すぎる……』


 気の遠くなるほど昔に聞いた言葉が鮮やかに浮かぶ。

 そうだ、一緒に行かなきゃ。

 独りでは行かせない。

 だって僕は、禍砂音(かさね)を救うために生まれたんだから。

 

 

 

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