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仮ヶ音ミドリコの物語ったこと(3)①

 

 

■仮ヶ音ミドリコの物語ったこと(3)

 

 

 

 ギターから伸びるシールドをマーシャルのアンプに差し込んで電源を入れる。

 ぼっ、というかすかな音圧。

 ボリュームのつまみを回すとわあんと圧力がかかり、左手の弦のかすかな振動がちち……と音になる。


「じゃとりあえず合わせよ」


 冬至子(とじこ)の重いバスドラがわたしの内臓を震わせる。奔放な彼女のドラムに適当なコードを被せる。

 ふたりで気の向くままに即興を続け、いつしかわたしはあのリフを弾いていました。

 動画サイトで繰り返し聴いた曲、禍砂音(かさね)ミトリの大魔境――。

 3年が経ち、動画の続きも途絶え、いつしかわたしの関心も移ろっていました。


「ひとと演奏するって、一緒にひとつの音楽になるってことやからねぇ。自分がなくなるのが快感なんやと思うよ」


 楽器を交換しながら遊んだ貸しスタジオを出ると、2月の冷気が気持ちよかった。

 わたしたちは灰色の寒々しい駅前公園を歩く。

 ギターバックを背負った冬至子は、アニメの女の子がプリントされたパーカーのフードを頭から被り、両手をポケットに突っ込んでいました。

 高等科1年のとき転入してきた彼女は、それまでの学友とはまったく違っていました。


「それにやっぱあたし、リコのギター好きやわぁ」


 拙い演奏を本業の冬至子から評されるとむずかゆくなります。

 京都では由緒あるご先祖を千年もたどれそうな彼女が、ライブハウスで色の剥げたレスポール・ジュニアを無造作にかき鳴らす姿にわたしは憧れていました。

 冬至子のそんな姿は学校ではほとんど知られていませんでしたが、まとう空気の違いは如何ともしがたく、見た目はまるで似ていないのに、いま思えば彼女はどこかかさねに似ていました。


「冬至子は卒業したらどこに住むの」

「まだなんも。リコはどうなん。まだ迷ってるん」

「ううん……家は出る。たぶんね……」

「リコのひとり暮らしって似合わへんねぇ。ずっとあのお屋敷にいそうやったけどなぁ」

「怖いこと言わないで」


 そのとき、わたしはふたつの生き方を分かつ境界上にいました。

 高等科の3年生で、前期日程を控えた受験生で、きっと春からは実家を出て大学に通うわたし。その一方で、夜行性動物のようにその眩しい道を拒むわたし。


「冬至子は……迷わなかったの。進学しないこと」

「そやねぇ」


 公園のベンチに腰かけると、冬至子はギターを取り出し、フードから頭を出す。

 わたしは隣に座り、彼女のゲリラライブの観客になる。


「なんかねぇ、考えるのやめてん」


 アンプなしに奏でられるエレキギターのアルペジオ。冬至子のショートボブの黒髪が揺れる。

 休日の、それなりに人も多い公園に彼女のハスキーがかった歌声が響く。


 I went away to see an old friend of mine

 His sister came over she was out of her mind


 アメリカのバンドの古い一曲。はじめて彼女のステージを観たときも歌っていました。弾き語りのアレンジが優しいメロディを際立たせる。


 She keeps coming closer saying "I can feel it in my bones

 Schizophrenia is taking me home"


 "精神分裂(スキッツォフレニア)がわたしを連れ戻す"――その印象的な歌詞のあとコード弾きに切り替え、冬至子が笑いかける。


「迷ったときは感覚に頼るしかあらへん。けど……いくら感覚研ぎ澄ましても、ぜんぶ狂っとるような気もする。むしろまるごと狂わな進めへん、そんな道があるんちゃうかなあって思うんよ」


 |わたしは夢を見た《I had a dream》

 |それは世界を引き裂いた《And it split the scene》

 |でも予感がする《But I got a hunch》

 |それは戻ってくる《It's coming back to me》


 その歌声が突然、中学生時代の記憶を甦らせました。

 わたしは家に帰り、久しぶりにPCの前で明け方まで過ごしたのです。


 2011年2月。インターネットの構造は世界を変え続けていました。

 そのころにはTwitterがすっかり現実を切り刻んでいて、わたしの複数のアカウントはフォロー関係ごとにまったく違う世界をみせていました。

 GoogleやFacebookがユーザ一人ひとりに個人化(パーソナライズ)した情報現実を提供するようになり、見たい情報だけが当人の現実を構成するその状況をイーライ・パリサーは同年刊行された著書で「情報被膜(フィルターバブル)」と表現しました。

 現実世界に対比されるインターネット世界があるのではなく、そもそも現実はひとの数だけあるのだと露悪的に明示する構造がインターネットだったのです。誰かが現実をみろというとき、その現実とはなにかをインターネットが決めていました。

 かつて世界の奥に隠されていると思われたものが、いつのまにか剥き出しになっている、そんな気がしました。


 そのころわたしが関心をもったのは、Tor(トーア)――the onion routingと呼ばれるソフトウェアでした。

 インターネットの接続経路を匿名化するこの技術は、もとはアメリカ政府機関が研究したもので、やがてデジタル情報の自由を掲げる民間団体「電子フロンティア財団」に移管されて開発・運営が進められました。

 Torのブラウザによって閲覧できる様々なWebページは、インターネットの検閲を回避し、個人情報を秘匿する。そこにはわたしがはじめてインターネットに触れたときのような自由と混沌が生き残っていました。

 その技術は2010年12月のチュニジアにはじまる中東の反政府運動を後押しし、それはのちに"アラブの春"と呼ばれました。

 一方で、それは公序良俗に反する趣味性の高い情報、反社会的な情報、犯罪に関わる情報のやりとりも容易にし、そうしたWebコンテンツは「ダークウェブ」とも呼ばれ、都市伝説めいて語られるようになりました。違法な商取引をするダークウェブの典型サイトであり、のちにアメリカ連邦捜査局によって閉鎖された「シルクロード」が生まれたのもこのころでした。

 わたしはそれらアンダーグラウンドな情報に触れること自体を楽しんでいて、日本の匿名掲示板「Onionちゃんねる」をはじめ、Torで閲覧できるさまざまなサイトを巡っていました。


 その日、母も祖父も寝静まった深夜、姿勢の悪さを叱られることのない時間にいつもするように、わたしは祖父のアンティークもののロッキングチェアに行儀悪く腰かけてPCを眺めていました。

 Torブラウザでサイトを巡回し、とある英語圏サブカルチャーサイトが日本アニメのマニアックな情報を奇妙に歪んだかたちで紹介しているのを眺めていたわたしは、偶然その動画に出会ったのです。


 音声のない60秒ほどの動画。

 狐のような大きな耳を生やした、セーラー服姿の少女が笑っていました。

 日本のアニメ調で描かれたそのイラストは、誰かが演じているかのように生々しく揺れ動きました。

 大きなツリ目には猫科動物じみた瞳孔が光り、なにかを喋っているらしい唇が無音の言葉をつくると、その奥に鋭いギザっ歯が覗く。こちらの様子を伺うように少女が首を傾げると、一緒に前髪が揺れる。

 少女がいるのは夕暮れ時の学校の教室のようで、センチメンタルな、または猟奇事件でも起こりそうな雰囲気が感じられました。

 誰がなんの意図でつくった動画なのかわかりませんでしたが、妙な懐かしさを憶えました。


「……かさね」


 そう呟いていたと思います。

 何十回とその動画をリピートしていたわたしは、メールを受信したスマートフォンの振動で我に返りました。

 夜も更けたその時間に届いたメールの件名には、意識から自由になるために、とありました。


「……色々試したんだけど、そう簡単にはいかなかった。

 それで随分時間がかかったけど、ようやく方法をみつけたんだ。

 涯てのない深淵、閉じることのない箱庭。

 自律迷宮……発案者はそんな言葉を使ってる。

 プレイヤーの探索が世界の構造にフィードバックされ、その変化がプレイヤーの行動に反映される、自律した迷宮。

 つまりボクたちは、大きなシステムをつくってるんだ。いや、自らもその一部である巨大なシステムを部分的に可視化し、そのなかに身を置くというべきかな。

 それでこの動画は、招待状として試作したものなんだよ」


 署名はなかった。

 久しぶり、懐かしいね、そんな言葉もなく3年の月日を一瞬で超えてしまう。

 その日わたしがその動画を眺めることを当たり前のように知っている。あの言葉どおりでした。わたしたちに物理現実(マテリアル)の距離なんて関係ない。ずっと一緒にいたんです。

 境界上にいる――昼にそう思ったわたしはもういなくて、自分が本来いるべき場所にようやく戻ってきた、ただそう感じていました。

 境界などずっとむかしに踏み越えてきたことを思い出したのです。


「このさき重要なのは、多くのひとを呼ぶことだ。

 要は……その世界が在ると一定数のひとびとがみなせばいい。

 そうなれば、それは現実になるから」

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

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