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一番輝いた記憶の頃

高校生の時だった。


進路希望の紙を出すように言われていたけど、期限破りをして


和正はクラメイトに弄られる毎日を送っていた。





からかわれたり





こづかれたり





たまに昼飯をおごらせられたり





それは「いじめ」というやつだったのかもしれない。




 だけど和正はそんな日々でも誘われないよりマシだと思っていた。


捨てられたくないと思っていた。


だけど高校で過ごす日々は、まさに灰色だった。




安全な場所にいるけれど、水槽からは逃げられない金魚のようだった。




 このまま自分はどうなるのだろう。


どうしていくのだろう。


先行きが分からず、ただ枠組みにはまった生活。




 進路希望の紙も出さないといけないのに


何も動けてないままだった。




 ――――高校二年の夏。


 窓の外は、青い快晴の空が広がっている。


グラウンドからは体育の授業中らしき生徒の、威勢の良い声が聞こえる。


暑さを少しでもしのぐために、窓は全開だが、それでも暑さはどうにもならず




スカート、ワイシャツの下を、うすっぺらい下敷きで風を送って


凉をとる生徒もいた。




 国語の授業だった。


五時間目、昼食の後、満たされた腹、意識がかすんでいく午後。


まるで役はそろったと言わんばかりの国語の朗読。皆の昼寝タイムだ。




 国語の授業は、概ね一枠、朗読に使われることは明らかだった。


題材は、山月記だった……。





人間であった時、己は努めて人とのまじわりを避けた。




人々は己を倨傲だ、尊大だといった。




実は、それがほとんど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。




勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。




しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。





 才能があるのに、才能に踊らされたような男の話かもしれませんね。


自分よりすごい才能を目の当たりにするのも、そして努力の人の研鑽も恐れたのかもしれない。


結局のところ、自意識に振り回された悲劇とも言うべきか。





 授業が始まったとき、国語の先生はそんなことを言っていた。


和正はそれを聞いて少しうらやましかった。


自意識過剰になる前に、和正の精神は、周囲の状況にながされるままで


ただ相手の言葉に頷く人形だった。




 朗読は和正の順に来た。


元々中国だっただろうか、その話を小説にしたものなので


とにかく文章が硬く感じた。漢字も多くて読みづらすぎる。


 一応かっこつけてるわけではなかったが、予習をしてきたので


漢字につっかかることなく、すらすらと言われた部分を読み上げることが出来た。




 臆病な自尊心、と言った時、和正は、どこか、ヒヤリとするものを感じた。


作家のつむぐ言葉の力が、ぐいっと和正にナイフを当てたように思えたのだ。


 そんなのもちろん幻想だったのだけど。





 やがて朗読で国語の授業の時間は全てを使い、起立礼という、いつもの動作で


授業は終わった。そしてまた、何でもない日常が動き出すだけだった。




 しかしその時ばかりはいつもと違った。




 今ではもう、誰だったか思い出せないけれど……


クラスの中でも可愛いと評判の女の子が声をかけてきたのだ。




「阿部君って、声いいねっ。朗読上手だったよ」




 彼女は華やかな笑みを浮かべた。




「声を使ったお仕事に向いてるかもっ」




「へっ……?」




 彼女の言葉に呆気にとられて、間抜けな声を出してしまった。


上等な返し文句も言えない始末だった。


彼女は言いたいことだけを言えば良かったらしく、あっという間に和正の元を去って行く。




 和正が真っ当に褒められることなど、あったかもしれないけれど


これほど思いがけず嬉しいものは、初めてだった。





 声がいい。





 声を使ったお仕事に向いている、かも。





 和正が高校卒業後、声優になるための養成学校に行くと決意したのは


それから一ヶ月も経たないうちだった。




 あの時ほど、和正は自分の可能性を信じたことはない。





――――チリリリン





――――チリリリン





――――チリリリ





 ……アラームの音が鳴った。


和正は眠気を無理矢理押し殺し、アラームを止めた。




 16時20分、休憩が終わるまで、あと十二、三分だ。


この後、ディナータイムに向けての準備を手伝わないといけない。


 レストランのキッチンは、給料はホールより良かったが、かなりの重労働だ。




 しかしそれでも生きるため、レッスン代のためにも働かないといけない。





 阿部和正、二十七歳。




 声優だ。でもそれだけじゃ生活できない。売れない役者だった。

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