揺れる心
更新が滞り申し訳ありません。ただいま資格試験の勉強中により課題に終われておりますが、少しずつ更新してゆく所存です。
城に戻ってから、私は自室に軟禁状態にあった。長旅で倒れてしまった私を心配した侍女達や、何よりも過保護でヤンデレなお兄様の命令により、部屋から出ることを許されなかったからだ。
家庭教師の先生方から、国内の長雨被害の状況は聞いていた。事前に対策を練っていたお陰で、疫病が流行っている様子はなく、作物の被害が大きい地域には順次、各領地の余剰分の穀物が配給されていると言う。河の氾濫により家を失った人のために、兵士たちが派遣されて簡易的な家を建てているそうだ。小説の中では国の廃退の原因ともなった豪雨被害を最小限に抑えられたことに胸を撫で下ろした。
窓の外に目を向けると、いつもと変わらない景色が広がっていた。雨は止み、青い空が広がっている。それなのに心の中が晴れないのは何故だろう?胸の中にぽっかりと穴が開いたような、むなしい気持ちが押し寄せる。椅子に座ったまま、消えていきそうになる幸せをつかむように、スカートの端をぎゅっと掴んだ。
「アシュレイ様、皇太子殿下が帰城されました」
ハスラが告げる。いつもおっとりとした口調を崩すことのない彼女の声が、どこか緊張している。この経験に長けた侍女頭には、ランセル殿下が帰城したことで、私に起こる未来が見えるのだろう。皇太子の婚約者の私が初潮を迎え『女』になった。今までは私が幼いからという理由で先延ばしにしていた婚姻だけど、ランセル殿下はもう待ってはくださらない。目を伏せて黙った私に、猫の姿から人間の姿に戻ったリンが目の前に立ち、耳をピーンと立てて、椅子に座ったまま俯く私の顔を覗き込む。
「アシュレイ、王子様に会いたくないの?」
ピョコンと立った耳。フワフワで濃褐色の髪が揺れる。んっと背伸びをして、小さな手が私の頭を優しく撫でる。愛くるしい姿と行動に胸がキュンとする。
おい、自分!今はリンちゃんの萌えかわゆな姿に悶えている場合じゃないわ。殿下とは滞りなく婚約者となり、皇太子の熱烈な愛情を賜り、立ちはだかる障害もなく、ライバルもいない状態で、このままランセル殿下と結婚するということは、途中の流れは変われど、小説の終演に向けて話が進んでいるとしか考えられない。ランセル殿下との結婚。それはすなわち世界の破滅に繋がるフラグなのではないだろうか?
「お会いしたくないわけではないわ。ただ殿下とお話することが、少しだけ不安なの」
ポロリと本音で漏れる。殿下と話したくないだなんて、気心の知れた人間しかいないからといって、口に出して良い内容ではない。けど一言声に出してしまうと、圧し殺していた不安が溢れ出す。ぎゅっと自分で自分を抱き締めると、リンが哀しそうな顔をした。
「ねえ、アシュレイは絶対に王子様と結婚しなきゃいけないの?」
ハッと顔を上げて琥珀色したリンの瞳を見つめた時、ドアの外から衛兵の声が聞こえた。
「アシュレイ侯爵令嬢様。国王陛下がお呼びです」
陛下に呼ばれることは予想していた。ランセル殿下のご帰還と婚姻の話だろう。もう逃げられないのだろうか?椅子から立ち上がり、陛下に謁見するために身なりを整えるためにドレスルームに向かおうとした私の手を、リンが掴んだ。
「僕と逃げよう」
軽やかに。歌うようにリンが言った。
「アシュレイが苦しむことなんてない。悩むことなんてない。僕とこの窮屈な城を出て自由になろう。世界は果てしなく広いんだ!」
王命に背き、家族を捨て、身分を捨て、自由になる。それは一世一代の決意がいることなのに、リンは楽しい冒険でも始まるみたいに目をキラキラとさせている。
「ここでは僕は無力だけど、外の世界なら任せて。僕はアシュレイに色んなことを教えてあげられるし、色んな世界を見せてあげる。アシュレイと二人での生活。わくわくするなー!」
曇りない眼差し。迷いなく差し出された手。この手を取ることができれば、幸せになるかもしれない。けれど駄目ね。この世界に生まれて14年。私に関わった人々の姿が頭を過る。お父様やお母様。エルやソルト。ずっと側にいてくれる侍女たち。ランセル殿下のことだって、決して嫌いな訳じゃない。
ただ小説の未来が頭からこびりついて離れなくて、迷路の中でぐるぐると同じところを廻って迷子になったみたいに先が見えない。私の心は…何処にあるのだろう?




