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目覚め(エルナンド視点あり)

『エル……、エル』


私を呼ぶ声が聞こえる。甘く、澄んだ声。心の奥底をギュっと掴んで放さない。魂が震えるほどに惹かれる声。


「ア…シュ」


瞼が重くて、目が開かない。真っ暗闇の意識の中、絞り出すように呼んだ声は、随分と掠れていた。


唇に触れる、柔く甘い温もり。


濁流に呑み込まれた時には、このまま泡とともに消えてもいいと思った。愛しい人が手に入らないこの世界など。愛しい人が他の男のものになるのを歯噛みして見ていることしかできない現実など、消えてしまえばいいと思った。


まだ幼く、無邪気に自分を慕う彼女が、成長して兄の庇護を必要としなくなったとき、自分は正気でいられるだろうか?彼女がいない焦燥感に耐えられるだろうか?


このまま、この想いごと消えてしまえば、未来に対する不安も、アーシュを失った後に知るであろう絶望も、感じることはない。アーシュとの甘い思い出だけを抱いて消えてしまいたい。切に願った。けれど…愛しい人が呼んでいる。愛しい人が泣いている。例えこの心が痛みで悲鳴をあげたとしても、正気を失ったとしても、アーシュが私を呼ぶならば、目覚めなくては。


痛みから逃げちゃいけない。アーシュの涙を守るために。どこか遠くで、彼女が「愛しているわ」と言った気がした。


目覚めると、アーシュは涙で頬を濡らしたまま笑った。


「良かった」


赤く晴れた目に、また涙の粒が膨らんで落ちた。小さな手が心配そうに私の手を掴んでいる。心もとない程に微かな温もりを、逃がさないようにぎゅうっと握り返した。


「心配かけてごめん。アーシュ。もう平気だから泣かないで」


手を伸ばし、彼女の淡い色の髪に触れる。掴んだと思った髪の毛は、さらりと指から溺れ落ちた。





意識を取り戻したエルナンドは、すぐに城に戻ろうと言った。山の土砂は水を多く含んでいて、次に雨が降れば、また大きな土砂崩れが起きるかもしれないから。と言う理由だった。彼の体調が心配だったけれど、わたしの体を軽々と持ち上げて微笑んだエルナンドを見て、そんな心配は杞憂だと知った。


城への帰路は、大きな問題もなく順調に進んだ。ただ、やけにエルナンドがわたしに接触してくる気がする。もともと妹を溺愛する彼だけど、わたしは彼が乗る馬に同乗させられた上に、後ろから腰を抱かれて、ずっと甘い言葉で攻められた。


「そろそろお控えくださらないと、アシュレイ様が羞恥で溶けてしまわれます」


体を密着させて愛を囁き続けるエルナンドに、遠慮がちにザックが訴える。


「そんな変態にーちゃんのとこじゃなく、俺の馬に乗りなよ、アシュレイ!」


リンが嫉妬心を剥き出しにして、私に言う。


エルナンドの温もりが、背中越しに伝わる。小説の中のアシュレイの気持ちを知ったわたしは、彼の温もりにちりちりと胸が痛んだ。


「あ、虹だ!」


リンが空を指差した。その声に、ザックやお供の従者たちも空を見た。その瞬間、エルナンドはわたしの顎を掴んで上向かせると唇にキスをした。


どくん…胸が震える。エルナンドはいたずらが見つかった子供みたいに、気まずそうな顔をした後、「内緒だよ」そう言って唇の前に人差し指を当てた。


「ねぇ、見た?アシュレイ!綺麗だったね!」


スーッと消えてゆく虹を名残惜しそうに見上げるリン。


「そうね」


本当はエルナンドのキスにドキドキして、虹どころじゃなかった。それでもランセル殿下の婚約者である立場上、異性に、しかも実の兄に心を奪われてはいけない。傾きそうになる心に鍵をかけるように、虹が消えた空を見上げた。蒼い空が、やけに眩しかった。





「アーシュ?」


すぐ後ろで、エルナンドの声が聞こえた。振り向くと、彼は馬に跨がって乗っているわたしの足を驚いたように見つめている。


(なんだろう?)


太ももの付け根から生暖かいモノが流れていることに気づいて、視線を下に向けた。太ももから伝うように赤い血がズボンを汚していた。


「月が満ちたね」


エルナンドは寂しそうに呟いた後、腰に回していた手を放した。


「ランセル殿下は、もうお前を待たない。すぐにお前を欲しがるだろう。私は祝福するしかない。アーシュ、お前が幸せになるためにもね」


目の前に、見慣れた城が姿を現す。汚れを嫌うような真っ白な城がそびえ立つ。幸せに…なれるのだろうか?不安が押し寄せると同時に、長旅の疲れが一気に押し寄せ、わたしはエルナンドの胸にもたれ掛かるように意識を失った。

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