悪女アシュレイ3
侍女に就寝の支度を整えるためにドレスから寝巻きへと着替えさせられながら、アシュレイは先程の夕食を思い出す。食卓の隣の椅子にエルナンド、斜め前にお父様、目の前にはお母様が座っていた。両親ともにアシュレイの両親にふさわしい美しい容姿をしていた。何よりも3人のアシュレイを見る目がとにかく甘い。可愛いアシュレイちゃんの望みなら、なんでも叶えてあげるわよ!っと言わんばかりにキラキラした眼差しをアシュレイに注いでいた。「困ったことはない?」「今日は嫌なことなかった?」「欲しいものはない?」3人がアシュレイに聞いては、些細な内容に一喜一憂する。(こんだけ甘やかされたら、盛大に我儘に育つわ)神をも魅了するアシュレイスマイルを浮かべつつ、心の中で盛大にため息をついた。
侍女たちがアシュレイにゆったりとした菫色の寝巻きを着せ、髪を透いた。侍女は3人。長年この屋敷に勤めているハスラと、まだ若いナージャとトリッセ。ハスラは「お嬢様の肌のなんと艶やかなこと」「これ程素晴らしいプラチナブロンドの髪は他にはございません」と熱心にアシュレイを誉めて讃えつつ世話しなく動き、ナージャとトリッセは強張った表情で無言のままロボットのように任務をこなす。ハスラはともかく、残りの2人には明らかに怖がられている。たった6才のちびっ子が。
「アシュレイ様、就寝前のホットミルクでございます」
ナージャが金色の猫足のテーブルにカップを置いた。カップを手に取り顔に近づけると、甘い香りが鼻をくすぐる。カップに口をつけて一口飲んだ後「熱っ」と言って、カップをテーブルに置いた。現世の可愛いアシュレイちゃんはどうか知らないけど、前世で私、猫舌だったのよね。なんて思いつつミルクが冷めるのを待とうと思っていたら、「申し訳ございません、アシュレイ様!お許しください!!」と言いながらナージャがガタガタと震えながら頭を下げた。壁側に控えていたトリッセも両手をギュッと握りしめて、真っ青な顔でこちらを見ている。アシュレイちゃん、いつもどんだけ侍女に当たり散らしているの?
「大したことないわ」
冷静に大人の対応を見せたアシュレイに、侍女達は驚いたような、奇妙なものを見るような目で私を見た。「なに?罰して欲しいの?」突き放すように問うと、「ひっ、とんでもございません!!」ナージャがそれは見事に後ろに大きく飛び退った後、頭を下げて震えていた。うん……アシュレイちゃん、普段どんだけ鬼畜なの?心の中で、頭を抱える。そして思う。やりたい放題、我儘放題のアシュレイちゃんをラブリーで天使なアシュレイちゃんへと変貌させて、最低最悪なバッドエンドを回避せねば!兄に食われるのだけは絶対嫌だ!!テーブルの下で小さな拳をグッと握りしめて誓った。
賢明な良い子にならなければ。世界を滅亡させないために。自分が食べられないために。アシュレイはお父様に頼んで歴史学、語学、経済学の先生を、お母様に頼んで淑女教育の先生をつけてもらった。2人ともがその道のプロ。エキスパートだった。
長い黒髪をひとつに束ねたこの世の知識と言う知識を詰め込んだフェルナルド先生は、細面で色白でメガネをかけた。如何にもインテリな姿をしていた。初めての授業ではメガネの奥の琥珀色の瞳が(こんなガキの相手をさせやがって)と嘲笑っていたけれど。現世年齢6才でありながら前世の30年間の記憶を思い出した私は、精神年齢36才。20代半ばだろう見た目の若造なんかにバカにされて黙ってはいられない。悔しさをバネにフェルナルド先生が出した難解な問題の数々を必死で覚えて解いた。フェルナルド先生が来る日も来ない日も、分厚い本を前に、麗しきアシュレイ姫にはあるまじき眉間にシワを寄せて勉強した。日々、勤勉に、そして着実に知識を増やすアシュレイに、フェルナルドは徐々にアシュレイを認め、アシュレイに入れ込むようになっていった。
淑女教育の先生の名はハースアリア先生と言った。明るい金髪と緑の瞳の、フェルナルドと同年代だろう女性は、朗らかで美しく、いつも優雅で穏やかな笑みを湛える女性だった。「アリア先生!」優しいハースアリア先生に会えるのが嬉しくて、アリア先生がアシュレイの部屋に入室した瞬間に立ち上がってハースアリア先生に駆け寄って脚にしがみつくように抱きつくと、先生はクスリと笑って「淑女たるもの、簡単に感情を表に出してはなりませんよ」と言いながら優しく自分の体に巻き付いたアシュレイの細い腕を剥がした。
そして優雅に見える立ち上がり方をアシュレイに教える。「常にゆったりした気持ちを忘れず、心の中で数拍数えた後に立ち上がり、スカートの裾の乱れを直した後に、両足を揃えて背筋を伸ばしてお立ちください。その際に歯を見せない程に微笑むのを忘れないでください。目の前の相手がアシュレイ様より身分が上のお方であれば、話しかけられるまで口を開いてはなりません。アシュレイ様より身分が下の者の場合には、相手より先に声をかけて差し上げてください」
アシュレイが神妙な顔で頷くと「流石はわたくしの姫様。聡明でいらっしゃる」そう言ってアシュレイの髪の毛を優しく撫でてくれた。前世年齢30才のアシュレイ・エル・ハートランド。意図もあっさりハースアリア先生の優しさに陥落しました。先生大好き!!