婚約者になりました3
この城で皇太子の婚約者として過ごしはじめて2年が過ぎた。わたしは14才。ランセル殿下は17才になった。本来ならば正式な婚姻を結ぶ前の娘が何年も城に滞在するなど異例のことだが、ランセル皇太子の要望により、わたしはハートランド家に戻ることが許されなかった。
表向きは、皇太子の婚約者が危険にさらされないため。城内ならばアシュレイを厳重に護衛することができるから。と言うことだったが、殿下の本音と言えば、「アシュレイ姫がわたし以外の男に目移りしないため」だそうだ。
相変わらずランセル殿下は毎日わたしの部屋を訪れる。スキンシップは徐々に濃厚なものとなり、このままでは貞操の危機なのでは?と本気で怯えている。何よりも殿下の手や唇がわたしに触れている間、必ずソルトが続きの間に控えている。というのが、本当に心臓に悪い。
なんだかソルトに本心を覗かれているみたいで、居心地が悪かった。
ランセル殿下と言えば、わたしに情熱的な愛を注ぐ一方で、政治の分野では立派に国王を支えていた。私的な散財は控え、国民のために奮闘していた。
ある時、ランセル殿下が最南の国境の地へと旅立った。隣国へ貿易品を輸送するための道路を作るため、開通予定の道を実際に視察するらしい。その道中、国民たちの生活の様子を己の目で確認するのも目的のようだ。本来ならば次期国王であるランセル殿下が現場に向かうなど危険な行為に他ならないが、「国を治めるものが、我が国民の生活を知らずしてどうする」と周囲の反対を押しきって強行した視察だった。剣の腕が立つエルナンドお兄様も補佐役として同行した。半月は戻らないらしい。
ランセル殿下がいない日々は、静かで平和だった。庭園でのんびりとティータイムを楽しんでいると、ソルトがやって来た。
「このまま殿下の妃となるのか?お前は本当にランセル殿下を愛しているのか?皇太子妃の座が欲しいだけじゃないのか?」
猫の姿のリンを抱いたまま、目の前に立つソルトを見上げる。いつになく冷めたような、見下したような目を向けるソルトに反論できない。わたしはランセル殿下が嫌いではないけれど、愛しているか?と問われれば、そうではない。異性としてあの方を意識することができないのだ。
キスをすればドキドキするし、触れられれば気持ちいいと感じる。けれど愛しているか?と問われれば、返事に困る。嫌いではない。人間として好きか?嫌いか?と問われれば、好きだと言える。けど、この感情が愛か?と問われれば「はい」とは言えない。
「次期国王となる男なら、相手は誰でもいいのか?」返事に困っているわたしに、畳み掛けるように質問するソルト。
「俺が国王になれば、お前は俺のものになるのか?」ソルトはわたしの前に片膝をついて座ると、手を伸ばして頬を撫でた。「ソルト様、それ以上はお控えください!」ハスラが止めるのを無視して、ソルトは尚もわたしの頬を撫で、髪を撫でた。
「お前がランセル殿下を愛しているなら諦めた。けどお前は無理をして、あの方を受け入れている。お前ももう14才。初潮を迎えれば、殿下はお前を正式な妻として迎えるだろう」
ソルトは愛おしそうに私の髪を一房手に取ると、唇を落とした。「殿下のことは尊敬している。一見華やかで、何でもそつなくこなす方に見えるけれど、その裏で絶え間ない努力を重ねておられることを知っている。けど、お前のことだけは別だ、アシュレイ」
真っ直ぐにわたしを見つめる双眸は、誤魔化すことも、逃げることも許さない。
「俺が王となれば、お前は俺の妻となってくれるのか?」
ソルトの言葉は、愛を求めるわたしの心をぎゅうっと締め付ける。真っ直ぐな思いに、心が傾いてしまいそう。けれど…
「わたくしはランセル殿下の婚約者です。わたくしの夫となるのはランセル殿下以外には考えられません」
ソルトは人として好ましい人物だ。けれどわたしの夫となる人ではない。熱いソルトの想いに心が揺れながらも、髪に触れるソルトの手をそっと剥がす。
「わたくしに触れていいのはランセル殿下だけです。これ以上は許しません!」生じる迷いを隠すように、強い口調で告げる。
「気が変わったらいつでも言え。その時は、例え殿下を欺くことになろうとも、お前を奪う」ソルトはそう言うと、わたしの腕の中にいるリンを撫でた。「みゃー」リンが甘えたように鳴く。ランセル殿下にもエルナンドお兄様にも懐かないリンが、ソルトにだけは心を許しているようだ。
「お前の大切なものはすべて俺が守ってやる。例えお前が、他の男のものだろうと」無表情のままソルトが言った。優しい風が頬を撫でる。ざわざわと心がざわめいた。




