陰謀4
目の前で片膝を着いて忠義を示す大柄の男の人を見下ろす。「わたくしには、建国の王のような偉業を成し遂げることも、お母様のように尊き志のもと、領民を正しい方向に導くこともできません。わたくしが望むのは平凡な人生。誰も傷つけず、誰にも傷つけられず、平坦で同じ日々の中で、自分と、出来ればわたくしの大切な人たちが幸福でいてくれれば良いな。って、そう願うのです」
日々鍛練を重ね、屈強な肉体と圧倒的な身体能力を身に付けたであろうこの人の、わたしは『主』には相応しくない。たまたま無効化の魔法を使えるだけの、中身は平凡な三十路のOLなんかに、この人は勿体ない。この人が力を存分に発揮できる場を、わたしは提供できそうにないから。「貴方の『主』にはなれないわ」わたしの言葉に首を傾げて考えた後、キルは大口を開けて笑った。「ははは!やはり面白い娘だ。俺の申し出を断った人間はお前が初めてだ。平凡な人生だと?お前が望んでも、この世界がそれを許さない。波乱の渦の中心にいるのは、常にお前だ」
その場に立ち上がった男は、スッキリしたようにわたしを見た。「建国の王に義理立てして王族に仕えてきた。お前の母は面白い娘だったが、それ以外は凡庸で退屈な人間ばかりだった。そろそろあの王への仮は返したし、この国を去ろうと考えていたが気が変わった。アシュレイ。お前がなんと言おうと、俺の主はお前だ。もし平凡な人生を望むなら、俺が全力でそれを叶えてやろう。何かあれば俺を呼べ」
思っていたのと違う反応をするキルに困惑していると、リンがわたしとキルの間に立ち塞がった。「あんたがいなくてもアシュレイは僕が守るんだから、変なこと言ってないでさっさと行けよ!」先の尖ったリンの耳がぴょこぴょこと動く。つり上がった大きな目はキルを睨んでいるけど、どこか憎めない可愛らしさがある。「守る?お前がこの娘に守られていたじゃないか?」バカにしたように鼻を鳴らすキルに、眉尻と耳の先を下げて落ち込むリン。目はうるうると潤んで今にも泣き出しそうだ。あぁ、リンちゃん。落ち込む姿が可愛すぎる!獣人の子供で、まっすぐ素直なリンは、もふもふでショタと言う最高の萌えをわたしに提供する。なんて愛くるしい! 小さくガッツポーズをして、心の中のスマホで何度もスクショした。因みにキルは小説にも登場するが、ランセル殿下の『影』として、最終的にはアシュレイの敵として登場する。リンは、アシュレイの毛皮となるために獣人として登場する前に殺された。小説の中のわたし、リンちゃんを殺すなんて、何てことをしてくれたのよ!
ソルトと共に城に戻ると、ランセル殿下がわたしに駆け寄り抱きついた。どことなく疲れた様子のランセル殿下は、いつもより儚さ倍増で、もう貴方が小説のヒロインでも良いんじゃない?って程に『お姫様』だ。「アシュレイ姫、無事でよかった。痛いところはない?」そう言いながら腕を、顔を、撫で回すランセル殿下。然り気無く髪を掬ってうなじを撫でるのを止めていただけますか?くすぐったくて変な声が出そうです。「アーシュ!怖かったね!アーシュをひどい目に遭わせたやつらは全員捕らえたよ。最初は首を切り落としてやろうと思ったんだけど、大事なアーシュをひどい目に遭わせたやつらを、簡単に死なせるなんて生ぬるいから、肉体的も精神的にも極限まで追い詰めつつ、狂うことも死ぬこともできないまま、早く死なせてくれと願うほどに苦しめ、痛め付けてやろうと思ってね。日の当たらない、草木も生えない北の棟に幽閉したよ」ふわりと天使のごとく微笑むお兄様に背筋がゾッとする。「温室育ちの令嬢が、いつまで持つかな?あまり苦しめないであげてよ。じゃなきゃ、簡単に死んじゃうから」もう一人の天使であるランセル殿下がクスリと笑った。2人とも、天使は天使でも堕天使である。
今回の事件の全容をランセル殿下とお兄様から聞いた。「アンナ伯爵令嬢が…?」小説の中では奥手で清純なイメージだったアンナ。しかも彼女はアシュレイの怒りに触れて北の棟に幽閉されて、看守達の慰み物になり、惨めな最後を遂げる。小説の中では完全にアシュレイの一方的な我儘により罪を被るが、今回は彼女自身が罪に手を汚してしまった。アンナが幽閉されるまでの過程は違えど、同じ結末を辿った彼女に、自分の人生を重ねる。一見、順調に進んでいるわたしの人生も、 もしかしたら最後の最後は、小説と同じ結末が待っているのかもしれない。
大丈夫。小説の中のアシュレイみたいに、この国や近隣諸国を滅亡に追いやって、最終的にはヤンデレ化した兄に監禁されて、文字通り食われてジ、エンド。なんてことにはならない…はず。不安を払うように首を振った。




