陰謀(エルナンド視点)
父上と母上に挨拶をしてアーシュの部屋に戻ると、いつも冷静なハスラが私を見るなり駆け寄ってきた。「エルナンド様、大変でございます!アシュレイ様がどこにもいらっしゃいません!!」ナージャとトリッセの顔が青ざめている。「アシュレイ様が突然走り出したリン様を追いかけて部屋を出て行かれたので、わたくしとトリッセで追いかけましたが、こちらの部屋がある西棟から東棟に続く渡り廊下の途中で、見失ってしまいました」「申し訳ございません、エルナンド様!」震えながら頭を下げる3人の侍女達。怒りに任せて怒鳴り付けたい気持ちを堪える。アーシュに何かあったら?想像しただけで全身の血が引いて行く。この世界が足元からガラガラと崩壊してしまいそうで、両足で踏ん張ってどうにか平静を保つ。
「言いたいことは山ほどあるが、今は彼女の行方を探すのが先だ。ザック、父上と母上、そしてランセル殿下に報告してくれ」ザックが一礼して駆けて行く。「キル!」私は空に向かって呼んだ。何処からともなく黒い影が私の前に現れた。目の前に立つ褐色の肌に金髪で大柄の男は、礼を尽くすでもなく目の前に突っ立ったまま濃紺の瞳を向ける。「何だ?俺の力が必要なのか?」ニヤリと笑った口からは、肉食獣のような尖った牙が覗く。母上が嫁ぐ前、王家の姫としてこの城にいた時に彼女に仕えていた獣人だ。超人的な身体能力を持つ獣人達は、己が主と認めた者以外には決して膝を屈しない。私はこの男にとって『主』ではないのだ。自嘲気味に笑う。「母上の前とはえらい違いだな、キル。まぁ、いい。そんなことよも妹が消えた。探しだして保護してほしい」私の言葉に目を光らせるキル。「それは命令か?」試すような声。この男が主以外の人間の命を聞かないことは知っている。「いや、頼みだ。アーシュを、妹を助けてほしい」
「いいだろう。引き受けてやる」濃紺の瞳が俺を射抜く。ふてぶてしい態度だが、いま誰よりも迅速にアーシュを探しだして助けられるのはこの男しかいない。「頼んだ」短く言い渡すと、男は消えた。キルに頼めば問題ない。そう自分に言い聞かせて、父上たちと合流するために部屋を出た。
父上と母上、ランセル殿下、そしてソルトとひとつの部屋に集まって状況を説明する。「アシュレイ姫が?」ランセル皇太子が今にも部屋から駆け出して、探しに行こうとする。「お待ちください、殿下。王室主催の舞踏会に皇太子が不在など、あってはならないことです。エルナンド、手がかりはないのか?俺が動く」ソルトの言葉に頷く。「アーシュの捜索と救助には元母上付の影を向かわせた。合流して共にアーシュを助け出してくれ。俺は父上たちと共に舞踏会に参加しているであろう首謀者を炙り出す。ランセル殿下もご協力願えますか?」「彼女の捜索に迎えないのは口惜しいが、ここはソルトに任せよう。当然だエルナンド。アシュレイ姫を爪の先程も傷つけたら、一族もろとも断罪する!」いつもは穏和なランセル皇太子が、怒りも露にそう言った。
この中に憎い首謀者がいる。穏やかな笑みを張り付ける。「エルナンド様、お会いできて光栄です。私、コートニー公爵家のマーニャと申します」「エルナンド様、わたくしエルナンド様と再びお会いできるのを楽しみにしておりましたのよ。わたくしのこと、覚えていらっしゃいますでしょうか?」「エルナンド様、素敵な仕立てで、とてもお似合いですわ」適齢期の娘達が、まるで発情期の犬のごとく尻尾を振って近付いてくるのを笑顔で適当に受け流しつつ、招待客の様子を注意深く観察する。不自然な行動を取るものはいないか?怪しい会話を交わしているものはいないか?
「まぁ、アシュレイ様はご欠席ですのね!」鼻に掛かるような甘ったるい声が響いた。「本当ですわ。ご病気かなにかかしら?」広間の一角で、令嬢達が話をしている。「正式な理由もなくご欠席なの?」噂好きの令嬢達は、心配すると言うよりも、どこか面白がっているように見える。「なんだか盛り上がっているみたいだけど、何の話をしてるの?」ランセル殿下がにこにこと彼女達の輪に入る。令嬢達は突然の皇太子の姿に頬を染めて恥じらった。「殿下はアシュレイ様がご欠席の理由をご存知ですか?」「いや、理由がわからないんだ。もしかしたら遅れてくるかもと思って待っているのだけどね」目を伏せて、寂しそうにため息をつ吐く殿下。中々に演技が上手い。「エルナンド、アシュレイ姫はまだ来ないのか?」自然な流れで声をかけられ、令嬢方の輪に入った。とその時、
「実はわたくし、アシュレイ様が男の方と手を繋いで走っているのを見たのです」もじもじと身を揺らしながら、上目使いに私たちに伝えた令嬢の言葉に、他の娘達がざわつく。「どう言うことかな?詳しく教えてくれる?」ランセル殿下の言葉に、甘えたような目を向けながら話し始めたのは、ランセル殿下の婚約者候補の1人であるアンナ伯爵令嬢。「実は舞踏会が始まる少し前に、アシュレイ様が西棟から東棟に向かって歩いているのを見かけたのです。どこか落ち着かないご様子でしたから、どうしたのかと思って見ていたら、東棟の入り口に男の方が立っていて、その方と…その」チラッと殿下を見上げた後、「抱き合っていらっしゃいました」アンナの言葉に令嬢達が小さな悲鳴をあげた。
「あの、これ以上は…」殿下と私を交互に見て口ごもるアンナ伯爵令嬢。「構わないから続けて」殿下の言葉に、「その後、アシュレイ様はその男性の手を握って城の外に向かって走り出したのです。その時に落ちたのでしょう、こちらのバラのイヤリングが床に残されていました。こちらはアシュレイ様の物で間違いないですわよね」アンナ伯爵令嬢がチラリと私のシャツのボタンを見た。イヤリングとボタンは同じデザインのものだ。アーシュの舞踏会のデザインを手掛けた服飾店のデザイナーに、彼女の当日の装いを聞き出して、アーシュのバラと同じデザインでボタンを作らせたのだ。何でもないこの白いシャツだって、刺繍と色染めをする前のアーシュのドレスの布と同じもので作らせている。私の髪を結ぶレースのリボンは、アーシュのドレスに使ったレースの一部を切り取って作っている。私の身も心もアーシュのもので、アーシュと一心同体なのだから、これくらいは当然だ。




