悪役姫アシュレイ2
「もう食事の時間だ。残念だけど残りは後でだね、アーシュ」
世紀の悪役姫を前に、ふわりと微笑むエルナンド。流石は悪女のお兄様。図太い神経でいらっしゃる。アシュレイとちらりとでも目が合っただけで、全ての男が陥落し、女たちは絶望する。その圧倒的な美しさに。そんなアシュレイの強い眼差しを真正面から受けて正気でいられるのは、エルナンドだけだろう。いやお兄様も狂っちゃうんだけどね。見事なまでのヤンデレに。
エルナンドが差し出した手に自らの手を添えてゆっくりと立ち上がる。焦らすように、優雅に。忘れてはならない。私はアシュレイ。悪役姫とは言え、神をも魅了する絶世の美女なのだから。
エルナンドの隣を歩く。彫りの深い横顔を見上げる。小説の中の、アシュレイを監禁した頃のエルナンドは確か23才だったはず。今、目の前にいる彼は、どう見ても15、6才。だとすればエルナンドより5つ下の私は10才位だろう。アシュレイの悪名が轟き始めるのは彼女が16才の頃。この国の皇太子の婚約者候補として名を連ねた辺りからだから、多分、今はまだアシュレイはとてつもなく美しい、ただの姫。という立ち位置だろう。
それにしても……と自室から食堂に向かう廊下に飾られた、金やプラチナ製の、宝石でキラキラに飾られた調度品を目の端で盗み見る。これってさ、多分、たった1つでも家や車が買える位にお高いんだろうな。しかも足元に敷かれた絨毯だって、毛足が長くてふかふかで、このままゴロンと寝転がったらさぞかし気持ちいいんだろうな。天井からぶら下がるクリスタルでできたシャンデリア。しかも、こちらも色とりどりの宝石で装飾されている。
これだけの美しさすら陰るような、エルナンドの神々しさ。アシュレイよりも金色の濃いプラチナブロンドの髪と青い瞳。ギリシャ彫刻みたいに彫りが深い顔と、細身でありながら鍛え上げて引き締まった肉体。少年から抜け出したばかりの幼さを残しつつも、大人びた表情のためか落ち着いた印象を他に与える。美しすぎてため息が漏れる。ほーっと息を吐き出そうとして、壁に掛けられた鏡に写る自分自身の姿にカッと目を見開いた。
透けるように白い肌。丸みを帯びた頬。夢見がちに潤んだ大きな瞳を飾る長い睫毛。枝毛なんて一個もありませんって程に、毎日念入りに手入れされた波打つプラチナブロンドの髪。柔らかいけれど、まだ女性特有の丸みのない少女の体を、淡いピンクのサテンのドレスがふんわりと包む。
な、なんて可愛いの?わたし!
エルナンドを綺麗だと思ったけど、わたしも全然負けてない。いや、庇護欲をそそられるって意味では、圧倒的にわたしの方が魅力的だ。なんだ?この破壊力。そりゃあ世界が崩壊するはずだわ。
心のなかで「うんうん」と己の美しさに悶えている内に、屋敷の食堂へと到着したらしい。ボンヤリしていたせいで、エルナンドが止まったことに気づくのが遅くて危うく躓きそうになった。いや踏ん張ってどうにか堪えましたけどね。世紀の美少女がつんのめって顔面から床に倒れ込むなんてこと、絶対にあってはならないものね。
侍女がドアを開けると、エルナンドがわたしの手を引いたまま室内に入った。侍女の横を通りすぎる際に「ありがとう」とドアを開けてくれた礼を言うと、侍女が恐ろしいものでも見たようにギョッと目を見開いた。
あら失礼ね。優しくされたらお礼を言うのは当たり前でしょ。と思った直後、自分がアシュレイだということを思い出す。小説にはアシュレイの幼少期のことは余り書かれていなかったが、父母と兄に散々甘やかされて育ったアシュレイは、気位の高い我儘娘で、少しでも気に入らないことがあれば侍女に当たり散らしていた。って書いてあった。そうか。アシュレイが自分より格下の侍女に礼を言う。何てことがあってはいけないんだ!
エルナンドに促されて椅子に座りつつ、思い巡らせる。いや、待てよ。考えれば、今はまだアシュレイはただの我儘な姫でしかない。
悪行の数々をしでかして、男たちを垂らし込み、女たちを陥れ、贅を尽くしただけではなく、「南のストルム公国は宝石の産地で有名でしたわよね」とか「わたくしアルネリア国産のシルクをふんだんに使ったドレスがほしいわ」などど、皇太子に遠回しに『あの国がほしい』『この国がほしい』とおねだりをした。当時、病気で床に伏せていた国王の代わりに国を統括していた皇太子は、アシュレイにねだられるままに大小、数々の国に戦争を仕掛けた。アシュレイの浪費と、度重なる戦のために、皇太子ですら節約を余儀なくされる程に国庫は枯渇つした。自国に金がなくなると、アシュレイはこともあろうに隣国の王を誘惑し、ちゃっかりと隣国の王妃の座におさまった。
そこでまた贅沢三昧。真面目な隣国の王じゃ物足りないと、王弟までも誘惑。三角関係からの、王弟の反逆による内紛勃発。とそこにアシュレイを取り戻そうと自軍をつれた我国の皇太子が隣国へ乗り込み戦争勃発。と思いきやアシュレイに恋い焦がれていた騎士団長の裏切りにより皇太子没落。とどめに隣国の王と王弟の兄弟争いは刺し違えて双方死滅。
隣国崩壊、冷静沈着な我国の宰相がアシュレイを国に連れ帰り正妃とすると、再びの我儘三昧、贅沢三昧のアシュレイ。「お金がないなら国民から搾り取ればいいじゃない」の言葉を真に受けた宰相が税金上げに上げまくり、国民の怒りは爆発した。怒りの矛先は、すでに国王となっていた宰相とアシュレイの2人に注がれ、(元)宰相は公開処刑。アシュレイも同じく民衆の前で首を落とされる筈が、完全無欠にヤンデレ化した兄エルナンドに拐われ、監禁される。国王を失い枯渇つした国は滅びた。
そこまでのあらすじをザックリと思い返して、心の中でため息をつく。どう贔屓目に見ても、わたし、情状酌量の余地のない最悪の女じゃない?しかも…ヤンデレ化したお兄様との生活はハイレベルな程にハードで。かなりマニアックな層のヤンデレ好き以外の人間にはトラウマ急に過酷な内容だった。
言葉攻めあり。精神攻めあり。肉体攻めあり。「アーシュは私とひとつになるんだよ」とうっとりと微笑みながら、生きたままアシュレイの肉に歯を立てた時には、さすがに「ひっ」と悲鳴が漏れた。思い出しただけでも軽く吐き気が…。
人が苦しんだり死ぬのも、国が滅びるのも嫌だけど、何よりも生きたまま兄に食われそうになるのは絶対に嫌だ!どうにかして最大のバッドエンドだけは免れなければ!!