花嫁修行でございます5(リンの真実)
エルナンドの熱いまなざしを戸惑うように見つめ返す。美形のエルナンドに、これほど一途な愛を向けられて、靡かない女性などいないのではないだろうか?けれど私はこの物語の結末を知っている。彼が私に優しい言葉をかければかけるほど、不安が募る。それでも自分が『幸せ』になることで、彼の心が醜く歪むことがないならば、『幸せ』になろう。そう思った。「エルナンド様、当主様がお呼びです」控えめにドアをノックして部屋の中に入ってきたザックが、エルナンドに告げた。「ああ。父上と母上も城に到着したんだ。アーシュ、すぐに戻るから待っていて」私の手に唇を落としたエルナンドが部屋を出て行った。
「もうすぐ舞踏会が始まるのに、大丈夫かしら?」部屋の中からバルコニーに続く大きな窓を見る。窓のすぐ外側にある木々の隙間から光が差し込んで、キラキラと輝いている。その光をぼんやりと眺めていると、風が吹き込みバタンと大きな音を立てて窓が空き、リンが部屋の中へと入ってきた。最近この猫は城内を散歩するのが楽しいのか、いつも外に出たきり私の元に戻ってこない。そんなリンが足元までやって来ると「みゃー」と鳴いた。ドレスの裾に頬を擦り寄せて甘えるリンを抱き上げる。「どうしたの?」リンは再び「みゃー」と鳴いた後、腕の中から飛び降りて、部屋のドアから外へと駆け出した。まるで『僕についてきて』と言うように。
反射的にリンを追いかける。慌てたハスラが「お嬢様、もうお時間ですよ!」と、後方から叫んでいる。ナージャとトリッセが追いかけてくるのが分かった。胸騒ぎがする。リンは何かを訴えている。前を走るリンを全力で追いかけた。リンが廊下の角を右折した。慌てて右に曲がった瞬間、褐色の肌をした、私より2~3才年下の男の子が立っていて、その子と衝突してしまった。「ごめんなさい!」謝った私に、困ったように眉尻を下げた男の子は「謝るのは僕だよ」そう言うと、私のみぞおちに拳を食い込ませた。「ごめんね、アシュレイ」膝から崩れ落ちる私の耳に、哀しそうな男の子の声が聞こえた。
「嫌がってたわりには、上手くやったじゃないか」「煩い!分かってるよね、アカヤ!アシュレイを傷つけないって言ったから渋々言うこと聞いたんだよ!絶対に酷いことしないでよ!」「おいおい、どうした?人間嫌いのお前が、人間の娘に肩入れするなんて」「アシュレイは他の人間とは違う!僕を殺すことも、厭うこともなく、可愛いって言って抱っこしてくれたんだ!」
意識を取り戻した私の耳に、誰かが話している声が聞こえた。両手を背中の後ろで縛られていて、両足も麻ひもで縛られている。口には猿ぐつわをされていて喋れない。そっと瞼を開けると、ぼんやりとした視界が徐々にハッキリとしてきた。1人は背の高い男の人で、もう1人は小柄な少年だった。2人とも浅黒い肌をしている。少年は私に背を向けた状態だけど、さっき曲がり角でぶつかった男の子だった。(どうして、こんなことに。それにリンはどこへ行ったの?)悔しさと不安で「ううっ」と声が漏れる。その声に反応して、2人が私を振り返った。
「目覚めたんだね、アシュレイ!ごめんね、酷いことして。けど、こうしないとアシュレイはもっと酷いことをされちゃうんだ!」床に寝転がったままの私の前にペタリと座り込んだ男の子が、今にも泣き出しそうな顔でそう言った。薄褐色の肌と、濃褐色の髪。猫みたいにつり上がった瞳と、ピンと尖った耳。彼の首には、リンを飼うときに私がつけた、白地にバラの蔦と剣が刺繍された首輪があった。この子はリン?信じられないけれど、間違いない。リンだ!大きく目を見開いて、必死にリンに話しかけようとするけれど、口が布で塞がれていて喋れない。
「気がついたか?」リンの横から長身の男が顔を出す。「ここで大人しくしていろ。お前が舞踏会に出なければ、あの女も満足する。下手に動けば、あの女がけしかけた男共に良いようにやられるぞ。それとも戦うか?その力があればあの程度の女など簡単に消せるだろ?」どこか試すような、面白がっているような声音。誰がなんの目的でかは分からないけれど、どうやら私を陥れようとしていることだけは分かる。
「女の嫉妬は醜いからな。せいぜい汚されないように踏ん張れよ」男が歯を見せて笑った。その歯は獣のように尖っていた。




