花嫁修行でございます
「こら!フェルナルド!アシュレイ姫と二人きりで何をするつもりだ?わたしの白い天使アシュレイに、貴様の如何わしい大人の手解きなど不用だぞ!」壁の外でランセル皇太子が叫ぶ。「アーシュ?大丈夫かい?そんな変態メガネに閉じ込められて恐いだろう?待っていなさい。今すぐ私が助け出してあげるから!」エルナンドお兄様が壁の外から氷魔法を発動させようとしている。防御壁を氷魔法で破壊するつもりだろう。「私も加担するぞ、エルナンド!」ランセル皇太子もいつになく猛々しい声で叫んだ。「じゃあ俺も水魔法で援護します」ソルトが心底楽しそうに言った。3人の魔法に一斉に攻撃されたら、防御壁どころか中にいる私たちまで木っ端微塵だ。
「止めてください!フェルナルド先生に変なことなどされていません!そもそもハースアリア先生もご一緒です!」壁の外に必死に訴えるわたしの目の前で、「折角だから、ここで魔法の練習もしましょう」フェルナルド先生が目を光らせてくくっと狂人のごとく笑った。「防御壁を残したまま、お三方の魔法を全て無効化してください、アシュレイ様。貴女にならできます」そうおっしゃるフェルナルド先生の様子は、危険な実験を前にした高揚感に満ちている。メガネの奥の目が怪しく光っていて怖いです、先生。怯えまくるわたしに、「何かあればフェルナルド先生も私もお手伝い致しますわ、アシュレイ様」余裕の笑みでハースアリア先生がおっしゃった。心強いお言葉ですが、ハースアリア先生、あなたも楽しんでいらっしゃいますね?
迷っている暇はない。このままじゃ壁ごと粉々に砕け散る。わたしは両手を胸の前で組んで祈る。他の人が魔法を発動させるとき、魔法の波動が辺りに立ち込める。その気配で、魔法を使う瞬間がわかるのだけど、どうやらわたしの魔法は特殊らしい。何も起こらないのだ。わたしはただ祈るだけ。「無に帰って」と。防御壁の外で吹き荒れていた3色の波動が一瞬で消えた。騒々しかった気配が消え、静寂が訪れる。「え…?」わたしの魔法を初めて体験したランセル皇太子の戸惑いが、壁の中にいるわたしにも伝わる。「うまくコントロールできましたね」「お見事ですわ、アシュレイ様」フェルナルド先生とハースアリア先生が、交互にわたしを褒めながら頭を撫でて抱き締めてくださった。
フェルナルド先生が防御壁を消す。視界が開けて3人の姿が目に映る。麗しの殿方たちは、三者三様の表情で心まで無となっていた。
順調に花嫁修行を進めるアシュレイの知らぬところで不吉な影が迫っていた。婚約者候補の一人が、城に用意された部屋で誰かと話している。大衆の面前で自分に恥をかかせた元凶であるアシュレイを、どうすれば陥れることができるか?と。
彼女は小さな頃から「貴女こそがランセル皇太子の妃となるのです」そう言われて育った。大国の皇太子妃。未来の王妃。貴女にそれ以外の未来などあってはならない。と言い含められ、厳しくしつけられてきた。親の愛など知らない。厳格で無口な父と、ヒステリックで気位の高い母。褒められた記憶も、笑いかけて抱き締められた記憶もない。どれだけ頑張っても両親は険しい顔で私を叱るだけ。年の離れた妹には甘いのに、自分には厳しい。実家にいる甘えん坊で我儘な妹の顔が脳裏に浮かぶ。あぁ、何故これほどにあの娘が憎いのか解った気がする。大嫌いな妹に似てるのだ。ろくに努力もしないくせに皆から愛される、あの妹に似ているのだ。気づいたら、いっそう憎悪が膨らんだ。
「不貞の噂を流しましょうか?」「いえ、それだけでは生ぬるいわ。泣きわめいて謝るまで虐めてあげましょう」「それでも駄目なら毒殺するしかないかしら?いいこと?無味無臭。証拠の残らない毒を使うのよ」優雅に紅茶を飲みながら、たおやかな笑みを浮かべて語る様は、まさに一輪の毒の花。美しく、優雅に、口から毒を吐く。その毒は周囲を腐敗させてゆく。「計画通りに頼むわよ」彼女の言葉に黒い影が蠢いた。




