悪役姫アシュレイ
透き通るように白い肌。プックリとした頬は淡い朱に染まり、愛らしい頬を滑るように、艶やかな銀とも見間違うほどに見事なプラチナブロンドの髪が彩る。薄い水色の瞳を細めてうっとりと微笑めば、この世の創造神すらも一瞬で魅了する。彼女が望むなら、この世の全てを差し出すことも、この世を破壊することも厭わぬ程に、彼女に溺れる。
甘すぎるほどに芳醇な香りは、人々の欲望と野心を疼かせる。それは執着や嫉妬、憎しみに変わり、世界を破滅に導いた。
少女の名はアシュレイ・エル・ハートランド。王家に次ぐ血筋と権力を持つハートランド侯爵家の姫。両親から盲目的な愛を受け、ただ一人の兄から溺愛されたアシュレイ。この世界のものは全て私のもの。と言わんばかりの我儘放題を繰り返し、自国の皇太子や有力貴族の嫡男、近隣諸国の王や皇太子を虜にして狂わせた。アシュレイを愛し、身も心も囚われて呪縛される男たち。アシュレイを自分だけのものにしようと男たちは牽制し、憎しみ合い、争った。そして、ついには国と国との戦争にまで発展した。
「私が欲しかったら勝ち取りなさい。私、弱い殿方は嫌いなの」
アシュレイは扇で口元を隠しながら優美に笑った。
多くの人が戦で亡くなり、家を失い、大切な人を失った。終わりの見えない戦いに、互いに国は衰退した。民はその日の食べ物にも困り、職を失い、窃盗、詐欺、殺人が横行し、治安部隊では手に追えないほどに国の治安は悪化した。
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「なんでっ!」
鏡に写る自分の顔を穴が開くほど凝視する。昨夜から、何度見ても変わらない。これは夢だ。何度も自分に言い聞かせたけど、やはり『元の世界』には戻れない。間違いじゃない。私……小説の世界に転生している!!
私、林美憂。真面目だけが取り柄の、どこにでもいるごくごく普通のOL……のはずだった私は、何故か最近ど嵌まりして読み漁ってた悪女系小説の登場人物へと転生していた。しかも世界を破滅させる悪女。バニラのよう甘く芳しい香りを振り撒きつつ、猛烈に残酷で腹黒い。悪女の中の悪女。アシュレイ・エル・ハートランド。
皇太子を誘惑して堕落させ、この国を破滅に導く傾国の姫。しかも自分だけが滅びるなんて不公平だと周囲を巻き込み、最終的には『この世界全部壊しちゃった、てへ♪』とアシュレイがてへぺろしたところでエンドすると言う、トラウマ急のバッドエンドを迎えることで有名な小説の主人公。
「なんで、よりによってアシュレイ……」
好きだよ。確かに好きでしたよ悪女系小説。ただね、小説はフィクション。完全なる作り話だから面白いの!現実の、しかも当事者になりたいなんて、一度も願ったことなどありません!
滑らかな頬を両手でふにふにと押して自分の顔を確認する。こんな変顔してても美しいなんて…恐るべしアシュレイ・エル・ハートランド!キッと鏡の中の美貌の自分に強い眼差しを向けたとき、背後から声がした。
「どうしたんだい?わたしの愛しのアーシュ」
ふわりと優しく、くすぐったくなるほどに甘い声。振り向かなくても、小説を読み込んだ私には分かる。小説の主要キャラの一人で、アシュレイの異母兄エルナンド。極度のシスコンで、アシュレイを溺愛するあまりに禁断の愛に苦しみ、最終的にはヤンデレ化する。アシュレイに薬を盛り、眠らせ、監禁して、あーんなことや、こーんなこと。血の繋がった兄妹には許されない、破廉恥でいやらしい数々のことを……って、思い出したら鼻血が出そう!いや、好きですよ。ヤンデレ。「わたし以外を見たお仕置きだよ」と言って首輪をされ、繋がれ、体に愛を刻まれる。思い出しただけでも涎もの。
ただしフィクションならね!!
「お兄様」
エルナンドの狂気を孕んだ薄ら笑いを思い浮かべて背筋が凍る気持ちを抑えて、アシュレイの名に恥じない優美な笑みを向ける。すると優しい三日月形に細められたエルナンドの瞳が、すーっと無表情になる。その目、怖いです。お兄様。
エルナンドは鏡台の前に座るアシュレイの真後ろに立つと、腕を伸ばしてプラチナブロンドの髪を一房手に取った。その髪を宝物のように撫でながら、エルナンドは腰を屈めてアシュレイの耳元に唇を寄せた。
「エルと呼びなさい。と言ったよね」
悪い子だ。と囁いたエルナンドの暖かい吐息が耳にかかる。職人が端正込めて彫った彫刻のように美しい顔が間近にある。顔を微かに動かせば彼の唇が自分の耳に触れるだろう。そう思うと耳が熱くなり、その熱が全身に行き渡って体が火照る。いけないことをしているような、後ろめたく、むず痒く、胸が締め付けられるような気持ちになる。目を潤ませて、頬を赤く染める妹に気を良くしたエルナンドが再度言う。
「さぁ、呼んで。エルと」
エルナンドが後ろから両手を回して抱き締める。固い胸板と逞しい腕にドキドキする。だめ…私たち兄妹なのに。いや魂は林美憂ですけど。けど反則級に綺麗なお顔に、操られるように呼ぶ。
「エ……ル」
「もう一度」
エルナンドのアシュレイを抱き締める腕に力がこもる。
「エル。痛い」
涙声になったアシュレイに、エルナンドがクスッと笑って、彼女の髪に口づけた。ヤバイ。ヤバイよ。ドキドキする。かの悪女アシュレイが、男に簡単に屈しちゃだめなのに。前世年齢30才でありながら恋愛スキル底辺の私には、麗しのヤンデレ兄様はレベルが高すぎる。
「戯れはお止めください!」
どうにかアシュレイ・エル・ハートランドの威厳を保とうと、好き放題するエルナンドを睨むと、エルナンドは優しい笑みを浮かべたままアシュレイから離れた。