魔王、堕ちる
白魔病
それは人間の体内魔力の循環に不具合が起きた時に出る症状である。
生物の体には、常に血液、リンパ液、魔力が循環しており、生命活動を維持している。
外から取り込まれた魔力は、魂の中の器に蓄積され必要に応じて体内を巡っている。
大気中から酸素を取り込み、心臓から血液に乗せて体に送り出すのと同じだ。
しかしながら心臓のような臓器が存在するわけではない。
魔力の容積は目に見えるものではなく、個人の魔力量の測定も、『瞬間的にどれだけ魔力を放出できるか』を確認するしかない。
生命活動に必要とされる魔力は、魔法を使う際に放出されることはないので『この魔法が使えるなら魔力量はこのくらいだな』といったような、曖昧なものだ。
数値化したがる人間達の間では、その魔法をある種の魔道具にぶつけて数値化するものもあるようだが。
重要なのは使える魔力量なので、魂の器の大きさはたいした問題ではないのだろう。
循環する魔力は一度魂の器に蓄積されるが、そこから先に問題があると白魔病が発症する。
魂の器の大きさに、魔力を体へ送り出すポンプのようなものが追いついていないのだ。
大きな水槽の底に小さな穴をあけても、水が流れていかないのと同じことだ。
人間達の進化の過程は、恐らく全ての生物の中でも最速であろう。
理性と自我が生まれたことで、人間の魂は急成長を遂げた。
しかし魂の成長速度に体が追いつかず、体に合わせた器の大きさになってしまい、同じように自我を持つ魔族や高等な魔物に比べて器が小さいのだ。
それでもごく稀に、体ではなく魂の方に合わせた器を持って生まれてきてしまったのが、白魔病の者たちだ。
巨大な水槽から滲み出た魔力はギリギリ生命活動を維持する程度。
そして髪は、魔術でも利用されるように魔力との親和性が高く、魔力を多く消費するため後回しになる。その結果、真っ白な髪になるのだ。
そんな原理を知らない人間たちは、白魔病の者たちは先天的に魔力量が少ないのだと思っている。
「なるほどねぇ…ということは、レオンはその体と器を繋ぐ部分に何かした、ってことかしら?」
「そうだ。少し出口を広げただけだが、魔力が循環し始めれば自然と出口も広がっていく。急に広げてしまうと体に負担がかかるが、少しずつであれば体が慣れていくからな。」
こともなげにレオンは言うが、そう簡単なことではない。
他人の魂に干渉するなど、普通はあり得ないのだ。
そしてレオンも言っていた通り、魔力の出口は開きすぎると負担が大きく、特に生まれて間もない赤子など下手をすればすぐに死んでしまう。
そのため、実際には双子がどれだけの大きさの器を持ち、どこまで体が耐えられるかを見極めなければならない。
「ほぉんと、レオンってばなんでもできるのねぇ」
感心したような、諦めたような表情でミトラは呟く。
「人間にはまず不可能だろうな。籠に残った魔力の残滓を探ったが、どこぞの貴族の魔導師が複数人で転移術を使ったようだ。大方、白魔病の子を産んだなどと世に知られたら困ると、処分するために森に送ったのだろう。布に付いていたのは家畜の血液だ。魔物が寄ってくる臭いをつけておいて、食わせるためだな。」
「そんな……ひどいでありますよ」
アリスは耳もしっぽも下がり気味で呟いた。
「サウザンドロゼの香りは魔物が嫌うから、運良く喰われなかったんだろう。2、3日もすれば魔力も巡って、髪も白くなくなる。ほかに異常もないようだな。」
「それでね、レオン。その子たちなんだけどぉ」
「む、なんだ?」
「あなた、面倒みてくれないかしらぁ」
ガチャン!!……と、ワゴンから音がした。
紅茶のおかわりを準備していたセドリックが、手を滑らせたようだ。
「ふん、なるほどな。面倒ごととはこれのことか。」
レオンは合点がいったようだ。セドリックは事前にミトラから言われていたのだろう。突然話の核心に迫ってセドリックも動揺したようだ。
「悪いが、断らせてもらう。人間の子など育てたことはないし、育てる気もない。白魔病も治ったことだし、人間達に返せばよいではないか。」
「そうはいうけどねぇ、一度はこの子達を殺そうとしたところに返すのは、気が進まないじゃない?」
「言っていることはわかるが、それならミトラが面倒をみればよいではないか。」
「んー……森で育てるのはちょっと難しいわ。森で生きるにはあまりにも無力だし。私も森の維持で付きっきりにはなれないから、生きていけないわ。それに、私が管理してはいるけれど、本当はミトラの森はあなたの領地よ?今回見つけた場所もそうだし」
「落し物は拾った場所など関係なく持ち主のものだろう。だったら殺すか?どっちにしろ親達はこいつらを殺す予定だったのだ。」
「なんてことっ!!『ふぇ…』……あ」
ミトラが大きい声を出すと、籠から赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
『『んにやぁぁぁっっ!!んにゃぁぁっ!!』』
おとなしく眠っていた双子は、弾かれたように大声で泣く。
「あぁ、もうレオン。あなたのせいで泣き始めちゃったわ。あなたが怖いこというから。」
「いや、ミトラが大きな声を出すからだろう。」
ミトラは双子の周りを飛び回り懸命にあやしているが、泣き止む様子はない。
「ちょっとぉ、全然泣き止まないわ。私の大きさじゃ抱っこが出来ないから、レオン抱っこしてあげて。」
「……仕方があるまい。」
そうしてレオンは、両手で赤ん坊を掴もうと手を伸ばした。
「なっ……」
抱き上げるより先に、レオンの驚きの声をあげた。
伸ばした手の人差し指を、双子が左右それぞれぎゅっと握ったのだ。
その瞬間、双子は泣き止み、泣きはらした真っ赤な顔のまま笑い始めた。
その笑顔は2人ともレオンの方へ向いている。
「ほらぁ、2人ともレオンに懐いてるじゃない。やっぱりあなたが育てたほうが……って、レオン?」
レオンは両手の人差し指を掴まれたまま、双子を見つめていた。
「かっ………!」
「か?」
ハッとレオンは顔を上げた。
「か、可哀想であるからな、しばらくはここで面倒をみることにしよう。」
「それがいいわぁ。魔王も引退して、多少時間も出来たのでしょう?城には手伝ってくれる部下も沢山いるじゃない、ねぇ?セドリック?」
「勿論で御座います。」
落ち着きを取り戻したセドリックも頷きながら微笑む。
「なら決まりね。私もたまに様子を見にくるから。この城内であれば間違いなく安心ねぇ」
双子は未だにレオンの指をしっかりと握っていた。