ミトラの森
未開拓地帯《ミトラの森》
魔王領を中心に、南に位置する人間領と、北に聳え連なるガヴェリア山脈に掛かるまでの半径およそ300kmに及ぶ大森林である。
見上げる程の樹木が鬱蒼と生い茂り、場所によっては昼間でも陽の光が差すことのないこの森には、ありとあらゆる生き物たちが棲んでいる。
生態系が確立され潤沢な魔力に満ちており、他では見られない希少な動植物がよく産出されるため、人間領側の一部の区画は冒険者の姿もよく見られる。
人間の冒険者ギルドではクエストのために採取ポイントが記載された地図も販売されているが、どの街のギルドの地図も、揃いも揃って大変な横長だ。
というのも、冒険者それぞれへの聞き取りで行なっていた地図製作が証言の差異によって中々思うように進まず、痺れを切らした各街のギルドが一斉に共同で地図製作に乗り出し、沢山の冒険者を雇って横一列のローラー作戦を決行したのだ。
しかし、横一列で隣の冒険者と、障害物をすり抜ける魔法のロープで繋がったまま真っ直ぐに前に向かっていた彼らは、半日後に"列を崩さず"森から出てきた。
森の何かに惑わされたか、阻まれたか、はたまた追い出されたのかはわからないが、人間領から5kmあたりのところまでしか進むことができず、気づけば帰ってきてしまう。
それでもその範囲ですら他の森とは違う素材が手に入るし、5km近くで時折高ランクの魔物の徘徊が確認されたため、以降の地図製作は断念された。
そのため、ミトラの森は『幻惑の森』とも呼ばれ、地図なしではその折り返しポイントへも中々たどり着けない。
「魔王様はなんだって、『紅白どんぐり』なんか欲しいのでしょうか。」
そんな迷路のような森の中、人間領方向に向かって迷わず進むのは一人(?)と1匹
「やだわ、アリスちゃん。レオンは魔王じゃなくなったのよ?」
「はっ!そうでございました…レオン様ですね」
アリスと呼ばれたのは、ふわふわの毛玉にしか見えない白い子犬
「まぁねえ…引退したと言っても、特に何も変わらないものね。でも、色々お仕事を他の子にやらせてるから、最近は時間が出来て魔道具を作ってるんですって。」
アリスの横をふわふわと飛びながら進んでいるのは、翡翠のような瞳に透き通る白い肌の可憐な少女だ。
背中には、背丈を越えるほどの瑠璃色の蝶の羽がある。
「ミトラ様は、最近レオン様にお会いしたのですか?」
「いいえ、セドリックの使いのものが、メモリールーンを運んできたの。」
ミトラと呼ばれた少女は、その名の通り、このミトラの森の主である。
ミトラは何処からともなく、手のひらサイズのすべすべとした赤い石を取り出すと、僅かばかり魔力を込めた。
赤い石は魔力に反応すると、輝きを増して上に向かって放射状に光が漏れ出し、そこに初老の紳士が映し出された。
『ミトラ様、お久しぶりに御座います。セドリックです。』
メモリールーンは含有魔力の多い鉱石で作られた魔道具で、映像と音声を記憶させることができる。
『本来ならば直接お伺いすべきところ、申し訳ございません。実は……』
メモリールーンによれば、魔王の引退により大きな混乱はないものの各所での調整にセドリックは奔走しており多忙を極め、反対にレオンは魔道具製作を楽しんでいるが、最近ブツブツと「紅白どんぐりが…」と言いながら製作の手が止まっている。恐らくは素材として紅白どんぐりを欲しているのではないかとセドリックは睨んだ。
しかし紅白どんぐりはミトラの森でも人間領側にしかなく、採取量も多くなく取り寄せることも難しい。
『…ということで、紅白どんぐりをいくつかお譲りいただけませんでしょうか。ミトラ様のお好きなラムプリンを作ってお待ちしておりますので…それでは失礼致します。』
そこで映像は終わり、赤い石の輝きは弱まって元に戻った。
「ミトラ様…」
アリスは心なしか眉毛の部分が下がって困ったような笑顔を浮かべている。
「うふふ。ラムプリン美味しいのよねぇ。」
アリスは、ミトラの甘い物好きをよく知っていた。
メモリールーンを要約すれば、つまりは
『忙しいんで、甘いものあげるから、紅白どんぐりちょーだい』
ということだ。
「そうでございますね。では紅白どんぐりを探しましょう。」
アリスは色々と逡巡したものの、ミトラがよければそれでいいのだと、気持ちを切り替えて歩みを進めたのだった。