募る嫌悪
「師匠、よろしいですか。」
ベルゼはマーリンの研究室を訪れていた。
マーリンの研究室は、ほかの部屋と比べて広さも防御魔法も桁違いである。
どの研究室の設備も最高のものが揃えられているので設備性能の差はないが、調度品などは品の良いものが取り揃えられている。
広い部屋の中にマーリンのデスクはあり、マーリンはデスクで休憩中のようだ。
部屋に紅茶の香りが漂っている。
「ベルゼか。どうした?」
視線を上げ、ベルゼを視界に入れるが、ベルゼは今までマーリンが何を見ていたかわかっている。
10秒毎くらいに次々と入れ替わる魔道具の映像写真立てには、あのいけ好かない餓鬼が写っているのだろう。
ここは堪えなければならない。
今計画を知られてしまっては全てが台無しだからだ。
「"運搬細菌"についての報告書です。ご確認を。」
運搬細菌とは、文字通り"運ぶ"ための細菌である。
アスクレピアたちの開発した薬剤との合同研究で、強すぎる薬剤を如何にして必要な場所だけに作用させるかというテーマで、ベルゼが開発中の細菌である。
従来の薬の形状では、経口投与であれば食道や胃、点滴にすれば血管等に、薬剤が到達するまでに少なからず作用してしまう。
健康な臓器に影響なく、患部にだけ薬を届けるためベルゼが開発したのは『薬剤を体内に取り込み、決まった魔力信号を感じた時点で放出する菌』である。
菌には薬剤を変化させずに保持できる"胞"があり、薬剤を取り込ませた後人体に投与し、菌の放つ魔力を探って到達位置を調べ、患部にだけ到達したら放出される。
そうすれば今まで悪影響の方が大きかった薬剤が、菌に運ばせることによって薬効の方を期待できる。
「なるほどな、魔力信号によって薬剤を放出はするが、薬剤そのものが変異する可能性有り、か……確かに、素材によってはそういうものもあるだろう。アスクレピアにいくつか見繕ってもらって、薬剤自体に魔力変化がどの程度でるか確認しよう。」
「ありがとうございます。その薬剤ですが、特に気になる薬剤がすでにいくつかございますので、直接私がアスクレピア様に依頼してもよろしいでしょうか。」
「そうか。うむ、いいだろう。アスクレピアには、ベルゼが行くとだけ伝えておく。」
「ありがとうございます。」
マーリンに背を向け、ドアに向かいながら失望に似た感情がベルゼを襲う。
以前のマーリンであれば、こんな手には引っかからなかった。
その気になる薬剤とは何なのか、なぜそれが報告書に書いてないのか、成果が出てなくても全て書け……
そう言われたはずだ。
腑抜けている。
敬愛する師は、人間の餓鬼如きにほだされている。
目を覚まさせてさしあげなくては。
腑抜けていてよかったではないか。
これで作戦は遂行できる……
ベルゼが嫌な笑顔を浮かべながら出て行き、残された部屋ではマーリンがまた写真立てを眺めていた。