第九十四話 固定観念を覆すのは難しい。
カラーン。
乾いた音に足を止めたギーヴレイは、自分の足元に落ちたそれを見て、表情を曇らせた。
それは、六武王の証でもある徽章。主より直々に賜った、彼の忠誠の象徴。
留め金が壊れて落ちてしまったのだろう。ただ、それだけのはずなのに…
「不吉な……」
それを拾い上げながら、ギーヴレイの心中には言いようのない不安が押し寄せていた。なんの根拠も理屈もない、虫の知らせというものだろうか。
「もしや、陛下の御身に何か……」
しかし、今の彼に出来ることは、主を信じることだけであった。
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とかなんとか、ギーヴレイが俺を案じて胃をキリキリさせているとは露知らず。
俺は、身の潔白を証明するために四苦八苦していた。
完全に俺が姫巫女に手を出したと思い込んでいる四人に状況と、事実を説明する。
魔王でありながら勇者の補佐役でもあるというのは、イレギュラーな立場なのだということ。
そのせいで、情報秘匿のためには多少強引な手段を取らざるを得ないときもあるのだということ。
そして、世間のことも男女の機微もまるで知らない子供同然の姫巫女が、その「多少強引な手段」を変な具合に勘違いしてしまったのだということ。
じっくりと、時間をかけて丁寧に説明したおかげで、なんとか俺の無実は信じてもらえたようだった。
とは言え、彼らの心証の悪化が完全に回避出来たとも言えず。
「まあ…状況は分かったわ。……アンタが天然タラシだっていうことを忘れてた私たちも迂闊だったわけだし」
「これからは、リュートさんを野放しには出来ませんね。これ以上被害者を増やすわけにもいきませんし」
「お兄ちゃん……浮気、ダメ、絶対」
…………これで、彼女らにおける俺の評価に、ヘタレ・変態に続き女タラシも加わるわけね…。
俺が必死に釈明している間、姫巫女マナファリアは能天気に、かつ満面の笑顔で、俺の横にひっついていた。反対側から牽制するように睨み付けるヒルダの視線にも、まるで動じない。
一体誰のせいでこんなややこしい状況になっているのか、そもそもこの状況がどういうものなのか、分かってなさそう。
グリードは、先ほどよりはマシな表情になったものの、未だ難しい顔をしている。
「君が彼女に手を出していないということは、まあ、仮に事実だとして」
「仮に、じゃなくて事実だって!」
やっぱりまだ信じてないのかよ!
「しかしながら、今一番の問題は、彼女が姫巫女としての務めを放棄しようとしていることだ。そしてその原因が君であることは、間違いないよね?」
……う…そう言われると……返す言葉がない。
「聖央教会が擁する姫巫女は、彼女一人だ。あとは、エスティント教会に一人、どの派閥にも属していない教皇庁直属が二人、そして、今回新たに加わったのが、トルディス修道会に一人。これまで枢機卿も姫巫女も擁していなかったトルディス修道会は、姫巫女と勇者を獲得したことにより、教会内での発言権を増すだろう。そんな中、我々聖央教会から姫巫女が去ったとなれば、これはゆゆしき事態だ」
グリードは、ご丁寧に大人の都合を説明してくれた。
ルーディア聖教は世界中で信仰されている宗教であり、さまざまな派閥がある。
最大派閥である、聖央教会。貴族平民の別なく、最も多くの国、最も多くの信徒が属している。
それから、歴史こそ浅いものの現在信徒の数を着実に増やしている、エスティント教会。ここは、古い因習に固執しない斬新な教義解釈をしており、そのせいか若者や芸術家などに好まれる傾向にある。
今回勇者2号を輩出することになったトルディス修道会は、歴史だけならば最も古い。その分考え方も教義解釈も古臭く、現代人からの受けはあまりよくない。
また、トルディス修道会から枢機卿が選出されたことはなく、そのせいもあって今までは随分と肩身の狭い思いをしていたらしい。
そんなトルディス修道会が、いきなり姫巫女と勇者のW獲得で勢いづけば、ルーディア聖教内のパワーバランスにも大きく影響するというわけで。
それは、聖央教会トップのグリードとしては、面白くない事態なわけで。
「なんとしても、彼女には姫巫女の座にいてもらわなければ困る。……ということで、リュート。君の責任で何としてでも彼女を説得しなさい」
そんな、ご無体な。
俺の責任でって……しかも、この暴走気味で人の話を一切聞かないお嬢さん相手にそれは、無茶ぶりにもほどがある。
今だって、自分が原因でここにいる面々が頭を抱えてるってのに、全く意に介していないというか、何も分かっていないというか、ただご機嫌にニコニコしているだけだ。
自分が話題に上っているということも、分かってないんじゃなかろうか……。
「説得って……本人がやりたくないって言ってることを無理にやらせるのは良くないんじゃ…」
「個人の意向の問題ではないのだよ」
俺のもっともな意見は、グリードに一蹴された。
個人主義が席巻していた日本と違い、こっちでは職業選択の自由もないってのか?
「姫巫女は、神聖にして不可侵の存在。ひとたび選ばれたならば、命尽きるまで役目に殉ずることが決められている」
……思ってたより、ヘビーだ。
「それに……本当に自分の意志で未来を選び取りたいと欲しているならいざ知らず、今の彼女は一時的に熱に浮かされているも同然。冷静な判断など出来ていないだろう」
「まあ……そうだろうな」
「勢いに任せて彼女の退任を許すわけにはいかない。ということだから、なんとかしたまえ」
ううーむ。
教会やグリードの考え方は正直気に食わないが、郷に入っては郷に従えとも言うし……
まあ、仕方ないか。
「…マナファリア」
「はい、リュートさま」
それまでずっと無言でニコニコしながら俺たちの遣り取りを聞いているんだか聞いていないんだかだった姫巫女だが、俺が名前を呼ぶと即座に反応した。
「お前、姫巫女やめるなよ」
「はい、分かりました!」
俺の簡単な一言に、彼女は疑問も否定もなく頷いた。
それに驚いたのはグリード。
自分が何を言っても何度引き留めても、頑なに「姫巫女やめます」しか言わなかった彼女があっさりと翻意したのが理解し難いらしい。
「何かあったとき、お前に声を届けるには姫巫女でいてもらう必要があるからな。俺がいいって言うまで、聖央教会で今までどおり役目を果たすこと。いいな?」
「勿論です。リュートさまがそう仰るなら、私、これからも姫巫女の任を全うさせていただきます!」
グリードが、結果的にはオーライなんだけど納得いかねーって顔で俺を睨んでる。
が、仕方ないだろう。受託モードに誤作動を起こしている彼女は現在、俺の命令以外は弾いてしまっている。
逆に、俺の命令であれば、どんなものでも受容してしまうのだ。
それこそ、今から素っ裸で神殿内を逆立ちして回れと言われれば、二つ返事で実行するだろう
……そんな命令はしないけど。
「……ちょっとリュート」
それに気付いたアルセリアが、俺をジト目で睨み付けると、
「彼女に妙なことさせるんじゃないわよ」
「させるわけないだろ。お前は俺を何だと思ってる?」
「……だってアンタ変態だし」
「誰が変態か!」
まったく、いつ俺が変態趣味を晒したと言うのか。
「百歩譲って変態じゃないとしても、タラシなのは確かなんだから」
「だからタラシでもないって!」
今回の件は姫巫女の勘違いによる暴走だって判明したはずなのに!何この言われようは!
と、そのとき。
誰かが、扉をノックした。
もう、お次はなんだよ。
少々ウンザリしながらも、扉を開けると、
「よ、リュート。何昼間っから部屋に閉じこもってるんだよ」
訪問者は、ガーレイだった。
「いや…好きで閉じこもってるわけじゃねーよ……」
事の顛末を話すのは勘弁願いたいが、それでもここに部外者であるガーレイが来てくれたことは少しありがたい。
「なんかあったのか?まあ、別にいいけど……って、猊下!…えええ?姫巫女まで!?」
部屋の中を覗き込んだガーレイが、飛び上がった。
「なななな、なんで姫巫女がここに?」
あー、もう。面倒くさい。ほんと、勘弁してくれ。
「まあ、色々…な。で、どうしたんだよ急に?」
話を変えてしまおう。
だが、俺のその判断は、誤りだったと言わざるを得なかった。
「あ、そうそう。さっきイライザに言伝を頼まれたんだよ。任務でちょっと出るから、今夜は一緒に過ごせないってさ」
…………………おい。ガーレイこの野郎。
………知らなかったとは言え、この状況の俺に対して、何て伝言してくれちゃってんだよ。
俺は、背中を冷たい汗がつたうのを止められなかった。
「……リュート………」
ほら来たぁ!
「イライザ……って、誰?女の人の名前……よね?」
またもや勇者が沸騰寸前だ!
「あ、ええっと……」
なんとか誤魔化そうとした俺なのに。
「イライザってのは、七翼の騎士の一員っすよ、勇者さま。こいつ最近、彼女の部屋に入り浸ってて」
ガーレイが、先回りしてそれをぶち壊してくれた。しかも、
「じゃ、伝えたからな。俺はここで」
空気のトゲトゲが俺をぶっ刺しまくっているのに気付きもせず、あっさりと、
「あ、そだ。また飯誘ってくれよ」
とか呑気に付け加えて、そのまま去って行ってしまった。
しばしの沈黙の後。
マナファリアを除く全員が、ゆっくりと俺の方を振り返った。
四人とも、浮かべる表情は一致している。
だが、代表して言葉を発したのは、やはり“神託の勇者”たるアルセリア。
ただし一言だけ。
その一言に、万感の思いを込めて。
「…最低……」
…どんな呪詛よりも恐ろしい一言だった。
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その夜。
俺は、スマキにされてリビングに転がされていた。
当然、犯人は三人娘である。
グリードは、俺を見捨てて…視線で「自業自得だ」と語りつつ…さっさと仕事に戻っていった。
本来なら、こんなことをされる云われはない。
俺が誰とどう過ごそうが、それは俺の勝手のはずだ。
姫巫女のように純潔を重視されるような相手ならばまだしも、イライザはれっきとした自由人で、七翼とは言っても俺と同じで聖職者というわけでもなく、さらに独立した大人だ。
その彼女の部屋を避難場所に選んだからと言って、三人娘が怒る道理などないはず。俺は彼女らの補佐役、同行者に過ぎないのだから。
したがって、俺が今置かれている状況は、非常に理不尽極まりないものなのだが……
俺は敢えて、抵抗も批判もしなかった。
このくらいで彼女たちの気が済むなら安いものだと思ったし、抵抗したところで彼女たちは意固地になるばかりだったろうし。
要するに、面倒くさかったわけだ。
こんな拘束くらい、その気になれば簡単に解くことは出来るけど、ついでに魔界に避難することも出来るけど、それもやめておく。
バレたらバレたで、絶対うるさいからな、あいつら。
一晩くらい、ミノムシになりきって過ごすとしよう。
諦め半分でうつらうつらしていると、寝室のドアが開く音がして、ヒルダがリビングへやって来た。
脇に、枕を抱えている。
「どうした、ヒルダ。もう遅いだろ、寝なさい」
言うまでもなく、ヒルダの瞼は半分閉じかけている。寝ぼけているのか?
返事をせず、ヒルダは俺の横にぴったりとひっついて寝転がる。
「こらこら。そんなところで寝たら、風邪ひくぞ?」
そんなところに転がされている俺は、優しくヒルダを諭す。
「…お兄ちゃんと、一緒がいい……」
俺の背中におでこを押し付けて、眠気のためか幾分舌っ足らずに呟くヒルダ。
ふと、イライザから聞いたラムゼン家の事情が頭をよぎり、俺はそれ以上強く言うことが出来なかった。
彼女が、俺の中に兄を求めているのか、或いは親を求めているのか。
それは知る由もないが、彼女が俺に何かを求めているのであれば、俺に突き放すことは出来ない。
なぜならば。
俺は、ヘタレでも変態でもタラシでもないが。
誓って、そうではないと主張するが。
だがしかし、これだけは認めよう。
俺は、確かに、シスコンであると!
ご先祖様が女の霊に祟られてるんじゃないかと危惧していたリュート氏ですが、考えてみたら魔王時代に好き勝手やってたので、多分自分自身が女性に恨みを買いまくってたりもするんでしょう。




