第九十一話 出来る人たちの会議に放り込まれたときのアウェー感って半端ない。
ルーディア聖教の聖都、ロゼ・マリス。
地上界における宗教上の頂点であるここに集うは、神の代弁者とも呼ばれる高位聖職者たち。
本来ならば、それらの聖職者たちは、一般信徒の模範となり、彼らを正しき道へと導く先導者でなければならない。
そして、実際そのように認識されている。
私欲とは無縁の、清廉な心。たゆまぬ努力と主への深い畏敬により積み重ねた功徳。それらに裏打ちされた、優れた人格。
だがそれはあくまでも建前上のもの。
権力が集まるところには、必ず欲望が生まれる。それは、欲望なくして権力は保てないからであり、仮に彼らが真に無欲な…一般の人々が考えているような…人物であったなら、ルーディア聖教はその形を保つことが出来なかっただろう。
欲望こそが権力を生み、保ち、その権力により組織は正常に運営される。
私欲を戒めながらも、それを切り離すことが出来ないのは、弱さのためではない。
それが必要だから、である。
枢機卿筆頭グリード=ハイデマンは、己の持つ権力、権威、影響力を充分に把握している。そして自分の思うところを為すためにそれらを行使することを厭わない。
彼は、現教皇と旧知の間柄であることを最大限に利用し、或いは優れた領地経営で得た富をふんだんに使い、また、子飼いの精鋭部隊、七翼の騎士の力を存分に振るい、自分の属する聖央教会を、ルーディア聖教の最大派閥に留めている。
彼のしていることは、神の意思に適うものとは言い難い。
だが、彼がそのことを気に病むことは決してない。
理由は二つ。
一つ、彼は欲のない世界など存在しえないと理解している、ということ。
一つ、そういった行為は、彼に限ったことではない、ということ。
言い替えれば、皆がやっていることだから、である。
だが、他人も同じことをしているからと言って、それを容認するというわけではない。
寧ろ、自分の立場を守るためには、他者の同様の行為をいかに防ぐかが重要になってくる。
彼にとって、そしてほとんど全ての参加者にとって、この最高評議会は、戦いの場なのである。
「…と、このように、“神託の勇者”アルセリア=セルデンより、報告があった次第です。クレイトン神官長、ご説明をいただきたいのですが」
彼が水を向けたのは、トルディス修道会の最高権力者である、神官長のサミュエル=クレイトン。
「そちらのトルディス修道会に姫巫女が着任したということも、その姫巫女に“神託”が下されたということも、報告が上がっておられないようですが…。これほど重要なことであれば、秘匿していたと思われても仕方がないのでは?」
温厚な口調ながらも眼光鋭く問いただすグリード。
だが、相手もまた、海千山千の権力者の一人だ。
「そのことにつきましては、陳謝いたします。教皇聖下並びに枢機卿猊下の皆さまがたに報告が遅れましたこと、誠に申し訳ございません。ただ、我らが擁する姫巫女フェリシアは、姫巫女として未だ修行途中の身、その力も不安定なところがあり、“神託”の精査に時間がかかってしまった次第でございます」
しれっと述べるクレイトン。堂々とした態度には、後ろめたさなどは感じられない。
「不安定…ですか。それは、少々心配ですな。それでは、その託言の信憑性も怪しいと言わざるを得ませんね」
グリードは、トルディス修道会の姫巫女そのものに、疑義を抱いている。
「ご懸念には及びません、ハイデマン猊下。確かに能力の現出こそ不安定ではありますが、ひとたび祈りの儀に入ればその後の安定性に問題はございません。当然、そこで下される神託についても、審神者の精査をクリアしております」
しかし、クレイトンは全く動じない。
創世神の遺志…残留思念…の声を聞くことが出来るのは姫巫女だけであり、したがって、下された“神託”が真実かどうかを判断出来るのも、同じ姫巫女だけなのだ。
そもそも、“神託”といっても大抵が断片的で具体性に欠き、解釈次第でどうとでも取れるものが多い。
現在、トルディス修道会で新たに選任されたフェリシアを入れて、ルーディア聖教全体で五名の姫巫女がいる。
しかし、その全てが「本当の」姫巫女なのか、彼女らに下された“神託”が全て「本物」なのか、グリードはおろか、教皇にさえ分からない。
そのために“審神者”と呼ばれる役職の高位神官もいるが、結局それぞれの派閥に取り込まれているため、真に公平な判断は期待出来ない。
仮に“神託”を捏造すれば、それは赦されざる大罪。関係したものは皆厳しい処罰を受ける。が、修道会という一つの派閥が丸ごとその後ろに付いているとあれば、余程の確たる証拠がない限り、裁くのは難しい。
扱うものが、“神託”という曖昧なものであるために、その真偽もまた曖昧なのだ。
恣意的な解釈が許されてしまうほど。
クレイトンの言い分を、トルディス修道会の粗を探して追及すればするほど、聖央教会の首を絞めることにもなりかねない。
曖昧さを都合よく利用しているのは、トルディス修道会に限った話ではないのだから。
結局、“神託”の真偽を問うには、その結果…実現性を問うほかない。
聖央教会の姫巫女マナファリアにしても、幾たびか大災害や事故を“神託”により予言してみせたからこそ、その存在を認められている。
だから、姫巫女フェリシアの受けた“神託”が実現しなければ、それをもってその正当性を疑うことは出来るのだが……
未だ、マナファリアの受けた“神託”により選ばれた勇者アルセリア=セルデンは、魔王討伐を成し遂げていない。したがって、フェリシアの選任した勇者ライオネル=メイダードが魔王討伐に失敗したとしても、それだけをもって彼らが「偽物」だと主張することは、グリードには出来ない。
……流石に、情報不足か。
グリードは呑気にそう考える。
既に子飼いの部下は動かしてある。じきに、トルディス修道会の尻尾を掴むことが出来るだろう。
無論、姫巫女フェリシア、そして勇者ライオネルが「本物」であるという結論が導き出される可能性とて、ゼロではない。
しかし、情報さえあれば、それを自身に都合よく捻じ曲げることなど、グリードには容易い。
今のところは、牽制程度に留めておくことにしよう。
だが、自分の可愛い娘たち以外に、“神託の勇者”など、容認するわけにはいかない。
「“神託の勇者”が複数存在する。この可能性は、看過するには重大過ぎる問題です。引き続き、精査が必要なものと私は考えます」
聖央教会は、ルーディア聖教で最大の派閥。グリードの他にも、七名の枢機卿が聖央教会から選出されている。
さらに、現教皇ファウスティノ十五世もまた、もともとは聖央教会の出身。
いくら新たな“神託の勇者”を擁しているとは言え、枢機卿の一人も選出出来ていないトルディス修道会は、最高評議会の中でも弱小派閥に過ぎない。
“勇者”の正統性さえ揺らげば、そこをついて完全に取り込んでしまうことも可能だろう。
グリードは、ルーディア聖教を一枚岩の組織にするべく…則ち、聖央教会がルーディア聖教を牛耳るべく、さらに工作を図ることに決めた。
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聖央教会の擁する姫巫女マナファリアは、老獪な権力者たちが自分たちの保身のためにせめぎ合う姿を、無感情に眺めていた。
彼女の参加は、不可欠なものではない。せいぜい、形式的な…言わばお飾り。
他に参加している姫巫女も数人いるが、皆一様に、興味なさげな表情で評議会の進行を傍観していた。
彼らは、一体何を争っているのだろう……?
互いに牽制しあい、何かを競っている…ということまでは分かる。
だが、その内容も、その必然性も、彼女には分からない。
姫巫女とは、創世神の声を、創世神が遺し世界中に散らばったその遺志を、拾い集めるための存在。
不意に降りてくる「声」を受け止めるための、器。
姫巫女として選ばれるのは、特に感受性の高い、清らかな少女たち。自我が固まる前に特別な修練を受け、禁欲的な生活と祈りの毎日を過ごし続けることにより、彼女らは器として完成される。
マナファリアも、物心ついた頃には既に聖央教会の姫巫女として、神殿の最奥で一切の外気に触れずに育てられてきた。
同じ修練と祈りと儀式を繰り返し、必要なものは全てあらかじめ与えられる毎日。
それは、欲望や欲求という感情を姫巫女に教えないため。
喜怒哀楽も、強い希望も欲求も、「外」に対する興味も、まっさらな器には不要のもの。神の声の受信装置に過ぎない彼女たちには、決して許されないもの。
彼女は、自分の境遇に疑問や不満を抱いたことはない。
自分に求められていることは、ただ清らかであること、“声”を伝えることだけ。
自分に必要なものは、教会から与えられたものだけ。
それ以外の生き方を、彼女は知らない。
今日の評議会も、高位の神官たちが互いに腹を探り合って終わった。
それを馬鹿らしいと思うことすらなく、マナファリアは付き人に従って大聖堂を後にする。
彼女の単調な毎日の中においては、年に一度のこの最高評議会は最大のイベントと言える。だが、彼女がそれに対して何か特別な感想を抱くこともなかったし、何か特別な意味を求めることもなかった。
その日までは。
その日、あれに出会ってしまうまでは。
「姫様、誠に申し訳ございません。私、大聖堂に議事録を置いてきてしまったようです。すぐに戻りますので、ここで少しだけお待ちくださいますか?」
申し訳なさそうに告げた付き人の神官に、マナファリアは頷いた。ここは勝手知ったるルシア・デ・アルシェ。一人でも部屋に戻ることくらいは問題ない。
だが、今まで彼女は一人で行動したことがないため、部屋には戻らず、その場で付き人の帰りを待つことにしたのだ。
それが、間違いだったのか。
あるいは、それが正解だったのか。
ぼんやりと付き人を待っていたマナファリアの視界に、ひらひらと舞う一匹の蝶が映った。
中庭から入り込んだのだろうか。
いつも神殿の奥深くで過ごし、外に出る時は駕籠を使うマナファリアにとって、ありふれた蝶の一匹も、とても珍しいものに見える。
つい、ふらふらとその後を追ってしまった。
廊下の角を曲がり、中庭に面したテラス近くに来た彼女は、不意に足を止めた。
そこに、見慣れぬ少年がいたから。
彼女の生活において、見知らぬ他人と接する経験はまずない。姫巫女との謁見が許されているのは、高位神官か各国の王侯貴族だけ。
それも、お膳立てされた謁見であり、不意に他者に遭遇するという未経験の状況に、彼女はどう判断すればいいのか分からなかったのだ。
人付き合いのないマナファリアは、当然、人付き合いのためのマナーなども持ち合わせていない。
だから、何の悪気もなく、初めて出会った他人の顔をまじまじと見てしまったのだが。
視線に気付いた少年が、彼女の方を振り向いた。
その眼を見た瞬間、分かってしまったのだ。
それが、人間…どころか、生物ですらないことに。
それが、本来ならばこんなところにあってはならない存在であることに。
それが、とてつもなく恐ろしい存在であることに。
それが、彼女らが“神”と仰ぐものと同じ超越者であることに。
気付いた彼女の中に、初めて恐怖の感情が生まれた。
自分は明らかに「出来ない方」の人間であるため、実際の「出来る人間」がどういう思考を持ってどういうことを言ったりやったりするのかが、想像出来ません……グリード猊下にしてもギーヴレイにしても、出来ない人間が出来る人間(一人魔族だけど)を描写する難しさといったら………(困)




