第八十八話 竜の試練
竜。
それは、地上界最強の生命体である。
頑強な肉体と、膨大な魔力。高い知性。寿命も極めて長く、それゆえの繁殖力の低さ以外は、欠点という欠点の見当たらない種族。
その力は、高位天使・魔族に匹敵するという。
特に、古代種と呼ばれる種や、長く生きた個体は一際強大な力を有するらしく、古今東西様々な伝承や英雄譚に登場することも多い。
その竜が、俺たちの前にいた。
「……ちょっと……これ、どういうこと……?」
茫然と呟くアルセリアの声は掠れている。
無理もない。竜は、天地大戦でこそ地上界の主力として魔族と戦ったが、廉族と友好的な関係を結んでいるわけではない。
むしろ、個体数の多さを誇り地上を思うままにしている人族に対し、敵意を抱いている竜が多いのだ。
ゆえに、地上界では、竜の棲み処に近付くことは禁忌とされている。その怒りを買えば、受ける被害は甚大になるからだ。
そして棲み処以外で不幸にも竜と遭遇してしまった場合は、相手に敵意がないならばすぐに逃げ去る、敵意がある場合は諦めて大人しく餌になる、の二択しかないと言われている。
「………ほう、初めての侵入者よ。まさか人の子とは…のぅ」
……竜が喋った。人語を解するということだ。
……こりゃ、マズいな。
見たところ、相手は元素竜。れっきとした古代種だ。しかも、成体。こいつがいつから生きているのかは知らないが、もし、この神殿が作られたときからここにいるのだと仮定すると……
いや、いくらなんでもそれはない。
もしそうだとすると、こいつは一千年以上生きている計算になる。
いくら竜種の寿命が長いといっても、平均で五百年といったところ。通常の二倍以上の長生きなんて、まずありえない…はず。
ちなみに、竜種は長く生きた個体ほど強力になる。
仮に千歳以上の竜がいたとすると、まぁ間違いなく化け物だな。
いつぞやの、孵化したての幼体と同化した某村の某村長なんて、話にならない。
「この竜…敵なの?味方なの?」
「…分かりません。すぐに襲い掛かってはこないところを見ると、話が通じる相手かもしれません」
「…………お兄ちゃん、怖い」
三人娘も、どう出たものか考えあぐねている。
敵であるならば戦う必要が出てくるが、自分たちに勝ち目がないことくらい、分かっているのだ。
……しっかし、ルシア・デ・アルシェの地下にこんなデカい竜がいるだなんて、表沙汰になったら大騒ぎだぞ。軍隊を動かす程度でなんとかなる相手ならばいいんだが…古代種だと、相当の被害が出るだろう。
「と、とにかく……話してみれば、分かるかも」
いくら猪突猛進のポンコツ勇者でも、流石に竜相手に無茶無謀は避けるとみえる。普段からこんだけ慎重ならいいのに、と思いつつ、俺は彼女と竜の遣り取りを見守ることにした。
「あ、あの……アナタは、ここで何をしているの……?」
問いかけられた竜は、しばらくアルセリアを見つめ、
「ワタシは、この場を守護する者。創世主の命に従い、彼の君の一欠片を守り続けてきた」
その口から発されたのは、驚愕の一言。
「か…彼の君の一欠片って………まさか聖骸!?」
アルセリアが思わず大声を上げる。
同感だ。ルーディア聖教の総本山の地下に、誰にも知られずひっそりと聖骸が眠っていたなんて。
灯台下暗し、とは正にこのこと。
だが、それならば七つ目の扉というのも……
「ここへ辿り着いたのであれば、貴様がそうなのだな……?」
竜はアルセリアを静かに見据えて言う。
「創世神の意思を継ぐ者…神威の代行者よ」
呼びかけられ、アルセリアは身を固くする。
今のところ、竜に敵意は見られない。だが、まるでその眼差しは、アルセリアを値踏みするかのよう。
そして問題は。
「…だが、解せんな。なぜ悪しき王が共にいる……?」
その視線が、俺に移る。
やはり、この竜は俺の正体に気付いている。
「ここは神聖なる地。我が主の眠りを妨げんとする邪悪の化身よ。長き封印から解き放たれ、再び世界をその手中に欲するか」
竜の体内で、静かに魔力が高まっていくのが分かった。
完全に、臨戦態勢だ。
「ふん、若造が。だとすれば何だという?」
俺は平和を愛する紳士な魔王だが、紳士なので礼儀正しく、売られた喧嘩はきちんと買い上げることにしている。
「勇者に近付き、何を企むかは知らぬ。が、ワタシが気付いた以上は貴様の目論見どおりにはさせぬよ」
どうやらこの竜は、俺のことを敵だと認識しているようだ。
高まった魔力の圧で、空気の流れのないはずの部屋に、気流が生じる。
……へぇ、たいした魔力じゃないか。
これは確かに、千年以上を生きる個体だと言われてもあながち法螺じゃなさそうだな。
「面白い、トカゲ風情がどこまで出来るか、せいぜい楽しませてもがが」
最後まで言い切ることが出来なかったのは、アルセリアが俺の口に、おやつ替わりに持ってきたリンゴを突っ込んだからだ。
「もがもご。ってお前、何しやがる」
「ちょっとアンタは黙ってて。話がややこしくかつ面倒になるでしょ。ほら、リンゴあげるから隅っこの方行ってなさい」
なんつー言い草だ。
せっかく少しは楽しめるかと思ったのに……
「そうですよ、リュートさん。ここは貴方の出番はありませんので、すっこんでいてくださいますか?」
ベアトリクスまで、丁寧な口調で酷いこと言う!
「………お兄ちゃん…邪魔」
がーん。ヒ…ヒルダまで!俺の扱い酷くない!?
魔王、創世神と同格なんですけど?なんか軽んじられてませんか!?
「……どういうことだ」
竜も同感だったようだ。
三人娘に追いやられて聖堂の隅っこでリンゴを齧りながら体育座りでイジける俺を見て、思いっきり動揺している。
「き…貴様は……確かにその神力は、魔王…の、はず………ではないのか………??」
「あー、はいはい。正真正銘の魔王ですよー。でもここじゃ部外者の邪魔者みたいなんで、気にしないで話を進めちゃってくださーい」
アルセリアとベアトリクスはともかく、ヒルダだけは、少しくらいは慰めてくれるかなーと思っていたのだが……
……俺のことをちらっとみたきり、そのまま背中を向けられてしまった。
……………寂しい。
不貞腐れる俺を尻目に、三人と竜の話は続く。
「しかし……この場に魔王が存在するなどと、容認するわけには…」
「あ、ほんと、あれは気にしないでください。もう、いないものとして考えちゃっても結構なんで」
つくづく、アルセリアの俺への態度が酷すぎる。
「そうか。…して、勇者よ。貴様がここに辿り着いた以上、ワタシは試練を与えねばならぬ」
試練……?やはり、聖骸絡み、ということか。
「どういうことですか?」
「ワタシは、消えゆく創世神の最期の息吹を浴びた存在。その際に、主は仰せられた。『いずれ、我が意を継ぐ者が現れる。その者に資格あらば、我が欠片を与えよ』…と」
……なるほど。どうやら、“神託の勇者”が“創世神の欠片”、則ち聖骸を手に入れることは、エルリアーシェの計画の内だった、ということか。
だが……
「もっとも、かつて鮮烈な力を放っていた主の欠片も、長い時を経て最早その力を失った。貴様がそれを手に入れたとて、さほどの価値は見出せまい。それでもなお、試練を受けるか?」
おそらく、エルリアーシェの計算外は、魔王の寝起きの悪さ。
推測だが、勇者の発現条件は、魔王の復活。どういうカラクリがあるかはまだ判明していないが、それを合図に“神託”が下されるように理を整えていたのだろう。
……思い出す。
久々の再会のとき。彼女は、いつまで待たせる気か、と俺のことをどやしつけたっけ。
…多分、二千年もかかるとは思ってなかったんだろうな。
本当なら、もっと早く……千年くらい?…で魔王が目覚め、それに呼応して勇者も誕生するはずだったんじゃないかな。
で、力の衰えていない聖骸を集めて、魔王に対抗する力を手に入れさせる……的な。
なのに俺がいつまでも寝こけてるもんだから、想定外の長い期間放置された聖骸は、休眠状態になってしまった…と。
これ、俺がもしアルセリアたちに手を貸してなかったら、エルリアーシェの計画は完全にぽしゃってたところだよなー……。
あいつ、肝心なところで詰めが甘いんだよ……。
「あ、はい。それについては、解決済みなので……私は、試練を受けようと思います」
「……解決済み?」
「あ、えと、こっちの話です……」
余計なことまで言うんじゃない、アルセリア。余計に話がこじれるだろうが。
「ふむ…まあよい。だが、試練を受けるならば覚悟せよ。貴様に資格がなくば、試練の炎は貴様の魂を焼き尽くすであろう」
「危険は、覚悟の上です」
静かに、だが力強く言い放つ勇者。
その姿勢や天晴!なのだが……
……勝ち目があると思ってるのか?相手は、成体の元素竜だぞ。
生物としての格が、あまりに違いすぎる。今までのように、気合でなんとかなる相手じゃない。
そして、事情が事情なので、俺は一切の手出しをするつもりがない。
そのことくらい、彼女は分かっているだろう。
竜の課す試練が、ガチンコ対決であるならば……可哀想だが、アルセリアの人生はここで終わることになる。
試練の半ばで力尽きたとしても、それは勇者の運命。補佐役がどうこう言える立場にはないし、魔王ならばなおさらのこと。
さあ、どうなる?
「…承知した。では勇者よ。貴様の覚悟、見せるがよい」
竜が厳かに語りかけた。
その瞬間。
言葉を発することもなく、アルセリアはゆっくりと、その場に崩れ落ちた。
この世界の竜は、爬虫類系です。




