第八十六話 肝試しの何が怖いって、何を怖がっているのかも分かっていないところだ。
………眠い。
早朝、まだ空が白み始める前。
本当はまだ寝ていたかったけど、あまり遅いと三人娘が目を覚ます時間になってしまう。
俺は、横で眠っているイライザを起こさないように、そーっと彼女の部屋を抜け出した。
……にしても、眠いなー……。結局、何時間も眠れなかったし。
朝食の前に、ひとっ風呂浴びてこようかな。
そんなことを考えながら廊下を歩いていたら。
「…何故貴様がこんなところにいる?勇者さまの補佐役ではなかったのか」
……よりによって、ヴィンセントに遭遇してしまった。
なんだよなんだよ、なんでコイツはこんなに朝早くからうろちょろしてるんだよ。年寄りかっての。
…まあ、俺も似たようなものだけどさ。
「補佐役だからって、四六時中一緒にいるわけじゃないっつの。神殿内なら刺客の心配もないって、グリードのおっさんも言ってたし」
「…………き、貴様………今、なんと言った……?」
……ん?なにいきなりブチ切れてるんだ、コイツ?
…………あ!しまった。グリードのこと、呼び捨て&おっさん呼ばわりしちまった!!
「こともあろうに、枢機卿猊下を…お、お、おっさん……などと……無礼にも程があるぞ!!」
「あー、悪い悪い。本人も気にしてないんだから、大目にみてくれよ」
迂闊だった。もうグリードの前で猫を被るのはとっくにやめてるもんだから、つい…うっかり。
こいつら(とルーディア聖教)にとって、グリードは超雲の上の存在だったりするんだった。
「それに…この先はイライザの部屋だな」
ぎく。鋭いな。
「一体これはどういうことだ?」
「別にお前には関係ないだろ。知りたきゃイライザに教えてもらえよ」
ここは、動揺を隠して堂々と振舞った方が勝ちだ。
何も疚しいことはないですよーという態度で、俺はヴィンセントの脇を通り過ぎる。
「待て!貴様には、色々と言いたいことがある!」
「奇遇だねぇ、俺もだよ。だけどそれは後でな。俺はお前と違って忙しいんだよ」
……忙しいなんて嘘だけど。
俺は皮肉たっぷりにそう言うと、背中でなにやら喚くヴィンセントを無視して、自室へと戻った。
いずれあいつとは、じっくりと話さないといけない……ヒルダのことで。
だが、今の俺にはもっと優先させるべきことがあるのだ。
小物などに、構っている暇はない!
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
俺が、優先させるべきこと。
最大限の注意を払って、取り組まなければならない案件。
それは。
「ちょっと。朝帰りとは舐めてんじゃないわよ」
マジですかーーーーー!なんで、もう起きてるんだよ!?
抜き足差し足で、部屋へと戻った俺を待ち構えていたのは……もう、言うまでもないだろう。
「おはようございます、リュートさん。それとも、もしかしてこれからおやすみなさい…ですか?」
怖い!ベアトリクスの笑顔が怖い!!それはなに、ただの皮肉なの?それともこれから永眠させてやろうかってことなの?
「…今までどこにいて、何をしてたかきっちり吐いてもらいましょうか」
……なんか、取り調べみたいになってるんですけど。アルセリア、お前いつの間に刑事になったんだよ。
「別に……同僚の部屋で過ごしてただけだよ。悪いか?」
嘘は言ってない。嘘は言ってないからな!
「成り行きとは言え、俺も七翼の騎士にされちまったんだから、色々と知っておくべきことってのがあるんだよ」
「……そ、そうなんだ………」
よし、アルセリアはなんだかよく分からないけどそんなものなんだ…みたいな表情になっている。
「ここにいる間は、お前らの補佐もしなくていいって猊下も言ってたし、いい機会だから役に立ちそうな情報を集めて回ることにするよ」
「……え、あ、うん……分かった。……補佐役ってのも、大変なのね………?」
よっしゃー!アルセリアがバカで良かった!
「リュートさん……」
ぎく。ベアトリクスは流石に誤魔化せなかった……か?
「お勤め、ご苦労様です」
あ…あれ?誤魔化せて…るのか?
気のせいか、台詞が棒読みだったような……。
いや、だがしかし、それ以上ツッコんでこないのなら、この話はここで終わりにしてしまおう。
話を蒸し返されないうちに、風呂に逃げ込むことにした俺は、汗を流した後簡単に朝食を準備した。
今日の朝食はホットサンド。ゆで卵のマヨネーズ和えとチーズを挟んで、黒コショウを効かせてある。それと新鮮なフルーツ。
ホットサンドって、簡単だけど手が込んでるように見えるから便利だよなー。
そして朝ご飯の真っ最中。三人娘が、妙なことを言いだした。
「ね、ね、今日さ、秘密の地下室を探検してみない?」
「………は?」
秘密の…地下室?なんだそりゃ。
「あのね、このルシア・デ・アルシェのある岩山って、ずっと昔は呪われた国の呪われた都があったんだって」
…………呪いの都伝説?
「で、その呪いを封じるために神殿が建てられたんだけど、その地下にはまだ成仏しきれない亡者たちが夜な夜な彷徨ってるって話なの!」
「話…っていうか、ただの噂話じゃん。怪談じゃん」
勇者ともあろう者が、何を言い出すことやら。
「えーーー、そんな、まだ分からないじゃない。夜中に地中から声が聞こえるとか、窓の外側に手形がべったりと貼り付いてたとか、起きた時に枕が足元に移動してたとか、そういうことがよくあるんだって聞いたことあるもん」
……いや、枕のはそれ、妖怪枕返しだから。
「で、お前らはその怪談を真に受けて、呪いの国を探検したいとか思っちゃったわけか」
見ると、ベアトリクスとヒルダもまんざらではなさそう。
アルセリアの表情といい、夜中の学校に忍び込んで肝試しをする学生みたいなノリだ。
「つーか、いいのかよ、そんなことしてて。なんか、会議とかあるんじゃないの?」
そもそも、そのためにロゼ・マリスくんだりまでやって来たんじゃなかったっけ。
「今日は私たちの出番はないんですよ。そのうち評議会には呼ばれるでしょうけど、最初のうちは実務的な協議ばかりですし」
「で、今日一日、休みにしてもらえたってわけ。でもすることもないしさ」
……それで、肝試しをしてみようということになったのか。
「“忘れられた都伝説”って、けっこう有名なのよ。でも誰も謎を解明した人はいないんだって。もう、ずっと前から気になってたんだけど、なかなか機会がなくってさ」
“忘れ去れた都伝説”ときたか…。
なんか、勇者が今さら何言ってるんだという気もするが……
「…お兄ちゃん、行こ?探検、きっと楽しい」
「せっかくですから、楽しみたいですし」
「ねね!行ってみようよ。なんかすっごいお宝とかあるかもよ」
目を輝かせている三人を見て、別に構わないか、という結論に達した。
考えてみれば、こいつらは“神託の勇者一行”として修練と戦いばかりの毎日を過ごし、そしていつまた死地へと赴かなくてはならないのか分からないような境遇なのだ。
同じ年代の子どもたちのするような遊びも知らず。
少女らしくお洒落をしたり初恋に心躍らせてみたり、他愛のない話で無為な時間を過ごしたり。
そういうことを、ほとんど知らずに過ごしてきてしまった少女たち。
無意味で馬鹿げた、刹那的な楽しみというのは、若者だけの特権だ。
だったら、こいつらだってそういう経験をする権利くらい、あるんじゃなかろうか。
どうせ巡礼に戻れば、彼女らは“勇者”として振舞うことになる。
行動の全てに、節度と理由と成果を求められ。
羽目を外せるのは、実家とも言えるロゼ・マリスにいるときくらいなんだろう。
「まぁ、そこまで言うなら別にいいか」
肝試しだ呪いの都だ言ったところで、ルシア・デ・アルシェの内部をうろつくに過ぎない。危険はないだろうし…あるとすれば神官に見咎められることくらいか…、一応グリードに許可だけ取っておけば、問題はないだろう。
「やったー!じゃ、早速出発しましょ!」
「あらあら、アルシーったら。せっかくですから、お弁当を持っていきませんか?」
「……お弁当……………イイ!」
……あー、はいはい。弁当を作れとの仰せなのね。
こいつらは、もしかしたら俺のことを本気でオカン扱いしているんじゃないかな……。
肝試しって、まともにやったことないんですけど、自分、ホーンテッ〇マンションのレベルで駄目なので、多分これから先も経験することはないと思います。




