第八十四話 懸念
夕飯も終わり、ガーレイは特に収穫もなく戻っていった。
大丈夫、ここに滞在する間は、出来る限りのセッティングはしてやるからな。
で、アルセリアたちは入浴中。各自の寝室にも浴室はあるのだが、なんでも神殿内に大浴場もあるらしく…俗物的だと思うのは俺だけ?…そちらへ行って羽を伸ばしてくるのだと言う。
俺は、リビングでグリードと差し向っていた。
「いやあ、お茶のときにも思ったけど、君は本当に料理上手だねぇ。魔界でも手料理を振舞っていたりするのかい?」
「…んなわけないだろ。アンタ、俺をどんだけフレンドリーな魔王だと思ってるんだ?」
「……違うのかい?勿体ないな」
確かに、帰還後せっせと料理研究に勤しんでいたのは事実。だが、臣下たちにそれを振舞おうとしたって、恐れ入られて絶対固辞されたに違いない。現に、一度ギーヴレイと女官長に味見をさせようとして、失敗したことがあった。
結局、俺とあいつらは主と臣下であって、そこには見えないけれど決して超えられない壁があるのだ。
「…俺は、言うなれば偶像みたいなもんだからな」
今も昔も、本当の意味で俺を理解する者は魔界にはいない。ギーヴレイにしたって、理想の魔王像を俺に当てはめている節がある。
かつてはそんなこと気にも留めなかったけど、今はそれを、少し虚しいと思う自分もいたりする。
「そうか。…人の上に立つと言うのは、人間だろうが魔王だろうが変わらないものだね。……それはさておき、私に話があるというのは?」
そうは言いつつ、おおよその見当はついてるんだろうな、こいつ。
「……ヒルダのことなんだけど」
「ヴィンセントと一悶着あったらしいね」
やはり、あの場にいる誰かから報告を受けているか。おそらく、ヴィンセント本人ではないだろうけど…。
「あいつ、ヒルダの兄貴なんだってな」
認めたくないが。認めたくなんてないんだが!
「ああ、うん。異母兄妹ではあるけどね」
何ぃ?腹違いだと!?それはなんと羨まシチュ…じゃなくて。
「どうりで似てないと思った。……でさ、なんであいつはヒルダに対してあんな敵意剥き出しなんだ?」
ぽっと出の俺ならいざ知らず。半分とは言え血のつながった妹を…
「ヒルダのことを、出来損ないの半端者…って言いやがった」
どういう意味で言ったかは知らないが、少なくとも好意ではないだろう。
「あいつとヒルダの間に、何があったんだよ?」
「うーん…まあ、ラムゼン家にも色々と…ね」
だが、グリードは言い淀んでいた。
「彼らの事情に、君が顔を突っ込む必要はないと思うのだけど…」
「それは…まあ…そうなんだけど」
確かにそれを言われると痛い。俺は勇者一行の補佐役ではあるが、その役割は彼女らの旅をサポートし、魔王討伐の日まで陰ながら支えるというもの(もうこの矛盾について考えるのはよそう)。
彼女らのプライバシーまで考慮する義務はないし、踏み込む権利もない。
ヒルダが俺を頼ってくるのであれば話は別だが、もし触れられたくないと思っていた場合……俺に出来ることはなくなる。
でも……でもなー…。気になるって言うか、気に食わないって言うか……兄貴に嫌われている反動で、ヒルダが俺に甘えているのであれば、そんなのあんまりじゃないか。
「…ふむ。つくづく君は、お節介な魔王なのだねぇ……」
なんだその表現は。誉めてる?誉め言葉なの?馬鹿にしてるの?
「ヴィンセントとヒルダの確執をどうにかしたい気持ちは分かるけど……いいのかい?」
「…何が?」
「もし彼らが互いに兄妹愛に目覚めてしまえば、君はお払い箱になってしまうよ?」
……………………。
………………………………………あああ!?
「し…しまった。そういうことになるのか…考えてなかった!」
それは、困る…と言うか、嫌だ!今さらヒルダに、「リュート」とか「リュートさん」とか呼ばれたくない。
ヒルダがいてくれるから、俺は悠香ロスを耐えることが出来ているというのに!
ああ…でも。もしヒルダが兄との関係で嫌な思いをしているのなら、なんとかしてあげたい。
でもでも…それでもし他人行儀になってしまったら、耐えられる自信がない。
そもそも……彼女が、俺の介入を望んでいるとも限らない。
ううーん……俺に出来ることはないってことか……?
「君の気持ちは嬉しいよ、リュート。それだけ彼女らを大切に思ってくれているということだからね。ただ、今は少し様子を見ておいてくれないかな。ヒルダが君の助けを必要とするなら、きっと自分からそう言ってくるだろう」
…こればっかりは、グリードの言うとおりにしておくべきか。なんてったって、彼女らの父親代わりの男の言うことだ。
どのみち、グリードにはこれ以上話すつもりはなさそうだし。
「……分かった。ただ、もしあいつがヒルダを傷付けるような真似をするようなら、遠慮はしないから」
「心配ないよ。妹とは言え、ヒルダは勇者の随行者。おいそれと危害を加えるようなことは、いくら彼でもしないさ」
……果たしてそうだろうか。あの、去り際のヴィンセントの憎悪に満ちた眼差しが目に浮かぶ。
ああいう手合いは、理性的に見えて案外暴走したりするんだよなー……。
「なあ、俺たちって、いつまでここにいなきゃならないわけ?」
「そうだねぇ……最高評議会は一週間続けて開催されるから、少なくともその間はいてもらいたいね。毎回じゃなくても、参加してもらうこともあるだろうし」
……一週間、か。
それなら俺は一週間、出来るだけあいつとヒルダに気を配っておくとしよう。
あの様子なら、好んでヒルダにちょっかいかけてくるとも思えないが…用心に越したことはない。
あの男も、まさか神殿内の人の目があるところで、勇者一行に対し非礼な態度は取れないだろう。
部屋にいるときは、どのみち俺も寝室こそ別だが同室なわけで………
あああしまった!!
今さら気付いたけど、俺、逃げ場なくない?
ベアトリクスにはガーレイをぶつければいいとか、そこまでは考えてたけど。
どのみちアルセリアとヒルダは野放しだし。
ガーレイが帰ってしまったら、一番厄介なベアトリクスもそうじゃん!
やややややばい。あいつらが風呂から戻ってくる前に、手を打たねば。
「どうしたんだね、リュート。顔色が悪いようだが……?」
「あのさ、猊下!」
グリードなら、代わりの部屋を手配するくらいわけないよな。
「思うんだけどさ、俺があいつらと同室って、いろいろマズくない?」
いろいろ、である。何がどうマズいのか、具体的なことは省かせてくれ。
「なんだねいきなり。今さらな気もするけど……と言うか、今まではどうしてたのかい?」
…もっともな質問だ。
だが、これ…言っちゃっていいのかな?
私の大切な娘たちに何をするーって、激昂されたらどうしよう。
いや、別に何もしてないけどね!
ただ…「一緒のベッドで寝たことあります。よく夜這いされてました」なんて言った日にゃ、俺の身が危うい気が……。
確かに一度は、グリードにチクってやろうと思いもしたが…多分、それをしたら疑われるのは間違いなく俺だ。
「いや、今までは…その、ねぇ?宿は別の部屋取ってたし(部屋に押しかけられたけど)、俺だけ大部屋使ったり(夜中に拉致られたけど)とか……まあ、なんとかやり過ごしてたよ?」
…あれ?なんかグリードの視線が心なしかキツくなったような?
「ふむ。……私は、君のことを信じているから、そこのところは心配はしていない。君の懸念は、外聞的によろしくない、ということだよね?」
…うわぁ…めっちゃ強調された……。
「そ、そうそう勿論!当然!当たり前だろ!」
グリード、しばし思案。
「……一応、補佐役には勇者の護衛という役割もあってね」
「え?勇者に?必要ないだろ!」
「勇者ともなればね、脅威は魔獣などの分かりやすい外敵に限らないんだよ。寧ろ、そういう面倒な輩の方が厄介でね」
……それは、分かるような分からないような……?
「とは言え、ここは我らの本拠地だ。暗殺者などの刺客がここまで入り込むことは現実的に不可能だろう」
……暗殺者?そんなのに狙われることもあるの、あいつら!?
「ここに滞在する間は、確かに君が彼女らの近くに待機している必要もないわけだね」
お、分かってくれたか。
そうそう、必要もないのに、男女が同じ部屋…寝室が別とは言え…に寝泊りするのは、良くない。とても良くない。
主に、俺の精神衛生上、良くない。
「普段であれば、君の要望どおり、別室を用意することも出来るんだけど…」
「なら、ぜひそうしてくれ!……って、普段なら?」
「だから、今は最高評議会の真っ最中と言っただろう?世界中から聖職者たちが集結している。当然、神殿内の部屋は既に満室だ」
な…なんですと!?
「え…じゃあ、俺、外に宿取ってもいい?手配は自分でするからさ」
「それは別に構わないけど…多分、空きはないと思うよ?」
ななな…なんですと!?
「だから、世界中から聖職者がこの国に集まって来てるんだよ?ルシア・デ・アルシェで部屋を用意出来るのは、特に高位の神官たちだけで、残りの神官や関係者は皆、神殿外の宿を取っている。その他にも、評議会開催中はちょっとしたお祭りみたいなものが催されるから、一般信徒や観光客も押し寄せてるし」
…………なんてこったい!
なんでも、ルーディア聖教最高評議会は年に一度の最も重要な会議で、評議会に直接参加を許されているのは限られた高位神官…大司教以上の…だが、その他にもそれに合わせて様々な会議が開催されるため、ある程度の役職の神官は、この時期ロゼ・マリスに集結するのだと。
で、その従者や関係者も、同行する。
さらに、場合によっては次期教皇の選出も行われたりするらしく、あわよくばその場に居合わせたいと願う一般信徒もこぞってやって来る。
人が沢山来れば商売になる、てなわけで、露店商も集まる。そうすると、お祭り騒ぎになる。
お祭りに惹かれて、物見遊山の観光客までやって来る。
結果……この時期、ロゼ・マリス内の宿という宿は、満員御礼となる………というわけだ。
「そういうことで、諦めたまえ。大丈夫、外聞という点では何も気にする必要はないよ。他の大司教たちも異性の従者を伴っていたりするが、問題が起こったと聞いたこともない」
…いや、聞いたことがない=問題が起こらなかった…ってわけじゃないよな。
揉み消されてるだけかもしんないよ!
「それに、各人の寝室には鍵が付いている。…まさか、それを破壊してまで…なんてことはしないよね?」
「するわけないだろ!」
そう、俺はしないよ。鍵が付いてようが付いてなかろうが、あいつらにそんなことするわけないじゃん。
心配なのは、あいつらの出方なんだってば!




