第八十話 何でも乙女心で済ませればいいと思ったら間違いだ。
気のせいだろうか。
なんか、アルセリアの機嫌が、氷点下に達しているように感じるのは。
俺たちは、聖都ロゼ・マリスの中央にそびえる、ルーディア聖教総本山ルシア・デ・アルシェの目と鼻の先まで来ていた。
当然、ロゼ・マリス内に“門”を繋げたわけではない。そんなことをすれば、とんでもない大騒ぎになることは必至で、下手をすれば天地大戦の再勃発だ。
面倒ごとを避けたい俺は、きちんと近郊の人目に付かない森の中に出口を設定しておいた。
で、アレンデール→魔界→ロゼ・マリス近郊とやって来て、徒歩で聖都に入ったわけなんだけど。
「なあ…何怒ってるんだよ?」
さっきからずっと仏頂面で黙りこくっているアルセリアが醸し出す険悪な空気に耐えかねて、恐る恐る訊ねてみる。
問われたアルセリアは、ちら、とこちらを見るのだが再び無言で歩き出す。
あー、なんか怒ってる。
理由は分からないけど、絶対怒ってる。
なんでだ?そんなに魔界経由で聖都入りするのが気に食わなかったか?
そりゃ、“神託の勇者”としては容認しがたい事態だったかもしれないけど、彼女らの上司であるグリードの許可は得ているし…って言うかそもそもグリードの方から言い出したことなんだし、俺が怒られる筋合いはないと思うんだが。
しかしそれ以上聞いたところで、余計に機嫌を損ねられそうな気がする。
「…なあ、ベアトリクス……アルセリア、なんで怒ってるのか分かる?」
代わりに、横にいるベアトリクスにこっそり聞いてみるのだが、
「さあ?リュートさんが心当たりなさそうなのも、余計に腹立たしいのでは?」
などと、冷たく突き放されてしまった。
…えー……そんなこと言われても困る……。と言うか、
「…あれ?お前さんまで怒ってない?」
ベアトリクスの言葉に棘を感じるぞ。
「いやですね、そんなはずないじゃないですか。私は別に「貧相」呼ばわりされたって、そんなことで気分を害したりしませんよ」
怒ってる!ベアトリクスも怒ってる!!
でも、理由が分かった。分かったけど……
それ、俺のせいじゃないじゃん!
あのな、「貧相」って言ったのは、俺じゃなくてギーヴレイだから。俺の側近だから!
しかも何か勘違いしてたっぽいし……。
そう、ロゼ・マリスに行くために魔界を経由した折、俺を出迎えたギーヴレイと勇者一行は、ほんの一瞬だが顔を合わせることになった。
余談だが、三人が魔王城へ侵入した際には、ギーヴレイと彼女らは遭遇していない。余計な面倒は避けたくて、俺以外が勇者たちへ干渉することのないように離れた場所で待機させていたから。
したがって、あれがギーヴレイと勇者一行の初対面ということになる、の、だが……。
何をどう勘違いしたのか、俺の側近中の側近は三人娘を見るなり、「そんな貧相な小娘どもは陛下には相応しく……」などと口走ったりしたのだ。
慌てて遮って、そのままロゼ・マリスに繋いだ“門”をくぐったのだが、どうやら三人にはしっかりと聞かれていたらしい。
「あのさー、言っておくけど、ギーヴレイ…あいつはお前らとは敵同士なんだからな。好意的な見方をされるはずないだろ……」
「別に魔族に好意的に見られたくなんてないわよ、バカ」
ようやくアルセリアが口を開いた。言葉も口調も声も限りなく辛辣だが。
「どうせ私は貧相な小娘ですよ。アンタのことだから、魔界じゃ大勢の美女を侍らせてご満悦だったんでしょ?」
……ちょい待ちちょい待ち。何でそういう話になる?確かにそれは事実だが…
「失敬な。ご満悦になんてなってないぞ!」
多分重要なのはそこではないと分かりつつ、何故か否定しておきたい。
「は!どーだか。って言うか、それ以外のとこは否定しないのね」
「つーか、お前らには関係ないだろ!」
「別に関係ないわよ、アンタがどこの美女とよろしくやってよーが。だけど、私たちまでそんなのと一緒くたにされたってのは屈辱の極みよ!」
あー…………そういうことね……。
どうもギーヴレイは、彼女たちのことを、俺が地上界で手を付けた愛妾か何かだと勘違いしたようで、彼女らはそれが気に食わなかった…と。
まあ…そりゃそうだわな。魔王を斃すべく戦い続けている“神託の勇者”が、よりによってその魔王の愛妾だと思われたりなんかしたら…
誇りも存在意義も、めちゃくちゃに汚されたと感じるのも当然か。
うーん…俺のせいではないのだが、ここは一つ俺が折れておくべきか。
「…あー、悪かったな。ギーヴレイも、ちょっとお堅いところがあって変に勘ぐっちまったんだと思う……。お前らとは、全然そういうんじゃないんだって、今度しっかり言っておくからさ」
魔王の言うことなんてどこまで信用してもらえるかは分からないが、少しは安心してもらえるだろうか……って、
痛い!
いきなり、鞘ごとの剣で後頭部をどつかれた。
「ってお前、何すんだよ!」
「うるっさい、バカ!」
言い捨てて、どんどん先へ歩いていくアルセリアと、「こいつ何も分かってねーな」みたいな表情で俺を振り返ってから、それを追いかけるベアトリクス。
残されたのは、一体自分の何がいけなかったのか分からなくて立ち竦む俺と、俺の腰にしがみつくヒルダ。
…こんなときでも、ヒルダだけは傍にいてくれるんだな……。
「なぁヒルダ。お前なら分かってくれ……ええ!?」
ヒルダを見下ろして、その視線に俺は絶句。
末代まで祟ってやるぞ的な恨めしそうな眼差しで、じーっと俺を見上げていた。
「あ、あれ?ヒルダ?ヒルダちゃーん?何怒ってるのかなーぁ?」
やばい。マズいぞ、俺。ヒルダまで敵に回したら、この後がどうなることやら。
「……お兄ちゃんの、浮気者………」
「ええええ?浮気って……なんで!?」
「浮気者……」
「違う!違うから!!」
なんで俺、こんな焦ってるんだろう?
よく分からないが、このままの状況を引きずるのは得策ではない!
俺は、腰をかがめてヒルダと目線を合わせた。
「いいか、ヒルダ。お前らが心配するようなことは何もないから、な?」
実際、こいつらが何を心配してるのかもよく分かっていないが、とりあえず怒りを鎮めてもらうには話を合わせないといけない。
つか、ヒルダも果たして分かってるんだかどうだか。
「…お兄ちゃんは、ボクのお兄ちゃんだよね……?」
「ああそうとも、そうだとも!」
…実際、俺には悠香という可愛い妹がいるのだが、もう二度と会うことも出来ないこの状況では、こう言っても差し支えないだろう。
「…………なら、いい」
今の遣り取りでどう満足したのやら、ヒルダは機嫌を直して俺に抱き付いてきた。無理に引き剥がすと再び不機嫌になりそうなので、そのまま抱っこして先に行った二人を追いかけることにする。
沸点も融点も凝固点も分からないけれど、ヒルダはすっかり機嫌を直して俺にしがみついている。悠香のことでさえ、こんな風に抱っこしたことなんてほとんどなかったような気がするなー…。
……思うんだが、ヒルダのこの甘えん坊っぷりは、年齢の割に少し異常じゃないだろうか。
年は、十四と聞いている。そりゃまだまだ子供と言えなくもないが、幼児ではない。
ちょうど、大人と子供の中間地点。実力さえあれば、それこそ「魔王討伐」にも駆り出されてしまうわけで。
まだ子供だから、そんな危険なことはさせられない…という声があったのかなかったのか。
仮にあったとしても、それが封殺されたからこそ、彼女らは魔王城へ攻め込んできたのだ。
アルセリアも然程年齢は変わらないが、そして確かに年相応の未熟さは抱えているが、少なくともヒルダのような幼児性はない。
だったら、ヒルダのこれは、彼女特有の甘え…ということ。
俺としてはやぶさかではないのだが、このままでいいとも思えない。「兄」としては、ちゃんと自立した女性に育ってほしいからな、うん。
この旅の中で、少しは成長してくれるといいんだけど…。
「お兄ちゃん…おなかすいた」
なんだか、とても長い道のりにも思える。
あの、リュート氏は、三人娘と一緒にいると限りなくヘタレていきますが、実のところはそうでもないんですよ。魔王時代は結構ぶいぶい言わしてますからね。彼の名誉のために言っておきますが。




