第七十八話 案外人は日常の些細な事で立ち直ったりするものだ。
ふんわり、ほかほか。
心まで温かくする香りが、キッチン中に漂っている。
「おー……」
焼き上がったパウンドケーキを前に、目をキラキラさせている勇者。
俺は、まだ熱々で崩れやすいそれの端っこをちょちょっと切り取り、
「ほい。……作った人の特権」
アルセリアに差し出した。
アルセリアはそれを受け取ると、無言でぱくり。もぐもぐ、ごくん。
「……!すっごく美味しい………!」
うんうん、バターを典礼や医療にしか使わないこの世界では、おそらく食べたことのない味だろう。が、バターと砂糖と小麦粉の組み合わせに、間違いはない。
「何これ何これ?こんなの初めてなんだけど!?」
ヴォーノのような一部例外を除いて食に対する執着の希薄なこの世界では、お菓子と言えばバッサバサのクッキーの出来損ないみたいのや、謎に甘いだけのマジパンのお化け、後は果物で作ったジャムやらコンポートやらくらいなものである。
だが、せっかくバターがあるのにバターケーキを作らないなんて、それこそ世界の理を構築した創世神への冒瀆と言うもの。
……まあ、薄々気付いていたことではあるが……多分この世界の「食」に対する興味のなさは、エルリアーシェのせい……なんだと思う。
きっちり、管理しすぎたのだ。正しく生きてさえいれば、食べるものには困らないように。それ以外の面でもそうだが、彼女は、自分の管理する生物たちに過保護にしすぎたんじゃないかな。
伝承では、神が管理する世界では飢えて死ぬものはいなかったと言う。
二千年前に彼女がいなくなっても、その残滓は恩寵や加護という形で残り、結局この世界の人々はその名残で「食べられれば何でもいいじゃん」なスタンスを貫いてしまった…と。
恵まれた食環境ではなく、食うや食わずの過酷な環境が豊かな食文化を生み出すのだから、皮肉なものだな。
とは言え、美味しいものは美味しい。味覚に関してはこの世界も地球も大差ない。あっちで旨いものはこっちでも旨いのだ。
まあ……例外はある…とは思うけど。主に発酵食品のカテゴリで。
「ねぇ、これ何てお菓子?」
「これ?俺たちはパウンドケーキって呼んでたけど」
「……パウンドケーキ………」
「そ。…お前が作ったんだぞ」
その言葉に、アルセリアは動きを止めた。
「………私が…?」
「だろ?」
「…そっか。………うん、そうだよね。…私って、けっこうスゴイじゃん!」
作ったっつっても、俺の指示に従ってただけだけどな。ここは言わないでおいてやる。
「お菓子作りってのはさ、才能だとかは関係ないんだよ。やるべきところをきっちり押さえてやれば、誰だって上手く作れる。ただ、そのやるべきところを…ってのが、案外難しいんだよ」
「……確かに、なんかまどろっこしかったわね」
「だろ?でも過程が大事だから。出来上がりを想像しながら、一つ一つの過程を丁寧に踏んでいけば、必ずそこへ辿り着く」
これって、お菓子作りに限定された話じゃない。
「………ねぇリュート。アンタもしかして」
「……ん?」
「……………何でもない」
アルセリアもそれに気付いたようだったが、口にはしなかった。その代わり、
「じゃ、ビビとヒルダも呼んで、お茶にしましょう!二人とも、私がこれ作ったんだって知ったら、吃驚するんだから!」
もう、消沈も強がりも、どこにも見えなかった。
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「アルシー……これ、本当に…貴女が……?」
「……アルシー、すごい…!」
パウンドケーキを前に、ベアトリクスとヒルダは言葉を失っている。
いや、それほどかよ。
「お料理と言えば、炭を生産することしか出来なかったアルシーが……」
って、それほどか!
「ふっふーん。私だってやれば出来るってね」
鼻高々のアルセリア。何と言うか、初めてお母さんのお手伝いをしたチビッ子…みたいだ。
「では、いただきましょうか。…………これは!」
はい、想像通りのリアクションいただきました。
普段冷静なベアトリクスも、思わず高ぶっているのが分かる。
ヒルダも、無表情の中にもしっかり興奮が見て取れた。
「しっとりしているのに、ふわふわで。それになんて良い香りなんでしょう。…作るのは大変だったんじゃないですか?」
「まーね!」
アルセリアは得意げに胸を張る。
「でもね、やるべきことをきっちりやっていれば、必ず正しい形に辿り着くのよ」
…と、俺の受け売りを、さも自分が発見した事実の如くに披露。
ベアトリクスも、そしてヒルダも、なんとなく気付いたのか、俺にちらっと視線を送る。
まあ、ここはそういうことで。俺も視線で二人に答えておく。
「でも、それって…私たちの道のりとも同じですね」
ベアトリクスがしみじみと言う。言いながらも、フォークは止まらない。
ヒルダは、喋るのはベアトリクスに任せて、無言でケーキを貪っている。
「うん……私も、そう思った。こんなことで気付くってのも、なんか可笑しいけど」
こんなこととはなんだ。料理(お菓子作りを含む)は、人生の縮図だぞ!?
「神託がどうとか、そういうのじゃなくて。…あるべき勇者の姿を見失わないで、一つ一つの過程をしっかりとこなしていけば、そしたらいつか、本当の勇者になってるんじゃないかな」
…どうやらアルセリアは、自分なりの「勇者とは」に思い至ったようだ。
そしてそれが、誰に言われるでもなく彼女が選び取った、彼女の自覚。
もともと覚悟だけは売るほどあったわけだから、これでもう心配はいらないだろう。
「…ってさ、お前の思う「あるべき勇者の姿」って、どんなの?」
一応、聞いてみる。
「そりゃ、決まってるじゃない。品行方正で礼儀正しくて、理知的で優しくて心が広くて、そして強くてカッコいい!これが理想の勇者ね。……私が目指してるのは」
「…………」
「………………」
「………………………」
いや……まあ、理想は高く…ってのは、悪くないとは…思う。
思うのだが……
ベアトリクスもヒルダも、多分俺と同じこと考えてる。が、敢えて何も言わず、ケーキに専念することにしたようだ。
ここは…俺がツッコむべきか?こいつは、ツッコミ待ちなのか?
…………いや、やめておこう。
目指してるんなら、少しはそういう風に振舞いやがれ!って、喉元まで出かかってるけど、引っ込めておこう。
上機嫌でケーキをぱくつく我らが勇者を見て、俺は肩をすくめるだけにしておいた。
なんと言っても俺は、空気の読める魔王だからな。
流石に単細胞だけあって、立ち直るのも早いですね、ポンコツ勇者さまは。タフなんだか脆いんだか、ちょっと不明です。




