第六話 魔王の存在意義は勇者によって確立すると言っても過言ではない。
「こら、柳人。手が止まってるぞ」
「んなこと言ったって先輩、半端な量じゃないんですけど………て言うか、俺、生徒会役員じゃないですよね?作業を手伝わなきゃいけない理由なんてないですよね?」
「まーまー。言い出しっぺっつーことで」
その日の放課後。俺は生徒会室にいた。横には、生徒会副会長の菅野先輩。部活の先輩でもある。
俺たちの目の前には、おびただしい、と言いたくなる量の紙切れの山が。これ全部、校内に設置された「目安箱」から回収されてきた中身である。
「言い出しっぺって、ただ昔はそういうのもあったって話をしてただけじゃないすか」
「発案者ってことだよ」
「ひでぇー」
「学生自治に携わる権利を与えてやったんだ。光栄に思え」
「雑用じゃないっすかー」
他愛のない掛け合いを続けながら、目安箱の中身……生徒会への陳情……を種類別に分類し、整理していく。
「にしても、結構あるもんですね」
設置から一ヶ月で、まさかこんなに陳情が集まるとは。
「ま、面と向かって言うより気楽だからな。………良し悪しだとは思うが」
それは同感だ。気楽に生徒会へ意見を述べることが出来る、というのは悪いことじゃない。ただ、気楽ということは………
「見ろよ柳人。部活棟にジャグジーバスを設置しろって、10通くらい入ってるぞ」
「こっちは夏休みの宿題の全面廃止っすね」
「面白半分なんだかダメ元なんだかなー。てか、それもう生徒会の管轄じゃないっつの」
何十通とある意見書の中で、真面目なものは数えるほどしかなかった。あとは、教室にドリンク用の冷蔵庫が欲しいだの、朝礼時の校長の挨拶を5分以内にしろだの、無料Wi-Fiを設置しろだの、ノリなのかボケなのか判然としないものばかり。
「こんなの、廃棄でいいんじゃないですか?」
「流石にそういうわけにもいかんだろ。これでもれっきとした生徒会の施策として学校の了承を取ってるんだし。全部分類して、書き出して、議題に乗せるんだからな」
「………マジっすか…」
壁の時計に目をやると、もうすぐ17時。今日は遅くなるから夕飯は適当に買って済ますよう妹にメールを入れておいた方がいいかもしれない。
何しろ、俺は体を動かすのは得意だが、こういう事務的な作業は苦手…と言うか嫌いだ。
「りゅーうーとー。また手ぇ止まってるぞ」
………ああ…もう帰りたい……
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
懐かしい……と言うほど昔のことではないはずなんだが……遣り取りがふと脳裏をよぎったのは、今俺が直面している状況と似かよっているからなのか。
魔王城の執務室にて。
エクスフィアに帰還して、はや三ヶ月が経とうとしている。戻ってから暫くは、反乱分子の制圧に駆け回っていた。
とりあえずは混乱を収めるために、かなり強引な手を使った。端的に言えば、恐怖による圧政。
逆らう連中は容赦なく消し飛ばし、俺に対する反抗心を根本からへし折ってやったわけだ。
……勿論、暴君なんてなるつもりはないよ?色々考えてはいるんだって。何しろ十六年間日本で学んだ知識の中には、国の統治に使えそうなものが沢山ある。それらを最大限に活用して、新たな形…近代国家としての魔界を実現させるってのが、目下俺の野望なのだ。
とは言え、いきなり改革、といってもそうもいかない。政治家でもなんでもない、一学生に過ぎなかった俺には、表面的な知識はあっても手腕が足りない。
かつてと同じような独裁体制ならば慣れたものだが、立憲君主制やら啓蒙君主制やら議会制民主主義やらいうシステムに関しては、何となくの概念しか掴んでなかったりする。
その辺りは、ギーヴレイと一緒に模索しながら少しずつ進めていくしかないだろう。
そのために、先ずは足場を固める。ということで、多少強引でも魔界統一を急いだわけだ。
で、ようやく一段落ついたところ。まだ火種はあちこちに燻っているが、当面は落ち着いた…ように思う。そして、そろそろ政にも手を付け始めたのはいいんだが。
……………目の前の書類の山に、俺は戦意を喪失していた。
いつぞやの目安箱とは比較にならない、真剣な、或いは切羽詰まった陳情の数々。各地からの報告書。臣下からの上申書。インフラ整備の計画書。各部所の予算案。
いちいち目を通していたらいつまでたっても終わらないような気がするし、読まずに処理するほど軽いものでもない。
………………………これ、全部ギーヴレイに押し付けよっかな。
そんな無責任なことを考えていると、
「陛下、失礼いたします」
タイミング良くギーヴレイ本人が部屋へ入ってきた。
「少々お耳に入れたいことが…」
「何だ?申してみよ」
ちょうどいい息抜きになるかな?
「は。実は、地上界で妙な動きが」
「地上界、天界への干渉は不要と言ったはずだが?」
今回は、魔界以外に関わるつもりはない。そのため、“外”には触れなくていいと通達しておいたのだが…。
「申し訳ございません。界境付近の動向については魔界と無関係とも限りませぬゆえ、注意を払っておりました」
なーるほど。確かにそうだ。流石ギーヴレイ先生。こちらが思い付かないところまでフォローはバッチリか。
「…そうか。そこまでは思い至らなかった。つくづく貴様は気が回るものよ。…して、妙な動き、とは?」
「どうも、人間共が“開門の儀式”を行っているようです」
開門の儀式。俺やエルリアーシェと違い、生物は各界間を自由に行き来することは出来ない。時空の断裂があるためだ。地上界から天界や魔界に行こうとするなら、門を造り、それをくぐるしかない。
そのために行われるのが、開門の儀式だ。そしてそれを行っているということは、天界か魔界のどちらかへ渡ろうとしているのだろう。
だが天界というのは考えにくい。廉族…エルフ、獣人種、人間種の総称…にとって天界とそこに住まう天使族は、畏敬と崇拝の対象だ。向こうから「降臨」してくるならいざ知らず、人間側から「上る」ことは有り得ないと言っていい。
「………まさか廉族共が魔界への侵攻を画策するとはな。だが……」
一つ気になる点が。人間の魔力で造れる程度の“門”では、それほど大きなエネルギーを通過させることが出来ないはず。軍隊規模では難しい。さりとて、僅かな人数で魔界へ足を踏み入れるのは自殺行為に他ならない。
一体、どういうつもりだ……?
「調査致しましたところ、“勇者”などと呼ばれる戦士が送り込まれるようです」
……………………………!
勇者キターーーーーーーー!
「ほ、ほう。勇者、とな。どのような輩か」
どのようなって、分かってるよ。勇者と言えば魔王。魔王と言えば勇者!
おおおーっテンション上がるーー!
「なんでも、忌まわしき女神エルリアーシェが最期に残した神託により選ばれた聖戦士とその従者、とか」
なるほどなるほどー。ここでは勇者ってそういう設定か!
いいねぇいいねぇ。ワクワクしてきた。
神託に選ばれた勇者が、魔王復活直後に魔界へと渡る。となれば当然、
「狙いは我の首、か」
そろそろ地上界にも、“魔王”復活の情報が伝わる頃だとは思っていた。けどそれにしてはいやに手際がいいじゃないか。
「廉族ふぜいが、身の程をわきまえぬとはこのこと………!」
ギーヴレイは怒髪天、といった具合だが、俺はちょっと浮かれ始めている。
「それで、そやつらはどれほどの力を有しているのだ?」
弾む心を気取られないように、平静を装ってみたりするのだが、
「はっきり申し上げて、取るに足らぬ雑魚です」
…ギーヴレイの答えはにべもなかった。
「色々調査致しましたが、地上界の魔獣相手に苦戦して辛勝する、といった程度のようです。魔界に侵入したところで、まるで脅威になりません。尤も、廉族の水準で言えば最強クラスのようですが。なんでも、遊撃士なる戦闘職においても最高位にあるとか」
「遊撃士?聞いたことのない言葉だな」
「荒事専門の請負業、とか。なんでも、個人や団体から魔獣退治など危険を伴う依頼を受け、報酬を得るのだそうです」
ああ、要するに冒険者ってやつか。ゲームとかラノベだと、最高位の冒険者ってかなりすごい位置付けだと思うんだけど……
「とは言え、所詮は廉族。調査によると、魔獣オロチを退治するのもやっとだったようで。下位魔族と同程度の魔獣に苦戦するようなレベルで陛下のお命を狙うなど、笑止千万でございます」
ううーん。困る。それは困るぞ。
下位魔族レベルでどうにかこうにか、ってことは、魔王城に立ち入ることすら出来ないじゃないか。門番にやられてお陀仏だ。
だが俺は、是非やってみたい。一度でいいから、
『よくぞ来た。待っていたぞ、勇者よ!』
って、やってみたい!
これはもう、魔王としてのアイデンティティーに関わる問題だ。何がなんでも実現せねば。
「……ギーヴレイ、全軍へ通達せよ。“勇者”とその一行には、一切の手出しは不要である、と」
俺の命令に、ギーヴレイはきっと自分の耳を疑ったのだろう。
「て、手出し不要、でございますか⁉」
そうでなければ、こんな風に不躾に聞き返したりするようなやつじゃない。
「そうだ。いや、いっそ手出しを禁ずる、と言っておこうか」
ギーヴレイは、理解しがたい表情を浮かべている。無理もない。
「………おそれながら、陛下。この浅慮なる身には、陛下の深遠なるご意志を察すること能わず………何故、陛下の御身を害そうとする不埒な輩を野放しにされると仰せでしょうか………?」
ここまで大仰に言われると、相手がギーヴレイじゃなかったら、逆にバカにされてるような気になりそうだ。
「理解出来ぬのも無理はない。なに、大した理由などない。そうだな、言ってみれば、我の気まぐれに過ぎぬのだよ」
こう言っておけば、忠義心の塊なギーヴレイは何も言えまい。気まぐれってのも、あながち嘘じゃないし。
ただ、魔王プレイがしてみたいだけ、なんて言っても多分理解されない。
「気まぐれ…でございますか。陛下がそう仰せならば、全軍へ通知を徹底致します」
よっしゃ。これで魔界に入ったとたん勇者一行全滅、の事態は避けられる。
後は、勇者たちを迎え撃つ時点で城の警備も解除しておけば大丈夫だろう。
………全力で手を抜かなければ勇者に会えないってのも、なんか釈然としないが……
開門の儀式が完了し、勇者が魔界へ、そして魔王城まで辿り着くのに暫くはかかるだろう。それまで、魔王っぽいカッコいい台詞とか考えておこうか。あと、勇者に関する情報も集めたいなー。せっかくだし、玉座の間をもうちょいおどろおどろしくイメチェンしてみるのもいいかも。
ああ、楽しみだ。
…………リアル勇者をこの目で見ることが出来るという期待、言い換えればイベントフラグが立ちそうな予感に浮かれるその時の俺は、この後「有り得ない形」で勇者たちと関わることになろうとは、予想だにしなかったのである。
ようやく勇者の影がチラリと見え始めました・・・。