第七十一話 インドカレーっぽくしたければ、とにかくクミンを入れておけ。
フライパンにバターをたっぷり。それで、みじん切りにした玉葱とトマトを炒める。玉葱がしんなりしてきたら、皮に軽く焼き目をつけておいたコカトリス肉を投入。味わいが豊かなので、敢えて下味はつけなかった。
さらに火を通し、タレイラで揃えたスパイス類を加えていく。クミン、ターメリック、カルダモン、シナモン、コリアンダー、クローブ。チリパウダーは、ヒルダのことを考えて少なめに。
最後に牛乳を少々。
これで、バターチキンカレーならぬ、バターコカトリスカレーの出来上がり…である。
ここは、アレンデールの礼拝者用宿泊所。
宿泊所と言っても市内のあちこちにあって、上流階級向けの高級ホテル顔負けの施設や、素泊まりのユースホステルみたいな宿、湯治場みたいな自炊棟などなど、さまざまなタイプがある。
で、俺たちが選んだのは、自炊棟。長期の連泊も可能だし、何より自由にキッチンが使えるところがいい。 どうやら、三人娘は最初から俺の料理を当てにしていたらしく、他のタイプの宿には目もくれずに自炊棟を選びやがった。
まあ、好きなように料理が出来るからいいけどさ。やっぱり、リエルタ村の時みたいに宿のキッチンを借りるってのは、いろいろとやりにくいんだよ。
俺が鍋の中身をかき回していると、その特徴的な香りに惹かれたのか、他の宿泊客がちらほらと様子を見に来たりした。物珍しそうに見るもんだから(そりゃ当たり前か)味見をさせてみると、みんな一様に驚いていた。
うんうん。カレーはやはり最強だね。世界が変わっても、それは不変の真実だ。
この世界、スパイスは豊富で良かった。そのどれもが薬品扱いだけど、ちゃんとこうして料理にも使える。足りなくなったら、グリードに頼んで手配してもらおう。
今日の夕飯は、こいつとグリーンサラダ。カレーに合わせるのはパン。この世界のパンはふわふわ感が足りなくて不満だが、少しナンっぽくて、案外カレーには合うんだよな。
料理が出来上がるのを見計らったように、三人娘が食堂にやってきた。初めて見る不可思議な料理に、眼を丸くしている。
「ねぇ…これ、何?」
興味津々、でも少し恐る恐る、アルセリアが訊ねる。
「これは、カレー。俺が前いた世界の…日本って国で、最も国民に愛されている料理だ」
*あくまで個人の見解です。
「カレー…ですか。とても複雑で奥深い香りがします」
くんくんと匂いを嗅ぎながらベアトリクスも言う。こっちの世界でここまで調味料を組み合わせることはないようだから、当然の反応だ。
「……お兄ちゃん、食べていい?」
ヒルダはそれほど戸惑っていないようだ。それよりも食欲が勝ったか。
「それじゃ、食べるとするか……って、そう言えば」
しまった。重要なことを忘れてた。
「あのさ、食べる前に、大事な話があるんだけど」
おずおずと切り出すと、三人娘はスプーンを握りしめたまま首を傾げた。
「何よ、改まって」
「いやぁ…その、最近気付いたことなんだけどさ」
気付いたのは、魔王崇拝者の拠点に潜入していたとき。それ以来料理をしていなかったので、すっかり忘れていたのだが。
「えっと、その…多分なんだけど、俺の料理を食べると、自動的に加護が働いちゃうみたいなんだよね…」
しかも今日はカレーだ。それはもう、気合を入れまくって作った。ただでさえ健康増進のスパイスが効いているところに、魔王の加護。
てっきり、怒り出すかと思った。勇者に魔王の加護だなんて、ふざけるな…と。
だが。
「何よ今さら。なんか問題あるわけ?」
心底不思議そうなアルセリア。残りの二人も頷いている。
…って、いいのかよ?いや、それよりも…「今さら」って……?
「そんなのとっくに気付いてるっての。アンタだけじゃない?気付いてなかったの」
「前々から、リュートさんのご飯をいただいた後は、調子がいいって話してたんですよ」
「お兄ちゃんのごはん、おいしい。…すごい」
……マジですか。
気付いていながら、スルーしてたのか、こいつら。
「別に、弱くなったり呪われたりするんじゃなくて、強くなってるんだからいいじゃない。そんなことより、もう食べていい?」
アルセリアはじれったそうに言い、ヒルダはやはりフライングで食べ始めた。一口食べて一瞬動きを止め、それから猛烈な勢いで。
それはもう、猛烈な。
「…いや、お前らがいいならいいんだけど……」
「でしょ?じゃ、いっただっきまーす」
アルセリアとベアトリクスもヒルダとほぼ同じ反応を見せた。ヒルダよりは一口目を慎重に運んだが、そこから先はどっこいどっこいの勢いだ。
「でもさ…魔王の加護ってことは、俺の意思一つで効果が消えることもあるんだけど?」
俺も自分の分を口にする。うん、やはり旨い。コカトリスの肉は、鶏肉以上にカレーに合う。肉から溢れ出る旨味が、スパイスと得も言われぬハーモニーを奏でてる。
「何よ、アンタそんなせこいことするつもり?」
「いや、しないけど」
「だったらいいじゃない」
……いいのかな?つか、そんなことしないって思わず言っちまったけど。
あれ?俺、こいつらといつか対決する時が来ても、加護はそのまんま?
……しまった!言質を取られた!!
…………………。
ま、いいか。
いつになるか分からないことを考えるより、今はカレーを楽しむとしよう。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その夜。
俺は、奴らに先んじて、手を打っておいた。
本来、自炊棟の宿泊室は、グループ別になっている。無策でいると、確実に三人娘と同室で就寝する羽目になってしまう。
だが、礼拝者用の宿泊施設には、男女別で大部屋も用意されているのだ。とにかく費用を安く抑えたい客は、こちらを利用する。
俺は、就寝時間になると、さっさと大部屋に引っ込んだのだ。
ふっふっふ。いくらあいつらでも、男だらけの大部屋で寝ようとは思わないだろう。つか、思われたら困る。
「……ちょっと、なんで部屋を取ってるのにわざわざ大部屋で寝るのよ」
部屋の入口でアルセリアが抗議の声を上げるが、
「別にいいだろ。宿の許可は取ってあるよ」
そうそうお前らの好きにさせてたまるかっての。
「……お兄ちゃん…ボクもそっち」
「いやいやいやいや。いくらなんでもそれはダメ。ダメったらダメ。他の人たちにも迷惑だからな?」
ヒルダの上目遣い攻撃もなんとかやり過ごす。
…ベアトリクスは……なんか不気味だな。何も言わずに微笑んでる。未だかつて、美女の優し気な微笑をこれほど不気味に感じたことはない。
だが…いくら奴でもこればかりはどうしようもあるまい。下手をすれば、男部屋に侵入した痴女扱いだ。それが“神託の勇者一行”だと万が一にもバレた日には、教会からのお咎めがどんなものになるのやら。
「……まあ、仕方ないですね。アルシー、ヒルダ。私たちも部屋へ戻って休みましょうか」
諦めたのか、不満げなアルセリアとヒルダを促して去って行った。
ただ、去り際に…
「ではリュートさん、よい夢を」
一際優美な微笑みを見せていったのが、少し気になった。
その夜は、すごくよく眠れた気がする。
もともと寝つきは良い方だし(寝起きは悪いけど)、熟睡するタイプではあるのだが、それにしても深くて良い眠りだった。
おかげで、いつもは朝が来てもなかなか起きられないのに、今朝はすっきりと眼が覚めた。
ああ、こんなに爽やかな朝を迎えるのは、どれだけぶりだろう。
俺は大きく伸びをして………
違和感に、気付いた。
………部屋が…違う…………
………むさい野郎どもの姿が、何処にもない…………
……で、その代わりに。
俺の脇でしがみつくように眠っているヒルダ。
反対側にはアルセリアとベアトリクスがひっついて、寝息をたてて………
ええええええ!?なんで?
なんで、勇者たちが、ここにいる!?
いや…そうじゃない。
なんで、俺が三人娘の部屋にいるわけ!?
何?ちょっと、何が起きた?なんで眠った部屋と起きた部屋が違うの?寝てるうちにワープ?んな馬鹿な!!
混乱に頭を抱えていると、物音に気付いたのか、まずベアトリクスが目を覚ました。
「あら、リュートさん。おはようございます」
のほほんと朝の挨拶をするベアトリクス。
その表情を見れば、なんとなく事態を察することは出来たのだが……
一応、聞いてみよう。
「……あのさ。俺、大部屋で寝てたはずなんだけど…………なんで?」
「え…そうでしたっけ?リュートさんの勘違いでは?」
しれっと抜かしやがる。
「勘違いなはずないだろう!お前ら、何してくれてんだ!?」
「いやですわ、人聞きの悪い。まるで私たちが眠っているリュートさんを大部屋から拉致してきたかのような言い方じゃないですか」
「俺、拉致られた!?」
「まさか、そんな。いくらリュートさんでも、一服盛られでもしない限り、そんなことしたら眼を覚ましちゃうじゃないですか」
「……俺、一服盛られた!?」
やけに熟睡出来たと思ったら、そのせいか!つか、いつ眠り薬なんて盛りやがった?
「…ちょっと……朝から煩いんだけど……もう少し寝かせてよ」
俺の声に、もぞもぞとアルセリアが起きだしてきた。俺の姿を見ても驚かないあたり、こいつも共犯か。
「お前らなー……一体何がしたいんだよ……」
「魔王のくせにいちいち細かいこと気にしてんじゃないわよ」
……細かくないよな。俺の抗議は、正当なものだよな?
だが、それを言ったところでこいつらには無意味だろう。最初から、俺の意見を聞くつもりなんてないんだから。
この件については、後ほどグリードに報告してやる。いっぺんこっぴどく叱られやがれ。
どうやら、料理だけでなく一緒に寝ることでも加護の効果はあるようです。
リュート氏の災難はまだ続く…。




