第六十七話 vs.先輩
「悪い悪い、先輩…じゃなくてラディウス。待たせちまったな」
一連の「勇者と魔王ごっこ」の間、完全にほったらかしにされていたラディウスに向き直って俺は謝る。
ラディウスは、多分状況についていけてないのか、茫然としたままだ。
「んじゃ、始めるとしますか……って、ちょい待ち!」
俺は、重大なことに気が付いた。
「……せん、じゃないラディウス!俺の剣どこやった!?」
当然のことかもしれないが、拘束された時点で武器を取り上げられていたらしい。今の俺は、完全に丸腰だ。だが重要なのはそういうことではなくて。
「あれ、部下が用意してくれたものなんだけど!失くしたら多分愚痴られるんだけど!」
言いつつも、ギーヴレイが俺に愚痴を言うことなど決してないとは分かっている。愚痴じゃなくて、多分凹む。しょげかえる。だが彼の名誉のために、そうは言えなかった。
うん、俺って部下思いの上司だよね?
「……ふ、ふはっ」
吹き出す声がした。
見ると、ようやく我に返ったラディウスが、笑いをこらえて
「おま…何なんだよもう。何?オレはお前のこと、何て呼べばいいわけ?」
やっと、いつもの調子に戻ったみたいだ。例の、深刻になったら死んじゃう病の。
「何て…って、俺はリュウトだよ。リュウト=サクラバ」
「そっか…。で、リュート。俺と白兵戦で殺り合うつもりか?」
「そりゃそうだよ。俺の得物は剣だし。魔導は素人だし」
それ以外、どう戦えと言うんだ?
「素人ってお前…あれで?……まあいいや。ちょっと待ってな」
ラディウスは、敵であるはずの俺たちに平気で背を向けて、階段の方へ歩いていく。
逃げ出すつもりか、と思った直後、入口の影に置いてあった包みを手に取って。
「ほら、お前の。これだろ?」
拍子抜けするくらいあっさりと、俺に剣を手渡した。その自然さに、一瞬、まだこの人は味方なんじゃないかと錯覚するくらいで。
しかし。
「なあ、一つ聞かせてくれ。お前は、勇者の補佐役の、リュート…で、間違いないんだな?」
「ああ、そうだよ。今ここにいる俺は、それ以外の何者でもない」
人間・リュウト=サクラバとして、俺は彼と戦う。それは、双方にとって字面以上の意味を持っていた。
則ち、勝敗は分からないということ。
ラディウスが確認したかったのは、そこのところだろう。俺が“魔王”のままでは、どう足搔いても彼に勝ち目はないのだから。
だが、俺が一人の人間として戦うのであれば、その限りではなくなる。彼は、そこに自分の勝機を見出したのだ。
魔王だ人間だなどと、そんな区別は俺が俺である以上、本当なら意味を成さない。それでも彼は俺を信じたわけだ。
俺を殺すために、俺を信じた、と。
つくづくこの人は、しなやかな強さを持っている。やったことは許せないし、もう二度と分かり合おうと思うことはないけど、やっぱり嫌いにはなれそうになかった。
「そうか。…じゃ、始めようぜ」
今夜も一杯どうだ?と言ったときと同じ口調で、ラディウスが俺を誘う。そこには、緊張感や警戒心がまるで感じられない。
やっぱりこの人、深刻になると死んじゃう病だな。
「それじゃ、いきますね」
俺は、自分から仕掛けることにした。相手の出方を見るのも手かと思ったけど、彼は勇者の師匠。剣に関しては格下の俺から動くのが礼儀のような気がした。
……そんな礼儀は知らないけど。
悪いけど、小手調べとか駆け引きとか、そういう技術は持ち合わせていない。何より、そんな手が通用する相手だとも思わない。
だから、最初からとどめを刺すくらいの気分で、本気を出す。
だが……常人には多分ついてくることすら出来ないだろう速度で肉薄したのに、俺の一閃はあっさりと躱されてしまった。
紙一重だとかいうレベルじゃない。まるで最初からタイミングも剣筋も分かってたかのように。
躱されるのは予想してたけど、まさかここまで余裕でされるとは思ってなかった。が、めげずに攻撃を続ける。
二撃目、三撃目。今の俺は、いつだったか酒場で相手をしたよっぱらい冒険者と似通っていた。攻撃がまるで当たらない。
しかもラディウスの動きは、そのときの俺とは比較にならないくらい洗練されていて、まるで殺陣でも見ているかのようだ。
…こう、暴れん坊なお殿様に斬りかかる雑魚Aの気分って、こんな感じだろうか。
動きを見切られているって言ってしまえばそうなんだろうけど、そういうレベルじゃない。なんていうか、最初から俺がどう動くのか台本で決まってて、それに合わせて二人とも動いている…みたいな。
「なあ、リュート。お前さん、何年剣士やってるんだ?」
俺の攻撃を躱しながら、質問する余裕を見せるラディウス。
「んなもん、何年もあるわけないだろ!ずーっと魔王やってたんだから。剣を学んだのは、タレイラに入る直前だっつの!」
しかも教えてくれたのは(あまり役に立たなかったけど)アンタの弟子だよ!
……ん?するってーと、俺はラディウスの孫弟子ってことに…なるのか?
「ふーん…なるほどなぁ」
「なんだよ、何が言いたい?」
意味深な表情が癪に触って問い返す俺。ちなみに、この間ずっと攻撃の手は休めていない。ずっと、躱され続けている。
「いやぁ、なんつーかさ」
次の瞬間、俺の目の前に短剣が出現した。猛スピードでせまりくるそれを、脳天にくらう直前でなんとか避ける。ラディウスの動きとは似ても似つかない、とても不格好な感じで。
体勢が崩れたせいで、攻撃の手も止まってしまった。そのまま立て続けに、暗器が俺の周囲を舞う。
「お前さんの剣はな。お行儀がいいっつーか、正攻法すぎるっつーか、読みやすいっつーか」
俺の剣の欠点を上げながら、ラディウスは攻勢に出る。
体勢を整える隙をくれないもんだから、こっちは防御一辺倒にならざるを得ない。
暗器を躱したり、剣で叩き落したり。反応するだけで精一杯だ。
「言うなれば、予定調和なんだよ。そうあるべくしてある。だから、分かり切っちまう」
…アルセリアの動きを観察して、過去の戦場を思い返して、自分の記憶にあるデータを精査して導き出した最適解は、最適解すぎたというわけか。
最短時間で、結果が出るように。最低限の手数で、結果に結びつくように。
なるほど殺し合いは、受験勉強とはわけが違うらしい。
ここに、経験を伴わない、分析に頼り切った戦い方の弊害が出たわけだ。
それは分かった。分かったが…
今さら、どうしようもない!!
これが戦闘中でなかったら、或いは格下の敵が相手だったら、戦いながら修正を試みることだって出来たかもしれない……出来るかどうかは別として。
だが、ルーディア教最強の殲滅部隊の筆頭であるこの男を相手にしている時点で、そんな余裕はない。
今だって、あと少し躱すのが遅かったら頸動脈をすっぱりやられていたところだ。
「お前はなんつーか、物分かりが良すぎるきらいがあるなぁ」
くっそー。好き勝手言いやがって。図星だから言い返すのも悔しい。なんとかこっちの間合いに持ち込んで……
まさか、俺がそう考えたことさえ「予定調和」だとでも言うのか、ラディウスは
「言っとくけど、接近戦なら勝てるとか思うのは安易だからな?」
言うが早いか、腰の剣を抜き放った。次の瞬間には、俺の懐に………って、
速い!速い速い!!
なんだこれ、なんだこれ。見えてるのに、反応しきれない。
……違う、速いんじゃない。速さだけなら、多分アルセリアの方が上だ。だけど、なんかやりづらい!掴みにくい!
一撃一撃がそれほど重くないせいで、今のところなんとか捌けているが、こっちはいっぱいいっぱいで、あっちはまだまだ余裕。
どうなってんの?間合いがコロコロと変わる。近接戦なんてみんな同じものだと思ってたけど、違うの!?
…ただ力が強くて動きが素早いだけじゃ、勇者の師匠も“七翼の騎士”筆頭も務まらないってわけね!
ちょっともう、俺、完全に劣勢なんですけど。師匠ったって、勇者が独り立ちするまでの間であって、要するに「元」師匠だろうから今のアルセリアと実力的に大差ないと思ってたんですけど。
つーか、こんなんなら、アンタが勇者やればいいじゃんか!!
……いや、“神託の勇者”ってのはそういうものじゃないと分かってはいるけど…少なくとも、ラディウスであれば、実力で魔王城内に入り込むくらいは出来たんじゃないだろうか。
封印前の記憶を引っ張り出してみても、俺の知る限り最強の人間は、この男だ。
……うーん。世界は広いね。
なーんて言ってる場合じゃない。そうこうしている間にも、俺の体には少しずつ傷が増えていく。どれも薄皮一枚程度のもので、動きには支障はないけれど……何時会心の一撃が来るか分かったもんじゃない。
今の状況において、俺がラディウスに対し唯一持てるアドバンテージは、死ににくさ…くらいなものだ。
アルセリアたちにも言ったが、“星霊核”との接続を切っている現在、頭を完全に吹き飛ばされたり心臓を丸ごと破壊されたりすれば、この肉体は使用不可能になる。
そうなれば、ラディウスの勝ちだ。
ただ、完全に破壊されていなければ、なんとかなる。
対するラディウスは、強いとは言っても人間。一部であれ脳や心臓を破壊されたり、大動脈を傷付けられれば死に至るだろう。
その差を、大きいと見るか小さいと見るか……だが。
ラディウスと俺の力量差が、「完全に」と「一部であれ」の差を限りなく小さくしてしまっている。
だって、俺の攻撃が当たらないんだから、どうにもならないじゃないか。
……ん、いや……そうか。小さくなってしまった差を、大きくしてしまえばいいのか。
だったら………
ラディウスは、再び俺から距離を取った。間合いも戦闘スタイルも、変幻自在だ。接近戦で俺を翻弄したかと思えば、お次は中距離戦ですか。
そして再び放たれる暗器。
俺は、自分にせまりくるそれらを…………躱さなかった。
敢えて、真正面から受ける。
左の肩と、脇腹に短剣が突き刺さる。めちゃくちゃ痛い。だが、痛覚をむりやり無視して、俺は足を前へ。
「肉を切らせて骨を…ってやつか?甘いんだよ!」
ラディウスには、当然お見通しのようだ。確かに甘い。彼ほどの手練れであれば、俺の攻撃が届く前に、俺に致命傷を与えることが出来る。分かってさえいれば、なんのことはない悪あがき。
そう、それで終わる。事実、俺の剣よりも一瞬早く、ラディウスの剣が、俺の心臓を貫いた。
だが、それには構わず、俺もまた彼の胸へと剣を突き立てる。
「………なっ…………」
信じられないものを見たような顔で、呻くラディウス。気持ちは分かるよ。人間同士の戦いであったなら、確実に彼が勝っていたんだから。
けどな、悪いけど、心臓の一部を破壊されたくらいじゃ、この肉体は滅びない。
だって俺、魔王だし。
いくら「人間・リュウト=サクラバとして戦う」なんて言ってもさ、結局、俺は俺なんだよ。戦闘スタイルだとか攻撃手法だとかを限定してみたところで、それは否定の仕様がない事実。
“魔王ヴェルギリウス”と、“桜庭柳人”を分けて考えることなんて、不可能なんだ。卑怯かもしれないけど、現実はそんなもの。
だから。
だからせめて。
「…ごめんな。………サヨナラ、先輩」
別れのときくらい、後輩顔をさせてくれ。
血を吐いて倒れる先輩の体を、俺は抱きとめる。そして、そのまま床へ横たえた。
「……んだよ…それ………反則…じゃねーか……」
言いながらも、先輩はどこか満足そうな表情だった。
俺の攻撃はわずかに彼の心臓を逸れていたようで、まだ息はある。今はまだ。
ほんの、少しの間だけ。
「…………師父」
背後で戦いを見守っていたアルセリアが、俺の傍らに膝をついた。
怒っているような、泣いているような、そして呆れているような顔で。
「…………ばーか……オレ…は師匠なん…か、じゃ…ねーよ」
「それを決めるのは、貴方じゃない。私よ」
自虐的に嗤う先輩に、アルセリアは答える。その声は、すごく穏やかだ。
「…………悪いな、猊下……年寄りに…気苦労…ばっか、かけち…まったな……」
先輩は、グリードに視線を移した。
「…今の君に、ボスと呼ばれるのは複雑な気分だがね……」
対するグリードは、どんな表情をすればいいのか分からなくなったあげくに無表情を貫いているように見えた。
「……なあ、後輩……」
「なんですか、先輩」
そして再び俺に視線を移す先輩。多分、もうほとんど見えていないだろう。その瞳からは、急速に光が失われつつあった。
「さい…ご……に、お前に…言い…たい、ことが……ある…んだけど……さ……」
「………聞きましょう」
ラディ先輩は、一つ息をつくと、
「…………絡み酒も……たいがいに…しとけ…な?」
それが、“七翼の騎士”筆頭にして、“神託の勇者”の師匠にして、束の間の俺の先輩であった男の、最期の言葉だった。
最後はもう少し重苦しくしようかとも思いましたが、ラディウスは深刻になったらしんじゃう病なので、締まらない感じにしちゃいました。




