第六十六話 魔王と勇者
「お兄ちゃん!ねぇもう朝だよ?遅刻しちゃうよ!?」
…朝から可愛い悠香の声。少し怒ってる感じなのがまた愛らしい。
その心地よい声を聞きながら、俺は再び睡魔に身を委ね……
「こらぁ!いい加減にしなさい!!」
しびれを切らした妹に、掛布団を引っぺがされてしまった。寒い。
「もう!悠香先に行っちゃうからね!!」
「分かった分かった…今起きるから」
「……お兄ちゃん、寝起きだけはほんっと悪いよね」
怒ってるんだか呆れてるんだか分からない悠香の声。まあ、確かにそれもあるけど……
悠香の声を聞きたくてわざとやっているという面も、なくはない。
「ほらぁ、早く!もう八時になっちゃうよ!」
急かされて、ベッドから降りる。
あとどれだけ、この声で目を覚ますことが出来るのかな。悠香がお嫁に行っちゃったら、俺泣いてしまうだろうな。
「…お兄ちゃん、寝ぐせ」
「いいんだよ。こんなのメットかぶりゃ直るって」
いつもの会話。いつもの朝。
そして俺は今日も、いつもの日常を過ごすのだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「……ト、………ュート!リュートってば!!」
すごくいい夢を見ていた気がするのに。
乱暴な声で、俺は叩き起こされた。
「こらぁっ!いい加減目を覚ませこの説教魔!シスコン!ヘタレ紳士!!」
…って、おい。
「だぁーれが、ヘタレ紳士だ!!」
失礼極まりない勇者に反論し、がば、と起き上がろうとした俺……なんだけど!?
うわ、うわわわわ………痛て!
バランスを崩して、再び床へダイブ。思いっきり額を打った。痛い。
……肉体に、痛覚まで再現しなきゃ良かった……。
…って、あれ?なんで俺バランス崩して…
と言うか、なんで俺、後ろ手で縛られてるわけ?
ミノムシのように拘束されている自分に気付き、一瞬状況が分からなくなる。視線だけ動かして声がした方を見ると、同じように拘束された勇者と枢機卿の姿が目に入った。
「……えええええ!?お前ら、何してんの!?」
「他人事みたいに言わないで!!」
怒気と共にツッコミを入れるアルセリア。そりゃそうか。
ええと…俺、さっきまでアナベルといた…よね?
で、気付いたらここに………
…!あの硝子瓶、まさか………………
「お前ってさ、やたら女に甘いのな」
こんなときでも緊張感のないラディ先輩の声。
…………………なんで、先輩だけ立ってるんだ?
辺りを見回して、ようやく自分がいる場所に気付く。
それは、べへモスの鎮座する大広間。
俺とアルセリアとグリードは拘束されて床に転がっている。
先輩は…………涼しい顔で、俺たちを見下ろして…いる。
「?え?あの、先輩……?」
一人だけ無事なら、なんで俺たちの拘束を解いてくれないんだよ?
なんで、そんな笑顔でべへモスの傍に立って…………
「…リュート。師父は、私たちを裏切ったわ」
感情のないアルセリアの声が耳を打った。
一瞬、その意味が理解出来なくて、俺は言葉を失う。
いや、その意味を理解したくなくて。
だけど、アルセリアは容赦なく続ける。
「私たちも、今目が覚めたばっかり。…彼に、何か仕掛けられたみたい」
敵の攻撃によるものなら、こいつがむざむざとくらうわけがない。だが、背後から無防備になっている精神を突かれれば、それを防ぐことが出来なくても当然だ。
「…ラディウス。どういうことなのか、説明してはもらえないか?」
流石の枢機卿。グリードはこんなときでも落ち着いている。
だが、その中に煮えたぎるものを抑えているのは確かだ。
「うーん、裏切った…ってのは、ちょーっと不正解なんだよな」
ラディ先輩…いや、ラディウスは、それでもあっけらかんと言う。
「だって俺、最初っからこっち側だもん」
…………!
「じゃあ、俺がここに潜入するよう仕向けたのも……?」
「あ、そうそうそれも。べへモスの餌が足りなくてさ、強い力の持ち主を狩ってたんだけど、お前には逃げられちまったからな。だからもう一度こっちへ来るように話を持っていった」
……………………?それって……
「まさか、あの峠で襲撃してきたのは…………」
遊撃士デビュー戦で遭遇した、姿なき刺客。あれは、
「おう、オレオレ。…にしてもあんときゃ驚いたぜ?いきなり自爆攻撃だもんな。しかも次に会ったときにピンピンしてるし。普通ならアレ、絶対死んでるだろ?」
「あの時から……最初に会ったときにはもう、アンタは敵だったってわけか…」
「ん?それも正しくないなぁ」
まんまと騙されていた自分が腹立たしくて歯軋りしながら言う俺に、先輩は
「俺は、最初っからこっち側。それこそ、十年前から…な」
「………え?」
十年前。そのワードに、無感情だったアルセリアの声が震えた。
「あー、やっぱり覚えてないんだな、アルシー。あの時あの地下牢でさ、お前の食事だとか身の回りの面倒見てたせこい小僧、覚えてないか?」
問われたアルセリアは、記憶を辿ろうとしているのか。
或いは、記憶を拒もうとしているのか。
「あれ、俺なんだけど。……そっかー。忘れてるかー。ちょっとショックだけどな。仕方ないか。お前、あの時の記憶ほとんど自分に都合良く作り変えてるもんな」
「…そんなこと、してない!」
「してるって。思い出してみろよ、あそこで何をされたのか」
「………………!」
「あのさ、話の途中で悪いんだけど」
俺はラディウスの言葉を遮った。驚くくらい自分の声が冷たいことに気付く。
これ以上、この男にアルセリアが冒瀆されるのは、我慢ならない。
それに、俺はこいつに聞かなければならないことがある。
「……アナベルは、どこだ?」
俺を裏切り…いや、最初からそう命じられてたのかもしれないが…眠り薬まで使った彼女が、役目を終えたからと部屋に戻っているとは、考えられなかった。
そう考えたかったが、無理だった。
「アナベル?ああ、あいつね。ここにいるじゃないか」
悪意なんてまるでないかのように、どこまでもあっけらかんと、ラディウスは背後を指差した。
背後の、べへモスを。
真っ白になった俺の頭の中に、ラディウスの声が届く。
「あいつは「外」に怯えてたからな。それなのに、頼れると思ったお前がそんな場所へ自分を連れ出そうとしたもんだから、決心したんだろうな」
「…………………」
「眠り薬を渡したのはターレイクで、それを命じたのは俺だけどさ、使うことを決めたのは、彼女自身だ。大切なモノを守るために使え、としか言ってないよ」
「…………………」
「あいつはお前を眠らせた後、自分からここへ来た。「大切なモノなんてやっぱりなかった」って言ってたな」
「…………………」
「けど、俺は強制はしてないからな?あいつは自分で…」
調子よく喋っていたラディウスが、不意に黙り込んだ。なんだか、ぎょっとしたような顔をしている。
………どこかで、笑い声が聞こえた。誰の声だろう……?
見ると、アルセリアとグリードも、ラディウスと同じような顔をして固まっていた。
彼らの視線は、俺に向いている。
……ああ、そっか。笑っているのは、俺か。
いや、だってさ。考えれば考えるほど、可笑しくて可笑しくて。
素人のくせにスパイの真似事なんかして、敵を騙しているつもりだったのに騙されてたのは自分で、
色々考えて行動してたつもりなのに、相手には全部筒抜けで、
魔王のくせに誰かを救いたいなんてらしくないこと考えて中途半端に他人に関わった挙句、救うどころか彼女が本当に望んでいるものに気付いてさえいなくて、
いやぁ、ほんとコレ。何の茶番だ?
結局アナベルはべへモスに喰われてるし、アルセリアは傷付けられて(ついでにグリードも)、先輩と呼び慕った男は、今までと何一つ変わらない様子で裏切りを告白してる。
俺は、敵にいいように騙されて掌の上で踊らされた挙句、こうして床に転がされてる。
…こんなの、ギーヴレイに…魔族たちに知られたら、もう情けなくて恥ずかしくて軽く死ねる。
………もう、いいや。終わらせてしまおう。
ここを、ここにある全てを跡形もなく消し飛ばして、何もなかったことにしてしまえ。
そう考えた瞬間には既に、俺を拘束する鎖……おそらく、魔力を遮断する魔導具……は、音もなく消え失せていた。
「……ちょっとリュート!待ちなさい!!」
必死に叫ぶ勇者の声が聞こえる。
ラディウスは、目の前の光景が信じられずに呆けている。
グリードは……別にどうでもいいや。
怒りのせいか、普段以上にすんなりと“星霊核”との接続が完了した。
「……リュート………?お前……何………」
なんだ、そういう表情も出来るんじゃないか。
ラディウスは、恐怖に顔を引きつらせて、一歩後ずさった。
“魔王”の霊素に反応したのか、べへモスが唸り声を上げ、蠢いた。
……まずはコレから片付けようか。
「顕現せよ、其は裂き喰らうもの也」
俺の意思に応え、巨大な顎が生まれた。
べへモスの、影の中に。
足元から喰らいつかれて、べへモスが悲鳴を上げる。あんなナリで一丁前に痛覚があるのか、生意気だな。意思や自我がないくせに、生存本能…いや、存続本能と言うべきか…は持ち合わせているらしい。
グロテスクなその物体は、身をよじって必死に逃れようとしていた。
醜悪な触手を使って、顎を引き剥がそうと。
だが、触手は、顎に触れた途端に蒸発する。
べべモスの躰から発生する魔力も瘴気も、顎に何ら影響を与えることが出来ずに吸い込まれていく。
やがて、一際大きな断末魔を上げて…
べへモスの最後の一片が、顎の中に呑み込まれた。
「……そんな…べへモスが…………」
ラディウスが、茫然と呟く声が聞こえた。
さて、べへモスも終わったことだし、後はこれを始末するか。
俺は、ラディウスに向けて足を進める。
こいつは、もう少し思い知らせてから殺してやろう。
だが。
俺の前に立ち塞がったのは、一人の少女だった。
「アルセリア、そこをどけ」
アルセリアが、敵であるはずのラディウスを背中に庇うようにして、俺と対峙していた。
「…悪いけど、それは出来ない相談ね」
いつぞやみたいに、強がりが見え見えの不敵な笑み。
だが、いつぞやとは比べ物にならないくらい毅然とした眼差しで。
だけど……今回ばかりは、こいつの我儘気まぐれに付き合うつもりはない。
「……我はその男を敵と認識する。それを庇いだてするならば、貴様も同様だ」
冷たい死刑宣告に、しかしアルセリアは全く動じなかった。
まるでその言葉を、最初から予期していたかのように。
「もう一度だけ言う。……そこをどけ」
これ以上邪魔をするようなら、構うことはない。二人まとめて消すだけのこと。
「アンタさぁ、大事なこと忘れてない?」
最終通告にさえ動じず、アルセリアは笑顔のままで言う。
「私はね、勇者なの。勇者の仕事って何か、知ってる?」
そう言いながらも、彼女の顔は「人類の命運を背負う神託の勇者」ではなく、「無茶無謀で単細胞のポンコツ勇者」のものだった。
けれども、その眼差しだけは本物で。
「勇者の仕事ってのは、魔王を討伐することなのよ」
……この、眼差し。懐かしい色。
静謐で強靭な光が揺らめく、俺の片割れと同じ瞳の色。
「アンタが“魔王”として人間を害そうとするのなら、勇者はそれを止めなきゃいけない」
言葉と裏腹に、穏やかな口調。優し気な表情。
未だ体を拘束されながらも、今まで見た中で一番凛々しく、威風堂々と宣言する。
「それが、私とアンタの在り様でしょ?」
……どことなく悲しげなのは、俺の気のせいだろうか。
「さぁ、どうする?私は今、アンタを何て呼べばいい?」
………………。
……………………………。
……………………………………………………。
「おーけぃおーけぃ、分かったよ。今回ばかりは俺の負けだ」
降参、とばかりに両手を軽く上げて俺は言った。
ほんっと、こいつには敵わない。気まぐれで考え無しのくせに、頑固さだけは本物だ。多分、こいつの強さの秘密はそこにあるんだろう。
「ほんと!?じゃあ、勇者が勝利した!!って、言いふらしていい!?」
「いいわけあるか!お前、状況と自分の立場、分かって言ってんのか?」
負けたと言っても、戦いに負けたわけじゃねーよ。
その頑固さに呆れ果てて、ムキになってる自分が馬鹿みたいに思えただけだよ。
「…ち。言質を取れると思ったのに」
……なにこの子!腹黒い!!
「ま、いいわ。…じゃ、さっさとカタをつけてきなさい、リュート=サクラーヴァ」
神託のポンコツ勇者、アルセリア=セルデンは、そう言ってにやりと笑った。
なーんか、勇者にまでいいように踊らされているような気もしてきたけど、まぁいいや。ご期待に沿えるよう善処しますよ。
あと、一つ言っておきたいんだけどさ、まあ今さらだから言わないんだけどさ、
……サクラーヴァ、じゃなくて、サクラバ、だからな。
スパイ大作戦編、クライマックス?です。




