第五十九話 忠実と一途は、似て非なるものである。
「アーナタがシェフね!すんばらしいわ!」
恰幅のいいちょび髭に言い寄られて、俺は閉口していた。
何しろ相手は、組織の大幹部。失礼な言動をするわけにはいかない……!
でも、あの、お願いちょっと離れて…
エルリアーシェやベアトリクスとは違う。違いすぎる。
…何が違うって、外見が!匂いが!何もかもが!!
幹部による視察…はどうかは知らないが、その後の会食は成功だった。
大成功だった。
俺が作った地球料理は、世界中の美味珍味を食べ尽くしてきたその幹部をしても初見のもので、単純に金さえかければいいだけのものとは違う手間暇かけた料理は、彼の琴線に触れた。それはもう、触れまくった。
その結果…。
「アタクシ、自分が生きているうちにこぉんなお料理に巡り合えるなんて、こぉんな素晴らしいグラン・シェフに出会えるなんて、思いもよらなかったわぁ!」
「お…お褒めに預かり……光栄で」
「アナタ、お名前は?いつからここに?こんなお料理、一体どこで習ったのかしらん?」
矢継ぎ早に質問を繰り出す間も、ちょび髭美食家は俺の両手をしっかりと握りしめている。その興奮度合いから、いつ抱きつかれてもおかしくはなかった。
「ええと、俺は、今月からお世話になってます。…ユウトっていいます」
「まあ、そぉなのん!ねぇユウトちゃん、うちにいらっしゃいな。アタクシ、もうユウトちゃんのお料理じゃないと満足出来そうにないのよぉん」
……語尾がウザい…………
「…うち……って?」
「いやぁだ、本部に決まってるじゃないのよぉ。アタクシ、こう見えても旅団のNo.3なのよぉん」
…………!
マジで?
マジで、このちょび髭美食家(属性:オネエ)が、NO.3?
こんなんで、組織の、No.3!?
………違った。驚くところは、そこじゃなかった。
…それでは改めて。
……………!
マジで?
このちょび髭は、俺を本部に連れていきたがっている、と!!
まさか、ここまで上手く事が運ぶとは。個人的に仲良くなって、いろいろ情報を聞き出せれば上等かと思ってたのに。
直接本部へ乗り込める。しかも、料理人として。
これは……千載一遇のチャンス!!
「ええ?いいんですか!?」
俺は、降って湧いた幸運に驚きながらも、喜んでいるフリをする。
いや、実際にそうなのだが。
「もっちのろんよぉ。うちの団長にも紹介したいわぁ。みぃんな、きっと明日からお食事のときに腰を抜かしちゃうんだからぁん」
…………この口調。口を縫い付けてやりたくなる衝動を、必死で抑える。
「ありがとうございます!俺、頑張ります!!」
自分の望むままに行動出来ないのがこんなに辛いことだとは。
……ん?なんか覚えのある表現……?
『意思と行動の乖離。望むままに行動することを許されない、心の牢獄』
……………………。
あああああ、俺、ルガイアとエルネストに、なんて酷いことをしてしまったんだ!
いくら罰とは言え、結局あいつらあんまり気にしてなさそうとは言え、こんな罰を思いついてしまう自分が悪逆非道、無慈悲な悪魔にしか思えない!
…………………いや、うん、まあそのとおりだよね、概ね。
やっぱり自分は魔王なんだと再認識し、この問題はとりあえず先送り。
今やるべきは、
「それじゃあユウトちゃん、早速明日からいいかしらん?」
「はい、よろしくお願いします!」
己を殺し、ちょび髭美食家に取り入ることである!
「ああん、もぅ、かっわいいんだからぁ~!こぉんなに可愛くてお料理も上手だなんて、もう、アタクシのお婿さんにしたいわぁん」
「(ぎゃああああああ!)……こ……光栄……で…す」
ちょび髭に思い切り抱きしめられ、俺は初めて恐怖の感情を知った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
こうして、俺は旅団のNo.3のちょび髭美食家…その名も、ヴォーノ=デルス=アス…の口利きで、組織の中枢に深く潜り込むことに成功した。
幹部連中の食事を一手に引き受けることになり、それだけ上層部のメンバーに接触出来るチャンスも増える。まさかこんなにトントン拍子に事が進むなんて、実に運がいい。
と思いもしたが、勿論いいことばかりではないのが、現実というもの。
「ほぉんと、ユウトちゃんってば手際もすぅっごく良いのねぇん」
………ヴォーノ氏に、異常に気に入られてしまった俺である。
今は一日分の食事の、下拵え中。
中央本部の中でも俺が任されているのは、最高幹部…詳細人数は知らないが、おそらく十人前後…の食事一切である。
そのくらいならなんとか一人で回せるので、他に助手などはいない。なので、朝から下拵えをいっぺんにしてしまい、空いた時間を調査に充てようと思っていた。
の、だが。
「アタクシもね、そりゃぁ美食家を名乗るんですもの。お料理の一つや二つって思うのだけどぉ、どぉにも不器用みたいなのよねぇん。器用な男の子って、ス・テ・キ(ハートマーク)」
ヴォーノはこうしてしょっちゅう俺の調理を見学に来て、あーだこーだとしょうもない話をしていくようになった。
しかも腹立たしいことに、決して厨房に入り込んで俺の邪魔をしようとはしない。その上、やってくるのはいつでも単純作業の間。集中が必要になる調理段階に入ると、これまた邪魔にならないように、いつの間にか姿を消しているのだ。
……何気に気遣い上手なのが、なんか腹立たしいのである。
「そう言えば、ヴォーノさんは、どうしてこの旅団に?」
ついでなので、ヴォーノの参加理由も聞いてみよう。このおっさん、美食家だけあって人生を謳歌しまくっているように見える。魔王を崇拝したり地上界を滅ぼしたり滅茶苦茶にしたり…というような願望を持っているとは考えにくいんだが。
「アタクシ?アタクシはねーぇ。……んふふ」
なんだよキモイな。
「……………ユウトちゃんは、神露って、知ってる?」
「神露…ですか?いいえ……」
知らないはずがない。神露とは、神…この場合創世神…の加護を目いっぱい凝縮して作られた、奇跡の秘薬。
ありとあらゆる病と怪我を癒すと言われる霊薬と混同されることも多いが、その上位版とも言える。
病や怪我を癒すのではない(無論癒しもするが)。病や怪我をしなくなるのだ。全ての能力が向上し、種族の限界を超え、次なるステージへと昇華する。
加護と違い、神と接点のない者でも神露を口にするだけでそれらの恩恵が受けられる。
ただし、その効果は一時的。
言うなれば、超強力なドーピング剤。
けど、なんでヴォーノはいきなり神露なんて言い出したんだ?
「神露って言うのはねぇ、神様がお作りあそばした、それはそれはすんばらしい奇跡の雫なのぉ。そしてそれはねぇ」
ヴォーノは身をよじり、恍惚とした表情で、
「どぉんな蜜より甘く、どぉんな果実より香しい、美味の極致なのよぉお!」
…と、絶叫した。
「び…美味の極致……ですか……。それは、興味深い…ですね」
「でしょう!でもねぇ。考えてご覧なさい?今の世界のままで、アタクシが神露を口に出来る日が、果たして来るのかしらん?」
いや、今の世界もどの世界も、多分そんな日は永遠に来ないよ……。
とも言えず、とりあえず話を合わせよう。
「どういうことですか?」
「だぁって、創世神エルリアーシェ様は、お隠れになっちゃったじゃないのよぉ」
…………あ。そうか。
「二千年前、魔王陛下を封印されて、それでお力が尽きてお隠れになったんでしょぉ?てことは、どぉんなに待っても、エルリアーシェ様が神露をお授けになることはないってことじゃない」
「………確かに」
……エルリアーシェがもう何処にもいないということは分かってはいるが、他人の口から聞かされると、改めて痛感する。
自分が、一人になってしまったのだということを。
「でもでもぉ、だったら魔王陛下にお願いすればいいのかしらって、思ったのよん」
……へ?俺?なんで俺?
「魔王陛下は、創世神と同格のお方なんですってぇ。それならぁ、魔王陛下にお願いして、神露を頂戴すればいいのよぉん」
「魔王…陛下、に、直接お願い出来るんですか?」
出来るわけないだろう。そもそもお前ら、魔界に行く術を持ってないじゃん。つか、たとえ魔界に来たとしても、下位魔族にやられてお陀仏だよ。瞬殺だよ。
よしんばそれを避けたとしても、ギーヴレイ始め俺の側近たちが、そんなこと許すはずない。
そんな、近所に住む有名人にサインを頼む程度の感覚で、魔王に直訴とか考えてるわけ?
しかし、ヴォーノは案外分かっているようで、
「そぉねぇ。確かに、アタクシごときが魔王陛下にお願いなんて、恐れ多くて出来るわけないわよねぇん。…でもねん、封印されて久しかった魔王様が復活あそばしただけでも奇跡なのよん。だったら、もう一つや二つくらい、奇跡が起こったって悪くないんじゃないかしらぁん?」
どういう理屈なんだろう……?
「そもそもねぇ。アタクシも魔王崇拝者なぁんてやってるけどぉ、途中までは半分以上諦めてたのよぉ。魔王陛下は封印されてて、どこにお眠りになってるかもいつお目覚めになるかも分からなくてぇ、アタクシが生きてるうちには無理かもぉって思ってたのに、でもお目覚めになったでしょぉ?なんかもう、これなら諦める前にもう少し足搔いてみたいわぁって、思っちゃったのよん」
「………ヴォーノさんが魔王崇拝者になったのは、神露のため…ってことですか。やっぱり、不老不死とか全能の力とか?」
普通、神露など神授の秘宝を狙う者の願いは共通している。
大抵が、不老不死、強大な魔力、強靭な肉体、永遠にして究極の美、失われた命の復活……等々。
だが、ヴォーノはその俺の言葉を、笑い飛ばした。
「あらやだん、やっぱりユウトちゃんはまだお子ちゃまなのねぇん。そぉんな野暮なものは、アタクシ必要ないわん。……アタクシはねぇ、ただ美味の極致を味わいたい…一滴でいいから、天上の甘露を口にしたいだけなのよぉ」
…マジか。ただ味覚という一点のみにおいて、神露を求めると言うのか。
そして、それだけのために、魔王崇拝者になる…と。
「その願いが叶ったらぁ、アタクシもう死んでもいいのよん。永遠の命なんかよりぃ、究極の美味を堪能して、そして散っていくのがアタクシの望み……」
…………ヤバい。
…………こいつは、ヤバい。
この男、口調はウザいし外見もウザいし仕草もウザいし、俺にべったらべったら触ってくるのもウザいことこの上ない。
けど、こういう奴…………………嫌いじゃない。
欲望に忠実な奴は好きじゃないが、欲望に一途な奴は、嫌いじゃないのだ。
非常に業腹だが、そして非常に認めたくないことでもあるが、俺の中でこの男の好感度は、グリードのおっさんを超え、ラディ先輩に迫る勢いで上昇しつつあった。
しっかりしろ、俺。ほだされるな、俺。相手は魔王崇拝者。魔王なんかを崇拝して地上界に混乱をもたらそうとしている邪教集団なんだぞ。
…………魔王なんか…って、言っちゃった………
「でもねぇ、ユウトちゃん。アタクシ思うのだけれどぉ」
自分の心に翻弄される俺の様子には気付かず、ヴォーノは続ける。
「ユウトちゃんのお料理は、その高みにも至れるんじゃないか…ってねぇん」
………は?いきなり変なことを言い出したぞ?
「きっとユウトちゃんのお料理なら、奇跡を起こせる……世界だって、変えられちゃうんじゃないかしらぁ?」
………いやいやいやいや、俺の料理にはそんな奇跡の力は宿ってません。
「やだなぁ、ヴォーノさんは大げさですよ」
大げさというか、意味不明である。
「あらぁ、そうかしらん?でも今に見てなさい、きっとアタクシの言ったことの意味が分かる日が来ると思うわぁ」
「あはは、じゃあその日を心待ちにしてますよ」
なーんて、ヴォーノの謎発言を適当に聞き流した俺だったが。
あまりにも早く、その日は訪れたのだ。
ヴォーノ→ボーノ デルス=アス→デリシャス です。名前で遊んでみました。このおっさん、結構好きです。




