第五十七話 設定って中途半端に作り込むと後で破綻するよね。
「あのさ、アナベル……一つ、聞いていいかな?」
その夜。カーテン越しに、俺は彼女に声をかけた。
既に就寝時間。部屋の照明は、落とされている。
ここ数日聞き続けたおかげで、彼女の呼吸と寝息を判別するスキルを身に着けた俺は、彼女がまだ眠っていないことを確信していた。
…………いやいやいやいや、不可抗力だよ?別に変態趣味じゃないからね?ただ、嫌でも聞こえてくるんだから!
「…なんでしょう?」
そんな俺のみっともない内心の葛藤を知ってか知らずか(いや、知らないでいてほしい)、アナベルはいつものように無邪気に聞き返す。
「その…話したくなければ別にいいんだけど……アナベルはどうして、旅団に来たのかなって」
初日から、気にはなっていた。どう考えても、地上界の混乱や支配を目論む連中と彼女が、同じ理想を抱いているとは思えない。
「…どうして、そんなことを?」
彼女の口調に、責める響きはない。純粋に、どうして俺が彼女の事情に興味を抱くのかが、気になったのだろう。
だから俺も、思うところを言う。
「君のことが、気になったから…かな」
彼女のような穏やかな少女が、なぜ魔王崇拝者などになったのか。俺は俺で、純粋にそのことが知りたい。
「え……ええ?わ、私のことが……ですか?そんな………実は、私も、その…初めてお会いしたときから、ユウトのことが……」
なぬ?まさか最初から、疑われていたというのか?
出来るだけ自然体を心掛けていたつもりだが……どこかで、違和感を抱かれてしまったか。
ならまずは、その疑念から晴らさないと。
俺は、ここ数日ずっと考えていた、自分の設定を披露することにした。
「俺はさ、…………聖央教会が、憎い」
ここで「ルーディア教会」と言わないところがミソ。あまりに大きすぎる相手ってのは、強い憎悪を抱き続けるのが難しいものなのだ。大きすぎて、漠然としていて、実態が掴めなくて。
だから、「ユウトは聖央教会に恨みを抱いている」のだ。
「憎い…ですか」
「…うん。俺が生まれ育った村はさ……村と言うより集落って言ったほうがいいくらいの小さなところで……俺と、両親と、近所の人たち五、六家族だけで、静かに暮らしてた」
「………………………………」
アナベルは、何も言わない。だが、俺の話に耳を傾けている気配は伝わってきた。
「俺はガキだったから、よく分からないんだけど、俺の村は、どうも教会とトラブルを起こしたみたいだった」
「……トラブル…?」
「と言っても、俺の推測なんだけどな。……もともと、すごく田舎の癖に、やけに立派な身なりの聖職者が村にしょっちゅう来てたんだ」
ここで一呼吸。遠い記憶を、辿るように。
「親父とその聖職者は、よくこそこそと話をしてた。俺が傍に行くと、いつも誤魔化すんだ。誤魔化されてるってことくらい、ガキの俺にも分かった」
具体的な描写は避ける。幼い頃の記憶だ。多少矛盾があっても不自然ではない。むしろ、鮮明に覚えていることの方が不自然。
「多分だけど…子供に聞かせたくない話だったんじゃないかな。それに思い至ったのは最近だけど。…で、親父とその神官は何ていうか…仲が悪いようにも良いようにも見えなくてさ。もっとこう…淡々としてるって言うか……」
「…事務的、だったんですか?」
「!ああ、そうそう。そんな感じ。そんな感じだったんだけど、ある日…」
再び一呼吸。彼女からは、俺が自分の感情を整理させているように聞こえているだろう。
「親父が珍しく、怒鳴り声を上げた。…その神官に、話が違うじゃないか…って」
「話…ですか?」
「そう。何の話かは知らない。でも親父は怒ってて、それ以上に焦ってて、隣の部屋で様子を伺ってた俺は、怖くて仕方なかった。そのとき神官が何て言ったのかは…実は、覚えてない。ただ、何かを言い捨てて、家を出て行った」
はい、そろそろハイライトですよ。
「その夜、大人たちは何か真剣に話し合ってて、それからすぐに逃げようってことになった」
「…逃げる?」
「何から、とか、どうして、とか、そんなのは分からなくて、夜中に叩き起こされた俺は両親に言われるままに自分の荷物を持たされてさ。……だけど、逃げようとしたときに、…………野盗の集団が、襲ってきたんだ」
「………………!」
アナベルが息を呑むのが分かった。流れから、なんとなく結末を想像したか。
「村のみんなは散り散りになって、俺も、両親とはぐれて…とにかく逃げろ、走れって親父が叫んでたのは覚えてる。だから俺は走って、必死で走って、村から逃げた」
「他の人たちは……?」
「……………………」
アナベルの問いに、すぐには答えない。彼女にもイメージしてもらった方が、信ぴょう性が高くなるからな。
「…村の近くに、森があるんだ。地元の人間以外は近付かない、不気味な森。俺はそこに隠れて、一人で震えてた。朝が来て、もう野盗はいなくなっただろうって思ったから、村に戻ってみた。そしたら」
「…そしたら?」
「野党はいなかったけど、村の人たちもいなくなってた。…正しく言えば、みんな死んでた」
「……そんな!」
うんうん、酷い話だ。自分の話じゃなかったら、涙なしには語れないよ。
…自分の話じゃないけど。事実でさえないけど。
「…野盗ってさ、強奪が目的だから、よっぽどのことがない限り、標的を皆殺しにするなんてことないんだよ。誘拐して人買いに売るってんなら別だけどさ。それに…おかしいじゃないか。たまたまトラブルがあって、村人全員で逃げようって話してるときに、野盗が襲撃してくるなんて。それまでは、野盗すら見向きもしなかったような、貧乏な村だったのに」
「それじゃ、野盗じゃなくて…」
「実際に来たのは野盗なのかもしれないけど、黒幕は別にいるって俺は思った。あの、いつもうちに来ていた神官が何か知ってるんじゃないか…って。それで、色々調べた。身寄りがなかったから、いろんなところで奉公して、少しずつ調べて、最近になって知ったんだ」
「………何を、ですか?」
「その、うちに来ていた神官。…タレイラの領主の、グリード枢機卿だった」
「……ええ!?」
この告白には、アナベルも相当驚いただろう。悪いね、猊下。名前を出してもいいって言ってたから、そうさせてもらったよ。
……多分、こういうことじゃないと思うけど。
「いろいろ骨を折ってツテを辿って、ようやく一度だけ、枢機卿に直接会うことが出来たから、問い詰めたんだ。俺のことを覚えているかって。俺の村を、覚えているか…って」
「枢機卿は、何と?」
「……覚えているも何も、そんな村は聞いたことも見たこともない。存在すらしていない…って」
「…………どういうことですか?」
「俺も言ったよ。どういうことだって。でも、言葉どおりの意味だ、そんな村は存在しない、君の記憶違いではないかねって一点張りで、そのうち面会時間が終わっちゃってさ」
「…記憶違い……じゃ、ないんですよね?」
「当然だよ。忘れるはずがない。村の名前も、村があった場所も。小さくて、外部との接触もほとんどなくて、多分俺以外にその村のことを覚えてる人間なんてもういないだろうって思ったから、忘れないように毎晩村のことを思い返してた。だけど、ある意味でグリードの言っていたことは、正しかった」
「…………?」
「村は、なかったことにされてた。地図からも、記録からも、抹消されてた」
アナベル驚愕。この子の反応はいちいち素直で、なんか罪悪感。
「そこで俺は確信したよ。村を滅ぼしたのは、黒幕は、グリードなんだって。多分、俺の村はアイツの駒か何かだったんじゃないかな…表に出せないような案件を処理するような。それで、仕事の内容か見返りのことか知らないけどトラブって、消されたんだと思う」
はい、長い長いユウト君の身の上話に付き合ってくれてありがとう、アナベル。
「……証拠はない。けど、確信はある。俺は、グリードを許せない。それに……グリードも、多分俺を生かしておくつもりはないんじゃないかな」
俺の知るグリードなら、確かにやりかねないことだ。流石にそこまで悪人ではないと思いたいけど。
「だから、ここに来たのは復讐のためと、身を守るためってのもあるんだよ。勿論、あんな奴に好き勝手される世界を変えたいっていうのが一番だけどさ」
最後はわざと明るく振舞っている…フリをして、話を終わらせる。
「………………………」
カーテンの向こうのアナベルは、何も言わない。だが、鼻をすする音が、聞こえてきた。
………って、泣いてる?泣いてるの?俺、女の子泣かしちゃったの!?
いや、落ち着け、俺。別に俺が泣かせたわけじゃなくて、俺の話す「ユウト君の壮絶人生~幼少期編~」に泣けただけだろ。
……それにしても、純粋な子だ。繊細で、心優しくて、他人のために涙することが出来る。
……………俺、悪い奴だな……。
「私は」
自分の罪深さを再確認していると、彼女が何かを振り切ったように口を開いた。
「私は、私は……こんなところ、なくなっちゃえばいいのに…って、思うんです」
「こんなところ…って?」
まさか旅団のことじゃないよな?
「…地上界のことです」
…………え、マジで!?
「だから、魔王さまと魔族の方々が地上界を滅ぼして、ここも魔界にしてくれないかって、そればかり願ってるんです」
…………………えええ、マジで!?
「ええと…君にそこまで思わせるような何かが……あったんだよね?」
余程の過去があるのか、余程の事情を抱えているのか。
「…私、地方貴族の妾の子として生まれました」
口調は静かだが、力強い。
「父は、母を愛していたわけではありませんでした。だから、生まれた私のことも邪魔者扱いしていて…母が病死した後、仕方なく引き取ってくれましたが、それは愛情とかじゃなくてただ世間体を気にしてただけでした」
そこまで、一度に吐き出すようにして語る。彼女からすれば、語るだけでも辛い過去。
「だから、そこでの生活も、酷いものでした。誰も味方はいません。異母兄や姉たちも、私のことはせいぜいストレス発散のための玩具…くらいにしか考えてませんでした。使用人も、彼らの機嫌を取るために、一緒になって私を罵倒してました」
……そいつらは、本当に人間だろうか。こんな素直で優しい少女を、その出自だけで迫害することが出来るなんて。
「それに…父は…………父も、私を。わ、わた……私………わた…し…のこと……」
「ちょっと待って、アナベル!」
俺は慌てて彼女を遮った。自分から聞いておいてなんだが、これは語らせていいものなのか?彼女の傷を、より深くえぐることにはならないか?
「もういいから、話さなくても大丈夫だから」
彼女が父親からどのような仕打ちを受けたのか。兄姉のことを話すときとは比べ物にならないくらい動揺するということは、比べ物にならないくらい酷いことをされたということだろう。
震える声を絞り出すアナベルに、俺の方が耐えられそうにない。
だが、アナベルは。
「……いえ……話させてください。……聞いて、もらえますか?」
俺が思う以上に、強い少女だった。
「父は、勿論私を愛しているわけではなく、ただの欲望の捌け口にしていただけ…でした。そんな毎日が続いて…でも、少しだけ救われることもあったんです」
そう言いながらも、アナベルの声は悲しげだった。
ならば、その救いとは既に失われたもの、ということ…だろうか。
「領地に住んでた私と同じくらいの年の女の子がいて、私たちは友達になりました。彼女も両親がいなくて、親戚の家で畑仕事を手伝わされてて、いろいろ苛められてたみたいです。最初は自分と同じ境遇の子どもが他にいるんだって思って、それでほっとしてたんですけど、そのうち本当に仲良くなって」
……幼子が、同類と傷を舐め合うような境遇に追いやられる。
それは、決して珍しい光景ではないのだろう。
「その子と一緒にいるときだけは、幸せでした。ずっと一緒にいられるなら、辛いこともガマン出来るって、思ってた」
…彼女は、過去形を使っている。
「だけどある日、私の家族と、彼女の親戚と、彼女の乗った馬車が、魔獣に襲われて崖から転落したっていう知らせを受けました。彼女の親戚は御者として、彼女もその手伝いとして、私の家族の買い物に付き合わされてたらしいです」
「じゃあ、その友人さんは……」
「きっと全員、死んだんだろうって、みんなが言いました。……私は………私は、期待してしまったんです!」
突然声を荒上げるアナベル。感情の振れ幅が酷い。
「全員死んだって聞いて、ああ良かった…って、思ってしまったんです。せめて、友人の無事だけは願うべきだったのに!!」
ああ、これは、彼女の罪の意識…か。
「家族が死ねば、私は苦痛から逃れられる。私にとってそれは、たった一人の友人の命よりも重要なことだったんです。私は、そういう人間なんです。だから……罰が当たった」
「……罰?」
問い返す俺に、彼女はしばらく沈黙していた。
俺とは違い、本当に感情を整理しているのだろう。必死に、息を整えている。
「死んだのは、友人だけでした。彼女の親戚も、私の父も義母も、兄も姉も、怪我はしましたが、無事でした」
……それは、なんて残酷な現実。
「魔獣に襲われて、崖から落ちて、それでも助かるなんて奇跡だって、神の思し召しだって、みんな口々に言うんです。でも、だったら、なんで!?」
整理しきれなかった感情が、彼女から溢れ出る。
「神様の思し召しなら、奇跡なら、なんで善良な彼女だけが死んで、あんな腐った連中が生き残るの?奇跡が起こった結果がこれなら、そんなの神様でもなんでもない!私は絶対に認めない!!こんなの、こんな不条理な世界、絶対に間違ってる!」
俺はたまらず、カーテンを開けて彼女のスペースへと入った。
彼女は、ベッドの上で上体を起こして、顔を両手で覆っていた。溢れ出る感情と涙を、必死に留めようと。肩を震わせて。嗚咽を堪えて。
「……ごめん」
俺はただ、彼女の肩を抱き寄せることしか出来なかった。堪え切れなくなった嗚咽に喉を震わせながら、彼女は続けようとする。
「わっわた、しは、一人…に、なっ…て、また…一人……」
「大丈夫。今は、一人じゃないだろ?」
そんな言葉が慰めになるとは思えない。彼女は、過去の彼女のために泣いている。過去の彼女と、その友人のために。そして、過去の自分が犯した過ちのために。
けれど、そんなことくらいしか、言えなかった。
「ユ……ト………ごめ…なさ、い…もう…少しだけ……この、ままで……いい…ですか……?」
言いながら、彼女の嗚咽は徐々に収まっていった。
少しは、落ち着いただろうか?
「うん。いいよ。気が済むまで、ここにいるから」
頭を撫でてやると、彼女に少しだけ笑顔が戻った。まだ無理はしてそうだけど、それでも、涙は止まっている。
「……ふふ。ユウトって、なんかお兄ちゃんって感じですね……」
「あー、それ、よく言われる…かも」
悠香とヒルダの顔を思い浮かべながら、さらにこんな光景をあいつらに見られたらどう言い訳をすればいいのやら、と思い、さらにさらに何故言い訳をしなければならないのか、と疑問に思い、
「なんだか、こうしてると安心します……」
そのアナベルの言葉に、今だけは色々考え込むのはやめよう、という結論に達した。
「ユウトくんの壮絶人生~幼少期編」は、ギーヴレイの体験談を参考にさせてもらったそうです。




