第五十六話 ありのままでいい、とはある意味無責任な言葉である。
魔王崇拝者の教団、“魔宵教導旅団”に潜入して三日。
俺は、初めて「救済活動」なるものに参加することになった。
余談だが、その三日間はとてつもなくのんびり過ごした。何もしない何も起こらない穏やかな時間が、こんなにも人の心に潤いを与えるものだなんて、今まで知らなかった。
旅団の人たち…少なくとも俺の周囲の人たち…は、皆優しい。そしてすごく穏やかで、世の中に不満を持っているようには見えない。
彼らは、一体何を思って魔王や魔族を崇拝するようになってしまったのだろう…?
ぬるま湯のような生活に、思わず自分の役目を忘れそうになる。
そんな時、そろそろ活動を…となったわけだ。
いよいよ、潜入捜査の幕開け…である。
おそらく、その「救済活動」が、例えば団員の勧誘とか、破壊工作とかに利用されてるのだろう。
いきなりは無理かもしれないが、徐々に教団の化けの皮を剥がしてやる。
そう、思ったのだ、が。
「……あのさ、アナベル。俺たち……何をしてるのかな?」
「……え?何って…救済活動じゃないですか」
「いや、それはそうなんだけど……具体的に言うと…?」
「…………土を、採取してます」
そう、そこなんだよ。
どうも「救済活動」は複数あるらしく、チームで行うものもあれば、二人組、三人組でやるものもあり、俺とアナベルは、二人組で活動を命じられたわけなんだが。
やってることと言えば、指定された場所を回って、土砂のサンプルを採取すること。場所だけでなく、採取方法も細かく指定されている。
魔力や、魔導具は使用しないこと。指定された場所で指定された深さの土を採取したら、それらが混ざらないよう指定された袋に入れてラベリングしておくこと。
一度に指定される場所は四~六か所で、採取時刻も指定されてる。A地点、B地点を午前十時と十一時に採取して、C地点とD地点は午後一時と三時、翌日はA地点とD地点が午前十一時と十時、B地点とC地点が午後一時と午後三時…というふうに一か所ずつ採取時刻をずらしていって、結果的に全ての地点で同時刻のサンプルが複数出来上がることになる。
そんな感じで数日間同じ場所を採取し、終わったら次の指定場所へ。終わったらまた次の場所へ。
延々と、土砂採取。
「……何のために?」
俺の疑問は当然のものかと思ったのだが、そうではなかった。
そもそも、疑問を持つこと自体が、当然ではないようで。
「え…?理由なんて、必要なんですか?」
真顔で、アナベルに言われてしまった。
「え?必要……ってわけじゃ…ない、けど……気にならない?」
「いえ……別に……………?」
あれ?なんだろう、この噛み合わなさ。
別に彼女らは、騙されて旅団に連れてこられた…というわけじゃない。三日間、慎重に会話を続けて分かったが、きちんと自分たちが魔王崇拝者だと認識している。
そして旅団の「世界を正しき形へと改変する」という教義にも、しっかり賛同している。
でもさ、この地質調査が、それとどう関係してるわけ?
で、誰もそう思わないわけ?
「だってさ…自分の行為が、旅団にどういう風に役立ってるか、とか…気にならない?」
「教父さまのご指示は、魔王様の御心に適うものですし、それならお役に立ててるに決まってるじゃないですか」
………いや、適ってないからね?地質調査とかされても、俺の心には響かないからね!!
……ん?ちょっと待てよ…。質の良い食材(野菜)は質の良い土から作られる……よな。だったら…地質調査ってのも、アリなんじゃ………。
よし、決めた。ルガイアんとこの兄弟に任せよう。魔界中の土を調べさせて、地質向上の案も出させてやる。ルガイアはもともと父親譲りで研究者肌のところがあるし、意外といい人選じゃないか?
「あの、ユウト?」
「おぅわ!ゴメン、ぼーっとしてた!!」
いつの間にか、心が魔界へ飛んでいた。
今までちょくちょく合間を見ては魔界に帰っていたが、潜入中はそれも難しそうだ。旅団に来る前に、一回戻っておけばよかったなー。
「大丈夫ですか?何か悩み事でも?」
アナベルは本気で俺を心配してくれている。根は優しくて良い子なんだよな。どうしてこんなところにいるのか分からないくらい。
騙しているという罪悪感が、ちらりと胸をよぎる。
「いやいや、そんな大層なことじゃないから」
「もし何かあったら、何でも私に話してくださいね。お役に立てるかは分かりませんが、誰かに打ち明けるだけでも楽になりますよ」
…………うううっ良心が痛い。打ち明けてしまいたい。
自分はルーディア教会の指令を受けてここに潜入してるスパイなんだ、とか、それも実は教会には黙ってるけど実は魔王なんだとか。
カーテンで仕切られているだけの部屋で、アナベルの寝息を聞かないように必死で耳を塞いでいることとか。
………………打ち明けたい。懺悔してしまいたい。が、そんなこと出来るはずもなく。
特に一番最後の。前の二つがバレたとしても…これだけは、墓まで持っていく。
俺は自分にそう誓うと、煩悩を忘れるべく土砂採取に専念することにした。
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「おかえり、二人とも。お疲れ様。ユウト君、活動初日はどうだった?」
「ああ、いえ……充実…してた、と、思います……?」
「そうかー、それは良かった。活動を通して人々と君自身が救われることが大切だからね」
………何それ。土遊びで救われる?あれか、大地と触れあって癒される…的な?的な?
…多分違う。そういう意味じゃない。
「…ハルバさんは、今日は何を?」
「ボクは、医療活動班なんだ」
「い…医療活動!?」
どういうこと?魔王崇拝者が、慈善活動?
「世の中にはさ、お金がなくて適切な医療を受けられない人がたくさんいるんだ。だけどこの世界は、そういう不条理には無関心で。全てが等しく救われなければならない、と魔王さまのお声を聞いた教父さまが、各地で出張診療所を開くようお命じになったんだよ。ボクは、こう見えても医者だからね」
……………………そんなこと言ってない!言った記憶なんてなーーーーい!!
ちょっと待ってよ。ここの人たちが信仰してるのって、絶対俺じゃないでしょ。人違いならぬ、魔王違いでしょ。
「ハルバさん…いっこ聞きたいんだけど、魔王…様……の名前ってさ」
「うん?知らなかった?そう言えば、一般にはただ「魔王陛下」としか知られてないもんなー。魔王様のお名前は、ヴェルギリウス。“魔王ヴェルギリウス”様、だよ。御威光が感じられるお名前だよねぇ」
……………違ってなかった!
ちょっとちょっと、この人たちさ、特にここの教父さ、会ったことないけど…やってることとか企んでることとか以前にさーぁ、これただの詐欺じゃん。
魔王の声なんか聞いたことないくせに、聞いたとか。魔王の意図とは全然違うことなのに、魔王の意に適うものだとか。
この時点で、相当面白くないぞ。
「ユウト君?どうかした?」
アナベルに引き続き、ハルバにまで心配される俺。
「ハルバさん、ユウト、何か悩んでるみたいなんです」
そこへアナベルがそんなこと言っちゃうもんだから、
「本当かい?一人で抱え込むのはよくないよ。力になれるかは分からないけど、ボクにも話を聞くくらいは出来るよ」
ハルバまで、そんなことを言い出した。
もう、こいつらどこまでお人好しだよ。
「いえいえ、そういうわけじゃないんで、ほんと。そんなことより、ハルバさん凄いですね。医療活動なんて、大変じゃないですか」
なんとか話を変えよう。それに、ハルバの活動内容も気になる。
「そうでもないよ、出来ることをしているだけさ。それで少しでも多くの取り残された人々が救われるなら、それだけで報われるよ」
「でも、病気やケガの治療ですよね。その…費用とかだって、けっこうかかるんじゃ…?」
お金がなくて医療を受けられない人々が相手なら、彼らから高い治療費を受け取ることは出来ないだろう。と、なると…
「費用面は心配ないよ。これは無償活動で、必要な資金はちゃんと旅団から支給される。そうやって、旅団は人々を救ってるんだ」
……やはり、そうか。
無償で医療活動を行い、貧困層の支持を得る。
勿論、組織の名は出さないだろう。そんなことをすれば、嫌でも教会の目につく。患者側にしても、信心深い者ならば魔王崇拝者なんて警戒するだろうし。
おそらく、慈善団体を装って診療所を開いているのだろう。
それで、民衆の心を掌握し、自分たちの陣営に引き入れよう、と……
「それにね、治療だけでなく、予防活動も行うように言われてるんだ」
……予防?そこまでか。医療知識を持たない人々からすれば、予防行為は実感に乏しい。先んじて病を防いでしまうと、治療の恩恵を与えにくいと思うんだが……
俺なんかより、先を見据えているということ…か。なんか悔しいな。
「健康相談もそうだし、あと血液検査とかもね」
え?マジでそこまで!?
血液検査とか、現代日本だってやってない人けっこういるだろ?
…………いや、待て。おかしくないか?
「血液?ハルバさん、俺、医学のこととかって全然分からないんですけど、血で何か分かるんですか?」
「実を言うと、ボクにも分からないんだ。なんでも最先端の医療技術らしくって、血液を調べるとその人が将来かかるであろう疾病が予測出来るんだ。それが分かっていれば、今のうちから備えられるからね」
………………やっぱり。
「……最先端の技術って、凄いですね…。そんな技術を持った人がいるなんて」
「本当にねぇ。旅団本部では、ボクなんかよりずっとすごい医者がゴロゴロいるみたい。ボクもまだまだ、精進しないと」
…ハルバさん。多分そいつら、医者じゃないよ。
声には出さず、心の中だけで呼びかける。
そもそも、この世界の医療技術はそれほど高くない。“神託の勇者”としてそれなりの教育を受けているはずのアルセリアさえ、寄生虫の存在も知らなかったくらいに。
薬と言えば、ハーブなどの民間療法しかないくらいに。
そんな世界で、「血液から将来の疾病を予測する」?
出来るはずないだろ。俺がいた頃の地球の最先端科学でようやく、一部の疾病が予測される程度なんだ。しかも遺伝子検査で。
電子顕微鏡もないこの世界で、どうやってそれを可能にする?
簡単な話だ。そもそも疾病予測なんて、するつもりがない。それはブラフで、血液の採取は別の目的のため。
その目的については、まだ確信がない。だが、もしかすると……それ以外の医療活動も、全てそのためなのかもしれない。
信頼させ、血液を提供するように仕向ける…と。
「そうだ、ユウト君。君の血液も調べてもらえば?」
「へ?」
ななななな、何を言い出すんだ、そんなこと、出来るはずがない。
「ここにいる皆、もう調べてもらってるんだよ。勿論ボクも、アナベルもね」
「い、いえ。結構です。あの…ええと……その、俺は、将来病気になってもそれが自分の運命かなーって思うことにしてるので、その、なんというか」
マズいマズい。連中が血液を集める理由にもよるが、もし魔導的な検査をされたらかなりマズい。
俺が魔王だとは流石にバレないだろうが、少なくとも普通の人間ではない…どころか普通の生物ですらない…ことは間違いなくバレる。
ここは何としてでも拒否しないと。でもどうやって?不自然にならないように断るには…………
あ、そうだ。
「いいい、言っときますけど、別に注射が苦手とか血を見るのがダメだとか、そういうわけじゃないんですからね!あくまでも、自分の信条なんですからね!!」
はい、アルセリアの必殺、イミフツンデレ(意味不明でツンデレになってないツンデレ、の略)をパクらせてもらいました。
ハルバとアナベルの、俺を見る目が変化した。
……生温かーい、どこか憐憫を含んだ視線に。
俺の中で何かが砕けた。
でもそんなことは些事。一番重要なのは…
「そっかー。いや、気にしなくてもいいよ。誰だって、苦手なものや怖いものはあるから…ね…」
「そう…ですよね。ありのままの自分でいてもいいのが、ここの素晴らしいところ…なんですから」
よし。誤魔化せた。
今この瞬間、彼らの中で俺は、注射と血が怖いけど恥ずかしくてそれを言い出せない自意識過剰ヘタレとなった。
可哀想だから、こいつにはこれ以上血液検査を勧めるのはやめよう、そういう結論に達したはず。
己の自尊心ポイント、略してPPを消費して放つ大技だ。そう何度も使用できないだろうが、いざという時の切り札として、温存しておくことにしよう。
俺の中で砕けた何かは、多分もう元には戻らない。
だが、考えるな。考えたら負けだ。そして振り返るな。今は、前進あるのみ……!
……俺、この任務が終わったら、故郷の家族のところに帰るんだ……。
地質調査の理由とか狙いとか、最初は色々考えてたんですが。その後すっかり忘れ去られてしまいました。霊脈(魔力が豊富な土地)を探していたと思っておいてください。




