第五十二話 醤油と砂糖の黄金ペアは、きっと世界も征服出来るに違いない。
繁華街の大通り沿いではなく、小さな路地に面した隠れ家的な酒場。
ラディウス=エルダーに連れられて入った店は、確かに「とっておき」に相応しい穴場だった。
照明は抑え目だが、よくあるバーのような暗さはない。お洒落なわけではないが下品でもなく、どことなく温かみのある…家庭的な、一膳飯屋のような雰囲気。
他の客はいない。時間的なこともあるだろう。これなら、一目を気にせず「任務」とやらを説明することが出来るというわけか。
「いやー、ここのおばちゃんの豚の煮込みが最高なのよ!」
……違った、食べ物目当てか。
席について注文を適当に済ませ(と言うか、ラディウスが勝手にどんどん注文してしまった)、それからようやく本題へ。
「お前らには、ノクティスタの調査及び壊滅に協力してほしい」
……いきなり本題すぎる。
何?ノク…なんだって?俺にも分かるように説明してくれ。もう少し、順を追って。三人娘は、分かってるような顔をしてるけど………ん?
…なんだ?アルセリアの表情…。今までこいつのこんな顔、見たことがない……。
「アルシー、お前さんは色々思うところもあるだろうが………大丈夫か?」
「分かってます……大丈夫です」
いや、どう見ても大丈夫そうじゃない。照明のせいではなく、顔色が悪い。何か、怖がっているような………
コイツが、怯えてる?
それは…正直、魔王クラスじゃなきゃ不可能なことだろう。コイツを、怯えさせるなんて。
原因は分からないが、アルセリアはその…ノク…なんとかに対して平常心ではいられない事情を抱えていて、どうも他の連中はそれを分かってるっぽい。
…俺を除いて。
「なあ、先輩。その、ノク……って何だ?」
話を続けることに抵抗もあったが、それじゃ進まない。まずは、疑問を解消してもらわないと。
「ん?ああ…“魔王崇拝者”…な。文字通り、魔王と魔族を信奉する邪教集団だ」
………………………!!
俺の驚愕を勘違いしたのだろう、先輩は
「気持ちは分かる。が、いるんだよ、世の中にはそういう酔狂な連中ってのも」
と、訳知り顔で付け足したりしてくれたのだが。
いや、いやいやいやいや。
何、それ。初耳なんですが?
って、どういうことだ?魔界じゃ、俺は実際に支配者として君臨してるんだから、わざわざ宗教団体を作る必要なんてないし………………………と、言うことは……
「魔王を崇拝する…人間がいるっていうことですか?」
「人間だけじゃなくて、廉族全般……エルフや獣人の信徒もいるらしい」
それは…ちょっと………想定外と言うか何と言うか。
地上界の生物が、創世神の加護に背を向けて、魔王を信奉する…?
話からすると信仰の対象となっている俺だが、全然嬉しくない。何故だろう。
直接忠誠を誓われるのはいいが、自分のまったくあずかり知らないところで勝手に崇拝されても……正直、困る。
戸惑う俺の様子に気付いたベアトリクスとヒルダだが、何も言わない。
「なるほど…。で、相手が“魔王”の関係者…?だから、“神託の勇者一行”の出番…というわけですか」
「そういうことになる。…まあ、オレのヘマが原因っちゃ原因なんだけどさ」
………ヘマ?
「あの、それはどういう…?」
「いやあ、ちょい前までオレはそこの教団に潜入してたんだけどさ、身バレしちまって。ハハッ参っちゃったね!」
……明るく言うな!テヘペロじゃない!!
「で、まあ、なんとか逃げ出してきたんだけどさ、面が割れちまった以上はもう潜入は出来ないし、関係者を当たるのも危険…だろ?」
……まあ、関係者の中に教団の一員がいれば、危険だろうな。
「他の七翼に丸投げするって手もあるにはあったんだが…」
丸投げってアンタ…
「折り悪く、全員他の任務中なのよ。それに多分………猊下は敢えてお前を指名したんだろうな、アルシー。……分かるか?」
無言のまま、頷くアルセリア。こいつが返事をしないなんて、そんなことありえるのか。
“魔王”の面前ですら、軽口を叩いていた勇者だぞ?
ラディウスの口調に、責める様子はない。むしろその眼差しは優しい。ベアトリクスとヒルダは、何も言わずに見守っている。
それでもアルセリアは、うつむいたまま口をつぐむ。
俺たちの間に漂った気まずい沈黙を破ったのは、
「あいよ、豚の煮込みとロック鳥の唐揚げね。あとこっちはサービスだよ、スライムの一夜干し」
注文の料理を運んできた店のおばちゃんだった。
「…ま、とりあえず食うか!細かい話はそれからにしよーぜ」
暗い雰囲気を吹き飛ばそうと、わざと明るい声を出すラディウス。
ヒルダとベアトリクスもそれに追従し、二人して顔を見合わせると、
「そうですね。これは…変わった香りですけど…」
「…お肉……………」
料理を取り分け始めた。
……ん?
この……匂い。
懐かしい香りが鼻孔をくすぐり、俺は一瞬思考が止まりそうになる。
こ、これ………これは……………
ぶ、ぶ、ぶ、豚の、豚肉の……角煮!?
「あら、柔らかいですね。初めて食べる味です」
「だろ?多分、この国でもここでしか食えないんじゃないか?オレも、最初はびっくりしたんだけどよ」
ベアトリクスとラディウスの声が、遠くに聞こえる。
「あら?どうしたんですか、リュートさん」
硬直している俺に気付いたベアトリクスが、怪訝そうに尋ねてくる。食にうるさい俺が手をつけようとしないのが、不思議なのだろう。
まさか、まさかとは思うが……
俺は、恐る恐る、豚肉を口に入れた。咀嚼し、味を、匂いを確かめる。
……………間違いない!これは……醤油だ!!!
驚愕と歓喜に、思わず無言で立ち上がった俺を、三人が吃驚して見上げた。いきなり何事かと思ったのだろうが、
だが、今はそれどころじゃない!
「お、おばちゃん!これ、この豚肉に使ってる調味料、一体どこのやつ!?」
厨房に向かって声を上げる。
ああ、ダメだ。じっとしていられない。
俺は構わず厨房へ足を向けると、再びおばちゃんに、
「ねぇ!これ、どこで手に入れた!?」
料理人に対し不躾だとは自覚しているが、勘弁してほしい。もうだいぶ長いこと和食と離れていて、そろそろ禁断症状が出るんじゃないかと危惧していた頃だったんだ。
おばちゃんは、いきなり乱入してきた俺に驚きつつも、
「こ、これかい?これはアタシの妹の嫁ぎ先でひっそりと作られてるソーユっていうソースの一種さ」
「ソーユ!?」
醤油じゃなくて?
いやいや、呼び名なんてどうでもいい。一番重要なのは、
「これ、そこでしか買えないの!?」
入手方法だ。
「うーん、どうだろうねぇ…。うちの場合は妹がこっち来るときに持ってきてくれるんだけど、生産量が少ないみたいだし、作り方も手間と時間がかかるらしいよ。他所に出回ってるってのは聞いたことないねぇ」
「そっか……ねぇおばちゃん、その、妹さんの嫁ぎ先ってどこ!?」
厨房でわいわいやってる俺を不思議に思ったラディウスが、様子を見に来た。
「おーい、リュート。一体どうしたってんだよ?」
「先輩!醤油だ!醤油だよ!!」
「おわっ…なんだなんだ、落ち着けって」
………喜びのあまり、先輩に抱き付いてしまった。しっかりしろ、俺。
「ああ、ごめん先輩。ってそうじゃなくて、醤油!これで和食が作れる!しかも醤油があるなら、味噌だってあるかもしれない!!」
「悪いリュート。お前が何言ってんのか、さっぱりなんだが」
「角煮だけじゃなくて、おでんとかきんぴらとか牛丼とかいろいろ!可能性は無限大なんだよ!!」
興奮のあまり、自分でも何を言っているのか分からなくなってくる。
ここまで取り乱した俺を見るのは初めてであろうヒルダとベアトリクスは完全に引いているが、そんなことは全く気にならない。
あ、そうだ。大切なことを思い出した。
「おばちゃん、この店ってハーブとかスパイスは置いてある?」
「ハーブ?そんなの薬じゃないか。うちは薬屋じゃないんだよ」
………やっぱりそうかー。残念だ。時間的に買いに行くことは出来ないし……
「あのさ、おばちゃん。八角って分かる?」
「八角?あの、胃薬の八角かい?」
「そう、それ。今度それあったら、角煮に入れてみて!」
地球じゃ、豚の角煮に八角は必需品。だがこの世界ではそうではないようで、おばちゃん吃驚。
「はあ?薬を料理に入れろっていうのかい?しかもあれ、匂いがキツイじゃないか」
「だからいいんだよ。騙されたと思って今度試してみてってば!」
やばい。興奮が止まらない。高揚が、止められない。まさかこんな路地裏の店で、夢にまで見た醤油に再会出来るなんて!
「…………ッププッ…」
小さく噴き出す声。
それはアルセリアから漏れたもので。
見ると、彼女は笑いを堪えて肩を震わせていた。
「あ…アンタ、こういうときにも、ほんと、ブレないわよね……」
さっきまでの暗い空気が、いつの間にか消えている。
「まあな!ブレない紳士、それが俺だ!」
胸を張って宣言してみる。まあ実際はけっこうブレブレなんだけど、な。
「リュートさん、ヘタレが抜けてますよ?」
「だから「ヘタレな紳士」はやめてってば!!」
余計なことを蒸し返したベアトリクスに、力いっぱい懇願する俺。そして、
「ふふっ……あはははははっ」
とうとう、堪え切れずに笑い出したアルセリア。
「もう……うじうじしてる自分が馬鹿みたい。アンタって、ほんと…何て言うか、変な奴よね」
その姿は、何かが吹っ切れたようで、それを見て俺は何故か安堵していた。
なんとなく…理由はないんだけど、こいつが沈んでいる姿は、あまり見たくない。
「アルセリア……」
「大丈夫です、師父。…ちゃんと、乗り越えてみせます」
気遣わし気に訊ねるラディウスに、アルセリアは力強く頷く。その「大丈夫」は、さっきのものと違って、本心からのものだった。
やっと醤油が出せたーーー。でもまだちょっと縛りあり、です。




