第五十話 華麗なる戦場
魔界も、身分制社会である。
制度や呼び名そのものは地上界と酷似してはいるが、若干の差異もあって、例えば「王族」「公爵」という地位は存在しない。
それは、「王」は魔王であるこの俺だけであり、「王族」などというものはありえない、ということと、「公爵」とは「王族」に準ずるものであるところから、それもまたありえない、ということ…らしい。
らしい、と言うのも、この身分制度に俺は関わっていない。なんか臣下たちが勝手に決めてた…という程度の話。
そんなわけで、西方諸国連合の盟主であったルガイアでさえ、「侯爵」止まりだったし(現在は身分剥奪の上死亡扱いになっている)、六武王たちも確か、ほとんど「伯爵」…だったと思う。
そういう些細な違いはあるものの、貴族制があるということは、社交界もまた付属してくるわけで、地上界のそれと比べるとかなり殺伐としたものではあるのだが、どちらがマシか、と言えるものではなく。
表面和やか、裏面ドロドロ…という廉族たちの社交界の脅威は、俺にとって未知の領域なのだった。
馬車を降りた先。俺たちが案内されたのは、絢爛豪華な舞踏館。タレイラと近郊の貴族たちが、夜会やら舞踏会やらを催すのによく使われるという。
案内役に連れられて入った部屋もまた、ベルサイユ宮殿かよ!とツッコミを入れたくなるような豪華さで、その中に集まっていたお歴々も、ゴテゴテに着飾っている。
……もうこの時点で、いろいろ胃もたれしそう………。
俺たちに、正しくは勇者たちに一早く近付いてきたのは、恰幅のいい初老の男性。にこやかだが、目は笑っていない。
「これはこれは、勇者さま。お越しいただき、光栄でございます」
愛想のいい挨拶に、三人娘も優雅に一礼。
「お招きいただき、ありがとうございます、議長」
こういうときも、代表して発言するのはアルセリアなのか…………。
議長と呼ばれた男性は、俺のことをちらちらと気にしている。
それに気付いたアルセリアは、
「議長、紹介いたします。彼はリュート=サクラーヴァ。グリード猊下からの命を受け、この度私たちの補佐役として同行することになった者です」
議長に俺の紹介をしてから、
「リュート、こちらは、タレイラ市議会貴族院の議長、セルド=オルタ伯爵よ。猊下から市政のとりまとめを一任されておられる方なの」
俺に議長の紹介…と言うか、説明。
言外に、「偉い人間なんだから粗相はするなよ」という念押しが感じられる。
いいだろう、見せてやるよ。
この俺の、処世術ってやつを!
「お初にお目にかかります。リュウト=サクラバと申します。以後お見知りおきを」
とっておきの笑顔で一礼する俺。長々と喋ることなどしない。この場の俺は立場が決して高くないのだから、主役を立てるために、自分自身は必要最低限を心得るのだ。その代わり、声と口調と表情、そして仕草にいたるまで、完璧に作り上げる。
どうだ!この品位、礼節、優雅さ!
挨拶を受けた議長も、それを見ていた周囲の貴族たちも、俺の姿に称賛の嘆息を漏らすのが分かった。
ふっふっふ。魔王時代、印象がいいなーって思った拝謁者たちの様子をパクッてみた!
どうだ、文句のつけようもあるまい?
ちらり、と振り返ると、三人娘も目を丸くして見入っていた。まさか俺にこんな特技があるなんて、思ってもみなかっただろう。
「いやいや、まだお若いのに立派な方だ。うちの愚息とは大違いですな。リュート殿、勇者さまがたは我々地上界の希望。是非とも、我らのためにお力添えをよろしく頼みますぞ」
俺の姿に一瞬たじろいでから慌てて返事をする議長。
……勝ったな。
何の勝負かは分からないが、そう思った。
だが……この、俺のサービス精神が、俺自身を追い詰めることになるのである。
「リュート殿、猊下直々の任命とのことですが、猊下とは一体どのようなご関係で…」
「リュートさま、今度拙宅で昼食会を開きますの。よろしかったらおいでくださいませんこと?」
「いやあ、ようやく勇者さまのお眼鏡に適った方が補佐役についてくださるのですなぁ。これで安心というもの」
「…猊下の勅命ということは、リュート殿も相当の達人であられるのでしょうなぁ」
「うちの愚息はお断りを受けまして…」
「リュート殿」「リュートさま」…………
ちょっと!もう!いい加減にして!!
なんだよなんだよ、腹に一物抱えてること確実な貴族たちが、俺を取り囲んで集中砲火を浴びせてくる。なにこれ。なにこの四面楚歌。
俺を介して勇者たちに取り入ろうっていう魂胆は丸見えなんだけど、こういうのってどう対応すればいいの?
男性陣はもっぱら、おべっかか嫉妬が。女性陣からはもっと熱烈な何かを感じる……こっちのが怖い。
愛想笑いで誤魔化しながら、助けを求めて視線を彷徨わせる。
…と、いた。三人は、離れたテーブルのところにいる。こういうことに興味のない呑気そうな人物と、談笑しながら料理をぱくついている。
目が合ったので、どうにかしてくれ、というサインを送ってみた………が、
……目を、逸らされた。
ええー、無視ですか?俺を、敵地のど真ん中に見棄てると!?
なんて非道な!さてはこいつら、最初から俺を生贄にするつもりで………。
くそ、してやられた。まさかこの俺が、こんなところで潰えるとは…………!
絶望的な気分を押し込め無難な対応で狐狸を捌きつつ、気付いたことがある。
ここにいる連中は、「魔王討伐」の件を知らない。おそらくそれは、一部の人間のみが知る極秘任務だったのか。成功した暁には、大々的に宣伝するつもりではあったんだろうけど。
そしてそもそも、おそらくだが、勇者の任務…と言うか使命…に関しても、さほど強い関心を持っていない。
彼らにとって大事なのは、アルセリアたちが「地上界の希望」と称賛を受ける英雄であり、そのため世界各国の権力者からも熱い眼差しを送られる存在であり、教会からの強い庇護と後援を受ける…と言うより教会の象徴ともなりうる“神託の勇者”である、ということらしく。
さらに言えば、そんな彼女たちを利用して、少しでも自分たちの権威や名声を上げようという思惑。
貴族には貴族の理屈が、あるのだろう。
俺がこの場を愛想笑いで切り抜けようとしているのと同じように、彼らもまた彼らのやり方で立場を守ろうとしているだけで。
だからそれを善だの悪だのと論じるつもりはないが、勇者側にいる俺としてはやっぱり、面白くない。
勇者たちの決死の覚悟が、貴族連中の勢力争いに利用される、というのは…魔王としても、心穏やかではいられなかった。
とは言え、ここで本性をさらけ出して彼らに灸をすえるわけにもいかない。なにより、そんなことをすればきっとアルセリアから、貴族たちの化かし合いが嫌で暴れだした、とか勘違いされそう。
……普段、あいつらはこういう世界も耐え抜いてきたのかな。そう思うと、今回くらい、俺が犠牲になってやってもいいのかもしれない…と、思う……のだが。
「リュートさま、実は宅には同じくらいの年頃の娘がおりますのよ。とっても気立てのよい娘で、きっとリュートさまともよいご関係になれるかと…。今度ぜひ釣り書きを……」
…………いきなり見合い話は勘弁してくれ!!
・・・・・・・・・・・・・
会食と言う名の探り合いは、深夜近くまで及んだ。その間、
お世辞・ゴマすり…十二件
牽制…五件
妬み・嫉み…二件
勧誘或いは誘惑…八件
以上が内訳である。
「お疲れ様でした、リュートさん」
「いやー、おかげで助かったわ。ご飯もしっかり食べれたし」
「………………お兄ちゃん、さっきの女の人、誰?」
帰りの馬車の中でぐったりしている俺に、能天気に話しかける三人娘。
…そりゃお前らは楽だったよな。ずっと俺に狸どもの相手を押し付けてのんびりしてたもんな。
「にしても、随分人気だったじゃない。どう?いい人紹介してもらった?」
「んなわけないだろ…………なんでそんなに嬉しそうなんだよ」
「これからは、リュートさんのおかげで、私たちも楽させていただけそうですね」
「待て待て待て待て。何?これからも俺、お前らの盾役なわけ?」
「………………………お兄ちゃん、さっきの女の」
「ちょ、ヒルダ、それ誤解だから」
舞踏館で、やたらと俺に絡んでくる女性がいたものだから、ヒルダが誤解している。
「あれは、俺を通してお前らに取り入るための、貴族流の作戦ってやつだから」
だがその説明に
「……えー、本当にそれだけ?」
「それにしては、あの女性随分と熱心でしたよね。…リュートさんも、まんざらではなかったのでは?」
「……………………お兄ちゃんの、浮気者」
三者三様に、異議を唱えやがる。
「だから、なんでそうなるんだよ。見てれば分かるだろうが」
実際俺は、失礼にならないように丁重にお断りするので手一杯だったってのに。
そんな、節操のない男みたいに思われるのは傷つくじゃないか。
「ふーん。…ならいいけどさ」
だから、なんでそこで嬉しそうなんだよ?こいつらの反応には、本気でついていけない。
まあ、年頃の少女らだし、恋愛沙汰とかには人並み程度に興味を持っていてもおかしくない。魔獣退治や魔王討伐ばかりに全てを捧げるよりは、よっぽど健全だ。
とは言え、自分がその渦中に置かれると話は別。頼むからそういう話は、女子会でやってくれ…。
尋問は、馬車が止まるまで延々と続いた。
教会に着いた後、俺たちを待っていたのは家路…ではなくグリード=ハイデマン。
もう夜半だというのに、着衣にも表情にも疲れや眠気はない。タフなおっさんだ。
「猊下?どうされたんですか?」
大した用事もないのに、枢機卿本人が夜遅くに俺たちを出迎えるはずもない。それはすなわち、
「勇者アルセリア、神官ベアトリクス、魔導士ヒルデガルダ。…君たちに、やってもらいたいことがある」
厄介ごとの、前触れであった。
複雑な魔王ごころのリュート氏です。




