第三話 これからのこと
「ねーねーねー、いいでしょ、お兄ちゃん。ちょっとでいいからさぁ」
二つ下の妹、悠香の甘えん坊攻撃。俺はこれに滅法弱い。
「…ったく、仕方ないなー。午前中だけだぞ?」
そう言いつつ、結局は一日潰されるのだろうという予感。ま、それでもいいか。なんだかんだ言って俺は妹に甘い。二つしか離れていないというのに甘え上手と言うか子供っぽさの抜けない妹に可愛くおねだりされて、どうして断ることが出来ようか。
「やったー!ありがとーお兄ちゃん。お兄ちゃんカッコいいからさー、クラスの皆も楽しみにしてるんだよぉ」
中学生にモテてもあまり嬉しくないが、自慢の妹に誉められるのはまんざらでもない。
尤も、それを顔に出すのは兄貴としての威厳が許さないので、ここはポーカーフェイスで軽くあしらっておこう。
「ハイハイそりゃどーも。…にしても文化祭くらいで大袈裟だなぁ」
「そりゃね。家族以外呼んじゃダメって言われてるからなかなか盛り上がらないんだよ。だからお兄ちゃんが来てくれたら皆すっごい嬉しいと思う。悠香もね」
………んにゃろう、可愛いウインクだなコイツ。お兄ちゃんだってな、文化祭で悠香の可愛いお姫様姿を見れるのは嬉しいぞコンチキショウ。
「それじゃ、次の土曜日だからね。忘れちゃダメだからね!絶対来てね‼」
「分かった分かった。約束、な」
◆◆◆◆◆◆◆◆
……………約束、結局守れなかったな。悠香は、怒っているだろうか。怒っていてもいい、悲しんでいてもいい。ただ、いつまでも落ち込んでなければいい、と思う。
悠香のお姫様姿を見られなかったのは、俺の中で最大級の痛恨事だ。おそらく、エルリアーシェの奴と天界·地上界連合軍に敗れたのと同レベルで。
今俺がいるのは、魔王城の執務室。因みに、さっきまでいたのが、謁見とかに使われる玉座の間。
玉座の間を使うのは、謁見の他に大きな儀式や典礼があるときくらいで、一番過ごし慣れているのはこの執務室だ。
ギーヴレイ始め、幹部クラスの高位魔族たちとの挨拶を終え、俺はここに一人籠っていた。一人になりたい、と人払いしてある。
ここで俺は、今までのこと…………桜庭 柳人として生きてきた十六年と、それよりもずっと前、魔王ヴェルギリウスとして世界の覇権を巡り大規模な戦争をやらかしていた二千年前のことを思い返しながら、記憶の整理に努めていた。
そう、俺ことヴェルギリウス=イーディアは、このエクスフィアの地において“魔王”と呼ばれ、魔族を率いていた。
あの当時は、群雄割拠で混沌としていた魔界をようやく一つにまとめあげたところだった。
そして、魔界統一を果たした俺は、今考えると無謀極まりないことに、エクスフィア全土を手中に治めんと、天界、そして地上界に対し進軍を始めたのだった。
即ちそれは、魔族以外の全種族を敵に回すということ。
天界にいる俺の半身、創世神エルリアーシェを始め、それに仕える天使族。地上界では、精霊、幻獣、竜族、獣、そしてエルフ·獣人種·人間種といった“廉族”。
それら全てVS“魔王”&魔族。
どう考えても形勢は不利だった。どれか一種族だけだったら確実に勝てただろう。だが、多勢に無勢にも程がある。
それでもけっこういいところまで頑張った。が、結局俺はエルリアーシェとの一騎討ちで、奴を倒すことが出来なかった。
相討ち……と言ってもいいのだろうか?あいつは自分の存在力をすべて消費して、俺の魂をエクスフィアから追放することにしたのだった。
そして俺の魂は、時空間を漂い、地球へと降りた。
ああ、そうだ。そうだった。そして俺は、随分長いこと眠っていたんだった。それから目覚めて、一人の人間として転生した。
桜庭 柳人 という名の人間に。
そして十六年間を恙無く過ごし、暴走車から見知らぬオバサンを助けて命を落とした。
エルリアーシェが最後に行使した奇蹟に関して、詳細は分からない。一度死んだらこっちに戻ってくるよう設定されていたのか、それともあいつの力が及ぶ範囲を超えたから自動的に元の世界に戻ってきたのか。
何はともあれ、俺は無事エクスフィアに帰還し、忠犬さながらに待ち続けていたギーヴレイと感動?の再会を果たしたという訳だ。
何て言うか、あれだなー。日本にいた頃はすっかり忘れてたなー。自分が異世界で魔王やってたこととか、ちょっと口には出せないような非道なことを平気でやってたりだとか。
何も覚えてないまま、俺の中に桜庭 柳人が上書きされた。平凡で呑気な、日本の学生。平和な日常。ありふれた幸せ。
じゃあ、今の俺は何なのだろう?
ヴェルギリウスの記憶も取り戻した。かと言って、桜庭 柳人の記憶も鮮明に残っている。
自分に忠誠を尽くす魔族たちは可愛く思えるし、妹の悠香はそれとは比べようもないくらい可愛いぞ。
再び天地大戦が起これば戦うこともやぶさかではないが、人類皆兄弟なんて標語もあながち捨てたものじゃない、とも思う。
俺は、執務室から繋がる私室へと移動し、姿見の前に立った。
そこに映るのは、正しく魔王の姿。
髪の色こそ同じだが、瞳は蒼銀。背も桜庭 柳人だったときより頭一つは高い。顔立ちも勿論、別人だ。
ここにいるのは、今の俺は、確かに“魔王ヴェルギリウス”。しかし、“桜庭 柳人”もまた、今の俺を構成する要素の一つになっていた。
俺の、中心に。
さて、これからどうするか。正直、今さら天界や地上界をどうこうしようという気にはならない。エルリアーシェが消滅した現状、おそらくそれは可能だろう。だが、今の俺には世界征服なんてものに魅力もメリットも感じられなかった。
俺は魔王で、魔族の長だ。余所の種族のことなんて管理してどうする。めんどくさい。
ここはやはり、魔王らしく魔界に君臨しとけばいいんじゃね?
よし、そうしよう。俺は念話でギーヴレイを呼び出すことにした。