学校へ行こう。 第四十八話 魔王陛下は約束を破らない。
ガタガタ、ガタゴト、ガタンゴトン。
未舗装の街道を車輪が踏みつける音と振動。
抜けるような春の青空と、窓の外をすれ違う蝶。遠ざかっていく葡萄畑。
そして沈黙の馬車。
うぅ…気まずい。
今俺は、シエルとユディットと三人で馬車に乗り、学院のあるタレイラまで戻る最中だ。行きはあんなに楽しかったのに、帰りはまるで針のムシロ。
行きはよいよい帰りは…ってこのことか。
侯爵邸を去るよりも、先生と別れる方が辛かった。
本当は、また次の長期休暇にでも会いに来たかったけど、色々な事実を知ってしまった今、それを願うのは躊躇してしまう。
もしかしたら、ギネヴィア先生に会うのはこれが最後になるかもしれない。彼女としても、自分の生殺与奪を握る魔王になんか二度と会いたくないに違いない。
そんな思いもあって上手く別れの挨拶が出来なくて馬車に乗るのをもたついていた俺を、先生はギュッと抱きしめてくれた。
「それじゃ、元気で。また遊びに来てくれますね?」
「………いいんですか?」
先生のその言葉が社交辞令じゃないことを切望して問い返す俺に、先生は笑った。
「ええ、勿論。あなたは私とユディの恩人なのですから。…といっても私は侯爵邸の雇われの身なので、あなたを招待するかどうか決定権を持つのはユディですけどね」
そこで馬車に乗り込んでるユディットをチラっと見る先生。視線を受けたユディットは、プイっと顔を背けつつ、
「べ、別に私はどうでも……来たければ来ればいいじゃない。どのみち学院じゃ同じクラスなんだしこの精霊のことでいろいろと手伝ってもらわなきゃいけないんだし」
素直じゃないながらも、お許しをくれた。
ただそれだけのことで、勿論彼女は炎霊を奪ったことについて許してくれたわけじゃないって分かってもいるけど、だけどただそれだけのことが嬉しくてたまらなかった。
「じゃ、夏休みもお邪魔していい!?」
「って早速夏休みって……ユウトあなた結構図々しいわよね」
ユディットに呆れられてしまった。けど拒絶はされてない。やっぱ嬉しい。
そんな遣り取りの後、後顧の憂いなく(ってこういうときに使う表現だっけ?)ウキウキと馬車に乗り込んだのはいいものの……問題は、その後だった。
浮かれていたのは最初の数分くらいで、すぐに俺は馬車の中に立ちこめる重苦しい空気に窒息し始めた。
無理もない。ユディットは未だ俺を許してくれてはいないし(チャンスを与えてくれはしたけど)、シエルは未だ俺への憎しみを捨ててはいない。
まぁシエルに関してはどうでもいい…つーかどうにもならないけど、だからと言ってそういう相手と狭い空間で肩を並べてる状況が心地いいかと言うと否、である。
うぅ…沈黙が嫌だ。気まずい。居づらい。何か、何か話題……試験のこととか班別対抗戦のこととか…………あ、そうだ。
「なぁユディット。その…侯爵夫妻のことなんだけどさ」
「……二人が何か?」
只今の馬車内温度、摂氏マイナス30℃でございます。
えーん、ユディットが冷ややかだ。これならまだ悪態付かれてた方がずっとマシだよう。
…いや、逃げるな俺。これは放置するのは良くない問題な気がする。
「えっと……先生にチラッと聞いたんだけど、なんかさ、すごく厳しいみたいじゃん」
「だから何?後継者教育が厳しいのは当然でしょう」
「え、いや……そうなんだけど……」
ああもう、先生ってば。なんで濁すだけ濁して肝心の詳細を教えてくれなかったのさ。
先生の口振りからすると、侯爵の厳しさは常軌を逸してる。そして、高位魔族であり武闘派な竜魔族である彼女をしてそう言わしめるとは、只事ではない。
俺はユディットの事情を知らないし、それが彼女と彼女の家族との事情なら、彼女が自分から助けを求めない限り介入するつもりはない…なかった。
けど、それを先生から聞かされたときと今とでは状況が違う。ただの人間の家庭教師が「常軌を逸している」と言うのと、竜魔族が「常軌を逸している」と言うのとではあまりに重みが違う。
だから、事情くらいは知っていてもいいと思った。
もしかしたら彼女は、助けを求めたくても求められないだけかもしれない。或いは、自分の置かれた状況を客観視出来ないだけかもしれない。
いや、まあ……ここでユディットに自分が味方であることを印象付けるって意図がないかと言えばありまくるわけで、つーかそれが一番の目的なわけなんだが。
「その……大丈夫なのか?」
「大丈夫って、何が?」
「いや、だからさ、あんまり厳しすぎるようならそう伝えた方がいいんじゃ…」
ユディットは、この件に関しては俺の介入を許す気はないようだった。返事もやけにツンケンしているし、俺の方を見ようともしない。
「何それ?いつ私が、家の教育が厳し過ぎて辛いだなんて言ったわけ?」
「い…いや、そういうわけじゃないけど………」
「だったら余計なお世話よ。自分のことは自分でどうにかするわ」
「そっか……何か手伝えることがあったら」
「だから、それが余計なお世話だと言うの。何が自分に必要なのかくらい、自分で分かってる」
「……………」
ほら、取り付く島もない。
これ以上粘っても無駄だと判断し、俺は引き下がることにした。
けど、それはこの場でのことであって、ユディットのことを諦めたわけでも見棄てたわけでもない。
何故なら、俺には先生との約束があったから。
出立の前日、則ち、例のゴタゴタのあった日の夜。
もうみんな寝静まっただろうと思われる夜半に、俺は侯爵邸の裏庭をブラブラしていた。本来は睡眠を必要としない肉体な上に、昼間の件でなかなか寝付けそうになかったのだ。
夜の散歩は昔からの趣味だったのだけど、夜の静寂も風も月明りも、俺の憂鬱を吹き飛ばしてはくれなかった。
特に目的もなくブラついて、それでも気が晴れないからやっぱり部屋に戻ろう…としたところで、ギネヴィア先生に逢った。
彼女は、俺の姿を見ても驚いた様子はなかったことから、きっと俺を探していたのだろうと思う。
その証拠に、夜の挨拶も前置きもなしに、先生は本題に入った。
「ユウト……本来ならば何かを頼める筋合いにはないと分かっていますが…あなたに、お願いがあります」
「はい、分かりました」
「……!」
お願いの中身を聞きもせずにいきなり承諾した俺に、流石の先生も吃驚していた。
俺は、先生のお願いだったら中身なんて関係なしに叶えてあげよう、とか思ってたわけじゃない。ただ、聞かなくても彼女が俺に何を願っているのかが分かっていたからだ。
「すっかりお見通しなんですね」
「まぁ、なんとなく」
月光のスポットライトを浴びた先生の笑顔は、普段よりも柔らかく見えた。
その姿がやけに儚くて、俺は思わず手を伸ばしていた。
……いや、まぁ、重ね重ね言うようだが疚しい気持ちでしたことじゃない。今の立場でそれを期待するほど俺は図々しくないったら。
ただ、廃教会で先生が俺にそうしてくれたように、俺も先生を力づけたいと思っただけだ。
「…ユウト、お願いです」
先生は、もう互いに通じ合っていて言葉にする必要もなくなった願いを敢えて口にした。それは多分、彼女なりの礼節だったのだろう。
「ユディットを、助けてあげてください。いつかあの子が過酷な運命に直面したとき…あの子を、救ってください」
「はい、分かりました」
俺は、先ほどと同じ返事を先ほどよりも力強く返した。俺の胸の中で、先生が安堵の息を漏らすのが分かった。
俺は、ユディットと先生との絆の深さを知らない。二人がどんな時間を共に過ごしてきたのか。
ギネヴィア先生がユディットの母親と知り合ったとき胎内にはユディットがいたそうだから、時間的におそらく彼女が地上界に来てすぐに知り合ったものと思われる。
種族の違う他人の娘にここまで情を寄せるなんて、余程じゃなければありえない。もしかしたら先生とユディットの母親は、信頼しあえる親友だったのかも。
亡き親友に代わってその娘の成長を見守り続けた…ということならば、先生のユディットに対する思い入れも理解出来る。
叛乱が失敗に終わり地上界という未知の領域へと逃げてきた先生にとって、心休まる居場所というのはどれだけ貴重なものか。
先生はユディットを導くと共に見守り続けてきたのだけど、そういう意味ではユディットに守られてもいたのかもしれない。
だから俺は、約束した。
いつかユディットが自分ではどうにもならない苦難に苛まれることがあれば、必ず手を差し伸べると。
それは、彼女が俺を許すか否かに関係なく。何故なら俺が約束したのはギネヴィア先生と自分自身であり、ユディットにではないから。
俺は昨夜の先生との遣り取りを思い出しつつ、そっぽを向いたままのユディットの横顔を眺めた。
ユディットが視線に気付いて、やや険悪に俺を睨み返してくる。
「……何よ、まだ言いたいことがあるの?」
「ないよ、今のところは」
「……何か気になる言い回しするのね」
ユディットは訝しげだったものの、またフイっと窓の外に顔を向けてしまった。
……うん、心配しなくていいよ、先生。
約束した以上、俺は何があっても如何なるものからでも彼女を守り抜いてみせよう。今の俺は廉族ユウト=サクラーヴァだけれども、必要とあらば魔王ヴェルギリウスへと戻ることも厭わない。
だから、安心してあの葡萄畑の向こうで待っていてほしい。きっとすぐに、いい知らせを持って遊びに来るから。
「……だから何なのよさっきから、気持ち悪いわね」
「あ、ごめんごめん。何でもない」
あー、それにしても昨夜のギネヴィア先生、綺麗だったなぁ……。




