学校へ行こう。 第四十三話 魔王陛下は覚悟が足りない。
「そうなんだよな……偽名さえ使ってなかったんだよな」
俺は、自分が気付いた事実を認めたくなくて、認めざるを得なくて、どんな顔をすればいいのか分からなかった。
ただ自分の声が、いやに惨めったらしく聞こえた。
…そういや、なんだか喧しい外野がいたけど、なんだったんだろう?聞く前に消し飛ばしてしまったから、一体何が何やら……まぁいいや、そんなのはどうでも。
「ギネヴィア=アズレン……どうりで聞き覚えのある名前だと思ったら、貴女がそうだったのか。亜種懐古派“原初の灯”頭領、グィネヴィア=ハズラム」
そう、俺は彼女の名前を知っていた。聞いたことがあった。
かつて亜魔族の支配を打ち立てようと魔王に刃を向けた叛逆者たちの、頭領として。
ただ少し発音が違うだけで…地域が違えばそのくらいの差異はよく見られる…彼女は偽名を使おうとさえ考えてなかったわけだ。そりゃそうか、地上界で彼女の名を知っている者がいるはずもない。
“原初の灯”の叛乱の直後に天界の動きがあって、そのせいで彼らに注力する余裕はなくなってしまったのだった。一応はルガイアとイオニセスに後始末を命じたものの、彼らもすぐに対天界で動くことになって結局は有耶無耶に。
中心人物たちの幾人かは逃げ延びたらしいと聞いてはいたが……まさか、地上界にまで来ていたとは。
俺の言葉に、ギネヴィア先生…いや、グィネヴィアは目を見開いた。その身に走るのは、驚愕と警戒。
「どうして、その名を……!」
「うん、知ってるよ…名前だけは。けど俺は、先生のこと何にも知らなかったんだ」
何も知らなかった。何も知りたくなかった。知ってしまったら、俺は決断しなくてはならないから。
…知ってしまったから、俺は決断しなくてはならない。
そのまま歩を進める俺に不穏な気配を感じ取ったのか、ユディットがグィネヴィアに駆け寄って庇うように抱きかかえた。
「ユウト、貴方どうして……死んだんじゃなかったの?どうしてあの迷宮から出られたの?」
「そんなことはどうでもいい」
「…え?」
ユディットには悪いけど、本当にそんなのはどうでもいいことなんだ。大したことでもない。
そんなことよりも、俺は……
「そこで止まれ」
「あれ…シエル、いたの?」
気付けばシエルまでユディットの傍にすっ飛んできた。つーか、なんでシエルもグィネヴィアもこんなにボロボロなんだろう?俺が迷宮でグダグダと思い悩んでいた最中に、何かあったのかな。
さっきの喧しい奴も関係してたり?……まぁいいや、多分、俺には関係ないよね。
に、しても……
「お前、本気か?」
「俺が本気でなかったことなどあるとでも?」
俺がシエルに尋ねたのは、ユディットとグィネヴィアを背中に庇うように俺の前に立ち塞がったシエルが、剣をこちらに向けているからだった。
彼は、分かっているのだろうか。それが、この俺に…魔王に敵対するという意志表明であるということを。
いや…多分、分かってるんだろうな。彼が俺に刃を向けるのはこれが初めてではない。
「いや…お前の本気なんて、あってもなくても変わらないし」
「…貴様……!」
俺の素直な感想に、シエルは形相を変えた。怒りと屈辱。けど、本当のことなんだから仕方ないだろ。
「それに、お前が本気になる必要ってあるのか?」
「それは………」
シエルの行動原理は、復讐心と地上界守護だ。その二つが合わされば無意味な本気を出すのも分かるけど、俺がこれからやろうとしているのはあくまでも魔界の政の一つだ。シエルがここで見て見ぬふりをしても、地上界には何の害もない。
…というか寧ろ、彼女らを野放しにしておく方が害となる。
シエルにも、自分の身を犠牲にしてまでグィネヴィアを守る必要などないと分かっているはずだ。それなのに俺の前に立ち塞がるというのは、それだけ俺のやることなすこと全てにケチをつけなければ気が済まないのか、或いは……こいつも、グィネヴィアに情が湧いたのか。
「シエル、いいのです。少し、ユウトと話をさせてもらえますか?」
グィネヴィアがふらつきながら立ち上がり、シエルの肩に手を置いた。
彼女の傷は、たとえ頑健さが売りの竜魔族といえども軽視できない深さだった。このまま手当を受けなければ、命を落とすかもしれない。
そんな重傷では立ち上がるどころか動くことすら辛いだろうに……そうすることで、シエルとユディットを巻き添えにしないようにしてるのか。
「しかし…こいつは、あなたを殺す気だ。いいのか?」
「それを含めて、彼の話を聞きたいのですよ」
この期に及んでも、彼女は穏やかで理知的なギネヴィア先生のままだった。森の中で、あそこに子ウサギがいますよ、と告げたときと何も変わらない顔。
どうして俺は、もっと早くに気付かなかったんだろう。或いは、もういっそ気付かなければよかったのに。
「……ユウト、貴方は…貴方も、魔族なのですね」
「……先生!?」
グィネヴィアの俺に対する問いに、ユディットが顔を蒼白にして叫んだ。
彼女の驚愕も無理はない。クラスメイトで、地上界の英雄の息子であるはずのユウト=サクラーヴァが魔族である、だなんて。
「正確には、魔族じゃないよ」
「………え?」
予想が外れたことにグィネヴィアは戸惑った。
俺は、彼女の勘違いを否定しながらもその先をどう続ければいいのか分からなくて、口ごもってしまった。
俺は今、躊躇っている。それは確かだ。
では、何を?彼女とユディットに真実を告げること?それとも、彼女に裁きを与えること?
彼女らと共に過ごした日々を否定することを、かもしれない。
短かった春の休日。煩わしい雑事から解放されて、責任という二文字を脇に置いて、ギネヴィア先生とユディットと、あとついでにシエルと、過ごした他愛のない日々。
多分、それに未練を感じているのは俺の中の桜庭柳人だ。こんな人間臭い感傷、ヴェルギリウス=イーディアだったら、一笑に付して払い除けてしまうだろう。
たかだか十数年だけの人生、異世界のちっぽけな人間。だけど、その存在が創世神から俺を…ひいては世界を守ったわけで、ないがしろにするわけにはいかなかった。
だから、俺はどうしたらいいのか分からない…否、どうしたいのかが、分からない。
魔王としてどうすべきかは分かってるのに、自分がそれを望んでいるのかいないのか、まだ答えを出せていない。
結局は、我が身が可愛いだけだ。傷付きたくないという…自分の傷を少しでも軽いものにしたいという、自分勝手で幼稚な考え。
俺はいつだってそればっかりで、いい加減学んでもいいはずなのに、やっぱり上手くいかない。
勇者も、英雄たちも、それぞれがそれぞれの覚悟を決めていたのに……俺は未だに、一人だけ前へ踏み出すことが出来ないんだ。
どこまでも冷酷になるのは簡単なことだけど、そしてきっとそれが一番楽なことなのだけど、そしたら多分、桜庭柳人は…あの、他人のために命を落としたお人好しの高校生は、ヴェルギリウス=イーディアを決して許してくれなくなる。そうなってしまった後の結末が、俺には何より恐ろしい。
グィネヴィアを前にしてずっとモダモダしたままの俺に、シエルは残酷だった。尤も、彼が俺に情けを示すはずもない。
「あなたなら、気付かないはずはないだろう。脱出不可能な亜空間からいとも容易く逃れ、あの化け物を何かのついで程度に一瞬で屠るこの男が、あなたたちと同じモノなはずはないと」
シエルの言葉に、グィネヴィアの表情が強張っていった。息が荒くなったのは、傷の痛みのせいだけではないだろう。
「そんな………どうして、こんなところに……」
彼女は悟った。自分が何に対峙しているのか、そして自分がこの先どうなるのか。それから、彼女の瞳に覗いていた恐怖が、ふっと諦念に変わった。
彼女まで、俺を置き去りにして覚悟を決めてしまった。
もう、後戻りは出来ないじゃないか。
「グィネヴィア=ハズラム。亜種懐古派を率い魔界に混乱をもたらしたその罪は、看過できるものではない」
俺は、覚悟なんて出来てない。だけど、せめて覚悟してるフリくらいはしないと、魔王としての沽券とか矜持とか誇りとか、俺のそんな気持ちなんてクソったれなんだけどそういうものが保てなかった。
「何か、申し開きがあるのならばここで言ってみろ」
ただ、彼女が何か弁解してくれるのではないか、という淡い期待もあった。
亜種懐古派“原初の灯”の叛乱には、元・武王フォルディクス=アゲートの思惑が働いていた。徒に戦火を広げたくないグィネヴィアから、降伏の機会を奪ったのも彼だ。
そしてフォルディクスの裏切りは主君である俺の不始末なのだから、彼女がそれを強く主張すれば、多少の酌量は与えてやれる。
…お願いだから先生、生に執着してほしい。先生だって、俺が先生を殺したくないと思ってることに気付いてるだろ?
それなのに、先生…グィネヴィアは、静かに首を横に振った。
ずっと同じところをぐるぐると回り続ける情けない魔王です。




